マジックスペル ~大罪の闇~
マジック・スペルの2部作目
もともとエブリスタに投稿していた作品になります。
プロローグ
この世界には賢者と呼ばれる4人の魔法使いがいる。それぞれが自然を司る蒼、肉体を表わす紅、希望をしめす光、恐れを込められた闇の名を持っている。その中で史上最強と謳われるのが、かつて世界中を恐怖で支配した闇の賢者だ。当時は闇の女王とも言われ、絶対種という賢者クラスしか相手にできない存在と化していた。今だに世界は闇の賢者を恐れ、受け入れないものが多い。そんなとき、彼女は気まぐれで一人の弟子をとる。落ちこぼれであった王子『シグ・グローリア』。だが彼は闇の賢者の下で力に目覚め、王家の頭角を見せ始めた。学校を辞め大切な人達とのつながりを断ち、正式な闇の弟子として賢者の元へ下った。これは闇の女王に魅いられた一人の少年のお話である。
第一章『アルエ・カルア』
【居場所】
誰も寄り付かない山奥。そこに静かにそびえ立つ巨城がある。そこの主は闇の女王と言われる闇の賢者その人だ。城には人形使い(ドールマスター)の力を使って魔力で動かしている人形が多数徘徊ている。ある人形は畑を耕し、ある人形は城を掃除するなどしていた。そんな城の中で自らの意思で動くものが二名と一体。闇の賢者とその弟子、そして謎に包まれた意思を持つ魔動人形だ。
「シグ、味身をしてくださいますか?」
「うん、わかった」
城のキッチンでは弟子であるシグと、意思を持つ人形のキサが料理をしていた。ちなみに人形と言っても、キサの見た目はどう見ても人間である。
「うん、おいしいよ」
「では盛り付けておきますので、アルエ様を呼んできてください」
「わかった」
シグはキッチンを出るとまっすぐ寝室へと向かう。巨城でありながら、この城には寝室が一つしかない。寝室には大人三人が余裕で寝られそうな大きなベットがあり、そこに美しい女性が眠っている。
「アルエ、ご飯でできたよ」
「んー、もう少し」
「もうキサが待ってるよ」
「…わかった。起きるから」
目覚めた女性こそ世界に恐れられ、この城の主でもある闇の賢者『アルエ』である。
「はぁ…お前が来る前は起きる時間なぞ適当だったのに」
「それって体によくないよ」
「妾は不老不死、健康なぞ気にしたことないわ」
文句を言いながらも、シグの後について部屋をでてキッチンへと向かう。
「おはようございます。アルエ様」
「ああ、今日も美味そうじゃな」
「ええ、シグと二人で作りましたから」
シグがこの城に来てからは、料理はいつもシグとキサが作っている。
「さて、いただくか」
「いただきます」
テーブルに着くと二人は料理を食べ始める。キサは人形のため食事を取らないので、側で控えていた。
「シグ、今日は何をするつもりじゃ?」
「んと、もう少し闇の魔力を操れるように修行しようかと」
「そうか、だがあまり急ぐ必要はない。特に闇の魔力はゆっくり丁寧にな。間違って大罪に目覚めぬように気をつけるんだぞ」
「…大罪?」
「ん…? 博識のお前が大罪をしらないのか?」
シグは学校にいたころに図書室にある魔法書を読みつくすなどして、一般人よりも知識は高い方だ。
「アルエ様、いくら学校でも闇の本は少ないのではないですか? 普通の人は闇の力は使いませんし」
「そうじゃな。…シグが闇の魔法使いとなるなら教えておくべきか」
食事を取り終わり、お茶を飲みながらアルエは天井を見つめる。
「人の七つの大罪を知っておるか?」
「それって、暴食、嫉妬、怠惰、色欲、強欲、傲慢、憤怒のこと?」
「そうじゃ。そして、闇にはこの大罪になぞられた七つの力が存在する。ちなみに、妾は憤怒の闇を宿しておる」
しかしアルエは天井を見上げているというより、どこか遠くを見ているように見えた。
「大罪の闇は強大だが、それぞれ危険が伴う。まあそもそも力に目覚める者も少ないのだがな。妾は、お前には純粋な魔法使いで居て欲しい。大罪の闇に囚われることのない強い魔法使いにな」
「そんなに、危ない力なの?」
「ああ、あれは心の弱いものに取りつく化け物だ。闇に支配されれば他の賢者や王族に消されてしまう。妾も支配されていた。復讐という闇にな」
「…だから、闇の女王って呼ばれてるの?」
「そうじゃ。向かってくるものは容赦なく滅した。人間は妾を恐れて向かってくる。だから多くの人間を滅したのだ。復讐を果たし、憤怒の闇を抑えられるようになったから賢者なぞしているがな」
シグが生まれる前、わずか二十年ほど前の出来事。今の子供たちは親が恐れているので闇の賢者を恐れている。だが、実際に何かをされたわけではない。
「…シリスが教えてくれた。でも、詳しくは教えてくれなかったよ。アルエがどうして吸血鬼になったのかとか、空白の数百年間はシリスも知らないって。…なんでアルエは、憤怒の闇に目覚めたの?」
自分の言葉に、お茶のカップを持つアルエの手がピクッと動くのを見る。
「シグ、修行に行け」
「アルエ…」
「いいから出て行け!」
一瞬だが、アルエの周囲に黒い闇が現れた。アルエの怒りに反応し、憤怒の闇が現れたのだろう。シグはその魔力に脅え、震える体をさすりながらドアまで走って出て行く。
「アルエ様、何もそこまで言わなくても」
「…あれを話せるわけがなかろう。お前には妾記憶を継がせているが、あの子は何も知らない。妾の過去を知って、あの子が妾の元を離れる可能背だってある。それほど重いことは、わかっているだろう」
「ですが、シグの精神は未だ不安定なのはわかっているでしょう。何が原因でまた魔力が暴走するか」
「わかっておる。…じゃが、妾は怖いのじゃ。あの子を失いたくない。この気持ちは、お前もわかるだろ」
シグは前に一度心の闇に飲まれ、魔力を暴走させたことがある。王族の強大な魔力の暴走は街を消し飛ばすくらいの力はあるだろう。アルエが抑えなければ、シグは実の親に殺されていたかもしれない。
「私も、あの子が来てくれたのは嬉しいです。でも、あの子はここに来るために向こうとの繋がりを断っています。あの子の居場所はもうここにしかない。ですから、そこまで心配なさらなくてもいいと思いますよ」
「はたしてそうかな。…居場所は与えられるものではない。自分で作るものだ。妾が、この城を作ったようにな。あの子がその気になれば、また向こうの世界でやって行くことはできる」
向こうの世界。簡単に言ってしまえば人間社会だ。賢者となってからずっとアルエが断ってきたもの、それは人との繋がり。
「フィールと言ったか、あのお姫様は」
「シグの幼馴染の子ですか?」
「ああ、あの子はシグを好いていた。シグが戻りたいと言えば、あの子は喜んで居場所を用意するさ。自分の側にな」
まだシグが学校にいた頃、『フィール・ジハール』という隣国の姫とともに修行に励んでいた。そして彼女はシグのことをずっと想っている。
「それに、シリスもおる。奴もシグの才能に眼をつけていた。奴がその気になれば今からでもあの子を光の魔法使いにできよう。光の賢者である奴なら、できないこともない」
シリスはシグが通っていた魔法学校の校長であり、アルエと同じ賢者の称号を持っている。アルエが現れる前は最強と謳われていた賢者だ。アルエとシグを引き合わせた張本人でもある。
「でも、あの子この道を選びました。それは事実ですよ」
「わかっておるがあの子の精神が不安定な今、力も不安定じゃ。今なら、まだ道は変えられる。…妾の真実を知って、その道を変えてしまうかもしれん」
「…アルエ様、そこまでシグのことを」
「うるさい。…あの子には側にいて欲しいだけじゃ。お前もそうであろうに」
だがその時、アルエの影から人型の影が出てきた。絶対種と言われる『影を歩く者』だ。魔力を喰らうという以外は謎に包まれた存在である。
「どうしたのじゃシャドー?」
(…………)
「は! シグが城を出て行ったじゃと!」
シャドーは何も声を発していないが、アルエには声が聞こえるようだ。
「なんでじゃ? 妾は何も…」
「さっき“出て行け”とおっしゃったからではありませんか?」
「あれは早く修行に行けという意味じゃ!」
「…あの子の精神は不安定。そして、同じ闇に生きるアルエ様なら、あの子の気持ちがおわかりになると思いますが」
アルエはカップを置いてドアへ向かう。
「忘れていた。闇の魔法使いは面倒なのが多いんじゃったな。…心が弱い故に闇に囚われるのだから」
「私も参りましょうか?」
「いや…、お前は菓子でも作って待っておれ」
ドアの外にはローブを持った人形が控えていた。そのローブを纏い、アルエは久しぶりに外へ出る。
城から少し離れた場所には絶壁が存在していた。そして巨城はその絶壁の上に建造されている。アルエはあえてこの絶壁の近くに城を建てたのだ。なぜなら、この絶壁があるから普通の人はこの城に近づくことはできない。もっとも城の近くには水が湧き、魚もいる。この城で暮らし、山を降りるつもりがないならとても良い環境だ。
「出て行け…か」
そして、シグはその絶壁の上から山を見まわしている。遠くの方に、いくつもの山を越えた先には小さく村が見える。
「やっぱり、僕の居場所はどこにもないのかな」
父親に見放され、弟から疎ましく思われ、母親や妹に会うことも許されず。幸せになってほしいと婚約者を遠ざけ、迷惑をかけまいと学校を辞めた。我がままを言えば、状況は変えられたかもしれない。賢者であるシリスも幼馴染であるフィールも、婚約者であった『マリヤ』もきっとシグを助けてくれたはずだからだ。だが差し出された手を払い、アルエの元にやってきた。アルエが居場所になってやると言ってくれたから。
「アルエを怒らせた、僕が悪いんだよね」
一度は全てを失ったシグの精神はボロボロだった。城ではいつも明るく振舞っているが、心の奥底は不安と恐怖でいっぱいだったのだ。病んだ人間ほど、闇は進行する。
「もっと、早くこうするべきだったのかな」
そして、シグは一歩を踏み出す。しかし、そこには道はない。あるのは絶望だけ。
「これで、いいんだ」
シグの体はどんどん下へと落下していく。シグは眼をとじ、そのまぶたにからは涙があふれている。
(…あれ?)
