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マジックスペル ~神眼と魔眼を持つ者~

マジック・スペルの3部作目


もともとエブリスタで投稿していた作品です。

 プロローグ

 かつて闇の女王と言われた魔女が世界を恐怖に陥れてから20年、八人の王と賢者の力によって世界は再び光を取り戻しつつあった。だが、今だに人々の心には深い傷が残っている。唯一の救いは、今の子供たちの多くはその過去を知らないということ。闇の女王は賢者となり、奪った命の償いとして世界を守っている。そのため今の子供たちの多くが、闇の賢者がかつて非道の限りを尽くした闇の女王だとは知らないのだ。だが、大人たちは決して闇の賢者を認めない。それは子供たちにも伝わり、闇の賢者は悪い賢者だと思われている。実際に何をされたわけではないが、親が憎む存在をよく思わないのは当然だろう。そして闇の賢者の弟子となった王子『シグ・グローリア』もまた、世界からは冷たい眼で見られている。だが、それでもシグは弟子を続けていた。それは彼が闇の賢者を慕い、信じているかだ。これはそんな世界の物語である。


第一章『開始ゼロ

超高等技法マギスキル


 世界中に八つ存在する王国、その中でもっとも強大とされる王国の一つ『グローリア王国』。そこには世界一とされる魔法学校が存在している。そこの校長、つまり最高責任者をしているのは、光の賢者の称号を持つ『シリス』。おそらく闇の賢者を除けば最強と言われる魔法使いだ。そしておそらくこの世界でもっとも長く生きている人物だろう。


「今日も平和じゃのう。子供たちも元気じゃ」


 校長室から外を眺め、生徒の姿を見るのが楽しみのようだ。その視線が一人の少年へ向く。数か月前にこの学校へ入学した『ゼロ・フリーム』、彼は学校へ入る前の記憶を一切もっていない。そして身元引受人をしているのがシリスとなっている。学校へは遠い親戚の子と言っているが、謎の多いと学校中の噂だ。


「よし、この魔法書も全部覚えた」

「…呆れた才能」


 なぜなら彼は入学当時、魔法を一切知らなかった。だが今では中級魔法使い程度の実力をつけてしまったのだ。このままいけば、卒業する頃には賢者になれるのではないかと言われている。そしていつも彼の側にいる少女『フィール・ジハール』。あまり感情を表に出さず、冷たい感じのする少女だが、隣国のジハール王国の姫であり、その実力はすでに上級魔法使いと同等だと言われている。


「フィール、他に魔法書ってないの?」

「…私が学校で習ったのは、それで全部」

「そっか、じゃあ図書室とかであさるか」

(…学校でもらえない、上級の魔法書ならもってるけどね)


 そしてゼロはフィールが学校で配られた教本の魔法書に記されている魔法を、数か月で全て覚えてしまったのだ。表情には出さないが、そんなゼロの成長を誰よりも嬉しく思っているのはフィールである。もっとも、あまり急いで強くなってほしくはないようだが。


「ん? あの人何やってんだ?」

「…修業、でしょ?」


 少し離れた広場で、紙を見ながら何かをしようとしている上級生が眼に入った。


「すいません。何やってるんですか?」

「…おい」


 フィールの突っ込みをきく間もなくゼロは上級生の元へと行ってしまう。


「お、君は噂の。どうしたんだい」

「噂? それより何してるんです?」

「いや、別に大したことはしていないよ。ちょっと研究中の魔法があっただけ」


 そう言って上級生は持っていた紙をゼロに見せる。


「ちょうど君が入る少し前に辞めた子が居てね。シグ・グローリア、この国の王子だから名前くらいは知ってるだろう?」

「ええ、まあ名前くらいは」

「実は前に試験大会でその子と戦ったことがあるんだけど、その子が使った魔法がすごくて、どうにか覚えられないものかと思っていろいろ試してるんだ」


 見せられた紙に書いてあった魔法の名、それは『吸収装備ドレイン・ウェア』。


「魔法を体内に取り込んで、取り込んだ魔法を鎧として纏う。さらに取り込む魔法次第では肉体強化なんかの付加能力まである。まったくもってすごい力だよ」

「そんなにすごいんですか?」

「ああ、俺はあんなすごい魔法は初めて見た。だから、何としても覚えたくてね」

「そんなにすごいのにどうして…シグは使えたんですか?」


 フィールがいつもシグシグ言っているので、名まえを出すのに少し抵抗を感じた。


「それは、その魔法が闇の女王の力だからさ。いろいろ調べたけど間違いない。だから、みんな怖がってその魔法を嫌うみたいなんだ」

「闇の、女王?」

「本当に何も知らないんだな。…まあ俺も詳しくは知らないが、世界を恐怖に陥れたってことと、数日でいくつかの街や王国を潰したってくらいだがな。シグはその人の弟子になったんだよ」

「その魔法、もし覚えられたらそのシグくらい強くなれますか?」

「うーん、わからないけど。でも、使えたら強くはなれるさ」


 上級生の『強くなれる』の一言に、ゼロの表情は変わる。


「その紙もっと良く見せてください」

「あ…おいおい。構わないけど、かなり難しいよ。俺も数カ月、試行錯誤を繰り返してるけど…って聞いてないな」


 ゼロ集中力に上級生も言葉を失う。それほどゼロは紙にくらいついているのだ。


「おいおい、さすがはシリス様の親戚ってか」

固定セット…そのあとに取り込む…」


 才能のほかにこの集中力があったからこそ、魔法書も数カ月で覚えられたのは間違いないだろう。


「先輩、この魔法の発動って杖か陣を必要としてるんですか?」

「さあ、だから試行錯誤でいろいろ試しているんだ」

「この紙、借りてってもいいですか?」

「え、構わないけど」

「お借りします!」


 するとゼロは急いで校舎へとかけていく。


「…どこ行くの?」

「図書室だよ!」


 不思議そうにしているフィールを残してまっすぐ図書室に行くと、気になる本を手当たり次第にあさる。


「これとこれと、それにこいつもかな」

「…何探してるの?」


 ゼロの陣取ったテーブルには、これでもかというくらい本が山積みになっている。


「…片付けるの、大変」

「この状態ならこの魔法か? でもそれだと発動が…」


 だが、すでにフィールの声は彼に届いては居ない。仕方なくフィールはゼロの向かいへと座り、その光景を眺める。


(本当に、昔のシグみたい)


 だがその瞳に映るのはゼロではなく、遠く離れても思い続けている少年だった。




 それから数日、教室と図書室で理論を立て、広場に行っては試すという生活を送っている。


「先輩、ちょっといいですか?」

「ああどうしたんだい?」

「ちょっと見てほしいんです」


 そしてゼロが差し出したのは一枚の紙。そして上級生はそれに眼を通す。だが、その表情はだんだん真剣なものへと変わっていく。


「なるほど、俺が予想していたよりも多くの魔法を使うか。でも、これってかなり高等技術だな。既に『超高等技法マギスキル』レベルだ」

「でも、吸収魔法の他に遅発呪文レイトスペルや、魔法をその場に留めるためにも他の静止系なんかの魔法をくししたりしないと」

「だが、それを同時に行うにしても一つの魔器(まき・魔力を操る道具。例、杖など)では無理だ。そうなると特殊な魔法陣が必要になる」

「だから今はいろいろな魔法陣を調べてるんですけど」


 二人が話している内容。おそらくゼロの同級生ではついていけないレベルに達している。上級生の生徒がなんとかついていけるかどうかの内容だからだ。フィールも少し離れたところで二人の話を聞いているが、ついていくのがやっとである。


「よし、魔法陣に詳しい奴とか当たってみるよ」

「はい、じゃあ俺はこのまま作業をすすめます」


 それから半年、ゼロと上級生は吸収装備を完成させようと走り回っていた。上級生は吸収魔法をよく知ろうと、シリスに頼みこんで紅の賢者の研究書を借りたりするほどあちこちから資料を集め、ゼロはそれらの資料を元に魔法陣や術式を組み上げていく。


「じゃあ、いきます。…風刃固定エアルド・セット、吸収装備・風刃のエアルド・アーマー

「や、やったぞ。間違いない、確かにあの時シグが使ったのと同じだ」

「これが、吸収装備。実際使うと、聞いていたよりも凄い」


 そして闇の女王が数百年かけて編み出した技法。それはシグが使ったものよりも弱く、明らかにまだ何か足りないが、たった半年でゼロは完成させてしまったのだ。


「先輩、先輩も使ってみてください。この魔法はすごいです」

「いや、俺には無理だよ」


 喜んではいるが、上級生は首を横に振る。


「今の俺に、こんな高等技術はできない。おそらく上級魔法使いレベルでも難しいはずだ」

「え…でも俺は使えてますよ」

「そう…君の実力は既に上級魔法使いレベルってことさ」


 上級生の悔しそうで、それでいて満足した笑顔。ゼロはその笑顔を前に固まってしまう。


「君が考えた理論は正しかった。それが証明できたんだ。喜ぶことだよ」

「じゃあ、先輩は最初から自分ができないってわかってて」

「ああ、でも君は俺に目標をくれた。俺も早く強くなりたい。この魔法を扱えるくらいに。君のおかげで、やる気がでてきた」


 笑顔のまま、先輩は校舎へと消えていく。上級魔法使いレベル、それは極一部の魔法使いしかなれないほどの実力者をさす。


「…あの先輩は、私を除けばこの学校で一番強い生徒だった」


 戸惑いを隠せない俺に、無情の視線が向けられる。


「…あなたは今、この学校で私の次に強いということ」

「嬉しいよ。でも、なんか喜べないんだ。結局、俺一人だったら完成させることなんてできなかったと思うし」

「…でも、吸収装備は完成した。それは事実。そして、それが使えるくらい強くなろうとあの先輩に目標を与えることができた。それでは、ダメなの?」


 まるで心を見透かされているような感じだ。


「お取り込みちゅうかの?」

「校長先生…」

「見ていたよ。よく半年でここまで完成させたもんじゃ」

「一人で、完成させた訳じゃありませんから」


 シリスもゼロの気持ちを分かっているように優しい瞳を向ける。


「…何の用です?」

「ああ、そうじゃった。お前たち二人にお使いを頼みたいんじゃ」

「…私たちに?」

「ああ、紅の賢者から借りとった研究資料を届けてほしいんじゃよ」


 シリスが持っていた資料、それは吸収魔法を完成させるときに役立った物の一つだ。


「…私たちは一応生徒なんですけど」

「立派な生徒じゃろ。なに、外出許可は出す。それにゼロ、お前はまだ学校から出たことがないじゃろ? そして、紅の賢者が今おるのは隣国の『ジハール王国』じゃ」

「…でも、研究書を生徒に届けさせるのは危なくないのですか? 賢者の研究書となれば、かなりの値打ちになります」

「じゃから、お前たちに頼んでおるじゃ。なんせお前は学園でわしの次に強いんじゃ、妥当だと思うがの」


 フィールが強いのは知っていたが、この学園でシリスの次に強いということをゼロは知らなかった。


「…期限は?」

「とくにない。なんなら向こうでしばらくゆっくりしてきてもかまわんぞ。長いこと家に帰っておらんじゃろ」

「…わかりました。ゆっくり歩いていくことにします」

「ちょ、フィール。待ってよ」


 フィールは研究書を受け取ると、寮へ向かって行ってしまう。それをゼロは慌てて追う。


「…歩いてか。確かにドラゴンではゆっくりはできんの」


 日が高く上る正午。雲ひとつない快晴であった。




 【写し身】


 トランクに着替えなどの荷物を詰め込み、フィールはそれを魔法で小さくするとポケットへしまう。


「便利な魔法があるんだな」

「…このくらい、あなたならすぐにできるようになる」


 でも今はできないのでフィールに荷物を小さくしてもらってポケットへ入れる。そしてマントを纏い、杖を持つ。


「…杖を持っていくつもり?」

「え、杖がなきゃ魔法使えないだろ」


だがよく見れば、フィールは杖を持っていない。


「…人によるけど、私は持たないわ。魔法を使うなら杖でなくても十分だし」


 そういってマントの中からフィールは右手を出す。薬指には文字が刻まれた指輪がはめられている。


「でも、俺は支給された杖しか魔器を持ってないし」

「…じゃあ、私の指輪を貸してあげるから杖は小さくするわよ」


 フィールは杖を小さくすると、指輪を外す。そしてフィールの薬指にはまっていた指輪はゼロの小指にはめられる。


「小指でぴったりか。てか、そしたらフィールはどうするの?」

「…大丈夫、私はいつも持ち歩いてる魔器があるから」


 そう言うと、フィールは右手を胸元に置く。おそらくネックレスか何かをしているのだろう。そして二人は校舎を後にした。




 隣国ジハールはフィールの故郷だが、グローリアと肩を並べるほどの大国でもある。そしてその国を分家の者が治めているが。王の血を引く正当なる後継者はフィール一人しかいない。それは王家の血の“力”をついでいるということだ。


