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名探偵はあてにならない。  作者: 龍
CASE:6 The malpractice
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第18話  ナマケモノ、病院へ行く

古野「えー、皆さん。ごきげんよう。古野直翔です。今回、俺は本編には登場しないので、こうして挨拶をすることになりました。

 えー、ところで皆さん。病院ってどうですか? 俺は子どもの頃から病院が大嫌いだったんです。注射のせいです。

 今回は、そんな病院でのお話です」

「それでは本城先生、お先に失礼します」


 丁寧な挨拶を残し、昼食をとるために医局を出ていった研修医を、本城拓矢は静かに見送った。それから午前の診察の後始末を手早く済ませ、デスクの下に隠しておいたバッグを取り出す。


「……」


 バッグの中から手術用のゴム手袋を出し、白衣のポケットにしまう。もう一度バッグの中身を確かめてからファスナーを閉めた。

 準備は完璧だ。あとは実行に移すだけである。本城の心にはもはや迷いはなかった。

 バッグを片手に持ち、医局を出て、外科に与えられた長い廊下を歩く。肝心なのは、堂々としていることだ。そうすれば怪しまれる心配はない。

 幸い、誰ともすれ違うことなく目的の部屋にたどり着いた。ドアに貼られたネームプレートを見ると、藤村幸三郎と書かれた名前の横に、在室を示す赤いマグネットがあった。一応、軽くノックはしたが、返事を待たずにドアを開ける。


「……ああ、そうだ。オオトモさんだ。……忘れたのか? 午前に来た狭心症の患者だよ。ああ、そう。よし、そうしてくれ」


 部屋の主、藤村幸三郎はちょうど電話を終えたところだった。本城の姿に気がつくと、にたにたと気味の悪い笑みを浮かべ、無精髭の生えた顎をさすりながら「よお」と声をかけてくる。それから藤村は奥の椅子に腰かけ、本城には手前のソファーに座るよう促した。本城はその通りにソファーに腰かける。


「まさか本当に、本城“先生”が来てくれるとは思わなかったよ、へへへ」


 藤村の、耳にへばりつくような薄気味悪い声に、本城はフンと鼻を鳴らして応じた。


「さっきまでな、病院の口コミサイトを見てたんだ。我らが東都大学付属病院の評価は、あんたのおかげで素晴らしいもんだよ。何せ、“心臓血管外科の貴公子”本城拓矢だもんなあ」


「……何が言いたい?」


「週刊誌なんかでも取り上げられたそうじゃないか。36歳の天才カリスマ外科医、その正体に迫るって見出し。いやー、なかなかイケてたねえ」


「さっさと話を始めたらどうなんだ!」


 業を煮やした本城はやや声を荒らげて、本題に入るよう促した。藤村の意図など見え透いている。ただ本城をいたぶりたいだけなのだ。そうして、自分の優越感を味わいたいだけなのだ。


「まあ、そう焦るなって」


 藤村は、デスクに置いていた新品のタバコの封を切り、早速一本くわえる。が、火はつけずにそのまま話を再開した。


「……口コミサイトの人間や週刊誌の記者なんかは知らないんだろうな。カリスマ外科医のあんたが、8年前に犯した医療過誤のことなんて」


 本城は思わず唇を噛みしめる。握りこぶしにも力が入った。そんな本城の様子には気づいていない様子で藤村は話を続ける。


「俺も偶然気づいたんだぜ。半月前に研修でその病院に行かなかったら、今も知らずにいただろう。幸い患者の死にはつながらなかったようだが、これがバレたら、今のあんたの地位はおしまいだな」


 8年前、本城がまだまだ新米の外科医だった頃、地方の大学病院で犯した小さな医療過誤。だが、その事実を知るのは本城だけのはずだった。たしかカルテの保存が義務づけられているのは5年のはずだが、まさか8年前のものがまだ残っていたとは。そして、よりによってそれがこの藤村によって暴かれてしまうとは、本城は思いもしなかった。