だが、突然宙に浮いたように落下している感じが消える。
「このバカ弟子」
「…アルエ」
目を開けると、漆黒の翼を広げたアルエの姿が映る。そしてその瞳は黒く染まっていた。
「ここまで闇が進行していたか。無理をしおって。いや、魔眼を使わねば気付けんかった妾も悪いか。弟子の管理もまともにできんとはな」
そしてアルエの瞳は元の色へと戻る。
「…魔眼?」
「さっき話した大罪の闇に取りつかれた者に宿る絶望じゃ。もっとも、魔眼にもいくつか種類があるがな。大罪の闇につかれなくとも得られる魔眼もある」
アルエはシグを抱きかかえたまま空を舞う。
「…妾は、怖いんじゃ。お前が居なくなるのが。だから、過去を話すのが怖かった。妾がした非道の数々、大罪の闇に憑かれていたからなどと言い訳をするつもりはない。だが、やはり話すべきなのかもな」
「別に、無理に話さなくていいよ」
「いや、話す。もう決めた。失うことを恐れてお前に隠し事をしたままでは、いずれまた壊れてしまう。またこんなことをされてもかなわんしな。…全てを話すから選んでくれ、本当に妾でよいのか」
城に戻り、先ほどの部屋へと戻る。そこではキサが菓子とお茶の用意をしていた。
「何かありました? お顔が強張っていますよ」
「別に、なんでもない」
「嘘が下手ですね」
どうやらシグがしようとしていたことについては話すつもりはないようだ。
「早く座れ。長ったらしい話になるからの」
シグは怯えたようにゆっくりと席へ座る。
「妾はもう怒ってないからそんな顔をするな」
「そうですよ。シグはここに居ていいんです」
キサは温かいお茶をシグとアルエの前に置く。アルエはそれを一口飲むとカップを置いた。
「これから妾が話すことを、最後まで口をはさまず聞け。シリスに聞いていることもあるかもしれんが、すべて聞いた後でもしかしたらお前の考えは変わるかもしれない。お前もわかっているとおり、今ならまだ光に戻れる。だからずっと不安だった」
「アルエ様…」
「いい。…シグ、もうお前に隠し事はしない。だから、すべてを聞いてなお妾の側にいてくれるなら、妾の全てをお前にやる。力も何もかもな」
シグはアルエと見つめてゆっくりと頷いた。それを見たアルエはまた遠い眼をして天井を見上げる。
「あれは…800年も前のことじゃ」
そして、アルエは過去を話しだす。それが、シグの心を変えてしまうかもしれないと思いながら。
【絶望を背負う姫】
800年前、この世界には30を超える王族が存在していた。どの王族も特別な力を持ち神の子として崇められ、王の力によって国発展していく時代。そんな時代だからこそ隣国の王より力が弱い王や民の暴動など、様々な理由で消えて行く王族もいた。そんな時代に最強といわれた王、それがカルア王である。カルアの王族は王家の血により特別な眼を与えられる。千里眼とも呼ばれ、神眼とも云われていた。だが、そんなカルア王家も滅びの危機に瀕している。なぜなら、跡取りがいないからだ。そしてその神眼を持つ者もカルア王一人となった。カルア王は何とか子をなそうと多くの嫁を取ったが、カルア王は高齢であったため子は見込めないと思われている。そんな中、一人の妃が王の子を身ごもった。名を『アエル・カルア』妃の中では一番若く、世界で最も美しいといわれるほどの女性だった。それから結局他の妃は身ごもることはなく、王はアエルが産んだ子供に全てを託すことにし、アエルとその子供に全ての愛情を注いだ。そして子供は女の子であり『アルエ・カルア』と名付けられ、生まれた時から神眼を持ち、王も驚くほどの魔力を有していた。だが、相手にされなくなった妃たちの中にはそのことよく思ってはいない者もいる。
「父上」
「おおうアルエ、どうしたんじゃ?」
「あそぼう」
「すまんが後での。それまで向こうでお母さんに遊んでもらいなさい」
「はーい」
しかし、そんなことも知らずにアルエは成長していく。陰で妃たちが何をしているかも知らずに。
「王、お薬の時間です」
「おおそうか。いつもすまんなドウヒ」
「いえ、それが私の務めですから」
アルエが産まれた頃にやってきた神官『ドウヒ・ゴアクク』今では王も信頼し、相談役にもなっていた。
「あの子が成人するまで生きたいが、難しいかの」
「できる限りのことはいたしましょう。アルエ様はあなたの血を濃く受け継いでおりますので、立派な王になられますよ」
カルア王は自分の命がそう長くないことを悟っていた。そんな王にとって、娘の成長が何より楽しみだ。強大な魔力のおかげでずいぶん長生をし、そのせいで両親や兄弟の死を多く見てきた。今はそんな王にとって幸せな時間だ。
「私は少し席をはずします。落ち付きましたらアルエ様とお遊びください。お喜びになりますよ」
「ああ、そうするよ」
ドウヒは廊下に出ると一室へと入る。その部屋には何人かの妃たちがいた。
「でどうなのだ?」
「王は私を信用しきっている。いづれ、ことを起こすさ」
「私達をいつまで待たせる気だい。誰のおかげで神官にまでなれたと思っている」
「黙れ、何ならこの場で“消して”やろうか?」
ドウヒの言葉に妃たちは固まる。
「感謝してるよ。だが、私はあの王を殺すだけでは満足できなくなった。…私は嫉妬の闇を宿すもの。あの王が羨ましくて仕方ない。ああいう奴は絶望を味あわせて殺してやるのさ」
この先の未来、何が起こるのかを王もアルエも知るよしもない。だが、何事もなく数年の月日が流れ、アルエは16歳の誕生日を迎える。そして今日、カルア王はアルエに王位を渡すつもりでいた。
「妾が、今日から王となり民をまとめるのか」
アルエは自室で空を眺めながら物思いにふけっていた。ちゃんとやっているかという不安、だが父の想いに応えたいという気持ちもある。
「失礼します。アルエ様、少しお時間よろしいですか」
「なんじゃ、ドウヒか。どうしたのだ?」
「いえ、アルエ様に少しお話がございまして」
ドウヒは部屋に入るとアルエの前に立つ。
「な、何じゃ? ―!」
突然ドウヒの眼が黒く染まり、魔眼が現れる。
「このときをずっと待っていた。ククク、あの王から全てを奪ってやる。お前は、私の人形となるのだ。『人形化操』」
アルエの眼からは光が消え、動かなくなる。
「さあ、ショーの始まりだ」
何が起こっているかも知らず、王は広間でアルエが来るのを、妃たちと待っていた。もちろん、横に座らせているのはアエルだけだが。
「あの子はまだかの」
「そんなにあわてなくても大丈夫ですよ。この日のために特別にドレスを作らせませたし、いろいろ考えることもあるのでしょう」
開始までは時間があるので問題はないが、王はまだまだかと待ち望んでいる。そんなとき、正面のドアが開く。
「父上…母上…」
黒いローブに全身を包み、顔が見えないがアルエの声がする。
「どうしたんじゃアルエ? ローブなど着て、新しいドレスは気に入らなかったか?」
「父上…お願い…」
だがアルエはゆっくりと歩み寄り、王たちへと近づく。
「どうしたのアルエ、昨日はあんなに嬉しそうにしていたのに」
「母上…父上を…連れ、て」
そして部屋の真ん中ほどに来た時にアルエは勢いよく走りだし、王へ向かう。
「逃げ…て!」
その勢いにローブが取れる。すると、血に汚れたドレスを着るアルエの姿が現れた。そして手にはナイフが握られている。
「アルエ、何…が―!」
「あなた!」
逃げることもできず、ナイフは王の体へ刺さる。だが、慌てているの横にいたアエルだけで、他の妃は動じる様子はない。
「ククク、どうです。自分の娘に刺された気分は?」
「ドウヒ…貴様の、仕業か」
アルエが入ってきたドアのところにはドウヒが立っていた。不気味な笑みを王に向けながら。
「ずっとあなたに仕えていたのは、こうするためです。大切な日に自分の娘に刺されて死ぬ。ククク、最高のショーですね」
「貴様! アルエに何をした。風刃」
ドウヒに向かって風の刃が飛ばされる。だが、ドウヒは動く気配がない。
「あなたは何もわかっておられない。私の嫉妬の魔眼は望んだもの全てを消し去れる」
すると、ドウヒにあたる寸前で風の刃は消えてしまう。
「嫉妬の、魔眼だと。貴様、大罪の闇を」
「ええ、ずっとあなたに嫉妬していましたよ。その姫様にもね。この世の全てに嫉妬する。王家の血、金、権力、力、あらゆるものを持っているあなた方親子が羨ましかった。アエル様のような美しい女性を汚したことも羨ましい」
ドウヒの周りにはどす黒い闇が展開している。
「この闇を抑えるが大変でしたよ。ククク、まあさっきはもっと酷かったんですよ。今は姫様を汚したので少し減りましたがね」
「貴様! いったい何を?」
「姫様の服についている血、それはその子の純血ですよ」
「娘を…犯したのか!! 地獄の門番が放つ炎」
赤黒い炎の壁がドウヒへと迫る。しかし、魔眼によって消されてしまう。
「無駄ですよ。まったく、あなたは状況が理解できていないと見える。…アルエ、早く王を殺せ!」
「嫌…止め、て!」
しかし、表情とは裏腹にアルエのもっていたナイフは王をさらに深く突き刺す。
「ぐ…アル、エ」
「父上!」
「まだだ! もっと刺せ!」
アルエは泣きながら抗うが、体は全く言うことを聞かずに王を刺す。
「いやー!」
隣にいる母親のアエルは声が出ないのか動かない。そのため、アルエの声だけが広間に響いていた。
「アルエ、落ち着きなさい」
「父上!」
「お前は…悪く、ない。だから、泣かないでおくれ。わしは、お前の笑顔が…大す…き」
「父上ー!!」
「ククク、ハハハ! いいぞ、そのまま妃も全員皆殺しにしろ!」
ドウヒの言葉に他の妃はざわめく。
「ドウヒ、貴様何を?」
「うるさいんだよ。お前ら貴族は羨ましい生活送り、それでも飽き足らず権力を求める卑しい人種だ! やれ!」
逃げようとするが、妃たちは床に倒れこむ。
「い、いったい何が…これは!」
よく見れば、全員膝から下の足が“消えて”いる。残っている脚からは血が流れ、見るのも痛々しい光景だ。
「や、止めて!」
そして動けなくなった妃たちに、アルエのナイフが突き立てられる。
「ククク、あっけない終焉だったな」
血の海に座り込む少女、それを見下しながらドウヒは王の亡骸へと向かう。
「あなたには過ぎた力、私がもらいうける」
そういって、亡骸から右目をえぐり取った。
「片方あれば十分。この神眼は私が使わせてもらいますよ」
「なぜ…こんなことを」
「恵まれた環境に生まれたあなたには私の気持ちなどわからないでしょう。世界には私のように大罪の闇に囚われたおのが多くいる。そして原因のほとんどは王族か貴族。上に立つ者に虐げられるもの」
ドウヒはアルエの髪を引っ張り、顔をあげさせる。
「あなたも絶望を生きてみるといい。そうすれば私の気持ちが少しはわかるかもしれませんよ」
「だからって、お前はこんなことをするのか?」
「何を言うのかと思えば、両親を殺し、他の妃を殺したのはあなただ」
「ドウヒ、貴様!」
しかしドウヒは髪を放してその場を離れる。
「あなたの眼はまだ未熟。だけどこのまま生かすのは厄介。でも、もうあなたに嫉妬の心はないんですよ。だからもう興味はない。だから、せいぜい私の人形として使われてから死んでください」
すると、アルエの周囲に闇が集まる。
「禁忌とされる魔法は数あれど、恐ろしくて名すらつけられなかった魔法が一つ存在する。それは人々の記憶、あるいは書物や文献に至るまでその者が存在したということを消し去る魔法。しいていうなら完全消去」
「そんの禁忌で、妾の存在を消すのか?」
「いえ、あなた自身は消えませんよ。ただ対象であるあなたと、術者である私以外はあなたの存在を忘れてしまうだけ、そして世界からあなたはいなかったことになる」
「そんなことをするより、妾も殺せばよかろう!」
しかし、どす黒い魔眼がアルエへと向けられる。
「黙れ、お前は人形だ!」
アルエは完全に闇に包まれ、禁忌が発動する。これにより、世界からアルエの存在は消された。つまり、カルア王に子供はいなかったと世界中の記憶が書き換えられたのだ。
「仕上げだ」
そして闇はアルエの体内へとはいりこむ。
「魔族となって、人間に殺されるがいい。…『闇の創造主』」
アルエの意識は闇へと落ち、ドウヒの声だけが部屋へと響いていた。
「ん…」
アルエが目覚めたとき、周囲は火の海。廃墟と化した城の中で、目覚めた少女。そして傷だらけの彼女が流す血は、黒い。そう『アルエ・カルア』は死に、魔族として目覚めたのだ。
「ドウヒの奴は、どこに…」
何とか立ち上がり、ドウヒの姿を探すが何処にもいない。そして、代わりに眼に入ったのは燃えさかる街であった。城だけでなく街もが燃えている。このときアルエは気づいたのだ、カルア王国は滅んだのだと。
「許さん…許さんぞドウヒ!」
アルエが発する魔力は闇に変わり、彼女を復讐者へと変える。そして城から持てるだけの武器や道具をもって城を出ようとする。
「動くな! そこの魔族」
天馬にのった兵隊が空からアルエを見下ろす。掲げる旗は隣国のものだ。
「妾はカルア王の娘、アルエ・カルアじゃ」
「何をバカなことを言っている。カルア王に子はいない。やはり貴様の仕業か、あの神官の報告の通りだな」
「…神官とはドウヒのことか?」
「貴様が知る必要はない。魔族が一国を滅ぼしておいてただで済むと思うな。この場で、滅する」
存在が消える。本当に、アルエは世界から忘れ去られてしまっているようだ。そして兵士たちは魔力を纏う槍を向けてアルエへと向かう。
「ふ、ふふ。これが、絶望という奴か。…もうこの世に、妾の居場所はないのか」
魔族となったアルエの体にはかつてほどの魔力はなく。もちろん神眼も失ってしまった。今のアルエには低級魔族と同じ。この兵士を相手にできる力はない。
「ギリッ!」
噛み締める歯が欠けてしまいそうなほどの怒り。死のうと思った。でも、そう思うとドウヒへの怒りがあふれ出す。
