02・一度目の“彼”
暗いです。サッと読んで下さい。
僕はこの世界が大嫌いだった。
この世界は僕にとって悲しみだけだった。
日常が痛みと苦しみしかなかったからだ。
僕を産んだ女は、僕の全てが気に入らないようで常に暴力を振るった。殴って蹴って物を投げて、ヒステリックに喚き叫ぶ。
時おり父親だという男が家に来て女の暴力に加わり、嗤いながら僕をいたぶっていった。
時間を問わず女はふらりと外に出ていく。僕は外に出ることを許されず、部屋の中に閉じ込められていた。
だから僕にとって世界とはこの汚く薄暗い小さな部屋だった。
知らない大人が二人家に来た。その大人は“小さな世界”から僕を連れ出し、温かい場所に連れていった。後から女がやって来て、沢山の知らない大人と話をし一人で帰っていった。
僕はその様子を温かい場所から見ていた。
知らない大人達は皆優しかったが、僕はよく意味が解らずただ呆然とし恐怖を抱いていた。
僕はその場所で数日過ごし、また女のところに戻された。
僕が戻った時、女はいつにも増して機嫌が悪かった。女はいつも以上に暴力を振るった。
――お前のせいで恥をかいた。
女は暴力を振るいながらそう言った。顔は醜く歪みおよそ人間には見えず、自分とは違う“別のイキモノ”なんだと僕は本気で信じた。
僕には女の言葉は理解できなかったが、女が恐ろしかったのでいつも通り大人しくしていた。
それから時々知らない大人が来て、あの温かい場所に連れていかれたが、戻るたびに女が“別のイキモノ”へと変わり恐ろしくなるので行きたくはなかった。
そんな風に僕の世界は、暴力で満ちていた。
僕には幼い頃の記憶はほとんどない。家からは出られなかったし、いつも目の周りが腫れていて見えづらかったから。
でもそれでも構わなかった。特に今までの僕に意味など無かったし、これからもないだろうと思っていた。
痛みも苦しみも悲しみもいつしか感じなくなった……
けれど彼女との出会いで全てが変わる。
白黒の世界に暖かい光が差し色がついた。
彼女も僕と似ていた。
彼女の親は子供に無関心な親だった。生活費を渡す為だけに帰ってくる、そんな親。
彼女は家から閉め出され公園のベンチで座っていた僕に声をかけ、話を聞くと家に連れていった。
そしてそのまま彼女の家に泊まった。
改めて思うといけないことだったが、女のもとに帰りたくなかった僕は彼女に甘えてしまった。
それからは時々、閉め出された日は公園に行き彼女が居たら彼女の家に泊まりに行った。
大人には知られないように……
そうして中学、高校と時が流れる。
あの女は相変わらずで、彼女の親も変わらなかった。
女は成長し身体が大きくなった僕に、まるで自分を誇示するように暴力を振るった。いつからか女の瞳に“恐怖”が見え隠れしていた。
そのことに気付いてはいたが、既に僕には抵抗する感情など無い。
僕達を取り巻く世界は変わらず、ただ僕達だけが変わった。
ずっと二人でいた。お互いの存在が必要で全てだった。それは“依存”と呼ぶものだったのかもしれないけれど、それでよかった。
僕は彼女を愛していた。
彼女も僕を愛してくれていた。
――高校を卒業したらこの地を離れよう
そう、約束をした。
けれど、その約束が果たされることはなかった。
卒業式を明日に控えた夜、僕は最後の確認の為、彼女の家を訪れた。
彼女にもらった合鍵を使って家に入った。
リビングの中の光景が目に入った瞬間、僕の頭は理解することを拒絶した。
彼女が床に倒れている。
彼女はうつ伏せで腹部を抑えるように倒れていた。そこから大量の赤いナニかが流れ、彼女の制服の白いブラウスと床を濡らしていた。
彼女のすぐ横には、あの女が立っていた。手と手に握っている包丁は赤く染まっていて、服にも赤が飛び散っている。
女は僕に気付き、狂気を孕んだ瞳で嗤った。
――お前だけ幸せになることは許さない
その言葉が耳に届くと同時に、身体に軽い衝撃が走った。下を見れば、女が握っていた包丁が胸に深々と刺さっていた。
あぁ、刺されたのかと他人事のように思った。
女はそのままの姿で外に走っていった。
僕は最後に彼女に触れたくて、ふらつく身体を動かす。
彼女の傍らに座り、彼女の顔を覗き込む。
彼女は穏やかな顔で微笑んでいた。
彼女が苦しんでいない事に安心して、彼女の頬を撫でる。彼女の身体にはまだ温もりが残っていてただ寝ているようにも見えるけれど、そこに生命は感じられなかった……………
涙が流れていく。
僕は彼女に出逢って失っていた感情を取り戻していった。ただ感情が動くのは彼女に関してのみだったけれど。
その中で“泣くこと”が今までどうしても出来なかった。“悲しみ”はあっても涙を流すことなんて出来なかった。
だから僕の代わりに彼女が涙を流していた。
不謹慎だけれど、僕はその涙すら愛しかった。
僕は今泣いている。涙を流している。
やっぱり僕の感情を動かせるのは彼女だけなんだと、場違いな笑みが口元に浮かぶ。
彼女の頬を撫で続けて、静かに瞳を閉ざす――
僕はこの世界が大嫌いだった。
そして僕の【唯一】を奪った世界に絶望する。
これが僕の一度目の人生になる………
読んでいただいてありがとうございました。