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このまま一人で生きると思っていた ―年下と年上、そのあいだで揺れる日々  作者: 無明灯


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第21話 このまま一人で生きると思っていた

 朝の施設は、いつも通りだった。


 申し送りがあり、

 利用者の名前が読み上げられ、

 職員たちがそれぞれの持ち場へ散っていく。


 新しい利用者が一人、増えていた。


「初日は緊張しますよね」


 篠原美和がそう声をかけると、

 その人は小さく笑った。


「ええ。でも、来てよかったです」


 その言葉に、

 美和は自然に頷いていた。


 不安があっても、

 それでも前に進む人たちを、

 この場所で何人も見てきた。


 だから、

 「大丈夫です」と言う声に、

 もう迷いはなかった。


 午前中の業務を終え、

 廊下で白石恒一郎とすれ違う。


「お疲れさまです」

「お疲れさまです」


 それだけのやり取り。

 でも、足取りは揃っていた。


 昼休憩、

 事務所の窓から外を見る。


 空は曇っている。

 晴れてもいないし、

 雨も降っていない。


 悪くない天気だと思った。


 ふと、

 少し前の自分を思い出す。


 このまま一人で生きるんだろうな、

 と、何となく思っていた頃。


 それは覚悟でも、決意でもなく、

 ただの予感だった。


 今も、

 一人でいる時間はある。


 でも、

 一人で生きるつもりだったわけじゃない。


 午後、

 書類を整理していると、

 白石が声をかけてきた。


「今日、このあと時間ありますか」


 一瞬、胸が跳ねる。

 でも、表情には出さない。


「少しなら」

「では、少しだけ」


 特別な誘いではない。

 それが、かえって安心だった。


 業務が終わり、

 二人で施設を出る。


 並んで歩く。

 会話は、ほとんどない。


「最近、落ち着いていますね」


 白石が、前を見たまま言う。


「そうですか?」

「はい。いい意味で」


 美和は、少し考えてから答えた。


「ここで、たくさんの人生を見てきたので」


「そうですね」


 それ以上、踏み込まない。

 でも、否定もしない。


 その距離が、

 今はちょうどよかった。


 駅の前で立ち止まる。


「では、また明日」

「はい。明日」


 それだけで、別れる。


 連絡先は知っている。

 話したいことも、きっとある。


 でも、

 今すぐ言葉にしなくてもいい。


 美和は一人で歩き出しながら、

 静かに思った。


 このまま一人で生きると思っていた。

 でも、

 誰とも生きないつもりだったわけじゃない。


 誰かと一緒に生きる未来を、

 怖がらずに思い浮かべられるようになった。


 それだけで、

 十分だった。


 夜、部屋に戻り、

 明日の予定を確認する。


 仕事。

 面談。

 白石と同じフロア。


 小さく息を吐く。


 人生は、

 劇的には変わらない。


 でも、

 静かに、確実に、

 方向は変わっていく。


 美和は、明かりを消した。


 終わりではない。

 これは、

 選び続けていく日常の、

 ひとつの区切りだ。


 そう思いながら、

 目を閉じた。

この物語を書き始めたとき、

はっきりした結末を用意していたわけではありません。


「このまま一人で生きると思っていた」

そんな感覚を、誰かが胸の奥にしまったまま

毎日を過ごしているのではないか、

という問いから始まりました。


篠原美和は、特別な人ではありません。

仕事があり、生活が回っていて、

大きな不幸も、大きな夢もない。

それでも、ふとした瞬間に

自分の将来を考えてしまう人です。


介護の現場では、

若い頃の選択が、

何十年も先の生活として立ち上がってきます。


結婚した人。

しなかった人。

やり直した人。

一人を選び続けた人。


そのどれもが、

誰かの「正解」であり、

誰かの「間違い」でもありません。


この物語で描きたかったのは、

恋の勝ち負けでも、

結婚というゴールでもなく、


「自分は、どんな時間を生きたいのか」

という問いに、

急がず向き合っていく姿でした。


白石恒一郎という人物は、

答えをくれる人ではありません。

ただ、同じ場所に立ち、

同じ時間を生きてくれる人です。


神谷尊や結城陽斗もまた、

主人公を迷わせる存在であると同時に、

彼女が自分を知るために

必要な時間だったのだと思います。


この物語は、

はっきりとした約束や宣言をしないまま終わります。


それは、

人生がそういうものだからです。


決めたつもりでも揺れ、

揺れながらも、

気づけば同じ場所に戻っている。


もしこの本を読み終えたあと、

「自分も少し考えてみようかな」

「このままでも、悪くないかもしれない」

そんな気持ちが、

ほんの少しでも残ったなら、

それ以上のことはありません。


最後まで読んでくださり、

本当にありがとうございました。


この物語が、

あなたの日常のどこかに、

静かに置かれる一冊になれば幸いです。

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