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短編① あるパイロットの末路

作者: 麦茶

____サッ、、ササ


本当に長い眠りから覚めようとする感覚だった。

酩酊していたのか、はたまたまだ夢から覚めてはいないのかもしれない。

近くに滝でもあるのだろうか。

水飛沫の音が遠い場所からかすかに聞こえたような気がした。

確認しようにも辺り一面黒く染まりきっており、体を起こすことはより困難に思えた。


‥‥‥ああ、そうか。目を開けなきゃ


ゆっくりと視界が開ける。

薄く陰った日光が視界をぼやかせ、ピントが合った頃には違和感の原因が分かった。

片目は潰れ、右腕が在らぬ方向に湾曲していた。

腰辺りから下は浅い河川に浸かっているが、流れる水は朱色に染められている。

幸い痛みどころか、冷たいという感覚すらない。

三半規官もおかしいようで、無重力空間を泳いでいるように平衡感覚が狂っていた。

視線を少しずらせば、最初の疑問も解消された。

滝と呼ぶには程遠い2メートル弱の段差から落ちる水は、男の直ぐ頭元に流れていた。


____ササッ


音が聴こえていない。

足は使い物になりそうになかったが、左腕は動きそうだ。


「つっ!!」


手首を動かすと針で刺されたような痛みが走った。

余り動かさない方がいいのだろうが、贅沢を言える状況では無かった。

鈍愚な左腕を駆使し、ジャケットのポケットから簡易の発煙筒を取り出す。


「‥‥‥」


使えなかった。

味方よりも敵が素早く見つけ出し、殺されるだろう。

ここは敵地の真っただ中なのだから。

しかし、この手負い状態では撤退どころか虫の息だ。

このままじっと耐えるしかないのだろうか。

作戦本部は墜落位置を必ず把握しているはずなので、もしも空域を制圧できたのならば、一時間と待たずに待機部隊が救助してくれるだろう。

一時間。


「‥‥‥」


今では凄まじく遠く感じる。

十分どころか、今すぐでも床の間に就きたい。

疲労感が重く圧し掛かり、瞼がゆっくりと閉じられる。


‥‥‥安全な場所に


隠れなければならないのだと、頭では分かっている。

反面、体全体が無理だと主張して止まない。

知ったことか。

己の未熟さから1億ドルもする戦闘機を灰にしてしまったのだ。

そのまま死んでしまっては母国や両親に申し訳が立たない。

なにより、厳しい訓練をパスしたプライドが許さなかった。


「うおっ!!」


左腕が無事、、、ではないが動いてくれて良かったと心底思う。

これなら岩や土を掴みながら、這いつくばってある程度移動できるだろう。

水面から自分の下半身が引き上げられた。


「‥‥‥」


もう立ち上がることは一生叶わないかもしれない。

だからと言って左腕を緩める理由にはなり得なかった。

掴み、体を引きずるように動かしてゆく。

周囲には狭い河川敷になっており、その向こうは密林が続いている。

戦闘機はかなり先で墜落したのだろう、爆発の形跡も無く周囲の空に煙も見られない。

フラッシュバックのように墜落前の記憶が再生された。

脱出装置が手動では反応せずに、最終的には墜落前の大木に衝突した衝撃で正常に作動した。

高速の機体が傾いているにも関わらず、無理な姿勢のままロケットモーターで射出されたのだ。

そのあとはパラシュートどころか、数度木々に叩きつけられ地面にも容赦ない洗礼を受けたのだろうと思う。

しかし彼は心臓を止めることは無かった。

生きていることが不思議なくらい、それは奇跡じみた出来事だった。

ショック死を起こさず、意識まで取り戻したとなると、彼の精神力は計り知れない。

後部座席のパイロットはどうなったのだろうか?

