03・神との約束、そして二度目
意識が覚醒する。
最初に目に入ったのは白だった。
頭が働かず暫く呆然としていた。やがて意識がはっきりしてくると、最後の記憶が蘇る。思わず左手で刺された胸を触るが何もなかった。
寝ていた状態から、上半身を起こして見てみてもやはり何もなかった。血の痕、傷の痕すらない。
首を傾げる。不思議に思い周りを見れば、そこは白一色の空間で何もなく彼女もあの女もいなかった。
此処が何処か分からないし、何故此処にいるかも分からなかった。
僕はあのまま死んだはず…………此処はあの世だろうか…………僕が此処にいるなら彼女もいるだろうか……
そんな淡い期待が胸を過る。
だが、その期待は裏切られる。
突然、背後の空間が動いた気がした。実際はそんなことはなかったのだろうとは思う。
後ろを振り返ると、真っ黒な少女が立っていた。
足首まであるクセのない真っ直ぐの黒髪。派手ではないが、ふわりと広がる豪華な黒一色のドレス。黒により引き立てられる透き通った白い肌。大人の魅力に彩れた小ぶりな赤い唇。
そして目が引き寄せられる意思の強さが宿る黄金の瞳。
何の感情もない無表情でじっと僕を見つめている15、6歳の少女がそこにいた。
――ようこそ、私の世界へ
彼女は話し始める。
――此処はヴェントゥーザ。
貴方がいた地球とは異なる世界、所謂異世界です。私はこの世界の神です。こんなことを突然言っても理解できないでしょうが、どうかそのまま聞いて下さい。
私は私の願いを叶える為に、ある魂を探していました。そして貴方を見つけたのです。
私はこれから貴方に一つのお願いをします。これは私の願いなので、断っていただいても結構です。その時はここでのことは消して新たな生を授けます。
けれどもし私の願いを叶えていただけたら、更に来世で幸せに生きられるよう貴方の魂を加護します。
ここまでよろしいでしょうか?
正直、どうでもいいと思った。
此処が異世界で、彼女が神で僕に何か“お願い”をしたいというのは理解した。
ただ何故僕なんだ?
僕は疑問を聞いてみた。
――それは貴方の魂が、深い絶望を抱いていたからです。
私の願いは、“世界を救ってほしい”ということなんです。
思わず顔をしかめてしまう。
言っている意味が分からない。世界を救うことと、絶望していることは意味的に真逆のような気がするからだ。世界を壊してと言われた方がまだ納得できる。
――不思議でしょうか?確かに貴方は世界に、人に絶望しています。けれどそれと同時に人を愛することを知っています。絶望も人を愛することも知っている貴方なら世界を救える。私はそう思って貴方の魂をこの世界に連れてきました。
納得はできなかった。
どうして僕なんだ?どうして彼女じゃない?いつも人のことばかり優先するような、どうしても泣けなかった僕の代わりにいつも泣いていた、優しい彼女の方が適しているじゃないか……
そうは思ったが、僕は彼女にそうやっていつも甘えていたなと自嘲の笑みが零れる。
僕は一度深呼吸をして、まず聞かなければならないことを聞いてみた。
――僕に何をさせたいんだ?
その言葉に、彼女の表情が少し動いたがすぐに無表情に戻る。
――この先約二十年後に“邪悪なる者”、邪神が現れます。邪神は世界を破壊しようとします。
いえ、貴方に願うのは邪神を倒すことではありません。邪神を倒すのは勇者です。勇者にしか倒せません。
貴方に願うのは世界を救うことです。邪神を倒すことと、世界を救うことは別です。
まずは何故邪神が生まれるのかを話しましょう。
邪神とは神ではありません。初めて現れた時“邪悪なる者”と呼ばれ、それがいつしか“邪神”と呼ばれるようになったのです。
邪神とは世界の、人の穢れが具現化した存在です。はじめは小さな自然の力の結晶体。その結晶体が負の感情である怒り、悲しみ、憎しみ、それらが発する穢れを取り込んでいきます。
長い時間をかけて取り込んでいき、やがて邪神と呼ばれる存在になります。
邪神は世界の終わりを願います。それが彼の者の存在意義になるからです。
初めの邪神は、ただ己の力のみを振るい生きるもの全てを蹂躙していきました。
このままでは世界が終わってしまう。私は異世界から強い力をもつ魂を呼び寄せ、邪神を倒せる力を与えてこの世界に送りました。勇者と呼ばれるようになった彼は邪神を倒し、邪神は小さな結晶体に戻り自然の中で眠りにつきました。
残念ながら、勇者は亡くなってしまいましたが。
それから約五百年後、再び邪神が現れました。二度目の邪神は、己の力を魔物に与え人々を襲わせました。
私はもう一度、異世界より強い魂を喚び寄せようと思いましたが今回はその者だけでは荷が勝ちすぎます。よってこの世界に生きる者達に、勇者召喚を授け共に闘いに行くよう神託を下しました。
二度目の勇者も邪神を仲間と共に倒しました。今度は勇者一行には、犠牲者が出ましたが生き残った者もおりました。
けれどこの時、予想外の事が起こったのです。
邪神が結晶体に戻った時、一つの魔術が発動しました。邪神が自らの命が消えた時に発動するよう、仕掛けていたもののようです。
その魔術により世界は荒廃し多くの命が失われ、世界は混沌に呑み込まれました。
邪神は再び結晶体に戻りました。勇者と仲間達は邪神が発動した魔術に呑まれ、ただ一人を残し皆亡くなりました。
それから更に約四百年後、三度邪神は現れます。
結果は二度目と同じなので、説明は省きます。
ただ一つ違うのは、二度目よりも強い魔術が発動し世界が荒廃したことです。
ここまで話してお分かりいただけたと思いますが、邪神は約五百年周期で生まれます。
二度目と三度目の期間が短いのは、四百年の間に戦争が多発し穢れが多く生まれたからです。
三度目からもうすぐ五百年経ちます。
後約二十年というのは目安でしかなく早まるかもしれませんし、もっと遅くなるかもしれません。
その間、貴方には勇者と共に邪神と闘えるように強くなってもらわなければなりません。邪神が魔術を発動する場に居合わせなければならないと思いますから。
ここまで長々と話しましたが、私が貴方に願うことは邪神の魔術から世界を護ってほしいということです。
ご理解いただけましたか?
