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このまま一人で生きると思っていた ―年下と年上、そのあいだで揺れる日々  作者: 無明灯


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第15話 連絡をする理由

 朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。


 篠原美和は、目を覚ましてしばらく、そのまま天井を見つめていた。

 眠れなかったわけではない。

 ただ、夢の続きを考えていたわけでもない。


 頭の中は、不思議なほど静かだった。


 佐伯敏子が、夫の手を握っていた姿。

 言葉がなくても、そこにあった時間。


 ――最後まで一緒にいられた。


 その事実が、何度も胸の中で反芻される。


 洗面所で顔を洗い、髪を整える。

 いつもと同じ動作。

 それなのに、どこか違う。


 美和は、スマートフォンを手に取った。


 連絡先の一覧を開く。

 指が、自然に一つの名前で止まった。


 白石恒一郎


 迷いは、もうほとんどなかった。


 連絡を取らなかった理由なら、いくらでもあった。

 忙しい。

 邪魔をしたくない。

 踏み込む覚悟がない。


 でも今は、

 連絡を取らない理由の方が、

 見つからなかった。


 文章を考えようとして、やめる。

 言葉を選ぶほどのことじゃない。


 美和は、短く打った。


『おはようございます。

 今、少しお時間ありますか』


 送信。


 画面を伏せると、胸が少しだけ高鳴った。

 緊張ではない。

 期待とも違う。


 ただ、

 選んだという感覚だった。


 返信は、思ったより早く来た。


『あります。どうしましたか』


 それだけだった。

 いつもの白石の文面。


 美和は、少しだけ笑った。


『お話ししたいことがあって。

 お戻りの予定、いつ頃ですか』


 数秒の間。

 その沈黙すら、今は待てた。


『明後日には戻ります』


 美和は、深く息を吸った。


『戻られたら、

 少しお時間をいただけますか』


 ここで初めて、

 胸の奥がきゅっと縮まった。


 逃げ場は、もうない。


『分かりました』


 それだけの返事。


 でも、その「分かりました」が、

 美和には十分だった。


 スマートフォンを置き、

 窓の外を見る。


 街は、いつも通り動いている。

 誰も、何も知らない。


 それでいい。


 これは、

 大げさな決断じゃない。


 一緒に話す時間を、

 先延ばしにしないと決めただけ。


 施設に向かう道すがら、

 美和は自分の足取りが、

 いつもより少しだけ確かだと感じていた。


 結城陽斗とすれ違い、挨拶を交わす。

 神谷尊とも、業務連絡を短く済ませる。


 何も変わっていない。

 けれど、自分の中では、

 確かに何かが動いた。


 白石が戻ってくる。

 話をする。


 それだけのことなのに、

 これまでとは、重さが違う。


 美和は思った。


 恋を始めるというより、

 未来を引き受ける準備をする。


 佐伯夫妻が見せてくれた時間は、

 終わりの場面だった。


 でも、自分の時間は、

 まだ続いている。


 続いているからこそ、

 誰かと話す。


 逃げずに。


 美和は、事務所のドアを開けた。


 今日も、仕事は待っている。

 人生も、待ってくれない。


 だからこそ、

 連絡をした。


 それだけで、

 十分だった。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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