16.怪しい人
この街でもっとも有名な娼婦館『ヴァイオレットガーデン』は、ちょっとした貴族のお家くらい大きくて立派だった。
「ここが大人しか入れないファンシーなお城ですか」
「女にとっちゃ戦場だけどな」
有名なわりに人気がないのは営業時間外だかららしい。中に入ればガランとした空間が虚ろな顔で出迎えた。
花のような甘い匂いと欲の香りが混ざり合って絶妙な不快感だ。等間隔に並んだ部屋へ入ろうとすると、かぐやさんに首根っこを掴まれる。
「18歳未満はお断りです」
「経験者ならオッケーですか?」
「それ、どう解釈するべき?」
「マダム、かぐやが来たぜ!」
私達のやり取りを他所にドリーさんは声を張り上げた。
木霊のように響く声。すると入ってすぐの階段からふくよかな女性が下りて来た。惜しげもなく肌を晒す大胆なデザインの黒ドレスはいかにもだ。肉感的な唇はかぐやさんを見るなり弧を描き、彼女は垂れ目を線にして笑う。
「あらいらっしゃい。今日は随分と可愛らしい子とデートね」
艶やかな声は心をくすぐるようだ。ニコリと笑いかけられたので、私は敬礼しておく。挨拶も出来ないヤツは虫以下だとどっかの誰かが言っていたからだ。
ドリーさんの声に気付いたのか、あちらこちらから女の人達が顔を覗かせている。かぐやさんは彼女達にひらり手を振ると、マダムと呼ばれた女性へ微笑んだ。
「ご機嫌麗しゅう、マダム。今日も一段とお美しいことで」
「よくもまぁうすら寒い台詞を吐けること」
呆れ顔を浮かべるが満更でもないのが丸分かりだ。豊かな胸を強調するように腕を組み、嫣然と微笑んでみせる。うーん、何を食べたら大きくなるんだろう。マンゴドラ?
「そのうえ女の子を連れ込むなんて。部屋でも貸してほしいのかしら?」
「まてまてまて。なんで俺が襲う前提なんだよ、流石に未成年は対象外なんだけど?」
「冗談よ、貴方の好みはもう少し上の生娘だものね」
「おいヤメロ、冗談の上に嘘を重ねるな」
どうやらマダムにも頭は上がらないようだ。
途端にかぐやさんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。やり取りから判断するに親密な交流を築いているようだが、裏を返せばそれだけ入り浸っているということだ。
なら事件についても教えてくれるだろう。
彼の袖を引き促すと、察したのか彼は口火を切る。
「勘付いているだろうが今日は例の事件について聞きに来た。犯人に心当たりはあるんだろう?」
「えぇ」
マダムはあっさり頷いた。
「お客様である以上、断言は出来ないわ。けれど殺された子の多くが『彼』のお気に入りだったの」
「彼とは?」
「変態貴族サマさ」
まるで生ごみの匂いを思い切り嗅いでしまったかのような表情をドリーさんは浮かべた。これまた分かりやすい渾名だね。マダムから目を逸らし、かぐやさんは片眉を上げる。
「変態貴族のウラル・インヘータ。幻夢と現実の区別もつけられないとんだお坊ちゃまでさ、ルールは破るわ女達に暴力は振るうわ……とんだクソ野郎なんだ」
「インヘータっつったら議員にも同じ名がいたな」
「いましたねぇ」
金に物言わせて議員の座に就き、出来もしない空想政策を声高に叫んでいるオジサンだ。一般公開された議会の場で暴動を起こした市民によりパン粉塗れにされていたのでよく覚えている。
その名を聞くなり女の人達は一様に嫌な顔をした。どうやらここでも支持は得られないらしい。鼻息荒くなお言い募ろうとするドリーさんを手で制し、マダムは口を開く。
「ドリーの言う通り、ウラル様は少々困った方でね。叔父が議員だからって金にモノを言わせてやりたい放題なのよ。中には営業時間外でも迫られて仕事にならない子もいる……ほんと、困った方よ」
「かぐやに用があったのはソイツを何とかして欲しかったからなんだ。かぐや、上層部の人間と知り合いなんだろう? あの変態野郎をなんとかしてくれよ」
「物理的になんとかしてやることは出来るけどさぁ」
物理的って、明らかにボコボコにするつもりだよね。言葉で言っても分からない人は拳で語り合うしかないから大賛成だと思う。
なんて思っていると、不意に肩を叩かれた。振り返ると頬に痛みのない衝撃。ヘコむ感覚のまま視線を向けると、可愛らしい女性がニコニコと笑っている。
「ふふっ、わ~い。ひっかかったぁ~」
「……ひっひゃひゃりました」
本当に嬉しそうに言うものだから怒る気力を失ってしまった。さらに指を離した女性は、私の頬をムニムニ触る。
「柔らか~い、女の子の頬っぺたっていつ触っても癒しよね~」
「ちょっとフェル、いきなり触ったら驚いちゃうでしょ?」
「だって魅惑の頬っぺたなんだも~ん」
集まっていた1人が呆れ顔を浮かべるものの、フェルと呼ばれた彼女はなんのそのだ。顔は美人の分類に入るだろうが、喋り方はフワフワしていて子供っぽい。唇を緩めて笑っているところを見てしまうと、怒るに怒れなくなる不思議な雰囲気の持ち主だった。
そういえばこうして触られたのは久しぶりだな。されるがままになっていると、ゆるふわフェルさんはようやく手を離してくれる。
「はぁ~っ、癒し! ところでアナタ、かぐの恋人?」
「いえ、ただの同居人です」
よくよく考えてみれば同居人という言葉も違った。それを聞いた何人かがゴミを見るような目でかぐやさんを見る。風評被害再発生。そう思われることをしている方が悪いので、構わず小首を傾げる。
「どうしてそう思ったんですか?」
「だぁって2人とも、お似合いなんだも~ん。美男美女、って感じ?」
「お姉さんの方が綺麗だと思いますけれど……」
宝石のような瞳やそれを縁取る長い睫毛、雪のように白い肌はまるで妖精のようだ。ちなみに私の目は紫水晶だが、宝石どころか不吉だと恐れられている。
なんでも、見つめられると激しい動悸に襲われるとか。本当ならにらめっこは無敵だね、今度かぐやさんで試してみよう。
「やだぁ、冗談でも嬉しい~」
冗談ではなかったのだが、フェルさんは頬擦りをして喜んでくれた。初対面にしては距離感が大分おかしいが、あまりにも無邪気なので良しとしよう。興味が出てきたのか他の女性達も集まってくるなか、フェルさんはキラキラした瞳で私を見つめた。
「ねぇ、アナタ。恋人はいる?」
「恋人?」
突拍子のない質問だ。どういう意図があるのだろう。しばらく考えて首を振れば、彼女は拗ねたように唇を尖らせる。
「え~っ、そうなの? あ、じゃあ好きな人はいる?」
「いないです」
「えぇ~っ!? ダメよ恋しなきゃ、もったいない!」
細い眉を吊り上げて彼女は言うが、婚約者がいた時点で恋愛はご法度なのだ。というか私の場合は友達を作ることすらままならなかったし。そもそも『好き』という感情がいまいちピンと来ていない。
「それじゃあ好みのタイプは? 流石に一つや二つ、好みくらいあるでしょ?」
よほどこの手の話が好きなのか、フェルさんは目をキラキラ輝かせていた。ちなみに好みのタイプも全くない。そう考えると私ってびっくりするほど他人に興味がないんだね。どうやって躱そうか考えていると、ふと1人の女性が脇を通り過ぎる。
彼女を見るなりドリーさんは声をかけた。
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