「まあ、安心しな。あんたが大人しく口止め料を払ってさえくれりゃ、こっちはその事実を見逃してやってもいい」


 火もついていないタバコをくわえたまま、藤村は椅子から立ち上がって本城の前のソファーに腰かける。


「いくら払えと言うんだ?」


「……5000万。あんたの年収なら安いもんだろ?」


「無理だ。払えるわけがない」


「なら、当時のあんたのカルテを公表するまでだ。例の週刊誌に売りこむのも良いかもしれんな。どんな記事があがってくるか……ククク、こりゃ面白くなりそうだ」


 藤村は、また気味の悪い笑みを浮かべる。どこまでも愚かな奴だと思いながら本城はバッグを持って立ち上がった。藤村は話に夢中で気づく気配もない。

 本城は、ソファーに座る藤村の背後に回りこむと、白衣のポケットに入れておいたゴム手袋を取り出し、丁寧に両手にはめる。それからバッグのファスナーを開け、布でくるんだ彫像を慎重に持ち上げた。そして、藤村を見下ろす。


「もうあきらめな。あんたには金を払う以外のカードは残されちゃいないんだ」


 余裕たっぷりの口調でなおもしゃべり続ける藤村。それを聞いた本城は、ならばこちらは切り札を行使するまでだと心で唱え、彫像を思いきり藤村の後頭部に叩きつけた。


 ……ドンッ。


 瞬間の鈍い感覚。

 気づけば藤村は、ぐったりとソファーに横たわっていた。起き上がる気配はない。

 死んだ。

 数秒の沈黙ののち、気を取り直した本城は、彫像をバッグにしまう。

 それから証拠のカルテを回収するべく藤村のデスクに向かうが、デスクの端に無造作に積まれたカルテにぶつかって床にばらまいてしまう。

 片付けぐらいしておけ、と心で文句を言いつつ、散らばったカルテを集める。本城は、一度覚えた患者の名前は全て把握している。順番通りに積み直すのは造作もないことだった。

 それからようやく証拠となるカルテの捜索を始めた。と言っても、管理の杜撰な藤村の隠し場所など、たかが知れている。案の定、デスクの引き出しに何のひねりもなくしまわれていた。

 カルテをバッグに入れると、今度は藤村のパソコンを起動し、文書作成ソフトを立ち上げる。あらかじめ考えておいた内容を手早く打ちこむ。


『私、藤村幸三郎は、これ以上外科医としての責務に耐えることができなくなりました。病院のスタッフをはじめ、患者の皆様に多大なるご迷惑をかけることをお許しください』


 なかなかの出来だ。藤村とは決して親しくしているわけではなく、自殺をするような人間かどうかは分からなかったが、人間追い詰められればどうなるかなど誰にも分からないことだ。自殺を選択したとしても、不思議なことではない。

 それから本城は窓を全開にし、藤村の死体をかついで窓の下を見る。ちょうど病院の裏にあたるためか、人の姿は見えない。

 よし。

 本城は力を振り絞り、頭から藤村を突き落とした。思わず目をつぶる。手術には慣れているとはいえ、転落死体を見る気分にはなれなかった。

 それから窓を閉めようとして本城は手を止め、苦笑した。藤村は自殺したというシナリオなのだ。自殺した人間が、窓を閉められるはずがないではないか。危ないところだった。

 そろそろ下では騒ぎになっていることだろう。本城はゴム手袋を外し、バッグに入れてファスナーを閉めた。カルテは燃やしたうえで、このバッグは公園のゴミ箱にでも捨てておけばいいだろう。

 部屋を出ようとして本城は一度足を止める。

 ……後悔はしているか?

