六法全書と悪役令嬢
初恋の人は、ぽっと出の転校生にとられた。
高校二年の春に転校してきた聖子は、瞬く間に学園の人気者たちを虜にした。いわゆるお金持ちが多く集うこの学園で庶民の彼女は多いに浮いたが、まるで花が綻ぶような可憐な笑顔に男達はメロメロになり、最終的には大企業の御曹司でもある生徒会長と結ばれ学園中の話題をさらった。中庭で幸せそうに笑う二人を見て、リアル乙女ゲーウケるぅと笑う親友。そんな親友の隣で私は叫び出したい気持ちでいっぱいだった。
私の方がずっとずっと前から好きだったのに!!!!
生徒会長こと純くんは、私の幼馴染だ。一つ年上の純くんは、親同士が仲がいい影響でよく私の面倒を見てくれていた。勉強も運動もなんでも完璧にこなす純くんは理想の王子様そのもので、気づいた時にはもう、私は純くん以外の男なんて路傍の石くらいにしか見えなくなっていた。
大好きな純くん。媚びる女が嫌いだって言うから、いつまでも無邪気な子供のふりをした。ストーカーじみた女たちが煩わしいって言うから、親衛隊を作って行動を統率した。全部全部純くんのため。いつかこの献身に気づいて私を見てくれると思ってた。それなのに……!
「ぬぁ~にが“悪い、麗の事は妹としか思えない”だ! 散々期待させる様なことしやがって! 頭ぽんぽんされたり一緒に帰ったりしたら普通勘違いするでしょう!?」
「そうだねぇ」
「くっそ! あのど庶民め、釣り合ってないんだよ! その場所譲れや!」
「麗ぁ、口調やばいよぉ」
「キィーッ! 幸せそうにしやがって! ムカつくムカつくムカつくぅ!」
ギリギリとハンカチを噛み締め木陰から渦中の二人を睨む。転校してきて間も無く、純くんと聖子の距離が徐々に近くなっていくことに焦った私が勢いのまま告白すると、長年育んできた私の想いはそれはもうバッサリと切り捨てられた。せめて最後の思い出にと純くんに抱きつくもその現場を聖子に見られ、泣きながら去っていく聖子を純くんが追いかけて抱きしめてハッピーエンド。二人は幸せなキスをして終了。はいはい、私が当て馬ちゃんでしたね。
そんなこんなでやさぐれた私は今日も二人に向かって呪詛を吐く。ニコニコ微笑みあいながら中庭でランチをとる二人。さっさと別れればいいのに。呪呪呪呪呪呪呪呪呪。
「あんな男もう忘れたらぁ? 恩を恩とも思わないやつだよぉ」
「はあぁぁぁ? 純くんはいつだって最高なんですけど? パーフェクト王子様なんですけど? 唯一にして最大の欠点は私の魅力に気づかない事だけど!」
そう、誰がなんと言おうと純くんは最高だ。振った女を彼女と一緒にケーキ持って慰めに来るくらいには最高だ。ケッ。
「いやぁ、どっちかって言うと王子様ってより俺様皇帝って感じじゃない? 結構横暴だしぃ。実際そこまでいい男でも……あ、こんにちはぁ副会長様」
しつこくぐちぐち言う親友の後ろからぬっと男が現れる。優男という言葉がぴったりの軟弱軟派野郎だ。
「やあ、こんな所でなにをしてるんだい?」
「別に」
「冷たいなぁ麗は。まあ、そんな所も好きなんだけど」
「石ころは黙っててください」
「へえぇぇ、副会長様は麗が好きなんですかぁ」
驚いた様に親友が目を開く。チッ、軟派男め、余計なことを言いやがって。
大体最初からこの男は気に入らなかった。いつの間にかすっかり純くんの親友みたいな顔して横に立って、感情の読めない顔でヘラヘラ笑う。誰にでも優しく物腰も柔らかいせいかファンも多く、誰もが口を揃えて物語に出てくる王子様みたいだと言う。
う、胡散臭えぇぇぇ! すっげえ胡散臭ええぇぇぇぇ! 誰にでも優しい男なんて信用できるか! 純くんの分かりやすいハッキリとした不遜な態度を見習え! 王子ってのはなぁ、無闇矢鱈に愛想を振りまかないんだよ! 偉いから!
心の中で罵詈雑言を浴びせていると軟派男が悲しげに眉を寄せる。
「石ころって、酷いなあ。名前で読んで欲しいってずっと言ってるのに」
「あいにく路傍の石を愛でる趣味はないので。それよりアホなこと言ってる暇があるなら、あの女のマル秘情報でも持ってきてください。そしたら石ころから岩へのグレードアップを考えてあげないこともありません」
「えぇ、それってグレードアップなのぉ?」
横から親友が口を挟むがこの際無視だ。この男はムカつくことに純くんと仲が良く、おまけに聖子ともそこそこ交流がある。何かとんでもない情報を握ってるんじゃないかとじぃっと睨む。
え? そんな情報なにに使うかって? そりゃあもちろん呪うためだ。結果的に当て馬として超有効活用されちゃったんだからそれくらいは許されるだろう。入り込む余地もない位ラブラブな二人を毎日見せつけられてこっちは血反吐吐きそうなんだよ! クソが!