「貴様らが、死ね!」
怒りに震えながら、アルエは兵士たちを睨みつけた。すると、兵士たちが全員地へと落下する。天馬が力尽きたように飛べなくなったのだ。
「な、なんじゃ…」
恐る恐る近寄って見ると、兵士も天馬もみんな死んでいる。誰も何も話すことなく、“即死”していたのだ。
「何が起こった。なんで、みんな死んで…」
アルエはまだ気づいていなかい。己に憤怒の闇が宿ったこと。そして、憤怒の魔眼は視界に入ったすべての命を奪う恐ろしい力を持っていることを。その後アルエは混乱しながらも、増援を恐れてその場を立ち去る。絶望と、ともに。
【逃亡者】
カルア王国が滅んだことは一日で全国へ広がった。そしてその犯人は魔族の少女。禁忌の影響でアルエの存在は本当に歴史から消えていたのだ。そして呪いによって魔族にされ、誰も話を聞いてくれなくなった。各国の王は集まりアルエに賞金をかけ、さらに討伐のために精鋭を集めて討伐部隊まで作る。アルエは、世界中から敵と認識されたのだ。
「ドウヒ、必ず妾がこの手で」
そうとは知らずにアルエは村を目指していた。ドウヒに関する情報が全くないからだ。
「! …誰じゃ?」
すると、前の方に数人の武装した者たちが現れる。
「あいつか?」
「さあな。でも魔族なんて珍しいし…片っ端から狩ればいいだろ」
敵が持っていたのは情報紙のようだ。
「なるほど、賞金稼ぎか。じゃが、魔族なら片っ端から狩ればいいとは穏やかではないな」
「こっちも生活がかかっててね。それに、所詮魔族だろ」
瞬間移動でも使ったように、一瞬でアルエの周りに現れて取り囲む。
「もらった!」
「早いだけで、妾に勝てると思うな。風刃」
賞金稼ぎの攻撃が当たる前にアルエの風の刃が男たちを吹き飛ばす。
「これでも妾はカルア王の娘。例え体を魔族にされようと、貴様らのようなごろつきに負けはせん」
アルエは杖を持っていないが、魔族は体そのものが魔器(まき・杖などの魔力を操る道具)のようなものなので魔法を扱うことができる。そのため、魔物などはよく杖の材料などに使われる。
「魔族を狙うなど、魔王をこらせるつもりか」
アルエは気絶している賞金稼ぎから情報紙を奪って眼を通す。
「ふん、妾がカルア王国を滅ぼしたか。…まあ、間違いではないのかもな」
情報紙にはアルエが王国を滅ぼして逃走中であり、賞金がかけられていることまで書かれている。
「顔が載っておらぬ。これではどの魔族だかわからぬではないか。…乱獲するつもりか」
魔族はこの世界ではめずらしい。どこかに魔界へ通ずる道があり、そこには多くの魔族が暮らしていると聞く。言い伝えでは数百年前に互いに干渉しないことを約束してそれ以来交流がないといわれている。
「妾のせいで、平和に暮らしていただけの魔族に迷惑がかかるのか」
魔族は差別こそされているが、この世界で平和に暮らしていた。アルエは胸が痛むのを感じながら村を目指す。やっとの思いでたどり着いた村。
「こ…これは」
村には、どこから集めてきたのか多くの魔族が外に設置された牢屋に入れられている。
「早いとこ引き取りにきてくんないかな。魔族なんて見たくもないってのに」
「まあそう言うなよ。こんなかに犯人がいればこの村に一遊んで暮らせるだけの金が舞い込むんだからよ」
アルエが近くにいるのも気づかずに、村人が酒を飲みながら話している。
「それに、犯人見つからなかったら全員殺すんじゃないか? どうせいたっていなくたって変わんないだろ。見た目が対して変わんなくても、赤い血が流れてるわけじゃないしな」
「はは、ちがいない。てか、血が黒くてよく生きていけるよな。気持ち悪い」
「…口を閉じろ、愚か者ども。風刃」
アルエの放った刃は折を切り裂き、魔族たちを解き放つ。
「貴様、なんてことを!」
「カルア王国を滅ぼしたのは妾じゃ。罪もない者たちに、これ以上危害を加えるなら、この村を消すぞ」
「に、逃げろー!」
強い物言いをしていたくせに、逃げるのは早い。向かってくるかと思えば、全員がアルエの纏う闇の魔力に恐れ、逃げていく。
「あ、ありがとうございました」
「気にするな。もういけ、後は妾がなんとかする」
「は、はい。…あの、人間ですよね?」
「…そうじゃ」
話しかけてきた一人の魔族。だが、彼女にはアルエが魔族には見えないようだ。
「そうですよね。すみません」
「…なあ、妾が人間に見えるか?」
檻から出て、逃げようとしていた他の魔族たちの視線も集まる。
「人とは少し違う感じもしますが、私たちと同じには感じません」
「…そうか」
どうやら呪いで体は魔族になっていても、純粋な魔族からすればまがい者のようだ。だが、人には魔族に見えることに変わりはない。
「あなたは、どちらに行かれるのです?」
「妾が王国を滅ぼしたと言って回る。そうすれば、お前たちは狙われぬだろう」
正直、アルエの心は狂い始めていた。そんなアルエを動かしているのは、カルア王の娘という誇りと、ドウヒに対する憤怒しかない。その後、さっきの村人が呼んだのか、天馬や竜にのった兵士たちが上空を飛び始める。アルエは森を見つけ、兵士の眼を気にしながらゆっくり森へと近づく。
「これでいいかの。風刃」
アルエは逃げ道を確保し、中に乗っている兵士に向かって風の刃を飛ばす。風の刃は鎧に当たり、ほぼ無傷だが、敵はアルエの存在に気付く。
「貴様、魔族だな」
「そうじゃ、この顔をよく覚えておけ。妾が、カルア王国を滅ぼした張本人だ。じゃから、もう他の魔族に手を出すな!」
「全隊包囲! 奴を滅しろ!」
「ちゃんと覚えておけよ。神激の雷槌(ゴルリド、ボルハント)!」
すると、天から巨大な雷が落ちる。
「な!」
強い閃光により、兵士たちは目がくらんでアルエの姿を見失う。
「くそ! どこいった」
雷が消えたあと、そこにもうアルエの姿はない。
「そこの森に逃げ込んだな。探せ!」
兵士たちは森へと入り、逃げられないように空からも監視する。
「一生探しておれ」
だがアルエは森にはいない。森とは反対方向の道を歩いていた。しかし、兵士たちにはそれが見えない。それはアルエが家宝のマントを纏っているからだ。魔力を込めることにより様々な能力をはっきするといわれている。
「こいつがあって助かったの」
そしてアルエは姿をくらませた。増援を呼び、森の中をくまなく探す。だが、見つかることはない。兵士たちはアルエの顔を公開し、さらに賞金を上げた。これにより他の魔族が狙われることはなくなる。だが遠く離れた地で、公開されたアルエの顔を眺める者が一人。
「さてこの顔は…まさかのう」
光の賢者と謳われる老人がアルエの顔を見て頭をかしげていることを、このときは誰も知らない。
【大罪の闇を持つ賢者】
アルエは姿を消してから、ある魔法を必死に学んだ。仮面仮装、簡単にいえば変装の魔法だ。姿をさらしてしまったので情報を集めにくくなってしまったのである。そのため上級の魔法使いにも見破れないほど完璧な仮面仮装を身につけようと必死になっていた。なぜなら、ばれて兵士に囲まれてしまえば命はないからだ。
「ここまでできれば大丈夫じゃろう」
数年、アルエは耐え忍び何とか完璧と呼べるほどの仮面仮装を手にした。そして顔や姿を変えて街で情報を集める。ドウヒの行くへを探し、ある闇業者から有力な情報を得る。
「ああ、数年前にカルア王の神官をしてた奴か。あいつなら今は闇の賢者の弟子になったって噂だ。王を助けようと頑張ったが何もできず、もっと力がほしいと頼み込んだと聞いている」
「確かか?」
「さあな。闇の賢者については謎が多いからな。噂じゃ大罪の闇を持ってるってらしいが、まず人前に姿を見せないから。でも優秀だって話だぜ。ドウヒもそれに劣らないくらい強くなってるとか。近いうちに闇の賢者になるとも言われてる」
「…賢者か」
「情報はやったんだ、もらうもんはもらうぜ」
アルエは差し出された手に金貨の入った袋を握らせて去ろうとする。
「こんなにいいのか?」
「ああ、妾の気が変わらぬうちにしまえ」
「そんじゃおまけだ。近々、グローリア王国で式典が開催されるらしい。いろいろなお偉いさんが呼ばれてる。もしかしたら闇の賢者も来るかもしれないぜ」
「…来るのかこないのかはっきりしないのか?」
歩みを止めて、業者へと視線を向けた。
「調べられなくはないが、今のところ買いそうな客が居ないんでね」
「これならどうじゃ?」
アルエはローブの中から先ほど渡した袋の十倍はありそうな袋を放った。中には金貨がぎっしりと詰まっている。
「マジかよ。一日くれ、何でも調べてやる」
「頼んだぞ。ただし…」
アルエの視線が鋭くなり、空気が凍りつく。
「わからなかったらただでは済まさんぞ」
「は、はい」
アルエはそのまま店を去るが、業者の冷汗は引かない。
「…あいつ、何者だ。こりゃマジで調べねーと命にかかわるな」
業者は店を閉め、情報を集めにあちこちをかけずり回るのだった。
数日後の夜、グローリア国のはずれにアルエが姿を現す。変装はせずローブで全身を隠し、殺気を抑えて道の真ん中にたたずんでいる。そしてアルエの視線の先に、二つの影が近づいてきた。
「あの情報屋、なかなか優秀じゃのう。本当に来おった」
二つの影はアルエの前で止まり、ローブのフードで隠していた顔を出す。
「はて、どこかで見たような顔だな。…そう、確かカルア国を滅ぼした魔族の顔だ」
「そなたが闇の賢者か?」
「いかにも。あまり人目に付くのが好きではないからこうして夜に出歩くような変人だよ」
「普通、自分で自分を変人と呼ぶか?」
互いに言葉を交わすが、アルエの視線は闇の賢者の後ろに立つもう一人に向けられている。
「さて、お嬢さんは私にいったいなんのようかな?」
「おぬしに興味なぞかけらもない。…ようがあるのは貴様じゃ、ドウヒ」
後ろに立っていた男もフードをとり、ドウヒが顔を出す。
「ドウヒ、お前に用があるようだが」
「とくに思い当たることはありません。むしろようがあるのは私の方です。カルア王の仇、ここでとらせてもらいます」
ドウヒは杖を構え、先をアルエへと向ける。だが、アルエは拳を固く握りしめていた。
「よくそんなことが言えたなドウヒ。仇を討つのは妾の方じゃ。妾がこの数年間、どんな思いで生きてきたか…すべて貴様のせいじゃ! 風刃、炎刃」
拳を解いて右手と左手で別々の刃を出してドウヒへと飛ばす。
「何を訳のわからないことを。私はこの数年間、王の仇をとるために賢者の元で修業を積んできた。全てはお前を倒すために! 魔雷刃」
ドウヒは闇を纏わせて威力を高めた雷刃を放ち、それぞれの刃は相殺する。だが、相殺すると同時にアルエはすでに新しい呪文を唱えていた。
「氷結の魔王。極寒の力にて全てを止めん。大気の熱を奪いて咲き狂え。『氷雪華』
放たれた魔法は周囲を凍りつかせ、大気中の水分を集めて眼前に巨大な氷の花を咲かせる。
「まだじゃ! 神の―」
「よしなさい」
さらに魔法を放とうとした時、闇の賢者がアルエの前に立ちはだかる。さらにアルエは両手を掴まれて逃げられない。
「放せ! 邪魔をするな!」
「もうよしなさい。何があったかは知らないが、近所迷惑だよ。何もこんな場所でやることはないだろう。それに、お嬢さんではドウヒには勝てないよ」
「ふざけるな! 妾は、あいつを殺すためにずっと生きてきたんじゃ」
「怒り鎮めなさい。でなければ“魔眼”を使うよ」
闇の賢者の言葉にアルエは暴れるのをやめる。魔眼の恐ろしさはかつてドウヒが使っていたので理解していた。
「うん、お嬢さんは賢いね。私は怠惰の闇を持っている。怠惰の魔眼の力は喪失。おもに精神や感情を消しさることができる力だよ」
ドウヒの持つ嫉妬の魔眼が物体を消す力なら、怠惰の魔眼は精神や感情などの実態のないものを消しさる力を持っている。
「正直面倒だけど、私も賢者なのでね。お嬢さんを拘束させてもらうよ。でも、どうしてそんなに怒っているのか理由を聞こう。…何もなく、大罪の闇が宿ることはないのだから」
「どうせ殺すのだろう。妾はドウヒさえ殺せればどうなってもいいのじゃ」
「私は知りたいのだよ。お嬢さんの中にあるその憤怒がなんなのか」
闇の賢者は気付いていた。アルエの中に、自分と同じ大罪の闇があることを。
「どうせ、言っても信じてくれぬ。だから、妾は奴を殺せればそれでよいのじゃ!」
「落ち着きなさい!」
闇の賢者のどなり声が周囲に響くと、アルエは全身から力が抜けたように倒れこむ。
「少し、憤怒の感情を“喪失”させてもらったよ。落ち着いたかな?」
「…………」
アルエの眼は虚ろで、視点が定まっていない。少しというが、だいぶ感情を喪失したように見える。
「…これが、魔眼の力か。その気になれば、対象を生きる屍に変えることも可能な訳じゃな」
「そんな面倒なことはしないけどね。さあお嬢さん、御同行願いますよ。話を聞くまで死なせはしませんから。身の安全は私が保証します」
「なぜじゃ? 普通なら、この場で殺すのが当然であろう?」
「さっきも言ったように、大罪の闇はそう簡単には宿らない。そんな大罪の闇がお嬢さんの中にある。そして魔族に大罪はない。だからお嬢さんは本当は人間なのでしょう?」
闇の賢者には、アルエが人間に見えている。そしてアルエの話を聞こうとしていた。魔族にされてから初めてのことだ。アルエが、カルア王国でドウヒが何をしたかを話せば信じてもらえるかもしれない。今は憤怒を“喪失”しているので、アルエの心は微かな希望に満ちる。
「妾の話を聞いてくれるのか? 妾の、話を…」
話を聞いてもらえるとうだけで、アルエの瞳から涙があふれていた。
「それは困るんだよ。お姫様には、王国を滅ぼした魔族として死んでもらわないと」
「! ドウヒ…お前、やはり」
「残念だよ先生。もう少し嫉妬してから殺すつもりだったのに」
アルエの顔や服が血に染まる。しかし、何が起こったのかすぐには理解できないでいた。