「ねえフィール、なんで今まで国に帰らなかったの? お姫様なんでしょ?」

「…次期女王よ。そして、私が死ねばジハールの血は絶える。だから、安全な魔法学校に通わされた。あくまで表向きわね」

「ん、表向き?」

「…王族ってのは、昔から血で血を洗うようなことをしているの。かつては108つあったと言われる王国が8つにまで減ってしまったくらいだから」


 そのうち四つの王国を滅ぼしたのは闇の賢者だが、闇の賢者も元は王族の血筋だ。


「…安泰なのは極一部よ。ジハール以外にも、跡取りが居なくて困っている国は多い。逆に多すぎて困っているのはレイブンくらい」


 なぜかレイブンだけは子に恵まれ、十人以上の後継者がいる。昔なら、兄弟同士で殺し合いになっていただろう。そうして滅んだ国が数多くある。歴史が語っている事実だ。


「…王族なんて消えた方がいいって言う人もいるけど、王家が消えた土地は、恵美を失ってしまうの。それは、王が神の子だからと言われている」

「じゃあ、フィールが居なくて国は大丈夫なの?」

「…とりあえず、今のところ何も異常はないみたいよ」


 ジハール国へ向けて歩む道のり。だが、最近のグローリア国の治安は悪化している。シグが去って一年近く、王都以外は盗賊や魔物が出るようになったのだ。それを知っていて、フィールは歩いてジハールを目指す。


「…それより、初めて見る外はどう?」

「どうって言われても、学校ではずっと本ばっかり読んでたから」


 全てゼロのため。ゼロに世界を見せるために歩いて行く。それに、フィールは上級魔法使いの資格もある。だが賢者の研究書を持ち、ジハール国の姫でもあるフィールは盗賊からすれば絶好の獲物だ。


「でも、歩いて行ったらかなり時間かかるんじゃないの?」

「…飽きたら、フェイ(フィールの使い魔)を呼ぶわよ」


 フィールの使い魔は最強種のドラゴンであり、空も飛べる。だからフィールにはなんの不安もないようだ。


「使い魔が居るっていいね」

「…なら、この旅で探せばいい。あなただけの使い魔を。時間は、たくさんあるから。魔法も、私が教えてあげる」

「ありがとう、フィール」


 そして二人は王都を出て、次の街を目指す。人気のない森や大きな川を渡りながら。




 数日が経過するが、二人はまだグローリア国に居た。大国を歩いて抜けるのはそれだけ距離はあるが、二人は魔物を探したり魔法を練習しながらのんびり進んでいるので余計に時間がかかる。


「よし、これで覚えた上級魔法は5つになった」

「…あと95つ位覚えられたら上級魔法使いの資格、取れるかもね」

「全部で100も覚えるの?」

「…賢者は1000以上の魔法を覚えているわ。それに比べたら、上級魔法使いは楽な方」


 フィールはすでに賢者に匹敵する力を持っているので、1000くらいの魔法を覚えていても不思議はない。そもそも王族なのだから強いのは当たり前だが。


「…でも、そろそろ潮時かもしれない。最近、視線を感じるようになったから」

「え、盗賊かなんか?」

「…魔物の可能性もあるわ。人を襲うような凶暴なの」


 そして二人は再び歩み始める。


「…明日には、フェイを呼んでジハール国に入る」

「明日か、この辺に使い魔に向いてそうな魔物居ないかな」

「…すぐ近くに多くの魔物が住む山がある。魔物が多いから近くに人里はないけど」

「じゃあ行ってみよう」


 道を外れ、獣道へと足を踏み入れる。そして薄暗い森の奥へと向かう。


「…最強種の魔物は居ないけど、強種くらいの魔物は居るかもしれないから気をつけてね」

「大丈夫、強種くらいなら俺でも倒せるよ」

「…油断大敵」

「はいはい」


 シグは野生の魔物と対峙したことがないので知らない。授業で出てくる飼いならされた魔物との違いを。


「…ゼロ、魔物を“使い魔”にするのは甘くない。それだけは、覚えておいて」

「わ、わかったよ」


 緊張感のないゼロに、珍しくフィールが覇気を向ける。


「…使い魔は、魔物に己を認めさせ、屈服させることで契約できる。でもそんな軽い気持ちでは、魔物は従わないわ」

「は、はい」


 フィールが怒るのも無理はない。この世で最強種を使い魔にしている魔法使いは、フィールも含めて10人にも満たない。そして絶対種を従えているのは、闇の賢者ただ一人なのだ。そして、多くの者が使い魔を得ようとして命を落としている。


「ごめん」

「…わかればいいわ」


 軽い気持ちで使い魔は操れない。使い魔とは心で縛り、強い意志で従えるものだからだ。普段感情を表に出さないフィールだが、心の奥底には最強種を従えるほどの心力を有している。


「…あなたは、従えたい魔物とかいるの?」

「そうだな。絶対種の幻獣げんじゅうはやっぱ憧れるよな。グリフォンとかペガサスとか」


 幻獣は姿を見ることも稀で、死ぬまでに一目でも見れたら奇跡に近いと言われるほどの魔物。実際、百年に一度くらしか見た者が現れない。だが大昔に英雄と呼ばれ、歴史に名をのこした人物の中には3人ほど使い魔として幻獣を連れていた者もいる。


「…幻獣、誰もが憧れる存在だけどあれは王国を滅ぼすほどの力を持ってる。だから、王族の間では嫌われた存在よ。英雄も幻獣の力で多くの人の命を奪った。だから、私はあまり好きではない」

「フィール…」


 108つあった王国が減った背景には、幻獣も深くかかわっていた。昔の王家の中にいかなる魔物も操る力をもった王がおり、その王が幻獣を使って世界を支配しようとした時代もあるのだ。もっとも、その王家は他の王家によって滅ぼされてしまったが。


「…過ぎた力は、身を滅ぼす。私も確かに強大な力を持っているけれど、私のこの力は国を守るためにしか使うつもりはないわ。そして、それ以上の力はいらない」


 普段、何を考えているかわからないが、いつも自分の国のことを考えているのだろうと思う。


「…あなたは強くなりたいって言うけど、強くなってその力で何をしたいの?」


 ゼロは考えたこともなかった。でも、聞かれてすぐに浮かぶ答えがある。


「今は、とりあえずフィールを守れるようになりたいかな」


 なぜだかわからないが、そう頭に浮かぶ。というかフィールのことしか頭にないような感じ。


「…そう。私を守りたいなら、国を守れるくらい強くならないとね」

「なるさ。フィールより強くなって、フィールごとフィールの国も守ってやる。…フィール?」

「…なんでも、ない」


 なぜか、フィールは視線を逸らす。少し、頬が赤らんでいるようにも感じるが。


(…シグ)


 昔、同じ質問をした時、シグは同じことをフィールに言っていた。それ以来、フィールはシグを思い続けている。届かないと、わかっていながら。


「この山だよね? でも魔物の気配はしないな」


 獣道を抜け、目的の山に着くが山は静かだ。


「…おかしい、魔物以外にも生き物は住んでいるはずなのに」


 鳥の囀り、虫の動く気配、草木のざわめきも感じない。まるで何もないかのように。


「…結界? でも魔力は感じない」

「フィール、絶対なんかやばいよ。使い魔はいいから早く戻ろう」


 ゼロですら身の危険を感じている。


「…光学探知レイ・ディクション。…どうやら、もう手遅れみたい」

「え、手遅れってなんで?」

「…何かに、囲まれてる」


 “何か”つまり正体がわからない。気配も何もなくそれは確実に近づいてきていた。


「どうする? 気配を全く感じないよ」


 フィールですら対処に困る相手。そして戦闘経験のないゼロは足手まといでしかない。


「…とにかく、山の奥へ逃げましょう。罠だと思うけど、そっちの方はまだ逃げられる」


 探知魔法によって気配のしないもののだいたいの位置を把握し、逃げる。


「な、なんでこんなことに」

「…たぶん、最近感じてた視線の相手。気付いた時点でフェイを呼んでおくべきだったわ。妨害されてて、フェイを呼べなくなってる」


 妨害されている。つまりフェイを呼べないだけでなく、誰とも連絡が取れないということだ。しかも周囲に民家はない。


「でも、なんで正体がわからないの?」

「…さっき探索をかけた時、周囲に黒い靄で分らない範囲がいくつもあったの。そして、それがゆっくり近づいてきてた」

「じゃあ、相手は気配を消す魔法かなんかで身を隠してて、探索魔法にも引っかからないのか」


 おそらく敵がいるというのは分ったが、それが何か分からない。そんな状態で山の奥へと入ってく。


「…危ない!」

「え、フィ―」


 すると、フィールがゼロに覆いかぶさる。


「フィール! どうしたの?」


 慌ててフィールを見るが、背中に数本針のようなものが刺さっている。


「…さ、触ってはダメ。多分、毒だから」

「そんな。…くそ! 風刃エアルド


 周囲に空気の刃を飛ばすが、まるで意味がない。


「…こ、これを持って逃げて」


 フィールが取り出したのは小さくして持ち歩いえていた研究書だ。


「置いていけるわけないだろ!」

「…でも、向こうの狙いが私である可能性は、高いわ。なら、あなたは見逃してもらえるかもしれない」

「絶対に嫌だ! とにかく行くよ」


 ゼロはフィールを抱えてとにかく進む。毒のせいか、フィールの呼吸は荒い。


(くそ、なんで。フィールだけならなんとでもなるはずなのに。さっきの針だって、俺が結界を張っていれば)


 一つの魔器で使える魔法は一つだけ。フィールは自分の魔器で探索をしていたのでとっさに結界を張ることができなかったのだ。そして探索で攻撃が来るのを分っていて避けられたが、避けられないゼロをかばった。


「…もう、ダメね」

「え?」

「…もう少ししたら、洞窟が見えるから、そこに入って」


 フィールが言うとおり、洞窟が見えたのでそこへ入る。かなり奥まで続いており、ほとんど暗くて前が見えない。


「…ここで、降ろして」

「は? 何言ってんだよ」

「…もう、逃げ道はないの。多分、向こうは私たちを狩るために準備万端のはず。だから、あえて私は逃げることを選んだけど、甘かった」


 フィールは残る力を振り絞ってゼロから離れる。


「フィール!」

「…あなたを守りながら、とても逃げ切れる数じゃないの。最初は少なくて、逃げ切れるかと思ったんだけど、どんどん増えて…たぶん30人くらいはいる」

「何とかなるよ」

「…そうね。吸収装備を使えば、あなた一人くらいなら逃げられるかもしれない」


 吸収装備は鎧として魔法を纏う。つまり、纏った魔法でフィールを傷つけてしまうのでフィールを抱えて逃げることはできなくなる。


「他には? そうだ、洞窟の入口に集まった奴らを上級魔法で一気にふっ飛ばすとか」

「…敵の正体はわからない。それに姿を隠す魔法を使っているのは、たぶん手の内をさらしたくないからよ。この毒みたいに、見られたくないものを持っているのね」

「でも、俺はフィールを置いていくなんてできない」

「…あなたはここに居て、一人なら30人くらいどうってことないから」


 らしくない笑顔。無表情のフィールが見せる初めての笑顔だった。


「フィール、まさか最初から俺を守るために」


 一人ならなんとでもなった。なのに、ゼロを守るために逃げ、ゼロを傷つけないために一人で闘おうとしている。


「…私は、あなたを守らなくちゃいけないの。あなたは、シグが―」

「フィール!」


 倒れそうになるフィールを抱きとめる。だが、その体は熱い。


「くそ、どうしたら。…なんで、こんなことに」


 すると、入口の方から明かりが向けられる。


「ようやく追いつめた。手間取らせやがって。どうせなら二人とも毒でおねんねしてくれたらよかったのによ」

「ははは、まったくだ。」


 よくは見えないが、何人かが洞窟へ入ってきていたのだ。


「まあ、おれたちに狙われた時点で逃げられやしなかったんだがな。なんせお前たちを捕まえるために精鋭ばかりを集められたしな」

「ガキ二人相手に結構な報酬だ。それにいろんな武器や防具までそろえてくれたしな」

「…あなたたたちを、やとったのは、誰?」


 気付けば、消え入りそうな意識の中、フィールが相手を睨んでいる。


「怖い顔するな。こっちも仕事ビジネスなんでね。それに依頼主クライアントのことはなすわけないでしょ」

「知りたきゃ大人しく捕まるこったな。依頼人は生け捕りを所望なんでね。まあ…生きてれば何してもいいみたいだけどな」


 暗がりの中、ゼロが見たのは欲望に満ちた男たちの視線だった。見た感じ、相手に女性は居ないようだ。


「フィールには指一本触れさせない! 風の王。大気を従え荒れ狂え、そして破壊する嵐とかせ『破嵐崩壊ブレスト・デトロイ』!」


 風の上級魔法、フィールが教えてくれた魔法の一つ。そしてこの狭い洞窟の中で、迫りくる嵐風を避けることはできない。


「まじいな。男の方が上級魔法を使うなんて聞いてねえぞ」

「まあ、報酬金を弾んでもらえばいいさ。超硬封壁ギガウォリス


 だが、上級魔法の盾の前にゼロの魔法は微風でしかない。


「そ…そんな」

「上級魔法を使うと“扱う”では意味が違う。確かにすごいがお前は使えるだけで扱えちゃいないんだよ」

「じゃ、しまいだな」

「その前に抵抗されちゃかなわねえ。物体破壊オブト・デストイ


 そして、ゼロの付けていた指輪に亀裂が入る。


「これでもう魔法は使えねーだろ」


 分が悪すぎる。今になって、破嵐崩壊を吸収装備すればよかったなどと後悔が浮かんでくる。


「結局、俺には誰も守れないのか」


 男たちは少しずつ近づいてくる。もうゼロに、抵抗する気力も手段もない。


(今の君に、フィールは守れない)

「! 誰だ?」


 どこからか声が聞こえる。幻聴かもしれないが、自分と同じ声。


「だから、僕が…オレが守ってやるよ。お前のことも」

(か、体が!)