 いや、それはない。過去の過ちを乗り越え、ようやく今の地位をつかんだのだ。それを藤村のような男のために失っていいのか。

 そんなことは、あってはならない。

 白衣の裾をはためかせ、本城は力強く一歩を踏み出した。



***



 もうすぐ5月だというのに、今日はやけに風が冷たい。

 まさに白い巨塔とでも言うべき東都大学付属病院の豪壮たる姿を見上げ、佐々原紀之は感嘆のため息を漏らした。

 周りでは黙々と現場検証が続いている。警部である佐々原は、本来であれば現場指揮をとるべき立場なのだが、あれこれ言い訳をつけて先ほどからサボってばかりいた。


「警部。どうやら自殺の線で間違いなさそうですね。10階の自室から身を投げたんでしょう。部屋に遺書も残ってましたし」


 部下の本多が声をかけてくる。本多はまだまだ若いが、優秀な刑事だ。


「おお、そうか。じゃあ、そろそろ死体を運んでくれねえか。もう限界だぜ」


「あ、はい。分かりました」


 本多はそそくさと退散する。

 死体を運ぶよう指示したのは、佐々原は血を見ると失神してしまうからだ。刑事としては致命的な欠点だが、今まではなんとかひた隠しにしてやり過ごしてきた。昇進してしまえばこっちのものだ、というのが佐々原の持論である。

 おまけに今回のは転落死体だという。自分が死ぬなら転落死だけは嫌だなとか思いつつも、やはり他の死に方も嫌だという堂々巡りの想像を佐々原がしていると、何やら向こうが騒がしくなった。野次馬だろうか。


「……子どもが現場に入るもんじゃない。とっとと帰るんだ!」


「あー、いえ。現場を荒らしに来たわけではなくてですね、ちょっと捜査に協力したいな、というだけのことでして……」


 聞き覚えのある声だ。佐々原は嫌な予感がした。


「とにかくダメだ。そもそも、関係者以外立ち入り禁止のテープが見えなかったのか?」


「俺は病院に来たんですから、れっきとした関係者です」


 やっぱりそうだった。見張りの若い警官と押し問答を繰り広げていたのは、出町昇之介。東都高校に通う高校生探偵だ。以前、ある事件で捜査協力を得たことがあり、それを理由にその後も何度か現場を訪れることがあった。最近は探偵クラブとかいう酔狂な部活をつくったらしく、しばらく顔を見ていなかったのだが……。まさかこんなところで再会するとは。

 出町は佐々原に気づいたらしく、軽く手を振ってきた。さすがに無視するわけにもいかず、見張りの警官に事情を話して入れてやることにする。


「お久しぶりです。佐々原警部」


「フン、まさかお前に会うとはな。何しに来た?」


「やだなぁ。ここは病院ですよ。検診に来たに決まってるじゃないですか」


「どこか悪いのか?」


「友達がうるさいんですよ。お前はいつもいつもなまけているから、体が壊れてないかどうか診てもらえって」


「へえ、お前に友達がいたとは知らなかったな。ナマケモノは孤独な生き物だと思ってたが」


 佐々原が自信満々にかました嫌味をそっけなくスルーした出町は、現場を凝視していた。ちょうど死体が横たわっていたあたりだが、既にそれは運び出されていてブルーシートだけが残っている。


