2
朝からずっと高熱の中、時折呻いていたアンナは急に目を開いた。部屋の中はオレンジ色に染められもう夕方である。
「お母様、お父様」
小さな声だったが確かに溢れた呼び方に胸が締め付けられる。思い出したのか?
「ここよ」「ここに居る」
ギュッと抱き寄せられ視界がブレる。熱のせいで涙目になっているのかぼやけて良く見えないが。愛されていると実感出来る。
「魔力が......」
ビリーの思わず呟いた言葉に当主夫妻が振り向く。
「あの、お嬢様の魔力がとてつもない量です。こんなのは私が感じてきた中でも初めての魔力量で、もしかしたら」
そこでビリーは、あくまで仮説だと夫妻に説明した。
ここまで膨大な魔力を発現させる予兆が記憶障害と高熱として起きたのではないか。明らかに幼い体には負担にしか成り得ない魔力量である事が、どうにも不安ではあるが高熱以外に不調をきたしている所は見受けられない。
熱が下がってみないと細かい部分は分からないが、記憶障害も一時的な物だったように思えると。
翌朝、スッキリとした頭に何だか体がとても軽く物凄く良い気分だ。謎の万能感もある。ベッドから勢い良く飛び出すと近くのソファに並んで眠る両親が目に入って来た。不思議に思いながら二人を揺り起こす。
「お父様! お母様! ベッドで寝ないと風邪ひきますよ!」
「アンナ!」
二人から痛い程に抱き締められて困惑する。あ、そうか思い出したのだ。それでオーバーヒートをおこしてブッ倒れたのである。
「あ、アンナは元気です!」
「そうね、元気だわ。これから大きくなるものね?」
「はい! 大きくなります!」
「そうだな、これから沢山大きくなるんだ」
ニコニコと満面の笑みを浮かべる愛娘の様子に夫妻は胸一杯の安堵感が広がる。
「ビリー先生に見て貰おうね」
頭を撫でながら、そう告げれば不思議そうに首を傾げるアンナ。
「アンナは元気ですよ?」
侍女の一人がサッと出て行き暫くして扉のノックが聞こえる。
「入りなさい」
静かに開けられた扉からビリーが入ってくる。
「お嬢様......お元気そうで何よりです」
薄っすらと涙を浮かべるビリーの様子にうんうんと頷く両親。
「これだけ元気そうなのだから大丈夫だとは思うが見て欲しい」
「勿論です」
失礼しますねと声を掛けられてから入念なチェックを受け無情にも告げられた言葉は大事を取って一日安静にしていろというお達しである。
「お外に出たいわ!」
「なりません」
「お父様! お母様! ビリーが!」
しかしながら両親もニコニコしながらも頷く事は無くて。
「今日はお母様がご本を読んであげましようね?」
この世界に絵本は存在していない。あるのは小難しい物ばかりだ。
「嫌よぉぉお。お外に出るわ! お父様! お散歩しましょう?」
「お母様に、ご本読んで貰いなさい」
「嫌よぉぉお」
この世界に存在しているのは小難しい本だけなのである。アンナは絶望した。何故なら前世も今世も勉強が大嫌いだからである。小難しい本なんかゴメンなのだ。
あーと頭を抱える平常運転の様子を見て一同心から幸福感が湧いてくる。良かった、この子が元気で。
思いの他聞かされる小難しい本の話は面白かった。魔法の話はとても興味深くて貴族なら大抵は魔力を持っているらしい。しかも魔法は病を治す以外は殆ど何でも出来てしまう様で要はイメージが必要なのだとか。
あんなに嫌だと騒いで居たのに大人しく、ふむふむと真剣に話を聞く様子は可愛らしくて母も侍女も思わず顔が緩む。
そんな微笑ましさは次の瞬間吹っ飛んでしまうが。
「アンナ、出来る気がします!」
急に母の膝から飛び降り腕を上げて叫んだかと思うと窓が轟音と共に吹き飛んだ。パラパラと木材の破片が窓があったであろう場所から零れ落ちる。
「あれ?」
小首を傾げる様子は、とても愛らしい。
「あ、アンナ? こっちに居らっしゃい」
「はい! お母様!」