 そして、ゼロは肉外の支配権を奪われた。


「お前ら、好き勝手やってくれたな」

「ん? どうしたんだあのガキ?」


 ゼロの雰囲気が変わったことに男たちは足を止める。そしてゼロは右手で顔を覆う。


仮面仮装フェイスチェンジ、解除」


 そして現れたのは、シグ・グローリアの顔だった。


「誰だ貴様、さっきのガキはどこに」

「…オレの顔を知らないってことは、お前らこの国の人間じゃないなこの国の人間なら嫌でも知ってる。だが、外の奴らには隠されててオレの顔はあまり知られてない」

「かまわねえ、やれ! どうせ小娘さえ居ればいいんだ」

「やっぱり狙いはフィールか」


 男たちは杖をシグに向け魔力を集中させる。


風刃エアルド」「炎刃フレイド


 中級の魔法が放たれ、シグはフィールを抱えて逃げる。


「フィールもいるのに容赦ねーな。まあ中級なら即死はしないから、仲間に回復魔法に優れた奴がいるってとこか」


 だが、当たれば大けがをすることに変わりはない。


「さて、どうしたもんか。進めど明かりは見えない。それにこれじゃ両腕使えないしな」


 フィールをお姫様抱っこのような状態で抱えているので、両腕はふさがっている。もっとも、小さくなっている杖はほとんど魔器としての役割を果たさないので意味はないが。


「逃げても無駄だぞ。所詮お前は袋の鼠だ。この洞窟の出口は全て他の仲間が待機してるしな」

「やっぱりそうだよな」


 そして敵か近付き、敵の明かりによって周囲が照らされる。シグが居たのはかなり開けた場所だ。


「声の響きから計算したとおりだな。これだけ広ければ何とかなる」

「場所が広くなっても、何も変わらない。大人しくその小娘を渡せ。そうすれば見逃してやらないでもないぞ」

「…いいかげんにしろよ。フィールをこんなにされて、こちとら腸煮えくりかえりそうなんだよ」


 殺気に満ちたまなこが、敵へと向けられる。


「何もできないくせにいきがるな!」


 だが、敵の言うとおり何もできない。そしてまた中級魔法がシグに向かって放たれる。

だが、シグはそれを余裕でかわす。


「くそ、なんであたらねえ」

「さっきのガキとはまるで別人だ。どうなってる」


 まるで全ての魔法の軌道がわかっているかのようで、かわすと言うより舞っているにも見える。


「さて、どうしたもんかな。いつまでもかわしてても疲れるだけだし」

「…シグ」

「こんなときにお姫様は」


 熱にうなされながら、想い人の名を呼ぶフィール。もし彼女が眼を覚ましたなら、目の前に想い人が居ることに驚くのは間違いないだろう。


「ああ、魔器あるじゃん。…ごめんね」


 するとシグはフィールの胸元に顔を埋める。


「てめ! ふざけんな!」


 しかし、視界が暗闇であるはずなのに魔法は避け続けていた。


「面倒だ。ふっ飛ばす!」

「おい!止めろよ」

土塊流星クレイブ・プラネス


 魔法によって現れた複数の岩が、放たれた。この魔法はシグを狙ったというより、前方を吹き飛ばす土系の上級魔法で、広い攻撃範囲と破壊力を持っている。だが、顔を上げたシグは、宝石の着いたペンダントの装飾をくわえていた。


「…焔門溶岩ヴォルケード・ラバ


 突然シグの前にマグマの壁が現れ、向かってきた岩を完全に溶かしてしまう。


「少しここで待っててくれ。天国加護ヘブン・オーラ


 マグマの壁が消えた時、フィールは壁に寄り掛かるような形で寝かされていた。そして周囲には、洞窟内を照らすかのような光の壁で覆われている。


「あれは、光の結界魔法。しかも強固なだけでなく結界内の者の傷を癒すかなりの高等魔法だ」

「あれを使えるのって世界に数えるくらいしかいないんだろ」


 さすがに敵の顔にも焦りが見え始める。


「でも、奴は残ってた魔器を結界に使ってる。つまり、魔法が使えないという状況は変わってない。それに、もうみんな待ちきれないみたいだぜ」

「そうだな、全員でかかればこんな奴」


 気付けば、30人ほどの敵が周囲を取り囲んでいた。時間をかけすぎたせいで集まってきたのだろう。


「ここに居るので全員か?」

「ああ、もう逃げ場はないぜ。最初からないか、ははは」

「甘く見られたもんだ。中の上級魔法使いを30人程度で、オレを倒そうってんだからな」

「負け惜しみにか聞こえねんだよ!」


 30の魔法が、一斉にシグへと放たれる。全てが上級魔法。洞窟は揺れ、崩れるのではないかと思う衝撃が駆け抜ける。


「やり過ぎたか…。まあいい」


 土煙りで周囲は見えない。フィールを守る結界の光が霞むほどだ。


「くそ、これじゃどこがどこだか」

「お前が光を見ることはもうないよ」

「そ、そんなバカな!!」


 土煙りの中から現れた手が、男の首を捕える。


「な、なんで生きてる。最強種だってあれだけ魔法を受けたらただじゃすまないんだぞ」

「簡単な話だ。お前たちがオレを甘く見過ぎた。ただそれだけだよ」


 土煙りが収まり初め男が見たのは、立っていたのが自分とシグだけであるという光景だ。


「体が違うから時間がかかったが、この体でも使えるというのはわかった。…じゃあな」

「やめろー!!」


 洞窟に響いた男の声はすぐに止み、それ以降洞窟に声が響くことはなかった。




 木の木陰で、寄り添う二人の影がある。長く感じたが、実際は数時間しか経っていないようだ。


「手当はこんなもんでいいだろ。三日もすれば回復するはずだ」


 マントを敷いた上に、服を脱がされたフィールがうつぶせに寝かされている。シグは背中に刺さった針を抜き、手当をしたのだ。解毒剤は敵が持っていたのを飲ませたので問題はない。そもそも生け捕りが目的なので死に至るような毒ではなかったのだが。


「まったく、ゼロなんて気にせず闘えばよかったのに。まあ、それだとゼロを人質にとられたかもな」


 シグはフィールに服を着せ、再び寝かせる。


「まあ、フィールの読みは当たってたけど」


 解毒剤を探す際、敵の荷物をあさった時に出てきた物、子供二人を捕まえるためとは思えない兵器の数々があった。もしかしたらフェイ(使い魔)を呼んだ時の対策かもしれないが。


(いい加減、教えてくれ。お前は誰なんだ?)


 どうやらゼロは、フィールの手当てが終わるのをずっと待っていたようだ。


「簡単に言うとオレは『シグ・グローリア』、本体だよ」

(お前が、シグ…)

「お前はオレの“写し身”。オレの半分の魔力と精神を引き継がせた存在。フィールのために、残した繋がりだ。…お前は作られた存在なんだよ」


 一年、ゼロが過ごしてきた日々が崩れ去る音が聞こえた。




 【賢者の弟子】


 襲われた次の日、体内に残る毒により熱を出しうなされていたフィール。熱が引き、やっと落ち着いてきた頃、意識が覚醒していく。


「…ん? ここは?」


 眼を開けて真っ先に視界に入るのは、カーテンがあるベットの高い天井だった。


「眼が覚めたようだな。まあ、処置はちゃんとしてあったから当然か」

「…あなたは、賢者様」


 ベットの側に立っていたのは、黒いローブで身を包み白い面で顔を隠した紅の賢者その人だ。


「研究書は確かに受け取った。…今後は護衛なしで外を出歩くのは止めるんだな。少しは自分を大切にしろ。そなたは何が何でも生きなくてはならないのだ。民のために」

「…申し訳ありません」

「謝る相手は我でなく、民だ。そなたに死なれては、この国が滅ぶのだからな」


 光の賢者であるシリスとも、闇の賢者とも違う雰囲気を纏う紅い賢者。落ち着いた独特の感じがする。


「そういえば、あの少年。ゼロと言ったか。後で説得しに行ってくれぬか。牢屋からでようとしないのだ」

「…牢屋?」

「傷だらけのそなたを抱きかかえて城までやってきたのだぞ。怪しいと思うのは普通だ。そして抵抗もせず牢に入って行った」

「…まさか、それからずっと中に?」


 賢者は困ったように首を傾げる。


「シリスにはそなたと付き添いにゼロという少年を送ると言われていた。急いで確認をとり、ゼロ本人で間違いないとわかって牢から出そうとしたのだがな」

「…出て、こないんですか?」

「ああ、何があったかも話そうとしない。だからそなたが起きるまで何もできんで居たというわけだ」

「…そう、ですか。私も途中から意識がなく、なぜ助かったのか分りません。相手は30人はいました。いったいどうなったのか」


 仮面で表情はわからないが、明らかに空気が鋭く痛く感じる。


「詳しくはもう少し体調が良くなってから聞くことにする。今は休みなされ。あとで栄養がある物を持ってこさせる」

「…はい」


 本当は今すぐにでも状況を聞きたいのだろう。だが、紅は肉体を示す色。紅の賢者にはフィールの体調がよくないのはよくわかっていた。だから、無理はさせたくないのだろう。賢者はフィールを残して部屋を去っていく。


「…ゼロ、何があったの」


 フィールも本当はすぐにでもゼロの元へ行きたいが、体が言うことを聞かない。それが、もどかしかった。




 日の光も届かない地下。古いランプに照らされる鉄格子。固く冷たい床に座り込み、抜け殻のような者。入ってから一度も食事を取っていない。その牢に向かい合うように、黒いローブを纏う少年が一人。