「ククク、まあどうせ近いうちに賢者の称号はもらうつもりだったしいいですけどね。…先生も愚かですね。私と一緒にお姫様を殺していれば、もう少し長生きできたのに」
賢者の後ろにドウヒが立ち。氷の槍が賢者の体を貫いている。アルエは、賢者の血で真っ赤に染まっていたのだ。
「ククク。お姫様を生かしておいたのは正解だったな。まさかこんなに早く賢者になれるなんて思わなかった。この爺さん、怠惰の闇のくせに隙を見せなくて困ってたんだよ」
「なぜじゃ。なぜ貴様は…」
「決まっているだろう。賢者の称号が羨ましかったんですよ。賢者の称号があるだけで特別扱い。私も大して変わらない力を持っているのにいつまでも弟子なんてありえないでしょう」
力尽きた賢者はその場に倒れ、アルエは絶望に満ちた瞳をドウヒに向ける。
「いい顔だ。人間のそういう表情は好きですよ。実に醜い。…このまま、あなたも殺すとしましょう。そして私は英雄となる。カルア王と賢者の仇をとり、新たな賢者として崇められてね」
賢者の亡骸から氷の槍を抜き、アルエに向ける。
「さようなら、お姫様」
「誰か居るのかー!」
周囲が凍り付き、血のにおいも満ちている。異常に気付いたグローリア国の兵士がやってきたのだろう。周囲に人の気配が現れる。
「ち、まあいい。いまここであなたを討つのは簡単ですが、またにしましょう」
ドウヒは氷の槍を地面に突き刺すとアルエに背を向けて立ち去る。
「誰か、誰か居ないか! 魔族に襲われた!」
全ての罪をアルエにきせて。ドウヒは兵士へ保護される。取り残されたアルエは立ちあがり、兵士に囲まれるその場を立ち去る。だがその瞳にもう涙はない。絶望と、憤怒に満ちた魔眼があるだけだった。
翌日、式典は闇の賢者の継承式へと変わっていた。観客席でアルエは怒りを堪えながらその式典を眺めている。闇の賢者を殺したのはアルエとされ、空いた闇の賢者の席へドウヒが座る。そして各国の王から認められ、闇の賢者へと任命された。それと同時にドウヒは力と権力を得たのだ。
(妾が、何をしたというのだ)
これ以上怒りを抑えきれないと判断したアルエは会場を後にする。怒りに身を任せて暴れようと、今の自分の力では賢者の元にたどり着くことすら不可能だと理解しているのだ。
「そこのお嬢さん、ちょっとよいかの?」
「誰じゃ、貴様」
人気のない道でアルエの前に現れた一人の老人。だが、ただ者でないことはよくわかる。だが、どこかで見たような気もする顔だ。
「これは失礼、わしは光の賢者をしておる『シリス』というものじゃ」
「光の…賢者!」
式典ではドウヒを睨みつけてばかりいたが、確かに賢者の中に居たような気がした。
「ほほほ、これは幻影なので実体はない。そう身構えるな。本体はちゃんと式典におる」
言われてみれば少し透けているようにも見える。
「妾になんのようじゃ?」
「単調直入に聞く。…お前さん、本当に闇の賢者を殺したのかね?」
「…妾に、そんな力があるように見えるか? おめでたい奴じゃの」
怒りにより憤怒の魔眼が現れた。それを見たシリスは目を細める。
「ほう、大罪の闇か。じゃが、確かにおかしいの。あいつの死因は魔眼によるものではなかった。そして、お嬢さんにはそんな力はないように見える」
「…闇の賢者を殺したのはドウヒじゃ、まあ信じぬだろう。妾の言葉なぞ、誰も聞いてくれぬのじゃ」
「なぜそう思うのかね?」
「…貴様は魔族の言うことを信じたことがあるのか? 少なくとも、魔族にされてから妾の話を聞こうとするやつは闇の賢者くらいしかおらんかった」
そしてアルエはシリスに背を向けて立ち去る。
「どこに行く? 一体何が目的なのだ?」
「妾はドウヒを殺す。もう誰も信じない。これから先どれだけの年月がかかろうと、奴は妾の手で殺す」
憤怒に満ちたアルエには、もう誰かにカルア王国でのことを話す気はなかった。一人で復讐を果たすと決めたのだ。また自分のせいで、誰かが死なないように。そしてアルエが向かったのは、あの情報屋だ。
「ど、どうも。次は何の情報をお求めで?」
だが、ドサッという音と共に、情報屋の前に人ひとり入りそうな袋に詰め込まれた金貨が置かれる。
「何としても調べろ。…魔界への行き方を」
情報屋の表情は凍る。伝説に近い魔界への行き方。もしわからなければ死が待っていると感じたからだ。
「ま、魔界へ行って何をするおつもりで?」
「おぬしには関係のないことじゃ。じゃあ頼んだぞ」
アルエは金貨を置いて立ち去る。それから情報屋はあらゆる手を尽くして情報をかき集める。魔族の集落に踏み入り、遺跡なども調査させる。そして数日が経ち、アルエは再び店に訪れた。
「情報は手に入ったのか?」
「い、いくつか仮説のようなものや伝説はありますが、いろいろと」
「聞かせよ」
「ど、どこかに魔界への入口があり、そこを守っている魔族がいるそうで、ただ場所は魔族間でも知らないようで、そういう場所があると口伝えに伝えられているらしく」
情報屋は冷汗をかき、背中はすでに濡れていた。
「他は?」
「い、一番可能性が高いのは『影を歩く者』という絶対種の魔物の説です」
「あの実体がなくて、目撃情報はあれど全てが謎に包まれているというあれか?」
「はい。でも魔族の話では、あの魔物には空間転移の力があるらしく、この世界と魔界を行ったり来たりできるそうです」
「つまり、その魔物を使えば魔界へ行くことができると?」
しかし、影を歩く者という名の通り、影に潜んでいる魔物であるため捕えることは難しい。
「もちろん、影を歩く者の情報も掴んでいます。この街から少し離れた場所に魔物がすんでいる山があり、その山に住み着いている影を歩く者がいると」
「ほう。魔物が住み着く山か」
「なんでも魔力に満ちた山らしく、最強種の竜の生息も確認されているとか。そして人ではまず近づけないほど険しく大きな山だそうです」
「…わかった。行ってみるとしよう。お前はその入口を守っているという魔族を探せ」
アルエは持てるだけの武器や食料を持ち、馬で山へと向かう。全ては、ドウヒを倒す力を手にするために。
【魔界を目指して】
山が近づくにつれて今がおびえ始める。まだ距離はあるが、禍々しい魔力と殺気で満ちた山が、その視界に入る。
「近くで見たらどれほどのでかさじゃ。山頂付近は雲で見えぬではないか」
だが、見えている山も一部でしかないようだ。奥の方はさらに山が連なっている。
「…これは登るのも大変そうじゃの」
アルエは怯える馬をなだめながら先を進む。日没前に麓に着いたが、近くで見ると誰も近づかないというのがよくわかるほどの不気味さだ。
「ここで待っておれ、結界を張ったから安心じゃ」
馬を近くの草原に立たせ、周囲に結界を張る。周囲の視界も遮断したので馬は安心したようだ。
「できるだけ早く戻る」
馬をその場に残して登り始めた。だがあまりにも広く巨大な山々だ。全てをまわろうとするなら長い年月を要するだろう。それでも、アルエは登り続ける。
「やれやれ、周囲に殺気を感じるのう」
そこはすでに魔物の巣窟。狙われて当然なのだ。そして少し開けた場所に出た際、それは現れた。
「…妾も運が悪いのう。さっそく竜と出くわすとは」
待ち構えていたかのように、5メートルはありそうな竜がアルエを見下ろしている。普通の人間ならば恐怖で動けなくなるだろう。だが、アルエの精神はすでに憤怒で満ちている。
「邪魔をするなら、容赦はせんぞ」
怒りに反応し、憤怒の魔眼が現れた。アルエ自身まだ己に宿った大罪の闇を知らず、魔眼の能力も理解していない。だが、魔物にとってその眼に睨まれるということは死を意味するということを本能で悟る。
「なんじゃ、見逃してくれるのか?」
最強種と言われる竜が魔眼に恐怖し、怯え、動かなくなった。アルエはその横を通り、奥へと進む。それからは、魔物がアルエに近づくことはなかった。
「いったい、どこまで行けば出会えるのかのう」
それから数日、山をさ迷うがどの魔物とも出会うことはなくなっている。空は厚い雲に覆われているからか、昼間だと言うのに周囲は暗い。崖の上に立ち、周囲を見回してみるが、眼下には登ってきた山が広がり、その向こうに馬を置いてきた草原、そのはるか向こうに小さく街が見えるだけだ。
「はあ…」
アルエはため息をついて視線を落とす。そろそろ山を下りようかと悩み始めていた。
「ん?」
だが、信じられない物が視線に入る。それは自分の影。だが、暗がりであるはずなのにはっきりと影が見えるのだ。
「もしや、妾の影に…」
(…………)
すると、アルエの影の中から人の形をした影がはい出してくる。さすがにアルエも驚きを隠せないでいた。
「お前が、影を歩く者か」
(…………)
絶対種、それは賢者や王族でなけれが相手にできない存在。あるいは、王族や賢者ですら倒すことのできない存在に指定される。アルエはその意味をなんとなくだが理解していた。影から出てきてからの圧倒的な存在感。そして、内に秘める強大な魔力。数日前に現れた竜とは比べ物にならない力を示していた。
(…………)
「何か、話そうとしておるのか?」
すると影を歩く者から、手のような影が伸びてアルエの頭の上に乗せる。
(ヨク、私ノ存在二気付イタナ)
頭の中に、直接声が響く。だが、話すというよりは言葉をつなげているだけのようにも感じる声だ。
(私二、何ノヨウダ?)
「ま、魔界へ行きたいのじゃ。そなたの力を使えば行くことができると聞いた」
(アソコヘ何シニ行ク? モウ数百年モコノ世界トノ繋ガリヲ断ッテイル場所ダゾ)
「妾は、力が欲しい。魔界はこの世界よりも魔法が進んでいると聞いた。向こうなら不老不死になることもできると」
だが、実際に不老不死になれるという保証はない。それでも、賢者となり長命となったドウヒと戦うには自分も賢者くらい強くなり、長命となるしかないのだ。
(魔界…。確カニアソコナラ不老不死二ナル事モデキヨウ。ダガソコマデシテナゼ、力ヲ求メル?)
「復讐するためじゃ。妾から全てを奪い、罪を着せ、のうのうと生きているあ奴をこの手で殺すためじゃ」
アルエの瞳は魔眼へと変わり、影を歩く者を見据える。
(魔界デ更ナル地獄ヲ見ル事二ナルカモシレンゾ? ソレデモ行キタイカ?)
「どんな地獄でも、奴を殺すための力が入るなら超えてみせる」
(ナラバ、送ッテヤロウ。ソノカワリ、私ハドウナッテモ知ラナイカラナ)
「待ってくれ」
だがアルエの瞳から魔眼が消え、怒りが引く。
(怖気付イタノカ?)
「違う。下に馬を待たせておるのじゃ、そのままでは可哀想であろう」
(ナラバ、モウ暫クオマエノ影二居ルトシヨウ。我ガ一族ハ気二入ッタ者ノ影二入リ、ソノ者ノ魔力ヲ喰ラッテ生キル)
そして影を歩く者は手を引っ込め、アルエの影へと消える。
(大罪ノ闇二蝕マレナガラ、他ノ者ノ事ヲ気二カケルトハナ)
影を歩く者の声はアルエに届いてはいない。アルエは急いで山を降りた。
「待たせて悪かったのう」
真っ先に周囲に張った結界を解き、馬に乗る。
「街に帰ろう。じゃから安心せい」
来た時と同じように馬をなだめながら、街へと帰った。そこで馬を返し、街を出て人気のない場所へと出る。
(…………)
「もうよい。送ってくれ」
影を歩く者が姿を現し、手のような影を広げる。
「絶対に帰ってくる。その時は、必ず貴様の息の根を止めるぞ、ドウヒ」
(…………)
影を歩く者は広げた影で抱きしめるようにアルエを包む。そして、アルエは影を歩く者の中へと吸い込まれて行く。そしてアルエの姿が完全に消えた時、影の歩く者も姿を消したのだった。
第二章『闇の賢者』
【秘薬の対価】
アルエが目を開けると、そこは村の側ではなかった。見たこともない草花が咲く草原。イメージしていた魔界とはだいぶ違う。青空が広がり、とてものどかであった。
「…地獄のような場所をイメージしておったのだがな」
もっとも、地獄も実際に見たことがないのでどんな場所かはわからないのだが。そしてその場居ても何も始まらないので街を探して歩きだす。似たような生物や草花も見かけるが、やはりアルエが居た世界とは別世界のようだ。
「そこのお嬢さん、あんた人間かね?」
突然の声に周囲を見渡すが誰もいない。
「上だよ上」
声の言う通り空を見上げると、空中に立っている男性が一人。
「な、なぜ空中に立っておる!」
「なぜって、それは歩くのが面倒だからだよ」
男はアルエの眼の前におり、珍しそうな目でアルエを見つめる。
「人間を見るなんで500年ぶりかね。あの頃はまだ交流があったのだが」
「500年?」
「ああ、人間は長生きしても100年かそこらか。強大な魔力で数百年生きる者もいるらしいけど」
悪い人ではなさそうだが、見た目は人と大して変わらない。魔族と言うくらいだから牙や角を持つのかと思っていた。
「お嬢さんはいくつかね?」
「二十歳かそこらじゃ」
「ほうほう、人間で言えば成人はしているのか」
「それより、近くに街はないのか?」
魔族の視線に、少し腹が立ち始めていた。
「歩いて2日もかかるところに村はあるが、あそこは止めた方がいい。行くなら一週間ほど掛かるが魔王が住む国へ行くのが一番だ。あそこは魔王の力が行きとどいてて安全だよ」
「そうか、わかった」
「悪かったね。では私は失礼するよ」
魔族は宙に浮くと、ものすごい速度で飛んでいく。あれなら確かに歩くより楽だろう。
「どうせなら方角を教えてくれてもいいじゃろうが」
仕方なく目の前にある道をまっすぐ進む。その先に何が待っているのかも知らず。だが、二日ほど経って村が見えた。おそらく魔族が行かないほうがいいと言った村だろう。
「うーん、来てしまったのう」
だが、入らなければ何も始まらないので村へと踏み込む。村の中では村人と思われる魔族が仕事をしていた。
「…人間?」
村の魔族がアルエに気付き、集まってくる。
