第17話 揺れは、まだ残っている
白石が戻ってきてから、二日が過ぎた。
現場は落ち着いている。
書類も、面談も、判断も。
特別な出来事は何もない。
それなのに、美和は自分の中に
小さな余白ができているのを感じていた。
満たされた、というほどではない。
ただ、張りつめていたものが、
少しだけ緩んだような感覚。
「篠原さん」
昼休み前、声をかけてきたのは神谷尊だった。
いつものように軽い口調で、
でも今日は、少しだけ視線が長い。
「このあと、時間あります?」
「少しなら」
「じゃあ、コーヒーだけ」
断る理由はなかった。
考える必要もない。
施設の裏手にある自販機前。
紙コップのコーヒーを手に、
二人で並んで立つ。
「白石さん、戻りましたね」
「うん」
「やっぱり、違います?」
「……何が?」
「雰囲気」
神谷はそう言って、笑った。
「みんな言うんですよ。
安心するって」
美和は、返事をしなかった。
否定も、肯定もしない。
「篠原さんも?」
「どうだろう」
本当は、分かっている。
でも、それを言葉にしたくなかった。
神谷は、少し間を置いてから言った。
「俺はさ、
篠原さんがちょっと柔らかくなった気がする」
ドキリとする。
「そう?」
「うん。前より、無理してない」
その言葉は、優しかった。
白石とは違う種類の。
「……ありがとう」
神谷は、それ以上踏み込まない。
そこが、彼の上手いところだった。
「今度、飲みに行きません?」
「また?」
「嫌ならいいですけど」
軽く投げる。
受け取るかどうかは、相手次第。
美和は、一瞬だけ迷った。
楽だ。
この人といると、
考えなくていい。
「……予定、見てみる」
そう答えると、
神谷はそれ以上追わなかった。
「了解」
午後の業務に戻る。
パソコンを立ち上げ、
ケアプランの続きを書く。
その途中で、
白石の声が廊下から聞こえてきた。
「こちらで大丈夫です」
「無理はしないでください」
それだけの会話。
なのに、美和の指が止まる。
――今、何を考えていた?
神谷との会話。
コーヒーの苦さ。
誘いの言葉。
悪くなかった。
むしろ、心地よかった。
それでも、
意識が引き戻されたのは、
白石の声だった。
夕方、業務が終わる頃。
神谷が事務所をのぞく。
「さっきの件、無理しないでくださいね」
その言い方に、
美和は少しだけ胸が痛んだ。
「ありがとう」
神谷は手を振って、去っていく。
帰り道、スマートフォンを見る。
特に通知はない。
白石からも、
神谷からも。
それでいいはずなのに、
なぜか、胸の奥がざわつく。
部屋に戻り、
バッグを置く。
神谷といた時間を思い出す。
軽くて、優しくて、
今だけを生きている感じ。
悪くない。
間違ってもいない。
それでも、
最後に浮かんだのは、
白石の横顔だった。
話していないのに。
触れてもいないのに。
――揺れたのは、本当だ。
でも、戻った先も、
はっきりしている。
美和は、ソファに腰を下ろし、
ゆっくり息を吐いた。
まだ、迷っている。
でも、迷子ではない。
揺れは、まだ残っている。
それでも、
どこに戻るかは、
自分が一番よく分かっていた。
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