「お前、いい加減何か話せよ。いつまでこんなところに居るつもりだ?」

「…………」


 だが、抜け殻となったゼロは何も反応をしない。


「コウヤ、どんな感じだ?」

「せ、師匠せんせい。相変わらずです。何も話そうとしません」

「そうか。…せめて、姫に何があったか話してもらいたいのだがな」


 地下牢にやってきたのは少年と同じく黒いローブを纏い、白い面をした紅の賢者だ。


「朗報だ。姫が眼を覚ましたぞ。謁見を許すから、会いに行かぬか?」

「!―」


 フィールが眼を覚ましたという言葉には反応するが、口は固く閉ざされたままである。


「お前さ、いい加減にしろよ。師匠は賢者なんだぞ。お前何様のつもりだよ」

「コウヤ、お前も威張れる立場ではない」

「は、はい師匠」


 だが、無気力な視線が二人に向けられた。


「な、なんだよ。やるのか? 負けないぞ」

「これ、止めぬか」

「…紅の賢者、あなたに俺はどう写ります?」

「ん? 質問の意味がよくわからぬが」


 城について初めて発せられた言葉。無気力でありながら、とても冷たく寂しい感じだ。


「そうだな。…正直、今の君は堕落した人間にしか見えない。シリスからは光に満ち溢れた子だと言われ、期待していたのだがな」

「人間…、そうか人間には見えるのか」

「お前なに訳のわからないこと言ってんだ? 師匠、やっぱ一回ぶっ飛ばしますか?」

「よさぬか。…ふう、我はこの国の者ではないが、とりあえず姫を城まで連れてきてくれたことに代表として礼をを言おう、ありがとう」

「――う」


 静かな牢獄に、微かな声が響く。


「違う…俺じゃない。フィールを助けたのも、城まで連れ来たのも俺じゃない。俺は…何もできなかった」

「あれ? 師匠?」


 賢者が牢獄にゼロを残したまま立ち去る。そのあとを弟子が追っていった。


「どうしたんです師匠。やっと話しだしたのに」

「言ったであろう、堕落した人間だと。今の彼に何を聞こうとも無駄だ。肉体に問題はないし、あと二日はあのままでも問題はないだろう」


 鍵も開けられ見張りがいるわけでもないのに、ゼロの心は牢獄の中で闇に囚われている。それは、シグの中に置いてきたはずの感情なのに。


「俺は写し身、あいつの予備スペア。この心は奴の心。フィールを想うこの気持ちは、奴の―」

「…何があったの、ゼロ?」


 だが、闇の中に一筋の光が差し込む。


「! フィー…ル」


 鉄格子の外に、息を荒げて苦しそうに立っている少女の姿があったのだ。


「…ここまで来るのに、時間かかっちゃった。自分のお城なのに、広くて迷子になりそうだったよ」


 余裕がないからか、無表情になれないようで無理に笑顔を作っている。


「まだ、寝てなくちゃダメだよ。あいつも三日は寝込むって言ってたし」

「…あいつ?」

「フィールの、想い人だよ。あいつが、フィールを守って城まで運んだ。俺はただ見てただけだ」

「…それで彼に、何か言われたの?」


 相変わらず、お見通しのようだ。そのせいで視線を合わせることができない。


「フィール、知ってた? 俺は、あいつの―」

「…知ってるよ」

「そ、そっか。知ってたのか」

「…うん。初めてあったあの日、あなたは彼と同じことを言ったから。私の名前が“落ち着く”って。そんなこと言ったの、彼とあなただけだから」


 そんなことでと思ってしまうが、現にそれだけでフィールはわかってしまっていた。


「じゃあ、ずっと俺の側に居たのも、助けてくれたのも」

「…どうかな。別に、あなたを彼の代わりだとは思ってなし。あなたはあなただから」

「俺は、俺?」

「…うん。だから、そんなに思いつめないで」


 すると、ゼロは立ち上がって牢を出る。


「フィールは、俺のこと何でもわかるって思ってた。でも、やっぱり違うんだね」

「…え」

「俺は、フィールが好きだよ。一目ぼれだった。でも、これが自分の気持ちなのかわからない。だって、俺の心はあいつがフィールのために置いてったものだから」

「…ゼロ」


 だが、ゼロの表情は落ち込んではいない。


「なんでかな、本当はこのまま消えてしまおうって思った。でも、フィールの声聞いたらわかっちゃったんだ。俺はやっぱりフィールが好きなんだって」

「…え、えと」

「だから、この気持ちが例えあいつが残したものだとしても、俺は俺として生きる。あいつに負けないくらい強くなって、フィールを守る。そして、振り向かせて見せる」


 突然のことにフィールはどうしていいかわからなくなっていた。


「今は、これでいい。俺、学校に戻るよ。フィールはゆっくりしてね」


 ちょうどその時、足音が聞こえフィールを探しまわっていた侍女や兵士たちが現れる。そして後のことを任せてゼロは城を出て行った。


『お前はまだ弱い。もっと強くなってくれ。フィールを守れるくらいに』


 学校へ向かう途中、シグに言われた言葉を思い出す。


「シグ、俺は強くなる。でも、お前の望みどおりにはならないよ」


 新しい決意を胸に、ゼロは学校へ戻るとある場所へと向かう。


「失礼します」

「おお、ゼロ。大変だったようじゃな。大丈夫か? …それどころではなさそうじゃの」


 ゼロの真剣な眼差しに、シリスの心配はどこかへ消えてしまう。


「校長…いや、光の賢者シリス。俺を、弟子にしてください!」


 こうして、ゼロの新たなる旅立ちが始まったのだ。あくまで、ゼロとしての旅立ちが。




 第二章『失いたくない者』

【魔王と闇の賢者】


人里離れた山奥、その山の絶壁にそびえる巨城。誰もが恐れて近づかないその城の主こそ闇の賢者『アルエ』である。


「アルエ様、お手紙が届いていますよ」

「手紙? また仕事の依頼じゃないだろうな」


 アルエに手紙を渡す侍女。給仕服(メイド服)を着せられた魔動人形『キサ』。この城で唯一人格を持つ人形である。アルエの人形遣い(ドールマスター)力で動いてるが、糸はなく、魔力の供給を受けている以外は完全に自由な人形だ。


「ほーう、あのシリスが弟子を取ったのか。しかも二人。ゼロ・フリーム…初めて聞くな。それに…フィール・ジハールか」

「え、あの方は確かジハール家の正統な後継者では?」

「まあ、おそらくこのゼロとかいうのが本命だろ。ジハールの小娘はおまけじゃ。あいつが弟子を取らなくなって100年以上と聞くが、本気で後継者でも育てるきになったのか」


 手紙をしまいながら、困ったような顔をする。


「シグには教えないほうがいいかの?」

「僕に何を教えないって?」


 だが、ドアの方かシグがやってきた。


「教えないと話していたのに教える訳ないじゃろ」

「まあ、そうだよね」


 シグは残念そうに部屋を出ていく。


「別に隠す必要はないと思いますよ。会合などがあればわかることですし」

「いいじゃろ。あの子にあまり外のことを教えたくないんじゃ」


 だが、廊下に居るシグの表情は二人に見せたものとは変わっていた。


「ククク。ゼロ、お前がシリスの弟子になるなんて計算の内だ。所詮、お前はオレの写し身でしかないからな」


 ゼロが弟子になったというのは、とうにシグには筒抜けだったのだ。ゼロを通して外の情報を知っているなど、アルエもキサも気づいていない。


「ん? やーな魔力が近づいてくるな。懐かしいが、なぜ奴がここに?」

「どうかなさいましたか? 私は魔力を感知できないのでわかりませんが」

「そうだな…簡単に言えば嫌な客が来た。…追い返そうかの」

「止めてくださいよ。嫌だからという理由で追い返すのは」


 だが、このとき廊下で話を聞いていたシグは城の門の所まで既に移動していた。


「確かに、強大な魔力が近づいてくる。賢者? でも禍々しい闇の魔力」


 シグにも分るほどの魔力。そして相手はそれを隠すつもりはないらしい。巨大な魔力は一直線に城へ近づき、そしてシグの前へと舞い降りる。


「やあきみ、ここは闇の賢者の城で間違いないよね? 中から彼女の魔力も感じるし」


 黒い一角獣に跨り、黒い髪で衣をなびかせて現れた優男。だが、それが誰かはシグにはどうでもいいことだ。


「答える義理はない。それに、アルエが嫌がってるから悪いがこのまま帰ってくれ」

「ちょ、ちょっと待ってよ。確かにいきなり来たのは悪いけど、帰れはないんじゃないかな?」


 だが、すでにシグは戦闘態勢に入り、周囲に黒い魔力を纏っている。


「これ以上話すことはない。破槍『グングニル』」


 そして黒い魔力を具現化させ、巨大な槍を生み出して投げる。


「ちょ、ちょっと待ってよ! 封壁ウォリス

「…やっぱり、ただ者じゃないか」


 魔力を具現化させるのは超高等技法マギスキルと言われるほどの技法であり、賢者の中でも扱えるのはアルエとシリスだけで、王でも2人しかいないほどの技法だ。そして魔力の塊である武器は在るだけで強力な破壊力を有している。そしてシグが名をつけるほど魔力を圧縮して創った槍を無詠唱の結界魔法で防いでしまったのだ。


「ね、ねえ話しあおうよ。別に僕は闘いに来たんじゃないんだ」

「僕も闘う気はないけど、このままあなたを行かせる訳にはいかない」


 そして相手の懐へ飛び込み、具現化させた剣で切りかかる。


「父上!!」

「ん?!」


 だが、相手とシグの前に誰かが立ちはだかってシグの刃を止めた。


「貴様、魔王に対していきなり攻撃とは失礼であろう」

「ダメだよアモール。剣を納めて」

「離れてください父上、黙ってられません」


 シグの剣を止めた男。先ほどの優男に似ているが、体つきや顔はたくましく感じる。


「…今、魔王って言ったか?」

「ああそうだ。貴様、魔界の王に攻撃してただで済むと思うなよ」

「絶対、お前ら追い返す」


 だが、魔王という言葉はさらにシグの闇の魔力を高めてしまうことになった。


「アルエを泣かせた奴が、今更何しに来やがった!」

「貴様、あくまで逆らうつもりか!」


 だが、魔王の息子であるアモールもシグの行動に怒りをあらわにしている。二人の魔力はぶつかり合い、そして切り合いが始まるが両者の力が拮抗しているのか、互いに譲らず体力を消費していく。


「くそ、『究極神の―(アルテ・コ―)』」

「その辺にせんか!!」


 二人の動きを止めるほどの覇気に満ちた怒鳴り声。


「シグ、その力は強すぎる。相手を殺す気か。その魔法を使っていのは賢者か王相手の時だけと言ったはずじゃ」

「…魔王も、王だろ」


 あくまでシグには魔王しか眼に入っていなかった。対峙していたアモールは邪魔な虫程度にしか感じていなかったのだろう。そのことにアモールは腹を立てたが、睨みつけてくるアルエに逆らえる気がしない。


「それに、追い返すって言ったのはアルエだ」

「なんじゃ、あの冗談を聞いておったのか。だが、追い返すのに本気を出すのは、らしくないの」


 場の空気が落ち着き始め、シグは門のあたりまで下がる。アルエが冗談だと言った時点で追い返す必要はなくなったからだ。


「さて、まず妾の弟子が失礼した。それについては謝る。申し訳なかった」


 そしてアルエは大人の対応を始める。さすがにアモールも先ほどまで動けないほどの覇気を放っていた女性から頭を下げられてどうしていいか戸惑ってしまう。


「…じゃが」


 そして、アルエはゆっくりと顔を上げ―。


「今更どの面下げてきおったぁぁ!!」

「え、アルヴぇ!」


 一瞬で間合いを詰めて思いっきり魔王の頬に平手打ちが放たれた。


「ち、父上!!」

(…人なら賢者でも死んでるな)


 門の所にいたシグが衝撃波を感じるほどの威力。簡単に岩すら砕く力が込められているだろう。


「い、痛いな~。ちょっとは手加減してくれよ」

「黙れ、うそつき」


 だが怒っていても、憎んでいる訳ではない。だから、恋人同士の喧嘩のようにも見えてしまう。


「シグ? どうかなさいましたか」

「…なんでもない」


 それを見ているのが、なぜか辛い。


「ごめんよ。…でも、僕は一度も君の事を忘れたことはないよ。彼女には悪いけどね」

「は、子までなしておいてよう言うわ。…それで、何しに来た?」

「決まってるだろ、君に会いにだよ。…あれからかなり経つけど、君は美しいままだね」

「ふ、不死なのだから当たり前だろう」


 魔王の右手がそっとアルエの頬に触れ、一瞬でアルエの顔は朱に染まる。


「ち、父上! この女は誰なんです」

「お前の新しいお母さんになるかもしれない人だよ」

「な! …ん? 新しいお母さんじゃと?」


 頬は紅いままだが、アルエの顔は冷静になる。


「ああ、百年ほど前に彼女はなくなったんだ」

「…そう、か。まあ、確かにお前は奥さんがいるのに女に会いに来るような奴じゃないからのう」

「本当はずっと会いたかったさ。…魔王でなければ、今でも待ち続けてた自身がある」

「魔王でなければ…か」


 アルエも元は王家の人間なので魔王の気持ちはわからないでもない。国民を安心させるためにも妃や跡取りの存在は必要だった。


「もちろん、彼女のことは愛していた。でも、彼女を失ってからは君のことばかり考えてしまう自分が居たんだ。…最低な夫だと思うよ」

「父親としても最低じゃな。…そんなこと、子供の前で言うもんじゃない」

「確かにそうだね。…すまないアモール。魔王なんて名ばかりで、僕は最低な悪魔みたいだ」


 場の空気が一気に冷え切ってしまい、アモールも言葉を失っている。


「とりあえず、中に入れ。茶くらい出してやる」


 重い空気に耐えかねたのか、アルエは城へ向かって歩みだす。


「キサ、客人を案内しろ。茶は他の奴に用意させる」

「かしこまりました」


 城へと消えていく後ろ姿。門の側にいたシグに視線が向けられることはなかった。




 普段は二席しか使われない巨大なテーブル、その日初めて四つの席が使われた。アルエの隣にシグが座り、向かい合うように魔王とアモールが座る。


「して、いいかげん人間界に来た理由を話せ。妾に会いたいなぞ所詮ついでだろ」

「酷いな。僕にとって用件は人間界に行く言い訳で、君に会うのがメインなのに」

「用件が済んだら魔界へ帰るのであろう。…貴様が魔王であるように、妾も今は賢者。そうそう自由には出歩けぬ身じゃ」

「だから、会いに来たんだよ」


 だが、寂しそうな瞳が魔王へと向けられた。


「…いいかげんにせよ。そなたが結婚して子をなしたように、妾もお前が知らぬ数百年を生きておる」


 アルエの一言で、沈黙が流れる。楽しそうに話をしていた魔王からは笑顔が消えていた。


「契約が切れたんだ。大昔に先代の魔王が人間と交わしたもので、互いの世界に干渉しないという内容の」

「大昔か…、ならば知っている者なぞ人間界には居らんかもな」

「そうかもね。でも、魔界は契約に従って今まで人間界に干渉はしなかった。だから、人間界で魔族がどんな扱いをされているかというのは、君に聞かされるまで知らなかったよ」