ぐぐぐ、と渾身の力を込めて見つめる。さぁ、隠してないで言っちまえ!
「うーん……あ、そう言えば彼女は将来弁護士になりたいらしいよ。亡くなったお母様が優秀な弁護士だったそうで、いつか自分も弁護士になって人助けがしたいって言ってたな」
「弁護士……」
「うん。どうかな、この情報はお気に召した?」
男が一歩近づく。その瞳には期待の色が浮かんでいるが、そんな事はどうでもいい。たった今、呪いなんかよりもずっといい腹いせ方法を思いついてしまった。完璧だ。完璧すぎる。私やっぱ天才だわ。
「……ふ」
「ふ?」
「ふふふふふふふふふふ。それはいい情報だわ! よろしい、あなたは今日から岩よ! 光栄に思いなさい!」
そうと決まればやることが山ほどある。突然のことにポカンとする二人を放り、おほほほほと高笑いしながらその場をダッシュで離れた。まずは職員室だ。せいぜい私の初恋を踏みにじって当て馬にしたことをバカップル二人して後悔すればいいわ! おほほほほほほ!
それからの行動は迅速だった。まずは来年の授業を理系コースから文系コースへと変更し、特別に予備校にも入学。世の中金だなぁと思いながらもたっぷりと参考書を買い、凶器になりそうなほど分厚い六法全書も買った。ついでによく使う条文だけが載ったコンパクトバージョンも買った。ああ、自分の完璧な計画にくらくらする。ふふふふふ。
「ねぇ、結局色々してたけどなんだったのぉ? 腹いせって言っても犯罪とかはダメだからねぇ?」
不敵な笑みを浮かべる私を少し心配そうに覗き込む親友に胸がチクリと痛む。私が失恋して泣きじゃくった時は朝までその豊かな胸を貸してくれた優しい親友だ。しょうがない、特別に親友にだけは私の完璧な計画を教えてやるか。
「弁護士になるわ」
「弁護士?」
不思議そうに首を傾げる親友につんと顔を上げて答える。
「そう、あの女よりも優秀な弁護士になってけちょんけちょんにやっつけてやるわ! 負けなしの私は美しすぎる弁護士として世間の注目を集めテレビでも引っ張りだこになり、いずれその活躍がたまたま日本を訪れていたハリウッドスターの目に止まり、その超セレブなイケメンに見初められて結婚してビバリーヒルズに純くんもビックリな豪邸を建てて幸せに暮らすの! ああ、素敵! 完璧!」
目を閉じれば未来の豪邸が浮かぶ。私頭いいし可愛いし余裕っしょ。最短で司法試験受かっちゃうもん。うん、イケるイケる。
そう遠くない未来に想いを馳せていると、親友がどこか遠い目をしている。なんだ、どうした。
「……壮大な夢だねぇ、特に後半」
「だって、純くんもあの女もあっと言わせる相手ってそれ位しかないかなって」
「いや、いいと思うよぉ。目的はともかく、麗が弁護士になるの応援する」
にっこりと笑う親友にホッとする。うん、やっぱり呪いは良くなかったよね。やるなら正々堂々、立ち直れない位けちょんけちょんに! なーんて思っていると、教室の奥からガタガタっと勢い良く机や椅子にぶつかりながらこちらにやって来る女が一人。
「う、麗ちゃん! 弁護士になるの!? わ、私もなの、一緒だね!」
聖子様である。ケッ、出歯亀してやがったな。
「そうよ、覚悟なさい! あなたみたいなへっぽこドジっこより断然優秀な弁護士になって、一勝だってさせてあげないんだから! 無能弁護士としてその名を轟かせるがいいわ!」
ビシッと人差し指を突きつけ宣言する。人の初恋を奪ったことを簡単に許してやると思うなよ! このド平民が!
「っうん、うん! これから一緒に頑張ろうね!」
なにを勘違いしたか涙目になって抱きつこうとする聖子をひらりと躱す。だぁ~れがお前と抱擁なんかするか! 純くん呼んでこい!
「勘違いしないでちょうだい! あなたのこと、ずぅーっと苦しめてあげるんだから! 私という絶対的な脅威に震えて眠りなさい!」
「うわぁ、麗ちょう悪役っぽい」
「そんな事してないで早く僕の彼女になればいいのにねえ」
どこから湧いたのか、いつの間にか軟派男までいる。やだーストーカーかよー。しつこーい。
「岩には興味ないんで」
「どこまでグレードアップしたら興味を持ってもらえるのかな」
「ダイヤモンドくらいですかね」
「それは長い道のりだ」
苦笑する軟派男に、目を潤ませ抱きつく機会を伺う聖子、そして教室のドアの向こうからこっそりこちらを窺う純くん。全く、どいつもこいつも気に食わない。やっぱり信頼できるのはこの胸の大きい親友だけである。ボフッと音を立ててその胸に飛び込む。大丈夫、もう憎くはない。ただムカつくだけだ。
一度大きく息を吸い込んで、キッと三人を睨みつける。
「せいぜい無駄な努力をすればいいわ! 最後に笑うのは私なんだから!」
仲良くなんて、してあげないんだから! ケッ。