とにかく、ここで這いつくばっていては殺してくださいと言っている様なものだ。

せめて木々の根元の隙間に、欲を出せば洞窟でもあれば最高だった。


「うっ、、」


考えをまとめるより先に、体の限界に達してしまった。

感覚が戻りつつあるのか、先ほどから両足が在り得ない痛みに支配されている。

仰向けになり、大空を眺める。


‥‥‥大丈夫だ。少し休めば、、、


自分が酷く滑稽に思えてきた。

満身創痍な体を空中から眺めているのを想像しながら、どうしたものか、と。

諦めてようが、死に物狂いで抗おうと結果は変わらないような気がして堪らない。

待つ人も、友も。

この姿を見てまで『頑張れ』とは言うまい。

体が全く動かない。

ならいっそのこと、一休みしてから行動しても遅くないかもしれない。

幸い、ここは背の高い茂みに隠れている。

もしかするとだが、敵の偵察部隊もやり過ごすことが出来るかもしれない。

甘い期待が眠気を助長している。

最後にと思い、胸ポケットに忍ばせていた写真を引き抜き、胸に押えた。

では少し眠ることにしよう。

目が覚めたら一番にすることはこの敵地を離脱しなければ。

拷問され情報を漏らすのは絶対に避けたい、死ぬなどといった選択肢はさらに在り得ない。


‥‥‥こんな死に様であって堪るか、、


久々のフライトは少々疲れた。

任務が終われば、酔い潰れるまで飲み続けながら旧友と仕事を忘れて語りあいたい。

両親は戦闘機を破壊されたと知れば、きっと激怒することだろう。

その時は、必ず取り返すと誓おう。

目を瞑り、滝飛沫のノイズに全てを委ねられれば、すぐさま意識が消失した。


___________________________________________



茂みをかき分けてみれば、奇異な血痕の原因が分かった。

戦闘服の男が仰向けで倒れている。

迷彩服の違いがあるが腕章から味方軍の戦闘機パイロットだろう。


「こりゃひでぇ」


体全体に傷のない場所などなかった。

鼻と片眼が潰れて腫れあがり、顔面を直視することは憚られた。

右腕は関節が反対方向に90℃反り返っている。


引きずられた血痕を辿れば、滝壺から小川に繋がる水たまりから5メートル程移動している。


「この傷で、、本当に動けたのか?」


状況から判断するに、そう考えるしかなかった。

この兵士は極限の死地で一体何を思ったのだろうか。

声も出せずに通信機も吹き飛ばされ、孤立無援の状況下で何を考えたのだろうか。

川辺に投げ出された発煙筒。

手に握られていたのはクシャクシャに潰れかけている一枚の家族写真だった。


「‥‥‥」


周囲は落下傘部隊が制圧を開始し始めているが、彼はその情報を得られなかただろう。

遠くの銃撃戦の音も聴こえていないのだろう。

激痛にもだえながらも、せめて身を隠そうと木々に向かって這っていったのだ。


「血痕を拭く余裕は、、、無かったか」


場所は悪くなかったが、跡がはっきりと残っているため発見は当然と思えた。

無線機からの応答が少々遅かったが、いつ通りの冷静な声色に変わりは無かった。


『生死を確認してく_』


触るまでも無く、言下に答える。


「亡くなっている。酷い有様だが連れて帰ってやらないと」


『ああ。だが、事実確認が先だ。安全な場所で待機せよ。警戒を怠るな、その区域は完全には制圧出来ていない』


「、、、了解」


腋の下をから手を回し、羽交い締めにして近場の岩陰に移動させた。

ここなら丁度川沿いの死角になっており、敵が接近した場合に先手を打てる。

男を寝かせ、傍の木陰に息を潜めながらも考えていた。

この戦争が始まってからも死者は続々と増えていたが、男が目の前にするのは初めてだった。

誰が殺したかも、殺されたのかも分からないが、妙な感傷を感じてしまう。

殺したくて殺したのか?

そんな筈がないと思い直す。

誰も自分と同じ形を持った生物がバラバラに吹き飛ぶ光景は見たくないだろう。

ならばどうして?


[殺さなければ殺されるから]


事実、このパイロットは最新のステルス戦闘機で敵兵を爆撃しようとしていた。

考え続けると酷い嫌悪感が男を見舞う。

人が人を殺すことに意味をつくってしまった。

人が死ぬことは無意味では無く、味方を生かすことになるのだ。

意味を見出したのは他の誰でもない。

人間だ。

男には戦う意味というのが明確に掴めてはいなかった、というのも幼少期に観た戦争ドラマが印象的で軍人という選択肢があっただけで、他にこれといった目標も無しに生きてきたのだった。


‥‥‥俺は映画の役者に憧れていただけだったのか?


それとも無意識に戦争を愛する狂人格だったのかもしれない。

大学も、基地での生活もそれなりに楽しかったし、戦争となっても『軍人だから』という曖昧な定義しか持ち合わせていなかった。

しかし、後ろの遺体はきっと違う物に突き動かされていたに違いない。

最後まで足掻き、限界まで切り詰めたその魂には感服するしかなかった。

それは本当に、画面の中で活躍する映画スターのような勇ましい姿だったのだろう。

男は思う。

今、俺が人を殺す意味はなんだろうかと。

無線が反応する。


『分かったぞ。先行した爆撃機が敵地の地対空ミサイルを攻撃した際、帰還時に一機が誘導ミサイルに被弾して行方不明になっている。おそらくそのパイロットだろう。お前は今、その墜落した戦闘機に一番近い位置にある。そのまま北に移動して戦闘機を確認してくれ』


驚きはしたものの、声には出さない。


「遺体はどうする」


『後続がヘリまで運んでくれる筈だ』


「、、、了解北へ移動する」


『おそらく衝撃で自爆装置も作動してないかもしれない。その場合は在るだけの爆薬で通信部分を破壊してくれ』


通信は途絶えた。

戦闘機に搭載した通信機器には味方軍の暗号方式が組み込まれている。

もしも敵の手中に収まれば通信が傍受される危険性があった。

作戦本部は不確定要素を一刻も早く解決しておきたいのだろう。

遺体はこのまま放置することになるが、仲間が必ず連れ帰ってくれるだろう。

今度は視線を背けることなく、しっかりと彼の顔を見た。


「よく頑張った。戦闘機は俺が破壊してやっから、もう少し横になってな」


男はサブマシンガン構え直し、森の静けさに飛び込む。

戦争が悪いことなのか、正義なのか、悪なのか。

今はそんなことどうだっていいと振り切れる。

彼は数分後、人を殺すことになるだろう。

そのたびに傷つく家族や、衰退する国が悲鳴や嗚咽を繰り返すかもしれない。

しかし男は止まらなかった。

パイロットの痛みに比べれば、胸の苦しみを押し込むことなど容易い。

彼の死に様を守るために、男は前へ進む。


「エースの死に様は美しくないとな。やっぱり」



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