「あのときはいろいろとあったからじゃ。魔族はスラムに住んでおるし、普段は互いになんの干渉もせん」


 さきほどとは違い、二人は男と女ではなく魔王と賢者になっている。


「妾が賢者になってからは一度も魔族が傷つけられたことはない」

「罪滅ぼしか、君らしいな。その力で、いったいどれだけの者を守っているんだい」

「守れるだけじゃ」

「守れるだけか、本当に君らしいな」


 シグもアモールも側に居るのに、まるでいないかのように二人の会話は続く。


「単刀直入に話すと、人間界で偉い人と話をしたい。契約は切れてるし、覚えてる人がいないならなおさら話し合うべきだろ」

「じゃから、魔族でありながら賢者でもある妾に会いに来たのか」

「ああ、君の力なら偉い人との面談を取り付けるくらいできるだろう。僕としては、今後はこの世界の魔族に対してもいろいろしてやりたいと思っている」

「貴様も、相変わらずじゃな」


 するとアルエは席を立つ。


「ゆっくりしておれ、妾は他の賢者と王共に話をつけてくる。ほんにこの世界は魔界と違い、王も賢者もたくさんいて面倒じゃ」

「アルエ様、どちらへ?」

「言ったじゃろ、手紙なぞ書くのが面倒じゃからシャドーと会いに行ってくる。数時間で話はつくじゃろ」


 アルエが出て行ってしまったので、必然的に部屋には魔王親子とキサ、そしてシグが残された。


「申し訳ございません。本当は客室へ案内したい所なのですが、この城にそのような部屋がないので、アルエ様がお戻りになるまでこちらでお待ちください」

「いや、お構いなく。急に押しかけたこちらが悪いので気にしないでください」

「客室がない城など聞いたことがないぞ」

「こらアモール」


 すると、あきらかな怒気がアモールへ向けられる。


「文句があるなら相手になるぞ」

「シグ、お客様に失礼ですよ」

「こいつらは客じゃないよ」

「シグ! どこ行くんです」

「お前、逃げるのか!」


 シグが部屋を出ていくと、後を追うようにアモールも出て行った。


「客じゃないか。そういえば言われたな。『アルエを泣かせた奴が、今更何しに来やがった!』って」

「シグがそのようなことを言ったのですか。本当に申し訳ありません」

「いや、あの子は間違ってないよ。…ただ、アルエは泣いてくれたんだな。泣くほど、僕のことを」

「…御用があるときはお呼びください」


 キサも下がり、部屋には魔王だけが残される。魔王も、同じくらいアルエを想っていた。涙が出るほどに。




 巨城の敷地内に神殿のように柱に囲まれた場所があり、そこでシグとアモールが向かい合っていた。


「教えろ、あの女はいったい誰で、父上のなんなのだ?」

「オレよりキサに聞け、キサはアルエの記憶を継いでるから鮮明に教えてくれるかもしれないよ」

「いいから教えろ。父上とあの女の関係を」

「…本当は知りたくないんだろ。でも、もどかしさが消えない。戸惑いを隠せなくて焦ってる。…オレも、アルエから過去を聞かされてなかったらお前みたいになってたと思うよ」


 すると、シグは魔力を具現化して両手に剣を持つ。


「じゃあこうしよう。オレに勝ったらなんでも教えてやるよ。…オレも、どうしていいかわかんなくて暴れたい気分なんだ。ここなら結界張ってあるし、暴れたって問題ない」

「知った風な口を聞くな。お前に何がわかる」

「…少しは、わかるつもりだよ。風刃エアルド

「ふざけるな! 炎刃フレイド!」


 互いに全力でないとはいえ、本気でぶつかり合う。だが結局、アルエが戻ってくるまで決着がつくことはなかった。




 【絶望と希望】


 アルエが戻ってくるとすぐにある場所へと連れて行かれる。そこは数年ぶりに帰る家。グローリア王都にある城。そこに各国の王と四賢者が集められたのだ。


「シグ、話し合いは長くなるかもしれん。もし、退屈なら抜け出してもかまわんぞ。数年ぶりの帰宅じゃからの」

「気を使わなくてもよかったのに…ありがとう」


 全身をマントで隠し、顔もフードで隠れている。普通にシグだと気付く者はいないだろう。それはグローリア王を欺くため、アルエが纏わせたものだ。背にはカルア家の家紋が刻まれている。魔力を込めれば姿を消すこともできるカルア家の家宝だ。そして、急きょ設けられた会場で各席に王と賢者、そして魔王が席に着いた。壁際には王の使いや賢者の弟子などが控えている。


「貴様が魔王か。一見そうは見えんがな」

「外見で判断なさるなグローリア卿。外見で言うなら闇の賢者もそうは見えん。だが、二人とも我々よりも強く禍々しい魔力を持っている」

「そんな話をするために集まったのか? 私は魔界と人間界の契約についてと聞いているが」

「だが、その契約について知っておる者はいるか? いったい何年前の話だか」


 集まったはいいが、前回の契約の内容を知っている者がいないので、さすがにどう話を進めていいか魔王も困る。


「ほほ、わしは覚えております。あれは3000年ほど前でしたかな。当時はまだ魔界と人間界の交流があり、争いも多かった時代でじゃ」

「3000年前…お主いったい何年生きておるのじゃ?」

「闇の、話しの腰を折るな。とにかく、魔界との間に契約があったのは間違いありません。そして、わしはその内容も覚えております」


 いったい何千年生きているのか、年齢不詳の光の賢者。だが、シグはあまり興味がわかない。


「おい、どこへ行く」

「どこだっていいだろ。お前には関係ない」


 アモールが止めようとするが、マントで姿を消してシグは外へと出る。そして姿を消したまま城の探索を始めた。


「全然変わってないな」


 見渡す限り、城の中は出て行ってから何も変わっていない。城をでて数年が経つというのに。


「変わりませんよ。城を守っているのは私の父ですから」

「…………」

「無駄ですよ。私の力の前では、そのマントは意味を成しません」

「アンジェルの血は健在か。…マリヤ」


 確かに姿は消えている。だが幼馴染であり、元婚約者である少女にはシグの姿が見えていた。


「もう、二度と会えないと思っていました」

「オレも、会うつもりはなかったさ。まさか、城に出入りしてたとはな」

「私の父も元は王家です。今は神官ですが、話し合いに参加する権利はあると思いますが」


 お互いその場を動けない。元婚約者、それは祖父が決めたことであったが、好きであったことは間違いない。


「去年の私なら、話しかけずに抱きついてますね。…この一年いろいろありましたよ」

「恨んでるか? 国を捨てたオレを」

「いいえ。でも、私を捨てたことは怒っていますよ」


一年。それは短くも長い。二人が成長して、素直になれないほど大人になっていた。


「マリヤ様、こちらでしたか」

「どうしました?」

「はい、ソラ様がお呼びになっています」

「わかりました。すぐに行きますのでお下がりなさい」


 城の侍女。シグの知らない顔なので、シグが城を出た後に入った人なのだろう。侍女はマリヤに言われた通り奥へと下がっていった。


「…正式に、ソラ君との婚約が決まったわ」

「そうか。まあ、グローリアがお前を手放すはずがないさ」

「言うことはそれだけ? 好きだった人が結婚しちゃうのよ」

「止める資格はないだろ。その好きだった人を裏切ったのは、オレなんだから」


 シグの顔を寂しそうに見つめたあと、マリヤは歩みだす。そしてシグも。


「私はね。今でもあなたのためならメイフィスの名を捨てる覚悟があったのよ」

「お前は幸せになれよ。…オレは、もうグローリアの人間じゃないんだ」


 すれ違う二人。それは、決別だったのかもしれない。一年前の、別れとは違う。それから、庭を見ようと外へ足を向ける。


「見つけたぞ貴様!」

「アモール、うるさいぞ」


 気付けばマントの効果が切れており、シグの姿は消えていない。再び魔力を込めるのも面倒なのでそのまま歩む。


「どこへ行くんだ?」

「どこだっていいだろ」


 結局、庭までアモールはついてきた。だが、そんなことを気にせず庭に植えられた植物に眼をやる。


「ちゃんと手入れされてるんだな。ここも、変わってないなんて」

「貴様、ここに来たことがあるのか?」

「住んでたんだから当たり前だろ。オレは元王子だ」

「お、王子だと!」


 アモールは考えもしていなかったのだろう。思考が停止したように固まってしまった。


「秋になれば、果物なんかが実るんだろうな」


 そんなアモールを気にすることなく、シグは昔を思い出す。


「ねえお母様。どうして急にお庭に?」

「お城の中は話し合いで騒がしいからよ」


 だが、人の声を聞いて我に帰り、屈んで身を潜める。そして、声の主を探す。


「急に隠れてどうしたんだ?」

「黙れ」


 我に返ったアモールは、身を潜めているシグを見て首をかしげる。


「やっぱり、あの二人か。…アモール、戻るぞ」

「お、おい。どうしたんだ」

「誰かいるのですか?」


 しかし、シグと違ってアモールは隠れる様子がないので見つかってしまう。


「勝手に入って申し訳ありません。自分は魔界の王の子で『アモール』と申します。おい、お前も隠れるな」

「他にも誰かいるのですか?」


 アモールが余計なことを言うのでシグもいることがばれてしまう。そこで仕方なくシグは二人の前に現れた。もっとも、マントで誰だかわからないのだが。


「…お久しぶりです。お母様、アルミス」


 だが、シグはフードを取って顔をさらす。


「シ、シグ。あなたなの」

「シグお兄様が帰ってきた!」


 驚く母親と違い、妹の『アルミス・グローリア』は駆け寄ってくる。


「元気にしてたかアルミス」

「はい。お兄様もお元気そうで」


 何も知らない無邪気な笑顔。敵意を剥き出しするソラとは大違いだ。


「シ、シグ。あの、私は…」

「別に、この国に未練はありませんよ。グローリアの姓にも」


 なぜか、母親は怯えているようにも見える。だが、シグはアルミスの前なので笑顔を崩さない。


「もう行きますよ。…私の居場所はここにはないので」

「もう行っちゃうの?」

「ごめんよ。僕は今、賢者の弟子だから。…これをあげるから、そんな顔するな」


 シグはマントから手を出し、小指にはめていた指輪をはずしてアルミスの中指へはめてやる。


「僕が造った魔器だから、そんなにすごくはないけどね」

「ううん、ありがとう」


 そして、母親に一礼してアモールを連れて城へと入っていく。


「まったく、余計なことしやがって」

「ご婦人に挨拶しただけだ。だいたい、母親に挨拶もしないんて失礼だろ。…それとあの子、本当に貴様の妹か? 全く似ていないぞ」

「顔を紅くして何言ってやがる。お前みたいな奴に妹はやらん。それに、似てないのは当たり前だろ。…血はつながってないんだから」

「なんだそれ! どういうことだ?」


 だが、シグは肩をすくめる。


「いろいろあるんだよ。…だから、オレはこの城を追い出されたんだしな。…これ以上は何も聞くな。お前も、王子ならいろいろ察しろ。そして父親のことも察してやれ」


 グローリア。その血にはまだ隠された何かがありそうだ。


「ん。…アモールお前は戻れ」

「貴様は…って、もういない」


 シグはマントで姿を消し、すでにその場には誰もいない。そしてシグは何かから逃げるように城中を歩き回る。


「しつこいな。…見えてないんだからいい加減諦めろよ」

「…嫌」


 シグを追いかける少女。マリヤと同じ幼馴染であり、隣国の姫でもある。


「王家の人間なら、話し合いに出ていた方がいいんじゃないか。フィール」

「…一年ぶりなのに、冷たい」

「数週間前に会ったんだどな。フィールは気絶してたけど」


 シグは姿を消しているのでどこに居るのか分らない。でも、フィールはシグのいる方を見つめている。


「なんで、今日はみんなに会うのかな。…ただ城を見たかっただけなのに」

「…私は、ずっと会いたかったわ」

「ゼロが聞いたら泣くな。…悪いけど、オレはもうフィールをなんとも思ってない。そいう感情はゼロの中に置いてきた」

「…それでも、私はあなたが好きなの。―え?」


 フィールは急に後ろから誰かに抱き締められる。だが、その姿は見えない。


「ごめんよ。…オレは、アルエを選んだ。闇に生きることを選んだんだ。分ってくれよ、オレはもう、お前にもマリヤにも想ってもらう資格なんてないんだ」

「…資格なんていらない。誰かを想うのに、資格なんて必要ないよ。だから、マリヤだって」


 フィールにシグの姿はみえないので、シグがどんな顔をしているのかはわかないが、シグにはフィールの顔が見えている。切なそうな瞳が。


「ごめん。…それでもオレは、闇に生きることを選んだんだ」

「待って、シグ!」


 だが、シグのぬくもりは風のように消えてしまう。


「…シグ、どうしてなの」


 残された少女は、立ちすくむしかなかった。




 少女と離れ、人気のない場所で再び姿を現す。だが現れた少年の表情は曇っていた。


「アルエの側に居た方がよかったかもな」


 アルエの側に居ると決め、全てを捨てたのは自分。


「捨てた、はずなのに」


 でも捨て切れていなかった。ゼロの中に置いてきたはずの感情。それが、まだどこかに残っていたのだ。


「今度は、お前か。今日は会いたくない奴にばかり会うな…ゼロ」

「お前、なんでフィールを泣かせた」

「別に、何もしてない。それに、フィールを守るのはお前の役目だ」


 シグの前に現れた少年。見た目は魔法で変えられているが、元は同じだったもう一人のシグ『ゼロ・フリーム』だ。


「お前が勝手に押し付けたんだろ。全部俺に押し付けて逃げた奴が、偉そうに言うな!」

「昔の記憶がないお前に、オレの何がわかるんだ」

「それもお前のせいだろ。勝手に生み出して、勝手にキレてんじゃねえよ!」


 シグはゼロを生み出した際、記憶だけは持たせなかった。自分と同じ魂と心、力を与えて置きながら。その結果、二人は争うことになる。と言っても、城の中なので魔力を使わず殴り合いだが。


