第2話 ケアマネの一日
ケアマネジャーの一日は、電話から始まる。
篠原美和が事務所の椅子に腰を下ろして間もなく、内線が鳴った。
画面に表示されたのは、見慣れた家族の名前だった。
「はい、篠原です」
『昨日の夜、母があまり眠れなかったみたいで……』
『今のサービス内容で、本当に大丈夫なんでしょうか』
声の向こうにあるのは、不安だ。
怒りではない。責任転嫁でもない。
ただ、どうしていいかわからない気持ち。
美和は相槌を打ちながら、モニターに表示されたケアプランを確認した。
数字、時間、頻度。
すべては整っている。
「現状では、身体状況に大きな変化はありません。ただ――」
言葉を選ぶ。
安心させすぎてもいけないし、突き放してもいけない。
「夜間の不安が続くようでしたら、訪問回数を見直すこともできます。一度、様子を見させてください」
『……そうですね。お願いします』
通話を終え、受話器を置く。
美和は一息ついた。
利用者本人より、家族の方が先に未来を心配する。
それは珍しいことではない。
人は、自分の老いより、誰かの老いの方が怖いのだ。
パソコンに向かい、記録を打ち込む。
指は自然に動く。
考えなくても、体が覚えている。
「篠原さん、今いいですか?」
声をかけてきたのは、神谷尊だった。
医療ソーシャルワーカーで、病院との連携を担当している。
「どうしました?」
「佐伯さんの件なんですが、退院後の生活について、病院側から少し確認があって」
資料を覗き込みながら、二人で短く話す。
神谷の説明は簡潔で、無駄がない。
「この条件なら、今のプランで問題なさそうですね」
「ええ。あとはご本人の気持ち次第でしょうか」
その「気持ち」が、一番扱いづらいことを、二人とも分かっている。
神谷は軽く笑った。
「篠原さん、相変わらず大変な仕事してますよね」
「そうですか?」
「人の人生を、毎日ちょっとずつ決めてる」
美和は肩をすくめた。
「決めてるというより、調整してるだけです」
「それが一番難しい」
神谷はそれ以上踏み込まず、資料を抱えて事務所を出ていった。
昼前、フロアに出ると、結城陽斗が利用者の車椅子を押していた。
何か話しかけながら、相手の反応をよく見ている。
「篠原さん」
気づいて、陽斗が声をかけてきた。
「小野寺さん、今日は機嫌いいですよ」
「それはよかった」
「さっき、『今日は天気がいいから』って。理由がちゃんとしてるんです」
陽斗は楽しそうに言った。
それだけのことで、場の空気が少し明るくなる。
――今を生きるのが、上手な人。
美和はそう思った。
昼休憩。
職員用の小さな休憩室で、コーヒーを飲む。
「今日、忙しそうですね」
向かいに座った陽斗が言う。
「まあ、いつも通り」
「そっか。じゃあ、無理しないでくださいね」
軽い言葉。
でも、押しつけがましくない。
美和はそれが、少し楽だった。
午後はケアプランの準備に追われた。
聞き取り項目を確認し、過去の記録を読み返す。
――生活歴。家族構成。職歴。大きな出来事。
画面に並ぶ文字は、どれも淡々としている。
けれど、その一行一行の裏に、長い時間があることを、美和は知っていた。
夕方、白石恒一郎が事務所の前を通りかかる。
「今日、面談でしたよね」
「はい。これからです」
白石はそれだけ言って、軽く頷いた。
応援でも、心配でもない。
ただ、事実の確認。
それが、なぜか心地よかった。
時計を見ると、もうすぐ面談の時間だった。
美和は資料をまとめ、立ち上がる。
今日も、誰かの過去を聞く。
そして、未来を整える。
それが、自分の仕事だ。
――自分の未来は?
その問いが、頭をよぎりかけて、すぐに消えた。
今は考えなくていい。
そうやって、美和は今日も前に進む。
面談室のドアに手をかけながら、深く息を吸った。
次に聞く言葉が、
あとから思い出されるものになるかどうか、
この時の彼女は、まだ知らない。
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