「これが人間か、始めてみた。見た目は大して変わらんが、こうも違うのかい」
何がどう違うのかアルエにはわからないが、人と魔族には壁があるらしく、見ただけで人かそうでないかがわかるのは確かだ。
「どけお前ら、客人は領主さまの所へ連れていく決まりだろう」
村人よりも少し高そうな服を着た魔族が歩み寄ってきた。
「どうぞ奥へ。領主さまがお待ちです」
「いきなりじゃの」
だが、領主ならばいろいろな情報を持っているだろうとその者たちについていく。案内されたのは村の一番奥にある大きな屋敷。その中の応接間のような部屋で待たされる。
「お前が客人か。懐かしい、確かに人の魔力だ」
入ってきたのは大富豪と言わんばかりの装飾を身に付けた男だ。小さいこの村でこれほどの男が領主をしているのが不思議に思えてくる。
「何しに来られたのかな? せっかくですからできる限りのことをいたしますよ」
「実は魔界に来たばかりでこの世界のことをよく知らぬのじゃ。そして、探しているものはいくつかあるが、今は不老不死の秘薬を探している」
「ほう、不老不死の。確かに、昔はそれを求める人間が多く居ましたな。そのままこの世界に住み着いた人間も何人かいますよ」
「では、実在するのじゃな?」
男はさわやかな笑顔で頷く。この時アルエは、自分が魔界に来たことは間違いでなかったと安心する。
「ですが、魔族でその秘薬を欲する者はほとんどいないのですよ。長命のため、不老不死に興味がないのです。そして数百年前に人間界との交流を断ってからは作られなくなりました」
「ならば、もうないのか?」
「あるにはあるのですが、世界に数個と言ったところでしょう。そして何より高額だ」
「金なら何をしても手に入れる。妾は、どうしても生きねばならぬのだ」
アルエの言葉に、男は首をかしげて考え込む。
「何をしてもですか。…実は、一つだけ私の手元にあるのですよ。不老不死の秘薬が」
「本当か!」
「ええ、ですが私も特に不老不死に興味はなくて、ずっと保存している状態の物です。そうですね、お金がないのでしたら体で払ってもらってもかまいません」
「か、体じゃと…」
「おや、変な意味でとらえないでください。この屋敷の給仕として百年、働いてください。おそらくどこでもこれくらいの条件だと思いますよ」
そう言うと、男は部屋を出ていく。そして、箱に入った小瓶を持って戻ってきた。
「保証書付きの本物ですよ。お品物は先にお渡ししましょう。そして不老不死になって百年ほど働いてください。もっとも、お時間があればですけど」
「条件はそれだけか?」
「ええ、まあこの契約書にサインしていただきます。住み込みで百年。悪くない条件だと思いますが。…それに、他の街へいってすぐに見つかるという保証はありませんよ」
もう作られていない。それが本当なら、目の前にある秘薬は確かに本物のようだし、またとないチャンスだ。
「百年で、いいのじゃな」
「もちろんです。百年経てば自由です」
「わかった」
アルエはペンをとり、契約書に目を通す。魔族の言葉で書かれ、内容はよくわからなかったが、男を信じてサインした。
「では、お飲みください」
そして差し出された小瓶を開け、秘薬を一気に飲み干す。
「…飲んだな」
「ん!」
すると、アルエの首に赤い首輪が現れた。
「契約成立。これから百年、お前は奴隷だ」
「奴隷じゃと!」
すると、首輪の影響なのか契約書の文字が読めるようになる。そこには間違いなく、秘薬の代金として百年奴隷となると描かれていた。
「貴様、騙したのか!」
「何を言ってんだ。最初から百年間奴隷だって話してただろ」
「な…」
「そう言えば、給仕と違って奴隷は何をされても文句は言えない。せいぜい楽しませてくれよ」
魔法を使おうとしたが、魔力が操れず、そして憤怒も湧きあがらない。
「無駄だ、その首輪はお前の力を封印する。そして俺の命令には逆らえない。今日から百年、お前は俺の“物”だ」
王室育ちであったアルエにとって騙されたのは初めてのこと、自分が情けなく思える。だが、絶望は湧けども怒りは湧かない。憤怒の闇は怒りを力とする。そのため、怒りの感情も力とみなされ封印されているのだ。
「お前どっかのお姫様か? とても平民とは思えないな」
百年の絶望。逆らうこともできず過ぎる日々。拷問、暴力、薬漬け。何をされても抗えず、アルエの心は崩壊へと向かう。そして闇の底へと。
【憤怒の魔眼】
百年、長く続いた絶望が終わろうとしていた。だが、すでにアルエの精神は崩壊し、生きる屍となっている。言われるがままに従う人形。
「まったく、やめられない仕事だな。今月で3人、こいつは百年かけた最高傑作。誰が買ってくれるかな」
男の正体。彼は若い魔族を似たような手口で奴隷にし、精神を壊して従順な人形にしてから貴族などに売り渡す。物好きな貴族は高額な金を出してその人形を買い取るのだ。
「お前は不老不死にもしてやったんだ。こんだけの別嬪でしかも人間。今までで一番高く売れるだろうな」
そして百年の時が経ち、アルエに付けられた赤い首輪が外れる。だが、精神が崩壊しているので何も変わらない。
「奴隷でなくなっても、人形なことには変わらない。最高の仕事だ」
そして男はアルエへ手を伸ばし、連れて行こうとする。
「汚らわしい手でこれ以上触れるな」
「! なんで!」
男の手を払い、アルエの右手が男の首を持ち上げる。
「ぐっ! 苦…し、い」
「ようやく理解できた。…妾のうちに宿る大罪、それは憤怒であったか。首輪が取れて、封じられていた怒りの感情のおかげで精神が蘇った」
男の体を片手で持ち上げる力。怒りによって脳の制御が外れているようだ。
「殺した程度で妾の怒りが収まると思うなよ。百年の間に刻まれた怒り、死ぬまで味あわせてやる」
だが、男の顔は青ざめ始める。
「と思っていたのじゃが、この力は扱いが難しいな。…面倒じゃ、もう死ね」
そして、憤怒の魔眼が男の命を奪う。“即死”の力を己の意思で操って。
「即死…声を上げる間も瞬きをする間もなく、一瞬で命を狩る魔眼。お前は自分が死んだことにも気付かず、気付いときにはすでに地獄におる」
アルエは男の亡骸を放り投げ、屋敷を徘徊する。そして広い屋敷のあちこちに奴隷にされた魔族の姿がある。中にはすでに精神が崩壊している者いた。
「契約書さえ消えれば、首輪も消えるであろう」
アルエは金庫をこじ開けて契約書を焼き払う。そして囚われの魔族を開放してまわった。だが、すでに精神の壊れているものは、光の魔法を使えないアルエにはどうしようもない。
「ここで、死なせてやるのがお前たちのためかもな」
憤怒の魔眼が、人形と化した魔族に向けられる。
「…行くか」
だが、殺せなかった。これからどうなるかもわからないとはいえ、魔眼を使うことができなかったのだ。
「貴様、なぜ動ける!」
「うるさい。…貴様らも同罪じゃ。死ね」
男の部下であった者には迷わず使えるのに、得た魔眼の力に自分自身が恐れていた。幸い、家宝のマントなどはまだ残っており、それらを纏って村を出る。村の者も領主がしていたことを知っていたのだろう。アルエが自ら屋敷を出たことに村中が驚いて居た。おそらく金でも掴ませて黙っていたのだ。
「みんな、同罪じゃ」
アルエが村を出た時、生きていたのは奴隷であった魔族のみ。それ以外の者は全て屍と化していた。それから数日歩いた所で、黒竜に乗った兵士に取り囲まれる。
「王のご命令だ。御同行願おう」
「王とは魔王のことか? 悪いが妾は死ぬわけにはいかぬ。邪魔をするなら殺して行くぞ」
「勘違いなさるな。王は客人としてあなた様をお連れするようにと」
「殺人鬼を客人として招くとは、変わった王様じゃのう」
アルエは兵士に連れられて街へと運ばれる。巨大な城があるため王国と言った方が正しいかもしれない。そして黒竜は城の敷地内へと降り立つ。
「こちらへ」
兵士に案内され、城の奥へと通される。だが、案内している兵士が怯えているのは分かっていた。即死の効果を持つ魔眼に、見つめられているのだから当然だが。
「ここでお待ちください」
通された部屋には何人かの給仕が控え、テーブルの上にはティーカップが置かれている。
「何かお飲み物は?」
「魔界の飲み物はわからぬから任せる」
すると何人かの給仕は厨房へと消えていく。
「君が、村を壊滅させたという悪魔かい」
「…そなたがそんな悪魔を城へ招いた変わり者の魔王か?」
入ってきたのは、魔王と呼ぶにはまったく覇気が感じられない優男だった。
「悪いね。何百年経っても変わらなくて」
「魔王でなくとも変わり者であろう」
「それはそうと…魔眼を消してくれるかい? みんな怖がっているよ。ほら、僕は武器も持ってないし」
「魔法を使う者が相手を殺すのに、武器なぞ不要じゃ」
だが、魔王に敵意を全く感じないので、とりあえず魔眼を消す。そもそも不老不死になっているのでそう簡単には死なないのだが。
「いやー、しかし驚いたな。村を壊滅させた悪魔がこんな美人だなんて」
「美人…か」
笑顔を絶やさない魔王から目を逸らしてため息をつく。
「して、妾をわざわざ城へ呼んだのはなんでじゃ? 村を壊滅させたのは事実。隠すつもりはない」
「…確かに、村の人を死なせたのはよくないと思う。でも、許せない気持ちはわからないでもない。だから聞きたいんだ。あの村で一体何があったのか」
「ふん。何も残っておるまい。証拠になるようなものは焼き払ってしまったからの」
「でも、証言はたくさんとれた。君が解放した民からいろいろ聞かせてもらってるよ。確かに多くの命を奪ったことは許せないけど、みんな君に感謝していた」
アルエは仕方なく、村での百年間を話した。精神が崩壊していても記憶は残っていたのだ。思い出すたびに、憎悪と憤怒が湧きあがるのを抑えながら。
「そうか。それは辛かったね」
「同情なら入らぬ。そのあと皆殺しにしてしまったからの」
「いや、こちらこそすまない。できたら、魔界を嫌わないでほしい。魔界はいいところなんだ。…差し支えなければ、どうして魔界へ来たのか、君が誰なのかを聞かせてほしい」
「話してどうなる?」
だが、無垢ともいえる魔王の笑顔に負けて全てを話す。百年前にもう誰にも話さないと決めていたはずのことを。
「…そうか、それで魔界に。人間界では魔族に対して差別をしているのか」
「信じるのか? どこの誰ともわからぬ者の言葉なぞ。しかも村一つ滅ぼしたんじゃぞ」
「うん。正直、許せない気持ちはある。でも僕も同じことをされたら、同じことをしてしまうかもしれない。だから、ちゃんと話を聞いて判断したかったんだ」
だが、より一層明るい笑顔をアルエにむける。
「それにアルエ・カルア、君は大変だったと思う。秘薬についても嘘を言われているしね。確かに作ってないけど、誰か欲しがる人が居ればいつでも作れる準備はしてあるんだよ」
「そ、そうなのか?」
「そして確かに材料は高額だけど、給仕を百年ていうのは妥当な労働だね。だから奴隷でなくて給仕なら何の問題もない契約だったよ」
笑顔でさらっと酷いことを言っているような気がする。
「つまり、騙された妾はバカだったと言いたいのか?」
「いや、そうじゃなくてね。…どうせならこの城で百年、給仕として働いて欲しかったかなって」
「…ん? 何を言っておる?」
いまいち話がかみ合っていない気がする。
「と、とにかくアルエ・カルア、君に罪はない。これは僕個人の決定ではなく、君が助けた民からの願いだよ。そして、君が民を開放してくれたから我々は気付くことができた」
「妾が居なければ、今でもあの男が非道な行いをしていたというわけか」
「そのことについては申し訳ない。けど、おかげでいくつかの貴族を取り締まることができた。だから、それでお互い手打ちにしよう。これは他の神官とも話し合ったから大丈夫」
「甘い国じゃの。妾の国ならどんな理由があれ、他人の命を故意に奪えば死刑じゃ」
もっとも今はその国も滅び、しかもアルエは人間。魔界のことに口出しできる立場にはない。
「確かに、甘いかもしれない。でも君を死刑にしても悲しむ者は居るが、喜ぶ者はいないから」
本当は魔王がいろいろしてくれたのだろう。魔界のことはよく知らなくても、他人の命を奪うことが大罪であることはどの世界でも同じはずだ。
「ところでアルエ・カルア、君はこれからどうするつもりだい?」
「…とりあえず、名を呼ぶのは止めてくれぬか」
「ではカルア姫で」
「いや…もうよい」
自分に向けられる笑顔に調子が狂ってしまう。魔族となってから、今まで自分に笑顔を向けてくれた者はいなかったからだが。
「魔王ならこの世界についていろいろ知っているじゃろ。誰か優れた魔法使いを知らぬか?」
「魔法を使う者? なぜだい。カルア姫もそうとうできるように見えるけど」
「…どうしても欲しいのじゃ。強い体が」
アルエの言葉に、魔王の笑顔が固まる。
「確かに、カルア姫のその体は呪いによって魔族に近い物にされている。でも、その気になればまだ戻せる。なのにわざわざ本物の魔族の体を手に入れるつもりなのかい?」
「確かに、元の体に戻れれば王家の血の力も、強大な魔力も戻る。じゃが、妾はもっと強い肉体が欲しいのじゃ」
「カルア姫、君は何の体を欲している?」
「絶対種に指定されている…真祖の吸血鬼の体じゃ」
吸血鬼は血を吸うことで吸った対象に呪いをかけて同じ吸血鬼にすると言われている。真祖とはいわばその始まりだ。一番最初に生まれた吸血鬼と言ってもいい。そして普通の吸血鬼ですら最強種に指定されるほどの戦闘能力を持っている。だが、それよりも強大な力を持つ真祖は絶対種とされていた。
「真祖ならば、得られる魔力は元に戻るよりも高く、それでいて高い生命力を得る。不老不死と合わさればそう簡単には死なぬ化け物と化すわけじゃ」
「…そうまでして、君は復讐に生きるのか?」
「魔王、妾が大罪の闇を持つのはそのためじゃ。妾はこの手で両親を殺してから復讐のためだけに生きてきた」