「お前、なんで国を捨てたんだ。なんでフィールを泣かせるようなことした。こんなにあいつのこと好きだったくせに」

「お前が知らないだけで、オレには婚約者がいたんだよ。だから元々、フィールと結ばれることはなかったさ」


 ゼロの中にあるフィールを想う気持ち。だが元はシグのモノ。だからゼロにはシグの気持ちが理解できないでいる。なぜ、大切な人を傷つけて生きるのかが。しかし二人はあいいれることない。シグは魔法の他に体術も学んでいるので、争いはゼロが押さえつけられる形ですぐに終わる。


「もっと強くなれ。フィールを守れるくらいに」

「なってやるさ。お前より強くな。俺は、お前を認めない」


 すると、シグは左手をゼロに見せる。そこには、フィールがはめていたのと同じ指輪があった。


「フィールを守れるくらい強くなったら、こいつをやる。そのとき、全ての記憶もやろう。…だから、早く強くなれ」

「なんでお前がその指輪を。答えろよ!」

「だったら強くなれ。記憶を手に入れれば分るさ。なんでオレが、お前をフィールの側に残して、国を捨てたのか。…なぜオレが、アルエを選んだのかも」

(―え)


 ゼロは動けなかった。殺気、覇気、怒気、様々な感情が入り混じった闇を纏うシグに睨まれ、逆らうことができない。


「そして知るのさ。自分がどれだけ幸せかということを。…知らないってのは、幸せなことなんだ」


 ゼロは、自分に辛いことを押し付けてシグは幸せなんだと思っていた。でも、それは間違いなのだ。シグが発する闇。その中には絶望しかない。その闇に触れ、間違いに気づく。


「お前、なんでそんなに」

「記憶がないのも、お前に光の魔力を与えたのも…全てお前のため。お前はいつか、この世界で誰からも必要とされる存在になる。かつてのオレが、そうであったように」


 記憶がないからシグの気持ちを理解することはできない。なぜなら、ゼロの心は希望で満ちている。それが、今の二人の差なのだ。




 【決着】

 王と魔王の会談は数時間を要し、ようやく終えた。基本的には互いの世界のことに干渉はしないというものだが、人間界に住む魔族に関しては魔界側が保護や援助を行う方向で話がまとまる。本当は入口があるのだから魔界と人間界を自由に行き来させてもよいのだが、魔界にある不老不死の秘薬は人にしてみればとてつもない秘宝だ。シリスの話ではその秘薬や他にも魔界には貴重なものがあり、それを奪おうと人間が幾度も魔界に攻め入ったので、互いに干渉しないという条約が結ばれたそうだ。


「ほほ、魔王殿、条約の内容はこれでよいかの?」

「ええ、こちらに住む魔族を助けられるなら」

「安心せい。その辺は妾がパイプ役になる」


 正直、何人かの王は秘薬の存在を知って欲している者もいる。だが、賢者は誰ひとり求めておらず、闇の賢者はどちらかと言えば中立の立場をとり、これからは魔界への入口の警護することとなった。


「まだ納得いかん者がおるのか? まあ妾は確かに魔界で不老不死の薬を飲んだし、納得はいかんじゃろうな」


 話し合いはまとまったが、聞き取れないくらいの声で話をする神官や王たち。見ていて気分がいいものではない。


「言っておくが、妾は罪滅ぼしで人間界にいる。じゃが、魔界には恩がある。もし魔界に攻め入ろうものなら…今度は容赦なく滅ぼすぞ」

「殺気を出すな。脅さんでも、怒った状態のお前さんに勝てる者などこの世にはおらん。それにわしも争いはこのまん」

「ふん、魔界の産物などに興味はない。我は自分で不老不死の秘薬を作って見せる。それが、賢者というものだろ」

「ミーはぶっちゃけ早く帰りたいんで、ごちゃごちゃ言うなら暴れたいですね~」


 欲深い王たちとは違い、賢者は魔界には興味がなさそうである。


「全員異論はないようだな。ではこれで会談は終わりにする」


 グローリア王が席を立つと、他の王も立ちあがって部屋を出ていく。


「じゃあミーも帰るよ。弟子に留守を任せてるしね」

「我も戻って研究をする。行くぞコウヤ」

「はい、師匠」


 やる気がなさそうな蒼の賢者と、いつでも自分の信念に従って動く紅の賢者はさっさと帰ってしまう。


「どれ、わしも弟子を探して帰るかの。お前さんはどうする?」

「魔王を送っていく。入口の場所も確認しておきたいしの」

「そうか。…シグは元気にしておるか?」

「当たり前じゃ。栄養面や生活の管理はキサがしっかりしておる」


 それを聞くと光の賢者も部屋を出て行った。


「お疲れ様です、父上」

「ああ、アモール。はは、ごめんね。疲れちゃった」


 魔王はと言えば、先ほどとは違って初めて会った時と同じ頼りない優男に戻っている。


「もう遅い。さっさと移動して魔界へ帰れ。悪いが妾の城には泊めてやれる場所がない」

「貴様、いったい何時間話していたと思う。少しは父上を休ませろ」

「こらアモール、そんな口の聞き方しちゃダメだろ」

「…悪いの。場所はあっても寝床はないんじゃ。あの城に、ベットは一つしかないからな」


 アルエはマントを纏い、帰る身支度を済ませる。そして、気付けば側にはシグが立っていた。


「もうよいのか?」

「十分すぎるくらいだよ」


 短いやりとり。だが、アルエにはシグに気を回す余裕などない。


「さあ、いつまでふ抜けておるのじゃ。貴様しか入口を知らんのだから起きろ」

「ねえ、寝るの床でもいいから泊っていっちゃダメかな?」

「いい加減にせんと息の根止めて棺桶に押し込むぞ」

「酷いな。そこまで言わなくてもいいだろ」


 魔王は渋々起き上がって部屋を出る。それにアルエたちも続く。もうすぐ長い一日が終わろうとしていた。




 【失いたくない恐怖】


 魔王とアモールは一角獣に跨り、アルエとシグは魔力を翼に変えて空を飛ぶ。そのとき、アモールは魔王へと近づく。


「…父上、あの女のどこがいいんです? 私には、理解しかねます。確かに美しい方だとは思いますが」

「アモールは、僕がアルエの容姿を好きになったと思ってる?」

「いえ、別にそういうわけでは」

「そうだね。まあ確かに一目ぼれしたよ」


 アルエの話をする顔は幸せそうだ。


「でもね。彼女を好きな一番の理由は…僕がぼくで居られるからだよ」

「自分で居られる?」

「彼女と出会ったときは魔王に就任したばかりの頃で、仕事も忙しかったし魔王としてずっと頑張ってたから、僕は魔王でしかなくなってた」


 アルエの方を見て、あの頃を思い出す。


「彼女は会って最初に、僕のことを変わり者の魔王って言ったんだ。…久しぶりだったよ。魔王になってからはみんな気を使ってそんな風に言ってくれる人はいなかったから」

「当たり前です。王にそんな…」

「でも、僕は嬉しかった。彼女は魔王としてじゃなく、一人の悪魔として僕を見てくれたんだ」


 アルエを離れ、アモールへと向けられる視線。それは父親でも魔王でもなく、一人の男の顔だ。


「お前もわかる日が来るよ。お前もいずれは王になるのだから。…でもお前は賢いから、信頼にたる臣下を見つけて、僕のように孤独にはならないかもね」

「父上…」

「僕はずっと孤独を感じていたよ。アルエがいなくなってからずっと。…彼女と一緒になって、お前を授かるまではね」


 だがその顔も、次第に父親へと変わっていく。昔と違い、魔王にはもう家族がいる。だから、孤独ではない。


「着いた。…帰ろうか、魔界に」

「はい、父上」


 魔王達が降り立った場所。そこは崩れかけた神殿のような場所で、周囲には荒野が広がり遠くには廃墟となった街が見える。


「どうしたの、アルエ?」

「まさか、ここが魔界への入口だったとはな。…元王都、カルア王国の土地じゃ」

「…ここが、百年以上前に滅んだアルエの―」


 シグは出かかっていた言葉を飲み込む。寂しそうなアルエの表情を見てしまったから。


「ここがカルアの土地だったのは、僕も最近知ったんだ。魔界でも人間界に行くゲートは閉ざされていたからね」

「別に、驚いてはおらぬ。ただ、この土地を守る理由はできた」


 アルエは人間界に帰ってきてから一度もこの地を訪れなかった。人の寄り付かぬ場所に城を建て、用事がなければ決して外へは出ない。それは、悪魔となった自分への戒めの意味もあったからだ。


「多くの人の命を奪い。多くの国や街を滅ぼした妾が、故郷を守る日が来るとはの」

「やっぱり、引きずっているんだね。魔界に居た時の君もそうだった」

「ふん、それが妾の対価じゃ。一生、罪と苦しみを背負って生きること、それは償いでもある」

「そういうところは、あの頃のままなんだね」


 廃墟となった街を見て感傷に浸っていたのもあり、アルエは魔王が後ろに立っているのに気づくのが遅れる


「な、後ろから抱き締めるなど何を考えておる」


 いきなりのことで驚きながらも抗うが、魔王の力も強く、離れられない。


「このまま一緒に、魔界へ行こう。今度は、もう離さないから。君が背負っている罪も、苦しみも一緒に背負うから。僕の側に居てほしい」

「…じゃから、できぬといったであろう。あの頃とは何もかもが違うのじゃ」

「確かにあの頃には戻れない。でも、やり直すことはできるだろう。僕だってあの頃とは違う。今の僕なら、どんなものからでも君を守る自信がある」

「お前は、なぜそこまで妾にこだわるのじゃ?」


 アルエの抵抗は止んでおり、力を抜いて魔王に体を預けていた。


「いまでも、愛しているからだよ」

「昔も言ったが、愛なぞ幻想じゃ」

「君となら、一生幻想を見ていられるよ」


 二人には、もう周りは見えていない。アモールはどうしていいかわからず、神殿の中へ入ろうとする。そしてシグも連れて行こうと近づく。


「……ろよ」


 日が落ち、薄い月明かりの中なのでよくは分らないが、シグに近づくのを怯えている自分がいることに気づいてアモールは離れる。


「止めろよ!」

(え、動かな―)

「シグ!?」


 魔王は体が動かないようなので、アルエが離れてシグの方を見る。しかしそこにあった闇に浮かぶ二つの眼光。それはアルエが何度か眼にしたことのある瞳。


「頼むから、アルエを連れていかないでくれ。オレには…オレにはアルエしかいないんだ!」

「シグ、お前」


 もう手遅れだった。必死に抑え込もうとしている深く、重く禍々しい闇。シグは、大罪の闇に目覚めていたのだ。


「なぜじゃ…普段から闇の管理はしていた。一日で大罪にまで成長するはずが…グローリアの城で、何かあったのか」


 家族、恋人、親友、自分。そういったモノは一年前に置いてきた…はずだった。


「オレの闇を抑えられるのは、闇の支配者であるアルエしかいないんだ。アルエが居なくなったら、オレの居場所はどこにもなくなるんだ!」


 グローリア城で置いてきたはずのモノに会うまで、そう思っていたのに。


「居場所がなくなったら、オレは何のためにここに居るのか分らないじゃないか!」


 本当は何も失いたくなかった。家族ともっと話をしたかったし、婚約者のこともまだ好きで、親友を泣かせたくもなかったし、何より本当はゼロのように希望をもって生きていたかったのだ。