元気に返事を返す愛娘は悪い事をした等これっぽっちも思っていないようで、むしろ褒めて貰える前に良く見せる、はにかんだ様子だ。
「......凄いわ、まだ5才なのに。どうやって魔法を使ったの?」
「何か出ろーと、思いました!」
えへへーと嬉しそうに母を見上げて来る愛娘。私の可愛い宝石ちゃん。
「少し早いかもしれないけど、魔法の先生を呼びましょう」
「はい! 頑張ります!」
元気に返事を返す様子は、とても愛らしいのだ。
アンナは思った。私、天才かもしれないと。
そして前世での記憶といえばアンナの事しか思い出せる様な事は無く思考回路は少しだけ大人びた子供というだけであった。
アンナに関する事ならどんどん出て来るのに、それ以外は悲しい程に出て来なかったせいである。働いていた筈なのに業種も毎日の食事内容ですら思い出せない。
頭に思い浮かぶのはアンナについてのみだ。
「平民は、こんな物しか食べられないの? なんて不憫なのかしら」
美味しそうに黒パンを頬張る子供に投げ掛ける悪気ない言葉は幼心を傷付け泣かし。
「あらあらまぁまぁ、虫の季節だったかしら? 煩くて敵わないわ」
アンナの美貌に吸い寄せられた貴族の若い男の口説き文句を一刀両断しぶち切れられても顔色一つ変えずに更に言う言葉が辛辣で。
「あらぁ、なんて話しているのかしら? 虫の言葉は私には理解出来ないわ。鬱陶しいだけね、困った事」
こんな具合にアンナの言葉はどんどん出て来る。
「アンナ? 大丈夫?」
優しいお母様に顔を覗き込まれ現実へと戻ってきた。
「アンナは元気です!」
「そうね、元気ね」
ヨシヨシと頭を撫でられ、ご機嫌だ。
「アンナは、お腹空いたかしら?」
「んー? 少し?」
そういえば、昨日の朝から何も食べて居ない。水分は小まめに取らされていた様な気はするが。本当に、そこまでお腹は空いてない。
「ビリーの言う通りだわ」
少し考える様子の母を見て首を傾げてしまう。
「アンナ、良く聞いて。貴女はとっても魔力が多いのだって」
「まぁ! アンナは強いのね!」
「えぇ、そうね。その通りだわ。そういう人はね、余り食べ物が欲しくなくなるそうなの」
「どうしてですか?」
「魔力はね? 体の中を回っているって書いてあったわよね?」
「はい!」
「その魔力が多いとね、体を動かす為の力として魔力を無意識に使ってしまうのだって。だからね? 魔力が多いとお腹も空かなくなってしまうのよ」
「それは、良い事?」
「ビリーが言うには、お腹が空かなくてもお野菜やお肉をちゃんと食べた方が良いみたいよ」
「どうして?」
「アンナは大きくなりたいでしょう? 大きくなるには色んな食べ物を食べる必要があるのよ? 好き嫌いだって良くないわ。お野菜、頑張って食べましょうね」
「え、お野菜......頑張って食べて、大きくなります!」
「アンナはとっても偉いわね、私の可愛い宝石ちゃん」
チュッと頬にキスを落とされくすぐったそうに身を捩るアンナ。
「お母様? アンナは、お外で魔法を使いたいわ!」
「あら! 魔法の先生が来るまでは我慢なさい!」
初めての駄目に近いだろうか。アンナは思いの外ショックを受けていた。
「ど、どうして?」
ショックの余り声が震える。
「アンナ? 貴女は5才なの。魔法はね使い方を間違えると、とっても危ないわ。お母様はね、アンナに怪我して欲しく無いのよ? 彼処の窓無くちゃったわね?」
「はい」
「アンナもああなってしまうかもしれないと思うと、お母様は悲しいわ」
「......ごめんなさい」
シュンと項垂れるアンナも可愛らしかった。
そして今迄、間近で奥様の側でお嬢様のお世話をしてきたメアリーは驚く。ちゃんと話せば、お嬢様は聞いて下さるのだと! これまで奥様が何も言わないからと流してきた数々を思い出す。これからは私からも進言していこうと固く誓った。