「それは操られてだろう」
だが、アルエはそう思っていない。自分がもっと強く、ドウヒを倒せるだけの力があれば操られなかったはずだからだ。
「今からでも、人に戻って生きようとは思わないのか? 望むなら大罪の闇を封印もできる。いくらでもやり直すことができるじゃないか」
「…魔王、どうしてお主は妾にそこまでする? 手打ちになった時点で妾にようはないはずじゃ」
魔王が笑顔を止め、真剣な表情になる。
「百年前、人が来たっていうのが噂になっていた。それから、僕はずっと会えるのを楽しみにしていたよ。それが、魔族のせいで酷い目にあっていた」
「それは、お主のせいではない。お主がそこまで気にすることでもないであろう」
「そうなんだけどさ。なんか、君の過去とか聞いてたら辛くなって」
「それは同情じゃ。王なら情に流されるな」
だが、王の視線は変わらない。
「たぶん、同情かもしれない。でも、一目見たときから魅かれていた」
「…は?」
「君がよければ、僕の妃になってくれないか? 向こうの世界に居場所がないなら、ずっとここに居ればいい」
「な、なぜそうなる」
突然のことにアルエの心は揺らいだ。そもそも王室育ちで、父親に大事にされて育ったアルエは恋をしたことがない。いつも不満なく暮らしていたからだ。そして王国が滅んでからは復讐のために生き、結局恋をしたことはない。
「だいたい、妾はこの世界で多くの者を殺めたのだぞ。それに…妾は汚れすぎている」
「罪のことは手打ちになっただろ。それに、僕には君の心が汚れているとは思えない。昔に聞いたよ。大罪の闇は心が綺麗なほど深くなるって」
「汚れているのは体の方じゃ。魔族でも人間でもない呪われた体で、そしてすでに何人かに…」
「僕は、気にしないよ」
妙な空気が漂い始めていた。いつの間にか給仕の姿もない。
「ま、魔王なのじゃろ。もう何人か決まった相手が居るのではないか?」
「残念ながら、今まで特に決まった相手はいないんだ。ただ、そろそろ跡取りが欲しくて、結婚を考えられる女性を探してた。…そして、君に一目惚れしたんだ」
普段は憤怒に満ちる心が、今は別なものに満たされている。
「…妾を真祖にしてくれる魔法使いを知らぬなら自分で探す」
「カルア姫…」
だがアルエの顔が赤く染まっているのは、向き合っている魔王からはよく見える。
「紹介、するよ。だから連絡が取れるまでこの城に滞在してくれないか?」
「わかった…」
そしてアルエはその場を離れようとする。心臓の高鳴りが聞こえるほど、体が熱くなっていた。
「今は、恋というものがよくわからぬし、どうしていいかわからぬ…だから」
入口の前で止まり、背を向けたまま呼吸を落ち着かせる。
「もし、本気で妾を好きなら落として見せろ。…滞在している間にな」
そしてすぐに部屋を出る。そして人気のない場所で、両手で顔を覆った。
「妾、さっき何を言った」
火照った顔の熱が両手に伝わり、心臓はまだ高鳴り続けている。不思議な気持ちだった。憤怒が消え、温かいのもで満たされる。
「これは、恋なのか。それとも、驚いているだけなのか」
憤怒の怒りが消えている事実。今のアルエは復讐者ではなく、一人の女性であった。
【決意】
それから、魔王は本気でアルエに求婚していた。食事は常に一緒にとり、仕事がない時はアルエの部屋を訪れる。そして今夜は魔界の酒を持ってアルエの部屋を訪れていた。
「妾を酔わせて襲う気か?」
「そんなつもりはないよ。それとも僕がそんな野獣に見えるのかい」
「男はみんな野獣じゃ。本能はな。そういうのは種を残すために遺伝子に刻まれておる」
そう言いながらも、初めて口にする酒は美味であった。
「して、何用じゃ? いつもなら夜に訪ねては来ないだろう」
「魔道士との連絡がついた。明日、兵士に送らせるよ」
「…ずいぶんと急じゃのう」
「そうかい? まあ、だから答えを聞きに来たってものあるかな」
すると、珍しくアルエは王の隣に座る。
「期限は、この城に滞在している間じゃ。つまり、明日まではまだ決められぬ」
「そっか」
「…頑張って落としてみるか?」
酒に酔い、体は火照っていた。そして給仕たちを部屋から出し、隔離された状態となる。そこで何があったかを知るのは本人たちだけだった。
朝、二人は同じベットで寝ている。魔王はそのままその部屋で寝てしまったのだろう。
「…やっぱり、行ってしまうのかい?」
二人は起き、アルエはそのままマントを纏って出ようとしていた。
「正直、ずっと悩んでおった。誰かに好きになってもらえるなど夢にも思っておらなかったしな。…そして、誰かを好きになる日も来ないと思っていた」
「…………」
魔王は黙ってアルエの話を聞いている。
「お主なら、妾を幸せにしてくれるじゃろう。でも、きっと妾は憤怒の闇に囚われ続ける。どれだけ幸せを感じようと、消えることはない。それで、お主を悲しませてしまうかもしれん」
そして魔族になってから初めて、笑顔を見せる。
「お主のことは好きじゃ、幸せになってほしい。だから、もっとふさわしい人を探せ。お前を幸せにしてくれる相手をの」
「…待った」
再び背を向けて去ろうとするアルエを、後ろから抱き締める。
「止めても、無駄じゃぞ」
「止めないよ。無理に止めて、僕の妃にしてもいいけど、君は後悔する。このまま復讐してもたぶん後悔するだろうけど、どうせ後悔するなら、君が選んだ道を応援するよ」
「応援とはなんじゃ。もう、妾達はこれっきりじゃぞ」
「僕は待ってるよ。いつでも来ていいんだ。もし、復讐が終わってまだ僕を好きで居てくれたなら、来てほしい」
そして魔王の顔がアルエへ近づく。
「…妾を思うなら、復讐なぞ止めさせぬか」
アルエは逆らわず、唇を重ねた。わかっていた。魔王は優しいから、自分を止めないのだと。止めても、いつかは憤怒の闇にのまれるかもしれない。それなら、憤怒の根本を断つべきだと。そのあとどんなことが待っていようとも。
「愛しているよ」
「愛なぞ幻想じゃ」
一時の幻想。アルエはが百年以上生きて初めて体験した数日間だった。それを置いて、再び闇へと向かう。もう戻れないと思いながら。それから兵士と共に竜に乗り、遠くの地を目指す。
「あの山です。あそこに賢者と言われる魔道士が住んでいます」
「…高名な魔法使いはどの世界でも賢者と呼ばれるのかの」
山に降り立ち、さらに神殿のような建物に入り、そして地下へ続く階段を下へ下へと降りて行った。そして最下層には目を閉じた青年が立っていた。
「いらっしゃい。待っていたよ、魔王の妃さま」
「…死にたいのか?」
アルエは魔眼を賢者へと向ける。
「ちょっとちょっと、魔王とはえらい違いじゃない。おいら嫌われるようなことしたかい?」
「魔王にもこんな感じじゃったぞ」
「嘘はよくないな。あんなに愛し合ってたくせに」
「な!」
すると青年は閉じていた目を開く。その瞳は普通の眼ではない。
「別に魔眼を持つのは大罪の闇を宿すものだけじゃないよ。おいらも魔眼を持ってる。名は『万里の魔眼』その名の通り、遥か彼方すら見通すことができる魔眼だ」
「…その目で、妾と魔王を見ていたのか?」
「そうだよ。いやー微笑ましかったね。魔王があんなに誰かを好きになるの初めて見たよ」
「…やっぱりここで殺そう」
そして再び憤怒の魔眼が賢者へと向けられた。
「わ! 待った待った! 君を真祖にできる魔道士はそうそういないよ。それにおいら殺しちゃったらそれこそ一生牢獄だよ」
「…そうしたら、素直に魔王の側に居られるかもな」
「わ! それ病み過ぎでしょ。あーごめん! だから魔眼で見ないで!」
アルエが魔眼を消すと賢者はため息をつく。
「君怖いからさっさとやって帰ってもらおう」
「…ただでしてくれる訳ではあるまい。対価は何がいる?」
「ああ、そんなの魔王がくれたよ。だから気にしなくていいよ」
「…あやつめ」
「いいんじゃない? 応援してくれるって言ってたし、それに昨日体で…ごめんなさい!!」
まるで脅しのように賢者へと何度も憤怒の魔眼が向けられた。
「わかったよ。少し覗いただけじゃんか。それにさ、あんたの魔眼とは違うんだよ」
「どう違うというのだ?」
「この眼は自分で操ることができない。つまり、封印しない限りおいらにはあらゆるものが見えてしまうのさ。この星の反対側、人間界、人の内部や心までも」
「…だから、こんなところで暮らしておるのか?」
申し訳なく思ったのか、アルエは魔眼を消した。
「そうだよ。…わかってるさ、自分の全てを知られるってのは嫌なことだよ。誰でも知られたくない想いの一つや二つある。…君が自分に嘘をついて居るのといっしょ」
「魔眼は出さないでやるからこれ以上妾の心を言葉にするな」
「あいあい。まあ君の推測通り、おいらはここで周りとのつながりを断って生きてる。だから多くの人は自分の全てを見られて生きているってしらないんだ」
全てが見えるとは、一体どんな気持ちなのだろう。そう考えると、アルエは少し怖かった。もし、好きな人が自分を嫌っていたらと思うと、辛くなるからだ。
「安心しなよ。魔王は君にベタ惚れだから。…はいはいごめんなさい」
魔眼ではないが睨まれる。視線が痛いことに変わりはない。
「じゃあ適当にその辺に寝て。この術って面倒なんだよね。だいたい完了まで三日かかる。でも、本当にいいの?」
全てを見通す魔眼が、アルエの心を見透かす。
「迷ってるのが見え見えだよ。そらそうだよね。今なら呪いを解いて人に戻ることもできるし、魔王の妃になることもできる。もっとも、真祖になっても妃にはなれるけどね」
「よいのじゃ、やってくれ」
「…言っとくけど、もう二度と人へは戻れなくなる。そして、君の体を元にはするけど、新たに作ることになるから親からもらった体じゃなくなる」
「どんなことでも受け入れる。だからやってくれ」
アルエは床に横たわり、周囲に魔法陣が現れる。
「アルエ・カルア、君が目覚めたとき、君は真祖だ。じゃあ、お休み」
そしてアルエの意識は闇へ落ち、眠りへついた。そして眼が覚めた時、そこには見覚えのある顔が。
「おはよう、カルア姫」
「…魔王?」
だが、起き上がる際に視界に入った自分の体の異変に気づく。
「な、なんじゃこれは?」
「おいらがいろいろ説明しようと思ったのにやってくれてって言ったの君だろ」
十歳にも満たないくらいの幼い体。それが、自分の姿だった。
「君が生きた月日は百年そこら、まあ魔族で言えば幼女だ。だから頑張ってもそれが限界だった。そして不老不死は消えてないから、君は一生その姿ってわけ」
「安心して、僕は君が幼女でも大丈夫だから」
「…幼女幼女うるさい!」
しかし、アルエのうちに眠る憤怒の闇も残り、魔眼も残っていた。
「大罪の闇は心に宿るものだから、例え器である肉体が変わっても消えなかったみたいだね」
「僕も、本当はもしかしたら大罪の闇が消えるんじゃないかって期待してたんだけどね。…カルア姫、まだ復讐するつもりなのか?」
「…アルエでよい。呪いの時とは違い、今度は望んで妾は親から与えられた体を捨てた。もう、妾にカルアを名乗る資格はない。ただのアルエじゃ」
そして仮面仮装を使って元の姿へ化ける。
「悪いな魔王。妾は復讐者。今回のことはありがたく思うが、妾は行く。この体を完全に使いこなし、奴をこの手で殺す」
「応援するって決めたから止めないよ。でも、いつでも帰ってきていいから」
「ああ。…そなたを愛したことに嘘偽りはない。それだけは、本当じゃ」
アルエは二人を残して外へ出る。
「…いつまでそこにそうしておるつもりじゃ、シャドー」
(…………)
すると、アルエの影の中から影を歩く者が現れる。
「まさか、あれからずっと妾の影にいたのか?」
(…………)
「そうか。この体になるまで気づけぬとは」
そしてアルエは影を歩く者と向き合う。
(…………)
「影を歩く者なんて長ったらしいからシャドーでいいんじゃ。…それと、気に入ったなら別に好きなだけ居ていいが、そのかわりその空間転移は使わせてもらうぞ」
そしてアルエはシャドーの中へと入り、その場から消える。それからの消息を知るのは、全てを見通す魔眼を持つ賢者だけであった。
【闇の女王】
約700年。アルエは強くなるためにひっそりと修行を積んでいた。魔界の猛者を相手に、肉体を完全に使いこなし、さらにドウヒを殺すためだけに力をつけた。700年もかけたのは確実にドウヒを倒す力をつけるため。…そして、待ち人が居なくなったからだ。
「…あのバカめ」
(…………)
「後悔なぞ…していないと言えば嘘になる」
待っていると言ってくれた魔王は、待ちきれなくなったのか、神官に言いくるめられたのか、妃を迎えて子をなしたという話を聞かされた。
「時は満ちた。帰ろう。もう妾には復讐しかない」
(…………)
「何度も言わせるな。もうこの世界に、未練はない」
そして、アルエは人間界へと帰る。ついた場所は、シャドーと出会ったあの山。人間界の空気を吸い、800年前の悲劇を思い出す。
「帰ってきたぞ…ドウヒ」
今のアルエの心にあるのは怒りだけ、幸せだった想いは魔界へ置いてきた。一度は愛した、男の元へ。
「800年も経っているのに、この山は変わらぬな。…じゃが、街は大きくなったもんじゃ」
800年前は小さく見えるだけだった街も、大きく広がり、山の近くまである。街というよりは国と化していた。
「情報を集める。あ奴がいまどこにいるのか、見つけ出す」
そしてアルエは街へと向かう。だが、街の入り口には兵士が立っていた。おそらく、山から魔物が来ても追い払えるようにだろう。
「き、強大な魔力…あの魔族は誰だ?」
「全隊攻撃用意! 街に近づかせるな!」
アルエは魔族の姿のまま街へ近づいた。そして昔とは違い今のアルエは真祖の吸血鬼、人からすれば絶対種の化け物である。だがそんな絶対種に警護兵が持つ程度の武器が効くはずもなく、アルエはあらゆる攻撃をものともせず入口へと辿り着く。