「オレから、居場所を奪わないでくれよ」


 でも、シグは賢くて。素直になれなかった。一年前素直にそう言えていたら未来は変わったかもしれない。


「大丈夫じゃ、シグ。妾はここにおる。だから落ち着け」


 抱きしめられても、シグの闇は引かない。アルエでも簡単には抑えきれないほどに闇は成長していたのだ。


「…帰ろう。アモール」

「ち、父上?」


 アルエがシグの視界を遮ってくれたので、魔眼の効果は消えて魔王は動けるようになり、アモールと共に神殿の中へと消えていく。


「ごめんね…アルエ。君にも、もう大切な人がいたんだね」


 そして、眩い光と共に魔王とアモールは姿を消した。


「…落ち着いたか?」

「ごめん…僕は」

「何も言わんでいい。妾が、もっとお前のことを見ておればよかったのじゃ」


 魔王が去り、シグの闇はようやく落ち着く。


「まったく、よりにもよって一番面倒な闇に目覚めおって」

「面倒な闇?」

「お前が目覚めた大罪の闇は…『強欲』じゃ」


 闇が落ち着いても、アルエはシグから離れない。


「もっと、素直になってよいのじゃぞ。…お前は、欲望というより恐怖で目覚めたのじゃから」

「恐怖で、なんで強欲が目覚めるの?」

「失うのが怖かったんじゃろ。…お前は、家族も恋人も友達も捨てて妾の元へきた。もう、お前には妾しかいなかったのに」


 全てを捨てたと自分に言い聞かせていた。そのことにアルエも気づいてはいたのだ。


「失いたくないという恐怖が、欲する思いとなり強欲が目覚めたのじゃ。…お前がそんなに追い込まれているのに気付かなくてすまなかった」

「…アルエは、何も悪くないよ。捨てるって決めたのは、僕なんだから」

「それでもお前に『居場所になってやる』と言ったのは妾じゃ。なのに妾は…」


 今日一日、シグのことを全く見ていなかった。思い返しても、今日はあまりシグと話した記憶がないのだ。


「ん…あれ?」

「…強欲の魔眼を使った対価じゃな」


 無意識にとはいえ魔眼を使っていたので、対価が発生する。


「強欲の魔眼の効果は『服従』じゃ。視線に入る物は全てお前の思い通りになる。だが、使えば使うほど対価は大きくなるぞ」

「強欲の魔眼の対価って、睡眠なの?」

「いや、欲望じゃ。…人の三大欲求である『食欲』『睡眠欲』そして『性欲』のうちどれか一つ。今回はたまたま睡眠欲だっただけじゃ」

「そう…なん、だ」


 だが、アルエの腕の中で意識は遠のいていった。


「どの欲望が出るかわからず、そして扱いも難しい。ほんに面倒な闇じゃ。欲望のない者なぞ、この世にはおらんのだから。…シャドー、帰るぞ」


 そして、アルエとシグの姿は闇へと消えていく。




 第三章『アルエの宝』


 【強欲の闇】


 とても明るい満月の夜。明かりが点いていないというのに、どこに何があり、誰がいるのかよく見えるほどだ。


「お目ざめになりましたか。シグ」

「どのくらい眠ってたの?」

「丸一日は眠っていましたよ」


 聞き覚えのある優しい給仕の声。だがシグの視界に入るのは、月明かりに照らされた綺麗な女性。


「帰ってきてから、いろいろしてお疲れになったのでしょう。つい一時間ほど前にやっとお眠りになったんです」

「じゃあ、アルエは丸一日起きてたの?」

「はい。食事も取らずにあなたにいろいろな封印術などをかけておられましたよ」


 シグは手を伸ばし、寄り添うように眠る女性の頬へと触れる。


「いつも、健康や肌に悪いからってすぐに寝るのに」

「シグが寝てから起きることは何度かありましたよ。…アルエ様にとって、シグは自分よりも大切な存在なのです」

「自分より、大切な存在か」

「ですから自分のせいでシグが大罪に目覚めたと、とても辛そうにしておられました」


 姿を見なくても声が震えているので、きっとキサも辛そうな顔をしているのだろう。だって、キサはアルエの分身のような存在なのだから。


「悪いのは僕だ。アルエもキサも何も悪くないよ」

「いいえ、私はあなたの異変に気づいていました。それを、アルエ様にお伝えするべきだったのです」

「キサは魔力を感じられないんだし、オレの闇が見えるわけでもないんだから仕方ないよ」

「そんなのは言い訳です。感じられなくても、気付いていました。なのに何もしなかった。アルエ様がお忙しくても、お伝えするべきだったのに。そうすれば…」


 シグはそっとベットから抜け出し、涙を流す給仕へと抱きつく。


「ありがとう、キサ。でも、もう大丈夫だよ。アルエの事だから、もう対処は終えてるんだろうし…それに、いつかは目覚めるような気はしてた」

「シグ…」

「だから、僕はここに来たんだ。例え大罪の闇に目覚めても、アルエなら何とかしてくれるってわかってたから」


 もし大罪に目覚めても、アルエの側なら被害を最小限に抑えてくれる。もしグローリアの城や学校で目覚めていたら、アルエが来るまでただ闇に呑まれて暴れていただろう。そうなるとわかっていたから、シグはここにいるのだ。


「僕は、アルエの弟子になったことに後悔はないよ。確かにあの国に未練はある。でもアルエに出会えて、弟子になったことは嬉しいと思ってる」

「…私も、シグに出会えてうれしく思っています」


 きっと、アルエも同じ気持ちなのだろう。キサが、自分よりアルエやシグを大切に思うように。


「ちょっと出かけてくるよ」

「え、こんな夜にどちらへ」

「欲しい物があるんだ。アルエは寝たばかりだし、一日寝てないなら明日の夕方まで寝てるだろうから」

「ですが、まだ安静にしていた方が」


 部屋を出ていくキサとシグ。すると、シグの影からシャドーが姿を現す。


「シャドーも一緒だから大丈夫だよ。アルエが起きる前に帰ってくるから」

「でもいったいどちらに?」

「ん…魔界」


 そう言うとシグの姿はあっという間にシャドーの中へと消えていった。




 シャドーに送られてきた場所。それはどこかの城のようだが、空には明るい満月が出ている。


「さっさと用事を済ませて帰るか」


 そしてシグの姿は闇へと消える。闇にまぎれ、城の奥へと進んでいるのだ。


「もう、出歩いて大丈夫なのかな?」

「…誰かさんのせいで強欲に目覚めてしまったもんでね」


 王の間で一人考え事をしていた魔王。広い部屋には他に誰もいないようだ。


「僕のせいなのか?」

「当たり前だ。あんたが来なきゃ、少なくとも昨日のうちに大罪の闇に目覚めることはなかった。それに、目覚めた闇も強欲じゃなかったかもしれない」

「そうか…じゃあもうアルエは二度と会ってはくれないかもな」

「…また、アルエを泣かせやがって」


 傷心中の魔王にさらに追い打ちをかける。実際にアルエの泣いた姿を見た訳ではないが、キサが泣いていたのだからおそらくアルエも泣いたのだろう。


「泣かせてしまったのか。…そんなつもりはなかったのにな」


 目の前に居るのは、本当に魔王なのかと疑ってしまうくらい覇気をなくしている。


「会ってはくれるよ。別にアルエは鬼じゃないんだし」

「吸血鬼だけどね」


 吸血鬼の名前には鬼の字が入っている。かなり深刻のようだ。


「それで、君はいったい何しにこの城に忍び込んだんだ?」

「あんたに用があるんだよ。…一応、責任はとってほしくてね」

「いったい、僕に何をしろと?」

「魔王なら一つくらい持ってるだろ。…『不老不死の秘薬』」


 弱りかけていた魔王の眼に力が戻る。


「何のために、秘薬が欲しいんだい?」

「別に、今すぐどうとかじゃねえよ。…ただ、将来のために持っておきたいだけだ」

「将来…まだわからない先のことじゃないか」

「選択肢は多い方がいいだろ。…オレはあんたと違って、アルエを選んで国も民も捨てた最低な王族なんでね」


 正確には恋人や親友、自分も捨てているが。


「それでもオレは王族の人間で、アルエと違って不老不死なわけでもない。だからいずれ弟子を卒業した時、オレはどうするかわからない」

「秘薬が欲しいのは、弟子を卒業しても彼女の側に居られるようにか?」

「可能性はゼロじゃないからな。…一度は全てを捨てた人間だ。アルエのために、人であることも捨てるかもしれない」


 そして、シグの眼に現れる二つの魔眼。


「それに、あんたのせいでオレは変わった。…あんたらからすればオレはまだまだガキだ。まだ大人の色恋もわかんい」

「…………」

「でも、強欲の闇のせいでオレの欲望は強くなった。…アルエを見て綺麗な人だと持ってた。…でも今は、心のどこかで綺麗な女性ひととして見てる自分がいる」


 力を使う訳ではないので対価は発生しないが、魔眼が出ていることに変わりはない。また暴走する可能性もある。


「それに、捨てたはずなのにあいつらのことを思い出す。いらないと決めたのにまだ国に未練がある。…押し殺していた欲望が、抑えきれなくなってきてる」

「すまない。僕もこんなことになるとは思わなくて」

「別に謝ってほしい訳じゃない。ただ、これでオレはますますアルエの側を離れられなくなった。まだ自分じゃ闇を抑えきれないから」


 魔王は立ち上がり、玉座を降りてシグの前へと立つ。


「不老不死の秘薬。欲しいのはそれだけか?」

「今のところはな。言っただろ、オレはまだガキだ。そんなすぐに欲望が強くなる訳じゃない」


 魔王が手を差し出し、その手の中に小さな瓶が現れた。


「いつも持ち歩いていたんだ。…ずっと、アルエのことを想い続けていたから」

「もし、アルエと一緒になれたら飲めるようにか?」

「ああ、女々しいだろ。…でも、わかったよ。きっと僕とアルエが結ばれることはないんだって。僕には、国を捨てられなかった」


 シグは瓶を受け取る。すると、シグの影から再びシャドーが現れた。


「確かにオレは国を捨てた。でも、最初にオレを捨てたのは民だよ。だからオレは、闇を持ったんだ」


 シャドーに包まれるように、その中へと消えていく。


「民に、捨てられたか」


 王の間に訪れた静けさ。もし民が王を必要としなければ、魔王は国を捨てただろうか。そんなことを考えているのかもしれない。




 再び別なところへ飛んだシグだが、そこはアルエの城ではない。山の上にある神殿のような建物の前に居る。


「シャドー、これをオレの研究室に運んどいて」

(…………)

