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このまま一人で生きると思っていた ―年下と年上、そのあいだで揺れる日々  作者: 無明灯


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第1話 朝の申し送り

人は、

いつから「このままでいい」と思うようになるのだろう。


夢を諦めたからでも、

失敗したからでもない。


ただ、忙しくて、

毎日が回っていて、

大きな不満がないだけ。


それでも、

ふとした瞬間に思う。


——このまま一人で、生きていくのかもしれない。


それは悲しみでも、決意でもなく、

ただの予感だった。


この物語は、

そんな予感を抱えたまま働く一人の女性が、

他人の人生を通して、

自分の未来に触れていく話です。


恋が始まるかどうかよりも、

その先の時間を、

どう生きたいかを考えるために。

 申し送りの声が、まだ眠りきらない廊下に低く響いていた。


「二階の小野寺さん、夜間に一度トイレ介助あり。転倒はなしです」

「佐伯さん、明け方に少し血圧が下がりましたが、今は安定しています」


 篠原美和は、手元のノートに視線を落としたまま、淡々とペンを走らせていた。

 聞き慣れた名前。聞き慣れた数字。聞き慣れた言葉の並び。

 それでも、どれ一つとして聞き逃してはいけない。


 夜勤明けの職員の声には、独特のざらつきがある。疲労と責任が混じった声だ。

 美和はそれを聞き分けることにも、もう慣れていた。


「川端さんは、夜中に少し不安が強くて。話を聞いていたら落ち着きました」


 誰かがそう報告すると、隣に立っていた白石恒一郎が、短く頷いた。


「今朝のリハビリは、無理しないメニューでいきましょう」


 それだけだった。

 声を張るわけでも、補足を重ねるわけでもない。

 けれど、その一言で場の空気が落ち着くのを、美和は知っている。


 白石はいつもそうだ。

 必要なことしか言わない。

 けれど、言葉が足りないと感じたことは一度もなかった。


「他に共有事項は?」


 リーダーの問いかけに、誰も手を挙げない。

 それを合図に、申し送りは終わった。


 職員たちはそれぞれの持ち場へ散っていく。

 美和もノートを閉じ、立ち上がった。


「篠原さん、今日ケアプラン更新でしたよね」


 背後から声をかけられ、振り返ると、介護福祉士の結城陽斗が立っていた。

 相変わらず、朝からよく通る声だ。


「うん。午前中に小野寺さんと佐伯さん」

「了解です。何かあったら声かけますね」


 そう言って、軽く手を振る。

 その仕草に、場の空気が少しだけ柔らぐ。


 ――こういうところが、助かるのよね。


 美和は心の中でそう思いながら、歩き出した。


 ケアマネジャーの仕事は、現場と事務の間を行き来することだ。

 利用者の生活を思い描きながら、制度の枠に当てはめる。

 家族の希望と、本人の本音の間で調整する。


 誰かの人生を、日々、少しずつ整えていく仕事。


 それを重いと感じることは、もうあまりなかった。

 慣れ、というより、受け入れてしまったのだと思う。


 事務所に戻る途中、廊下の先で白石が利用者に声をかけているのが見えた。


「今日は足の動き、悪くないですね」


 相手の顔を真正面から見て、ゆっくり話す。

 急かさない。決めつけない。

 その姿を、何度も見てきた。


 ――この人がいると、現場が安定する。


 美和はそう思うだけで、それ以上の感情を掘り下げたことはなかった。


 事務所に入り、パソコンの電源を入れる。

 今日もやることは山ほどある。


 画面に表示された利用者一覧の中に、

 小野寺 澄江

 佐伯 敏子

 という名前が並んでいた。


 美和は一瞬だけ、その名前を見つめてから、マウスを動かした。


 この人たちの過去を聞くのが、今日の仕事だ。

 それが、どんな人生であっても。


 ――あくまで、仕事。


 そう自分に言い聞かせながら、美和は最初のケアプラン資料を開いた。


 まだこのときの彼女は知らない。

 今日聞く言葉のいくつかが、

 いずれ自分の人生を、静かに揺らすことになるということを。

本話もお読みいただき、ありがとうございました!


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