「これ以上邪魔するなら、誰であろうと殺すぞ」
「…ひ、怯むな!」
「愚かな。お前らには魔力を使うまでもない」
そして、アルエに敵意を向けていた兵士は全員が屍と化す。即死の魔眼によって、一瞬で命を狩られたのだ。
「あ…あぁ」
「ほう、物影に隠れたて魔眼の視界から逃れたか。…お主、闇の賢者・ドウヒの居場所を知らぬか?」
「し、ししし、知らない」
「そうか。…向かってくるなら死ぬだけじゃ。そのままそこで大人しくしていろ」
それから情報を集めようと街に入るが、誰もアルエの話を聞いてくれるはずがない。逃げ惑う者、勇敢に立ち向かってくるもの、様々いるが向かってきたものは誰一人生きてはいなかった。
「やはり、この世界は違うな。…魔界では、いきなり攻撃してくる者など一人もいなかったというのに」
すると足元に魔法陣が現れ、結界が展開してアルエを閉じ込める。
「今だ、かかれ!」
「…まだ、愚か者がこんなにいるのか。絶対種になれば、無駄な争いは避けられると思ったのじゃが…死にたくなければ邪魔をするな!」
アルエの怒りに呼応した憤怒の闇が、力と化して結界を破壊する。
「我らはこの街を守護する者、逃げるわけにはいかん!」
「ならば、死ね!」
上級の魔法使い数十人が束になっても、アルエの足元には及ばない。
「なぜじゃ…、なぜ」
魔界で一時は薄れた憤怒が、深い憎悪と共に湧きあがる。魔界では誰もが話を聞いてくれた。アルエを見ても誰も逃げはしなかった。愛してくれた者すらいた。
「やはり、復讐なぞ止めるべきであったのかの…」
ここは800年前と何も変わっていない。誰一人アルエの話を聞いてくれず、殺そうと向かってくる。湧きあがる憤怒、一度は壊れた精神が飲まれて行く。アルエは認識を改める、人類は敵だと。
「向かってくるなら容赦はせん。妾が殺したいのはドウヒじゃ…それを阻む者は全員殺してやる」
真の闇へと落ち、憤怒に支配された。もう、誰もアルエを止めることはできない。今ここに、完全な復讐者が生まれたのだ。
「全隊、包囲!」
「もう、集まってきおったのか」
騒ぎが起こって一時間と掛からず、数千の兵士が街へとやってきた。アルエを倒すために。
「もういい、戦争じゃ。『闇の転送門』」
人もアルエを敵と見なし、全力で討伐へと乗り出した。そしてアルエも闇より武装をほどこした魔動人形を呼び出す。700年の修行で得た力の一つ、人形使い(ドールマスター)。そしてその数は数億体。アルエは一人で世界を相手にできるほどの力と兵力を手にしていたのだ。
「頼むから、誰も向かってくるな! これ以上、妾に誰も殺させないでくれ!」
だが、人は向かってくる。恐怖から逃れるためにアルエを倒そうと。アルエはドウヒさえ…復讐さえできればそれでいいのに、人は誰も話を聞いてくれない。先に攻撃を仕掛けてきたのは人間。話を聞かず、向かってくるのも人間。争いを終わらせるには、どちらかが滅ぶしかなった。
「なぜじゃ、なぜ向かってきた。力の差など明らかであろう。なぜ、無謀と分かっていて向かってきたのじゃ」
数千の兵士は、半日ですべてが屍と化していた。街は滅び、立っているのはアルエとそれに従う人形のみ。このままここに居れば、すぐにまた新たな兵士が送り込まれてくるだろう。
(…………)
「決まっているだろう。次の街へ行く」
(…………)
「その時は、…また滅ぼすだけじゃ」
アルエは数千の屍を見つめ、それでも涙を流すことなく次の街を目指した。悲しみはあったが、それすら憤怒へと変わってしまう。次の街でもきっと同じように襲われる。それでも、他にすることが思い浮かばない。ドウヒを探すために、しらみつぶしに街を回るしかない。誰もアルエの話を聞かず、情報を得られないのだから。
それから数日のうちに13の街と4つの国が滅んだ。すべてはアルエの力、そして引き金は人がアルエに攻撃を仕掛けたから。向かってきたものはすべて屍と化す。死んだ者には家族がいる。アルエは殺せば殺すだけその人たちの恨みや憎しみを背負うことになるとわかっていながら、それでも向かってくる人間を殺した。なぜなら、自分を殺そうと向かってくるからだ。そしてアルエの力は恐れられ、世界中に知れ渡る。付けられた名は『闇の女王』。
「…やっと、出会えたの」
だがそのときはやってきた。周囲に町のない荒野を進んでいるとき、四人の賢者が現われたのだ。その中にはもちろん、ドウヒの姿もある。
「妾を忘れたとは言わさぬぞドウヒ。この800年、一度も貴様を忘れたことはない」
「死んだと思っていたよ。まさか、絶対種となって現われようとは、あのとき殺しておくべきだった」
「残念だったな。地獄の底から帰ってきたよ。お前を、殺すために。…その右目に宿る父上の神眼、返してもらうぞ。闇の転送門」
そして再びアルエの率いる数億の闇の軍勢が現れた。だが、今度は最強種の竜をはじめとする多くの魔物の姿もある。
「懐かしいの。あの時のお嬢さんがまさかこんなことをするなんて」
「光の賢者、確かシリスと言ったか?」
「ほほほ、覚えていてもらえるとは光栄だね」
「ふん、多くの人間を葬ったことは謝らぬぞ。…向かってきたのも、先に攻撃を仕掛けてきたのも全部お前ら人間じゃ」
闇の軍勢は周囲を取り囲み、賢者たちを逃がさないようにする。
(…………)
「もちろん。お前は何もしなくてよい。妾の影で見ておれ」
「ほう、絶対種の影を歩く者を手なずけておるのかね」
「シャドーは妾の従者ではない。まあ、力は使わせてもらっているがな」
ドウヒはともかく、シリスからは戦う気がまったく感じられない。そして他の賢者からも。
「いいのか? 構えねば死ぬぞ」
「ほほほ、向かってこないものには、何もしないのじゃろう?」
「悪いがドウヒは、別だ!」
そして他の賢者には見向きもせずにドウヒへと一直線に向かう。
「シリス! 貴様なぜ何もしない」
「何じゃ、ドウヒ。お前仲間に見捨てられたのか?」
アルエはシリスの横を素通りし、難なくドウヒへと近づく。
「く、まあいい。私一人でやってやる。魔眼があればお前ごとき…消えろ!」
だが、嫉妬の魔眼が発動したというのにアルエは消滅しない。
「ふふ、妾も魔眼を持つ者。魔眼の弱点はようわかっとる」
アルエとドウヒの間に数体の人形が入り込んだのだ。そしてアルエは人形の影に入り消滅を逃れていた。
「ならば人形ごと全てを消してやる!」
「…ドウヒ、まさか主がこんなに弱いとはの」
「! いつの間に後ろに」
「魔眼に頼った時点でお主の負けじゃ」
アルエが人形の影に入りドウヒの視界から消えた時、すでにアルエはドウヒの後ろにいた。絶対種・影を歩く者の由来となった力。影と影を渡り歩く能力。それは一度入り込んだ影に自由に飛ぶことができるのだ。
「死ね!」
「ぐっ!」
刹那、何とかかわそうとドウヒは身を反らすが、間に合わずにアルエの右手が体を貫いた。
「な、なぜだ。どうやって、私の後ろに」
「影を歩く者の能力は知っているだろう? それを知っているなら簡単な話じゃ。妾はあらかじめ全ての人形の影にシャドーを入らせておいた。つまり、妾はシャドーの力を借りることで、ここにある数億の人形の影を自由に行き来できるのじゃ」
「な、何だと」
「つまり、人形が一体でもお前の後ろに回ることができれば、その人形の影から貴様を狙うことができた」
ドウヒがやられたというのに、他の賢者は誰も助けようとしない。もっとも、周囲に展開するすべての人形を一度に倒す力がなければ、アルエに傷をつけることは不可能だと知ってしまったのだが。
「神眼を使っていれば妾の動きを読めたであろうに、魔眼を発動させるのに集中して神眼の力を解くからじゃ」
「ぐ…う!」
「そして、それが魔眼のもう一つの弱点。お主は己の力を過信しすぎたのだ。だから人形がすぐ後ろに迫っていることにも気付いていながら魔眼を使った。妾を消せば人形は止まるとたかをくくったのじゃろう」
そしてアルエの左手がドウヒの右目へと迫る。
「さあ、返してもらうぞ。父上の神眼を」
「あああぁぁぁーーーー!!」
周囲にドウヒの悲鳴が響く。
「貴様、よくもぉぉー!!」
すると、強大な闇がドウヒからあふれ出す。だが、アルエが動じる様子はない。
「…なぜ、あのとき妾も両親と一緒に殺してくれなかった? そうすれば、妾はこんな生き方をしなくて済んだのに…『敵力吸収』」
だが、ドウヒの魔力はアルエの右手に吸われていく。これも700年の修行で得た力の一つ。敵の魔力を吸い取り、己のものとする。そしてアルエこの力を使い、魔界で最強と謳われる“魔神”と引き分けたこともあった。すでに、アルエは神の領域にいるのだ。
「塵も残さず消えるがよい。…禁忌『究極の絶対神』」
「…究極の破壊魔法を無呪文とはの。やはりわしらでは敵わぬか」
すると、空からどす黒い闇が舞い降り、ドウヒの体を包む。
「こんなはずでは…なぜ、なぜ私が!」
「お主の闇は所詮、嫉妬。妾の憤怒に勝てるはずがあるまい。800年間、このために妾は生きてきたのだ」
闇が消え去ったとき、そこにドウヒの姿はない。何も残さず消え去ったのだ。そしてドウヒが消えたと共に、アルエが纏っていた闇も消える。
「さてお嬢さん、気は済んだかね?」
「…なぜ、仲間がやられるのを黙って見ていた?」
「わしらも馬鹿ではない。たとえ四人で立ち向かったところで、勝てないというくらいはわかる」
「ふん。ならば殺すがよい。憤怒の闇が消えた今なら、そなたら三人で妾を倒すこともできよう。…復讐が済んだ今、妾も未練はない」
人形たちは離れ、アルエは死を覚悟する。だが、他の賢者もシリスと同じように戦う気はないようだ。
「お譲さん、アエル・カルアの親戚か?」
「…アエルは母の名じゃ」
「やはりの。あれ以上に美しい女性を見たことがなかった。そんな女性によう似た娘さんを見れるとはの。初めて顔を見た時から何かあるとは思っておった」
「…信じるのか? 妾は闇の禁忌で存在を消された身。妾が存在した事実はどこにも残っておらぬのだぞ」
だが、シリスはすべてを知っているかのように微笑んでいる。
「信じるさ。憤怒の闇、あれはそう簡単には宿らん。お嬢さんがドウヒにそれほどの恨みを持っていたということじゃ。…何があったのか話してくれんかの?」
禁忌で存在を消されさらに呪いで魔族にされてから今まで、アルエの話を聞こうという人間は前の闇の賢者くらいだった。このときまでは。800年前になにがあったのかを話した。信じてもらえないかもしれないと思いつつ、全てを。
「そうか。そんなことがあったか」
「信じるのか? さっきも言ったが提示できる証拠はない」
「じゃから信じるよ。…我々はわかっている。ドウヒはそういう非道なことをやる男だ。なぜ嫉妬の闇を持っていたかは知らぬが、その闇にとらわれ、非道なことをしてでも力を手にしようという考えを持っておった」
おそらく他の賢者も同じ考えなのだろう。シリスの言うことに口を挟もうとはしない。
「前の闇の賢者は良い奴じゃったが…そうか、すべてはドウヒの仕業か」
「だが、妾がこの数日で多くの命を奪ったことに変わりはない。憤怒が消えたいま、後悔しかないがな」
アルエが言うとおり、憤怒の感情は消え去っていた。別に大罪の闇が消えたわけではないが、少なくとも今はその瞳には涙がある。
「確かに、今のお嬢さんを討つのは簡単じゃ。だが、後ろの護衛くんがそうさせてはくれんだろう」
(…………)
「…シャドー、お前」
アルエの後ろに寄り添うように、シャドーは在った。賢者たちが何かしようものなら、アルエを連れてすぐさまどこかへ飛ぶだろう。
「影を歩く者も絶対種。そして、実体がないのでわし等も対処がわからぬ。わかっていることは物理攻撃も魔法も全て意味をなさないということじゃ」
故に絶対種に指定されていた。誰も倒すことができない、まさに神の領域にいる者。
「つまり、その影を歩く者に守られているお嬢さんを倒すことができる者は、この世にいないというわけだ」
そして賢者たちは、アルエ討伐を諦めた。討伐を依頼していた各国の王には、ドウヒが犯した罪と、アルエが本当はカルア王のご子息であり、彼女もまた被害者であったと報告する。もちろん、納得する王は一人もいなかったが、絶対種に守られた彼女を倒すことは誰にもできない。そこで数日後各国の王と賢者が集まり、その席にアルエが呼ばれた。
「メフィス、フロール、ディーバ、バルトロ。数日で、四つもの王家を滅ぼした闇の女王。そなたで間違いはないな」
「ああ、すべては妾がしたことじゃ」
「罪を償うために死ぬつもりはないのかね?」
「…この世に未練はないし、復讐を果たした後は死のうと思っていた。じゃが、この通り妾を死なせようとしない者がおるのでな」
アルエの側にはシャドーが寄り添い、何かあればアルエを連れて逃げられるようにしていた。
「どうするグローリア卿。このまま見逃すのか?」
「そなた、もう未練はないと言ったな。これからどうするつもりだ?」
「しいて言うなら、平穏が欲しい。もう争いには疲れた。もし妾を見逃すというのであれば、誰も寄り付かぬような場所でひっそりと暮らすさ」
「そんなことが許されるか! お前、いったいどれだけの人の命を奪ったと思っている!」
アルエに言い訳をするつもりはない。どんな理由があれ、結果多くの人の命を奪ったことに変わりはないからだ。そして王達も許すつもりはない。12家あった王家も、4家減った事により残された王は八人となってしまったからだ。
「ならばジハール卿、そなたはこの者を倒せるのかね?」
「そ、それは…」
「影を歩く者が付いている限り、我々にはどうすることもできず、そして彼女も影を歩く者が望み続ける限り生きようとしている。どう許さないと言ったところで、何もできはしないのだ」