「たまにはいいだろ」


 シャドーはシグから小瓶を受け取ると姿を消した。


「せっかく来たんだし、いいだろ。…どうせ、向こうには見えてるんだから」


 神殿のような建物に入り、そして地下へ続く階段を下へ下へと降りて行く。そして最下層には目を閉じた青年が立っていた。


「いらっしゃい。待っていたよ、闇の女王の弟子」

「本当に全てをお見通しなんだな」


 そして、青年へと魔眼が向けられる。


「彼女が来たときのことを思い出すな。会ってそうそう、彼女もそうやって魔眼を向けてきた」

「オレはまだ制御ができないんだ。それに、アルエの魔眼は怒らないと現れない」

「まあ、あのときは確かにおいらが彼女を怒らせたね」


 そして、魔界の賢者も魔眼をシグへと向けた。


「やっぱり、君の心が読めない。来るのは分っていたけど、目的が分らないな」

「なんでも見える魔眼じゃないのか? オレの目的はその魔眼だ」

「強欲の魔眼だけじゃ飽き足らず、万里の魔眼も欲するのか。本当に強欲だな」

「仕方ないだろ。魔王のせいで、知りたいことが増えてしまったんだから」


 賢者は杖を構え、魔力を放出する。


「言っておくけど、君じゃおいらには勝てないよ。…これでも、おいらはこの魔界で三番目に強いんだから」

「勝負に絶対はない。それに、強さは力じゃない」

「若いっていいね。ここは結界で守られてるから暴れても大丈夫だよ」

「あんたも本気で来なよ。…怒ってない状態なら、オレはアルエにも負けないから」


 怒っている状態のアルエは、魔界で最強の魔神と引き分ける強さを持つ。その弟子なので最初から手を抜くつもりはない。


「古代呪文…地獄の門番が放つデーモンズ・ヘルファイア天使達が起こすアンジェラス・ウィアル天壌より舞い降りた雷鳴アドベント・ライトニング

「おい、マジか」


 三つの古代呪文がシグへと迫る。


「手は抜かないさ。君も古代呪文を使えるのは分っているしね」


 容赦なき攻撃。上級魔法使いでもいきなり放たれた三つの古代呪文を防ぐすべはない。そしてシグも、避けられずに三つの魔法に呑まれた。


「さすがに死んじゃいないだろうけど。終わりだね」


 古代呪文の威力はすさまじく、いまだに炎は燃え盛り、風がうねり、雷鳴がとどろいている。


「そろそろ助けた方がいいかな」

「…究極神のアルテ・コルラド


 だが、古代呪文はそれを超える凄まじい魔力にかき消された。


「この力を使うのは久しぶりだ」

「驚いたな。…無傷なんて。それに、おいらの知るその魔法はそんなに強くないはずだ」


 シグが人前で究極神の力を使ったのは、一年前にソラを相手にしたときだけ。その頃とは比べ物にならないほどの力を放っている。究極神の名にふさわしい力だ。


「この力はまだ発展途中。これからもっと強くなるよ」

「彼女がその力を使ったら、魔神を超えるかもね」

「まだこの力はオレしか使えない。正確にはグローリアの血を引く者だけだけどな」

「…なるほど、王家の血の特性と言うわけか」


 シグの纏う魔力は全てをかき消す鎧となっているので、普通の魔法は通じない。


「グローリアの血の才能『完全学習パーフェクトマスター』、この世の全ての魔法を納めると言われている。究極神の力はオレの魔法の総称だ」

「全ての魔法を一点に集めるか。確かにそれは強力だな」

「もっとも、元はアルエの『闇食い(ダークネス・イート)』がベースだけどな。…こいつは、アルエが求めていた究極技法の完成形に近いしな」


 闇食い。魔法を闇に食わせて威力を高めるこの技法にはさらに上があるのだ。


「いつかアルエかオレが完成させるさ。全て喰らう、究極の闇技法をな」

「怖い怖い。その力より強い力なんて…でも、おいらは賢者だ。簡単には負けられない」


 賢者は全ての魔力を杖に集め、槍を具現化させる。


「どんなに強力な鎧でも、魔力を切り裂く力なら届くだろ」

「破槍『グングニル』イン、究極神の力」


 シグは纏っていた力を具現化で生み出した槍へと注ぎこむ。


「そういう使い方もできるんだ」

「ああ、こいつは防御じゃなくて攻撃の力だからな」


 互いに槍を構え、制止する。


「もし、おいらの槍がその槍をかき消せば君は死ぬ。逆においらの槍が負けたら死ぬのはおいらだ」

「オレは死なないさ。言っとくけど究極神の力が切り札なら、オレにはまだ奥の手がある」


 ここまで、互いに引けなくなっていた。どちらにも誇りがあるからだ。そして―


斬魔槍スラス・マ・ラス

「究極神のアルテ・コルラス


 二人はほぼ同時に槍を放つ。だが、二つの槍はすれ違い、相手に向かって飛んでいく。そして命中した槍の威力で神殿の一部が消し飛んだ。


「けほ。あの弟子、何を考えてるんだ。槍をわざと外すなんて」


 シグの放った槍は賢者の横を通り過ぎ、山の中にある神殿に風穴を開けたのだ。それにより、出たばかりの日の光が差し込む。


「別に。ただオレは命の取り合いをしにきたわけじゃないんでね」

「…おいおい。マジですか」


 結界に包まれた神殿に風穴を開けた槍の威力に驚いたが、それ以上にシグが無傷で立っていたことに驚く。


「おいらの槍は間違いなく命中したぞ。なのになんで」

「言っただろ。奥の手があるって」


 シグに槍の当たる瞬間は、シグの槍が壁に当たった衝撃で見えなかったが、交わした様子もないので当たったに違いない。


「どうじゃ。妾の弟子はすごいじゃろ。使える魔法の数や経験ではまだまだお主には敵わぬが、力は間違いなく上じゃ」

「…ああ、恐れ入ったよ」

「ア、アルエ。なんでここに!?」


 だが、アルエの側にはシャドーの姿がある。


「この神殿に風穴を開ける威力。間違いなく当たっていたら死んでいたね。そして、結界なんかの魔法を引き裂いて貫くおいらの槍はどういうわけか防いだ」

「悪かったのう。弟子の我がままに付き合ってもらって」

「いや、おいらはしょせん敗者だよ」


 そして賢者は座りこんでしまう。


「敗者は勝者に従う。…魔眼、くれてやるよ」

「よいのか? 監視者としてはその眼を失うわけにはいかぬはずじゃが」

「いや、今の魔界は平和だし、おいらみたいな役職はもう必要ないさ」


 シグは恐る恐るアルエの方を見ると、アルエはゆっくりと頷いたので賢者の元へと行く。


「じゃあ、もらうよ」

「ああ、この眼が君の助けとなるといいね」


 そして、シグ右手は賢者の左目へと近づく。


(これで、いいよな。おいらは、もう…)

「じゃあ、確かにもらったよ」

「え?」


 だが、賢者の両目はちゃんと見えている。


「何を驚いておる。別に眼球を奪ったりはせん。眼の力を抜いただけじゃ」

「…新しい技法か。奪う闇魔法は怖いね」


 昔は魔眼などの力を奪う際には眼球ごと抜き出す必要があったが、アルエはすでに能力だけを抜き取る技法を編み出していたのだ。


「ん、まだ右目は魔眼のままだ」

「別に、片方あれば事足りるから」


 シグの右目は、万里の魔眼へと変わっている。片目の能力はシグへ言ったのは間違いない。


「…先に上で待ってる」

「おやおや」


 シグは得た魔眼で何を見たのか、二人の賢者を残してその場を立ち去る。


「あー、心を読まれたのは初めてだ」

「普段は読むだけじゃからの。…して、何を思ったのじゃ? でなければシグが妾達を二人きりにはすまい」

「別に。ただ、あいつはなんで片目しか取らなかったんだ? 両目の方がバランスいいだろ」

「それではお前が監視者でいられまい」


 だが、賢者は残念そうな顔をした。


「おいら、これでもう何も見なくて済むと思ったんだ。監視者として、世界中の人の生活や心を見てきた。もっとも、あんたみたいに結界を張る奴もいるけどな」


 シグの心が読めなかった理由。それはアルエが自分とシグの心に魔眼の力を遮断する結界を張っていたのだ。それは自分の城にも張っているので、賢者は城でシグがどれだけ強くなったのかを知らなかったのもそのせいだ。


「お前が監視をさぼったから、数百年前に妾は魔界であんな目にあったのじゃ」

「わかってるよ。だからそれ以来毎日世界を見ていたさ。でも、やっぱり見るのは辛いよ。知りたくないことまで知っちゃったりするからさ」

「それはそんな魔眼を持って生まれたお前の定めじゃ」

「だから、魔眼をあの子に取られておいらは普通の生活ができると思ったんだよ。なのに、なんで片目だけ残したんだ」


 シグが開けた風穴からは街が見え、日に照らされて朝を迎えていた。


「妾には心なぞ見えん。だから、あの子が何を考えているかはわからぬが、あの子はときどきどうしようもないお人よしになるときがあっての」

「お人よし?」

「妾が思うに確かに魔眼に興味はあったが、本当の目的はお前に普通の生活を送らせたかったのではないか?」


 アルエの意外な言葉に賢者は驚く。


「普通の生活って、魔眼がある限りおいらは監視者として生きなきゃいけないんだぞ」

「じゃから片目は残した。…お前が監視者になったのはあの魔王が依頼したからじゃろ。じゃが、もう自由になってもいい頃だと思うが」

「わかんないよ。片目の魔眼を奪うことでなにが変わるってんだ」

「…今、お前の左目には何が見える? ただの眼となったその左目に」


 魔眼の能力がないなら、きっとアルエと同じ景色が見えているはずだ。


「お前がもし、監視者を止めて普通の生活を送るなら、魔眼は封じなければならない。そうなれば、何も見ることができなくなる。じゃが、今なら片目だけでよい」

「え…それは」

「その右目の魔眼を封じれば、左目でみんなと同じ景色を見ることができる、お前は、みんなと同じような生活を送れる」


 シグが本当にそこまで考えていたか定かではないが、少なくともアルエは微笑んでいる。


「お前は、魔眼を失くせば普通の生活が送れると言ったな。じゃが、魔眼は残っておる。でも、力をもたないただの眼ももっている」

「…………」

「これから先どう生きるかはお主が決めることじゃ。でも少なくとも、選択肢は増えたぞ」

「ふ、親バカならぬ師匠バカだね。…ふつう、そこまで考えないだろ」


 だが、アルエは嬉しそうに階段へと向かう。


「最後に言っとくけど、魔王はずっとあんたのこと思い続けてるぞ。今も、一人で泣いてる」

「…妾も泣いた。でも、悪いのはあの男じゃ。せめて一年、早く迎えにくればな」


 階段の前で、寂しそうな笑みを賢者へと向ける。


「あの子と出会う前なら、迷わずついていったさ」


 そして階段を上って行ってアルエの姿は見えなくなった。


「…なんか、どっちも可哀想だな」


 想っていても条約を守って人間界に迎えに行かなかった魔王。シグと出会うまで、ずっと魔王を待ち続けていたアルエ。魔王が条約など気にせずアルエを迎えに行っていれば、きっと何もかもが違っていたのかもしれない。もっとも、しょせん済んでしまったことなのだが。


「…………」

「その魔眼で、いったい何が見えるのじゃ?」

「いろいろ、かな。でも、聞いてたより万能じゃないかも。結構疲れるし」

「そらそうじゃ。大きな力にはリスクもある。あの賢者も魔眼を持っていなければ、魔王に匹敵するくらい強くなっていたはずじゃ」


 山の上は心地よい風が吹き、朝の香りを運んでくる。


「…僕があのとき大罪の闇に目覚めなかったら、魔王と一緒に行ったの?」

「わからぬ。じゃが、お前を一人には絶対にしなかったさ」

「僕だって、いつかは大人になる。そしたら、アルエの側からいなくなるかもしれないよ」

「その時は、その時考えるさ」


 魔眼はあっても、アルエの心は読めない。だから、不安に思うこともある。


「もし、アルエに恋愛感情を抱いたら?」

「その時は、その時考える」

「オレが、強欲に呑まれて自分を見失っ―!」

「安心せい。妾は、なにがあってもお前の味方じゃ。例え世界を敵に回しても、妾が守ってやる。お前が例え王になっても、困った時は助けてやる」


 その不安も、アルエが抱きしめてくれると消えていくようなが気がした。


「すこし眼を閉じておれ」

「え?」

「いいから、閉じよ」


 そして眼を閉じたとき、アルエの手が左目の瞼に触れるのを感じる。


「眼を開けて、妾に見せてくれ」


 言われるがままに、ゆっくりと眼を開く。


「あれ…なんか、変?」

「その眼は妾の宝じゃ」

「…まさか、カルアの神眼?」


 アルエは答えないが、浮かべる微笑みが答えだった。


「お前には、妾の全てをやる。お前は、妾の宝なんじゃ」

「アルエ、なんで僕が」

「お前が、理由はどうあれ妾を選んでくれたからじゃ」


 太陽の日に照らされ、微笑むアルエの姿がとても美しく見える。


「帰ろうか。まずは大罪の闇を抑える術や、神眼や魔眼の使い方を学ばねばな」

「…すぐにできるよ。だって、僕はグローリアの血を引いてて、師匠はアルエなんだから」


 次の瞬間、二人の姿はその場から消えていた。帰るべき場所へと、帰ったのだ。




 【エピローグ】


 グローリア国にある魔法学校。そこに、似つかわしくない風貌の男が訪れていた。


「すまんの紅の。わざわざ来てもらって」

「かまわん。我の弟子のためでもあるからな」


 全身を黒いローブで隠し、顔に白い仮面をつけた紅い賢者。


「弟子同士の交流は悪いことでない。それに、あの少年には我も興味がある」

「ほう。お前さんが関心を寄せるとの」

「ジハール国で見たときの少年は確かに抜け殻であった。だが、今は見違えるようなのでな」


 二人の賢者がいるのは学校の敷地内にある闘技場。そこで、賢者の弟子が競い合っていた。


「く、なんだその技法。魔法を纏うなんて」

「お前こそ、なんで鎧を纏った俺と平気でやりあえるんだよ」

「…ふ」

「笑うなよフィール!」


 戦う二人の側では余裕と言った感じでフィールが立っていた。


「…二人一緒でも、私より弱いから」

「一国の姫だからって調子に乗りやがって」

「なんでこんな奴と共闘しなきゃなんねんだよ」

「んだと、やるのか?」

「やってやろうじゃねえか」

「…はぁ」


 競い合う二人とは違い。フィールは見てるだけなので修業にならない。でも、確実にゼロは強くなっていく。フィールのため。そして、自分の過去を知るために。




「まったく、もうお昼ですのに」


 そしてグローリア国から離れた巨城では、いまだにカーテンで閉め切られた部屋があり、そこに寄り添うように眠る二人の影がある。


(この光景を、あとどのくらい見ることができるんでしょうね)


 幸せそうな二人の寝顔を眺め、心を持つ人形はこの幸せが長く続くことを願うのだった。

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