本当に長い話だったがなんとなく理解は出来た。
要は邪神の魔術を止めるか、相殺させればいいということか。
で、どうやって?
――はい、まず貴方の瞳に魔眼を宿します。その魔眼には一つの魔術を組み込みます。そして魔眼は貴方の魔力を吸収し蓄積します。
魔眼に組み込む魔術は、高度で強力なものです。
並の魔力では発動すらしません。その魔術を使う為に魔眼に魔力を溜めるのです。ですから貴方は絶対に魔力を使おうとしないで下さい。
その魔術で邪神の魔術を打ち消してほしいのです。
この話を聞いて僕が思ったことはただ一つ。
――彼女にはこんなことさせられないな、と
彼女が傷つくのは嫌だ。彼女には穏やかで優しい暖かな日溜まりの中にいてほしいから……
邪神との闘いなんてあり得ないだろう?
――……もう一つ、言っておかなければならないことがあります。
魔眼に組み込んだ魔術は、本来人には決して扱えないものです。絶対的に魔力が足りないからです。
けれど今回は反則的な手段で使います。人の身では耐えられないでしょう。
魔術を発動すれば、貴方は確実に死にます。
ですから、断っていただいても結構です。
あぁ……なるほどなぁ……
納得した。話にではなく、目の前の神に対して。
目の前の神はずっと無表情だった。話す声も感情のこもらない淡々としたものだった。
本当はとても優しいのかもしれない。人に“死”を強要するなんて辛く悲しいのかも。
でも彼女がそんな感情を見せることは間違っている。だから感情を抑えて無表情になっているんだろう。
神らしく一方的に命じちゃえばいいのにできないんだろうな。
この時点で、僕は彼女の願いを受け入れようと思っている。彼女の姿が【唯一の人】に重なってしまったのが、一番の原因。
姿は全く似ていない。だがその心が重なった。
絆されたんだろうな。
僕の心には絶望しかない。
【唯一】だった彼女もいない。
でも彼女だったら、どうするか。
それを考えたら答えは決まる。
彼女には沢山助けてもらった。心を救ってもらった。思いっきり甘えていた。彼女がいなかったら僕は生きてはいなかったと、断言できる。
そのくらい僕にとって彼女の存在が全てだった。
彼女が僕に与えてくれたものは大きい。
でも彼女はもういない。
彼女にはもう返せない。
だから、この世界で返そう。
僕は本当に彼女に何もしていない。貰ってばかりだった。
けれど僕が僕のままで返せる機会がある。
それは彼女にではないけれど、このままというのはあまりにも男として情けなさ過ぎるから。
だから返そう。
彼女がくれたいろんな想いを。
世界を救ったら、彼女は笑ってくれるだろうか。よくやったと、褒めてくれるだろうか。
なんて彼女の姿を思い出すだけで、心が温かくなり自然と笑顔になる。
心が決まり、僕をじっと見ていた神の瞳を見つめる。
――願いを受け入れていただけるようですね。
――あぁ、ただし頼みがある。
記憶はこのままの状態だよな?うん、まぁそうだよな。けどある程度成長するまで、記憶は封印とかしといてくれないかな?
少しくらい何も知らないこの世界の住人として暮らしてみたいし、赤ん坊の時に記憶があったって何も出来ないんじゃ苦痛でしかないし。
できるかな?
――分かりました。
では三歳まで記憶を封印します。
この世界では、三歳になりましたら神殿で“洗礼”を受けます。その時封印が解けるようにします。
それでは魔眼と邪神と闘える力、そして私の加護を授けます。
神は僕の胸に手を添える。ナニか暖かなものが身体を満たしたが、すぐに消える。
もう時間なのだろう。瞼が重くなってきた。
目を閉じる瞬間、最後に見た神様は穏やかな微笑みを浮かべていた。
そして笑顔とともに告げられた言葉に、思わず一滴の涙が零れた。
――こんなことを言うのは卑怯かもしれませんが、貴方の為に伝えます。
“彼女”が最後に願ったことは“生きて”です。
誰に向けられた願いなのか、貴方なら分かりますね?
「……………あぁ……それは確かに卑怯だなぁ………」
全身に暖かな光を感じ、意識は途切れた。
読んでいただいてありがとうございました。