この会議は何の意味もなしていない。罪を説いても、責めたてようと、シャドーはアルエの味方なのだから。
「その件ですがの王方、賢者の椅子が一つ空いております」
「シリス! こんな奴を賢者にするつもりか!」
「ほほほ。…では、他に闇の賢者に相応しい者がいるというなら教えていただけますかな?」
「ぐっ…」
闇の魔法使いは数が少ない。そして賢者を名乗れるような者は誰もいなかった。それはドウヒが己より才ある者を影で潰し、闇の魔法使いで最強の座を守り続けていたからだ。そして弟子を一人もとっていなかったのも事実。
「彼女は今でこそ真祖の吸血鬼ですが、元は人間。大罪の闇を宿していることからもわかるとおり、心は人間のままです。それでも資格がないですかな?」
「…他の賢者はどうなのだ?」
「我は異存ない」
「同じく異存はないっすよ」
他の賢者も特に嫌がる様子はない。
「ならぬ、なりませぬぞグローリア卿。闇の女王を賢者にしたなど、民にどう説明なさるつもりか? いまだに多くの民は恐怖で夜も眠れぬというのに」
「ならばファルマス卿、貴様には良い案があるというのか?」
「だからそれを話し合っているのではないかレイブン卿」
ここで動いたのがグローリア王だ。王族をまとめる王、残っている王族の中では一、二を争う王家だ。
「採決をとる。この者を賢者にするのに賛成な者は手を挙げよ」
ここで三人の賢者と三人の王が手を挙げた。
「決まりだな。アルエ、そなたを闇の賢者へ任命する。異存はないか?」
正直、予想外の展開であった。世界を恐怖に陥れ、闇の女王とまで言われた自分が賢者に指名されるなど、夢にも思わなかったからだ。
「…拝命、させていただきます」
そして、闇の賢者となって多くの人を守る。それが、アルエの選んだ償いであった。例え人々に嫌われ、感謝されることがなくても…。それから、シャドーと出会った山を買い取り、その山の奥深くに城を築き、ひっそりと暮らしている。時には王の召集に応じて人々のために仕事をこなす。それから20年経つが、いまだにアルエ対する恐怖は消えない。おそらく、これからもずっと。そんなとき、シリスに呼ばれて出会った少年こそ、落ちこぼれの王子であったシグだった。
第三章『背負うもの』
【闇の弟子】
すべての過去を話し終え、冷めたお茶を口へと運ぶ。とてもではないが、シグの方を見れない。
「これが、妾が闇の女王として恐れられる理由だ。街を、国を、そして多くの命を奪った。シリスからどの程度聞いているか知らぬが、これがすべてだ」
そしてアルエは人前で一度も解いたことのない魔法、仮面仮装を解く。現れたのは10才にも満たない幼い少女の姿だった。
「そして、この姿こそ妾の本当の姿だ。真祖になってから700年、ずっと己の姿を偽って生きてきた。魔族で言えば、もうおばさんと呼ばれる年であろうに」
シグはどんな顔をしているのか、恐怖しているのかもしれない。なぜなら、何も話そうとしないからだ。そしてアルエは再び仮面仮装で元の姿へ戻る。
「…荷物をまとめておけ、やはりお前に妾の弟子は無理じゃ」
「アルエ様!」
アルエはシグの顔を見ることなく部屋を出ていく。そのあとを、キサは慌てて追う。
「アルエ様、なぜ?」
廊下でやっと足を止めたアルエに追いつく。
「妾は、何を考えていたのかのう。側に居て欲しい。そう思う資格などあるはずもないのに。妾は、多くのものから大切な人を奪った。妾に、幸せになる資格などないのじゃ」
「…誰にでも、幸せになる権利はあると思います」
「ふ、それは人に対して使う言葉。妾は人ではない。…いつの間にか、自分の罪から逃げようとしていた。妾は、一生罪を背負って生きねばならぬのに」
そして再び歩み始める。
「シグの荷物をまとめるのを手伝ってやれ。…欲しがるなら、研究所や魔法書も持たせてやってかまわん」
「アルエ様、どちらへ?」
「…安心しろ、すぐ戻る」
そして、キサから見えなくなるところまでやってきた。
「シャドー、繋いでくれ」
(…………)
「お前までそんなことを言うのか。…いいんじゃ。ありがとう」
(…………)
そして現れたシャドーの中へと入り、アルエはある場所へと向かう。
ある一室で、一人の老人が書類に目を通していた。夕方だからか、とても静かである。
「…いきなり後ろに現れんでくれるか? いくらわしでも心臓に悪い」
「お前にようがあるんじゃ、そう嫌な顔をするな」
「ほう、わしにようとは珍しいの」
アルエはシャドーの力を使ってシリスの影から現れたのだ。
「…シグのことでなにかあったか?」
「な、なぜわかる」
「お前がそんな辛そうな顔をするのはシグの時だけじゃ」
アルエは賢者から離れて部屋にある椅子へと腰掛けた。
「…シグにすべて話した。お前が知らぬ魔界でのこともすべてじゃ」
「そうか。…それを聞いたシグはどうじゃったんじゃ?」
「…顔を、見れなかった」
「それで、ここへ逃げて来たというわけか」
アルエはこれ以上顔を見られたくないと、シリスの反対側を向く。
「やっぱり、妾は弟子をとるべきではないのじゃ。今からでも、お前が光の魔法使いにしてやってくれ」
「…何を言う、決めるのはシグじゃ。お前ではない」
「闇の女王の、弟子じゃぞ。弟子ということは、妾の名を背負うという事じゃ。…妾のせいで、あの子が辛い思いをするのは嫌じゃよ」
「お前はそこまでシグのことを想っている。なのに、教える資格がないと思っているのか?」
夕日に照らされた部屋で、アルエは苦しんでいた。己の背負う罪に苦しみながら。
「もういい加減、自分を許したらどうだ? お前はあれからずっと苦しみ、尽くしてきたではないか。賢者の中で誰よりも危険な仕事を多くこないし、世界中の魔物から人々を守っている」
「その程度で、なんの償いになる? 妾が奪った何千何万という命は、妾が一生苦しもうと、尽くそうと償いきれるものではない。なのに、妾はどこかで一人でいるのが辛くなっていた」
「…あの意思を持つ魔動人形を見てから気付いておったよ。だが、別にそれでいいではないか」
「よくない。妾は、一生罪を背負って生きねばならん。なのに、誰かに側にいてほしいなどと、願ってはいけないのじゃ」
シリスは席を立ち、窓側へ移動する。
「お前が奪った命は、お前に敵意を向けた者だけだ。…それ以外の者は誰も殺していないだろう。そしていくつかの村は救ったと聞いている。貧困に苦しむ村に食料や薬を運んだと」
「そんなもの、滅ぼした街に残っていたものを持って行っただけだ」
「だがそれで救われた命もある。多くの大罪の闇を持つ者は、己の闇に取り付かれ、他人のことなど考えもしない。わしの知る限り、大罪を持ちながら人のことを気にかける優しさを持っていたのは先々代の闇の賢者と、お前のように憤怒の大罪を持つ者だけじゃった」
そして、いまだそっぽを向くアルエを見つめる。
「シグに聞いてみるといい。お前はどうしたいのかと」
「そんなもの、決まっておるだろ」
「…うん。僕はアルエの弟子だよ」
「! シグ、どうしてここに!」
アルエ振り返る先に、シグが立っていた。そして側にはシャドーの姿も。
「シャドー、どこかへ行ったかと思えば。ご丁寧にシグの気配まで消しおって」
だが、アルエの顔は険しくなる。
「お前は何もわかっておらぬ。いや、妾も背けていたのだがな。…妾は大罪人。今は賢者と呼ばれていようと、その正体は世界を恐怖に陥れた闇の女王だ。妾に、弟子をとる資格はない」
「居場所になってくれるって言ったのはアルエだよ。…それに、賢者が弟子をとるのは普通のことだと思う。優れた魔法使いが賢者を名乗り、優秀な弟子を育てる。当り前のことだよ」
「妾は優れてなどいない、妾の魔法は復讐のために編み出された人殺しの力だ。妾の弟子になるということはそれを背負うということ、お前に妾の名を…闇の女王の名を背負わせたくはない」
だが、シグはアルエに笑顔を向ける。それは、アルエが笑顔を好きだと知っているから。
「背負うよ。闇の女王の名前も、アルエの苦しみも、罪も。全部、僕にも背負わせて。もう一人で背負わないでよ。僕はアルエの弟子なんだ。師匠が背負うものを背負うのは当たり前だよ」
「シグ…」
「それに、力は所詮力だよ。使い手次第で正義にも悪にもなる。だから僕が証明するんだ。アルエの力は人殺しの力じゃない。人を救うことができる力なんだって」
賢者になって20年、泣いたことのないアルエの瞳には涙があった。
「何があっても、僕はアルエの側にいるよ。ずっと…例え世界中がアルエの敵でも、僕が側に居る。僕は…僕とシャドーは味方だよ」
シャドーは自分もだと言わんばかりに体を大きくして見せている。
「これなら、いつかは自分を許せる日が来るかもしれんの。本当の意味で、憤怒の闇を抑えられる日が」
「そうじゃな、妾はいま、一人ではない。…一人でいなくていいんじゃよな?」
シグに近づき、そっと抱きしめる。そんな二人に寄り添うようにシャドーも在る。そして二人は帰って行った。二人が帰るべき場所へと。
「もうこれで心配はいらんかの」
残されたシリスは夕日を眺めながら物思いにふける。
「憤怒の対価。お前はもう充分支払ったよ」
大罪の闇にはそれぞれ対価が存在する。だが、憤怒の闇だけは対価が存在しない。正確には、憤怒の闇自体が対価だからだ。それは、憤怒が心の優しいものにしか宿らないからである。そして、その優しさが憤怒の力で誰かを傷つけたり悲しませたりすることで、心を痛めることになり消えることのない心の痛みが対価となる。他の大罪の闇は対価を支払えば終わりだが、憤怒は一生支払い続けなければならない。だから、シリスをはじめとする賢者はアルエに甘いのだ。心が優しいゆえに、憤怒の闇をもっていると知っているから。
「…かつて最強を競ったグローリアとカルア。グローリアの生き残りであるシグとカルア最後の姫、お前たちならこの世界を導いていける。お前たちはそういう定めを背負っておるのじゃ」
おそらくこの世界でもっとも長く生きているであろう人物。彼にはいったいどんな未来が見えているのか、それはまだ彼にしかわからない。だがその顔には、笑顔がある。きっとそういう未来が見えているのだろう。
「シグ!」
「どうしたんじゃフィール?」
「さっきまで、シグの魔力を感じた。来てたの?」
慌てて部屋に入ってきたのはフィール・ジハール。かつてはグローリアやカルアと肩を並べる力を持っていたジハール王家の姫。今では血も薄れ衰退してしまっているが、彼女も世界を導く希望を秘めている。
「いや、来ておらぬよ」(なんとも鋭い。まったく、王家の人間は才能豊かじゃの)
「…そう、気のせいか」
そしていつもの暗い雰囲気へと戻る。フィールにとっても、シグは特別な存在だったのだろう。
「失礼します。フィールどうしたんだよ急に居なくなって」
「…何でも、ない」
「まあ良いじゃろ。さあ二人とも、寮に戻りなさい」
フィールを追ってやってきた少年。名をゼロ・フリーム。光の禁忌を使って分けたシグの写し身。そのことを知っているのはシグとシリス、そしてフィールの三人のみ。ゼロ本人も、アルエも知らない。そして彼もまた、この物語の主人公となる存在。
「こっちの二人の成長も楽しみじゃの。闇に生きるシグ、何も知らぬ光を持つゼロ。…この先わしがいなくとも、若い世代がこの世界を支えてくれる」
そして賢者は何事もなかったかのように席へと戻り、読みかけだった書類に再び目を通す。だが、その顔は先ほどよりも穏やかだった。
エピローグ
魔物が住み着く誰も寄り付かない山の奥。ひっそりとそびえたつ巨城。その敷地内にある闘技場で3体の魔動人形を相手にシグが組み手をとっていた。
「はい、あと十分は耐えてくださいね」
「き、きついっての」
「何を言うか。まずは体力じゃ体力。お前は才能はあるが基礎が足らん。せっかくじゃからキサからみっちり武術を学べ」
「僕は別に魔法剣士は希望してないよ」
だが、三人の顔には笑顔がある。辛い修業でも、そこには温かいものがあるのだ。
「まずは数年で、お前には妾の全てを叩きこむ。そのためにも妾ほどとは言わぬが強い肉体を身につけろ」
「アルエ様、いくら鍛えても真祖の肉体には遠く及ばないかと…」
「いいよキサ。やるって決めたのは僕だから」
そして十分が経過して人形が離れる。
「僕は史上最強の賢者の弟子なんだって、胸を張って言えるくらい強くなるんだ」
「よう言った。それでこそ、妾の弟子じゃ」
「まったく、親ばかでなく師匠ばかですか?」
シグはアルエの過去を知ることで前より明るくなった。いや、全てを話したことによりアルエも。もう、アルエが不安に思うことはない。全てを知った上で、シグは自分を選んでくれたのだから。
そして、魔法学校でも修業に励む少年の姿がある。
「あと100本!」
「…根詰めるとよくないよ」
シグが残した光、ゼロ。彼はこの先どう強くなるのかはシグにもわからない。わかっているのは、彼もまたシグと同じ王家の血の力を持っているということ。
「なあ、フィール。俺はシグって奴くらい強くなれるかな?」
「…じゃあ、私くらい強くならないと」
「そっか。じゃあフィールも守れるようになるし、一石二鳥だな」
そして、シグがフィールの側に残しておきたかった繋がり。そのせいで、いづれ自分が苦しむことになるとも知らずに。そしてそんなシグのことも知らず、ゼロは純粋に強さを求める。彼はシグの写し身。フィールを想う気持ちも、写し持っていた。
「…私は、守られるほど弱くない」
「わかってるよ。それでも、俺がいつも守られてるからいつかは俺が守れるくらい強くないりたいんだ」
光と闇、混ざり合うことのない力はいづれぶつかり合うかもしれない。だが、光があるからこそ闇は存在し、闇があるということは光があるということ。そして光が強くなればなるほど、闇も強くなっていく。まるで、シグとゼロのように。