「転落、ですか」


「まあな。10階の窓から真っ逆様だ。ほぼ即死だったろう」


「自殺ですか、それとも……」


「まあ自殺で決まりだろ」


 聞いているのかいないのか、出町はしばらく現場をぶらぶらした後、急いで病院へと入っていった。


「お、おい! まだお前に捜査協力を頼んだわけじゃねえからな!」


 佐々原も急いであとを追うが、近頃の不摂生がたたったのか、一向に追いつけない。出町はナマケモノのくせに足だけは異様に速かった。


「ったく、しょうがねえなあ」


 高校生に捜査協力を要請したなどと知られた日には、佐々原は一瞬で懲戒免職をくらうだろうが、それでもなぜか出町を追い払う気にはなれなかった。

 その出町は受付であたふたと何かを話していた。佐々原は、出町の腕をつかんでエレベータホールへと誘導する。


「受付で何してたんだ?」


「現場がどこかを聞こうと思ったんですが、話がうまくまとまりませんでした。やっぱり病院は苦手ですね」


 10階へ向かうエレベータの中で出町は小さなため息を漏らした。


「どこが苦手なんだよ」


「小さい頃、どっかの部屋のベッドで勝手に寝てたら、お医者さんにこっぴどく叱られたんです。それ以来病院はどうも苦手で……」


「なんだそりゃ」


 結局ナマケモノ体質が原因ではないか。

 そうこうしているうちにエレベータは10階に到着した。この階は全て外科に与えられている。長い廊下をはずれまで行くと、一際騒がしい部屋があった。被害者の部屋らしい。


「おう」


 本多がいた。佐々原に気がつくと、軽く会釈をしてくる。


「警部、こちら看護師の若山さんです。聞いたところによれば、被害者のことをいちばんよく知っておられるそうで」


 若山、と呼ばれた看護師は30代半ばくらいの、化粧の薄い女性だった。

 佐々原は事情聴取の前に、出町のことを本多に紹介しておいた。本多は怪訝な表情をしていたが、最後には苦笑しながら出町と握手をしていた。


「それで……。私は何を話せばいいんでしょうか」


 佐々原が言いよどんでいると、横から出町が割って入ってくる。


「被害者のことについて教えていただけますか」


 若山は出町を見て同じく怪訝な表情を浮かべたが、佐々原の説明で納得したのか、素直に話し始めた。


「藤村幸三郎先生です。心臓血管外科で仕事をしていました」


「なるほど……」


 そこで出町は突然その場を離れ、デスクに近づいた。デスクにはカルテと思われる書類が散乱しており、新品のタバコもあった。出町はそのタバコを手に取り、しげしげと見つめる。


「このタバコ、1本無くなってますね」


「そりゃ、1本吸ったからだろ」


「でも、灰皿は空っぽです」


 なるほど、デスクには空っぽの灰皿もあった。しかし、出町が何を言いたいのか、佐々原にはさっぱり分からなかった。出町は再び若山への質問を始めていた。


「銘柄は『ナインスター』ですか……。藤村氏はいつもこのタバコを吸ってらしたんですか」


「え、ええ。いつもそれでした」


「このタバコ、いつ買われたものか分かりますか」


「午前の診察が終わった後、コンビニで買ってきてました」


「藤村氏はかなりのヘビースモーカーだった?」


 若山は顔をしかめた。


「ええ、それはもう。以前は所構わず吸ってたんですけど、最近ではこの部屋にこもってスパスパ吸ってたみたいですね。ただ、さすがに人前では吸わなくなりましたけど」


 若山の話を聞き、出町は何度もうなずいていた。それからタバコの隣にあった百円ライターに手を伸ばし、火をつけたり消したりを繰り返している。

 佐々原もいい加減いら立ってくる。


「おい。いつまでかかるんだよ」


 ライターをいじる出町の手が止まった。それから今度はデスクに積まれたカルテに目を向ける。


「……妙ですね」


「何がだ?」


 出町はカルテの山を指さす。


「ほとんどが乱雑に積まれている中で、このカルテだけは丁寧に並んでいます。おかしくありません?」


 そうだろうか。大雑把な人間にでもそういうことはあるのではないかと佐々原は心で反論する。

 カルテには早くも興味をなくしたのか、出町は今度は、デスクに無造作に放り出してあった週刊誌を手にとった。パラパラとページをめくっていた手がぴたりと止まる。


「どうした、何か興味深い記事でもあったか?」


 出町はその質問には答えず、また若山に質問を投げかけた。


「若山さん、一つ教えてください」


「何でしょう?」


「……これは、どなたですか」


 そう言って出町はあるページを開いて若山に見せる。反応はすぐに現れた。


「ああ……。本城先生ですよ。うちのエースの」


 天才カリスマ外科医、その正体に迫ると書かれた見出しの下に、笑顔の本城拓矢が映っていた。

今回からCASE:6です。初の倒叙モノということで、かなり緊張したんですが、無事に一編書き上げました。なるべく早く解決させて次に行きたいと思ってます。


それでは事件について。今回のポイントは主に2つです。


・出町はどこで犯人に目をつけたか?

・犯人が残した決定的証拠とは?


今後もお楽しみに!

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