茶番の幕開け
煌々と夜空を彩る三日月は涙を流しながら地上を照らしていた。
否、それは涙ではなく雨だ。三日月がハッキリと浮かんでいるにもかかわらず、夜空からは透き通った水の雫が降り注いでいる。隣国たる幸国では天気雨のことを『狐の嫁入り』という言葉があるらしいが、目の前で状況説明をする男に外の景色を楽しむ余裕はなさそうだ。
景色を見ている暇がないのは事実だ。険しい顔を浮かべるスーサの前で、部下の1人である男は委縮しきった様子で言う。
「今月に入ってこれで9件目……明らかに常識の域を逸脱しております」
「はっはぁ、常識のある殺人鬼がいたらそれはそれで会ってみたいものだがね」
自称・笑い上戸の彼女が口先だけで笑うのはよくあることだ。そして彼女と長年の付き合いがある者ならば今の笑いが空気を和ませるためのものではないことも理解できる。
一言で表すのなら遺憾。軍警が出動しているにも関わらず、進展どころか状況が悪化していることにスーサは怒りを覚えているのだ。
王族らしからぬ猛獣のような威圧を受け、男は草食動物のように縮み上がる他ない。しかしながら彼女は構うことなく不機嫌そうに机へ脚を乗せた。
「で? 被害を出すだけ出しておいて尻拭いを妹にやらせるクソ兄貴サマはなんとおっしゃっているので?」
「く、クヨ様はスーサ様の腕をこの上ないほど高く評価されております。ゆえに、スーサ王女なら凶悪な犯人を捕らえてくれるだろう、と……」
「そしてあわよくば死んでくれってかい? 流石は頭脳明晰なお兄様だ、他力本願すぎて反吐が出るね」
隠す気もない毒の言葉に男は蒼褪めたが、スーサは軽く手を振ることで発言権を奪った。
「あぁもういいよ、帰ってクソ兄貴に伝えな。犯人はアタシが何とかしてやるから、使えない軍警どもの教育を見直してやれってさ」
「す、スーサ王女、流石に王女といえど兄君のことを侮辱するのは……」
「なぁに、アンタが黙っていりゃいい話さ。なぁ?」
ニヤリと笑ってやれば男は引き攣った顔で一礼し、逃げるように去って行った。人様の顔を見て逃げるとは無礼にもほどがある。ヒラリ手を振って見送ってやりながら、スーサは唇を尖らせる。
「ったく……アタシの笑顔を間近で見られるなんざ、幸運以外の何物でもないのにな」
「お言葉ですが、その極悪面であれば逃げるのは致し方ないかと」
ずっと傍らに控えていたメイドが溜息交じりに呟いた。
彼女の名はシナクダ、彼女が生まれた時から側仕えとして傍らに立つ部下だ。さらに影武者としての役割を担っているためスーサとは距離が近く、遠慮のない物言いが目立つ。スーサ自身おべっかで塗り固められた態度が嫌いなためむしろ大歓迎だが、他の者ならばとっくに首を刎ねている慇懃さだ。
それを自覚しているのか否か、スーサは興味もない。そして恐らく、当人もまた欠片も興味がないだろう。立ち姿だけ清楚かつ完璧な従者でありながら、淡々とした口調で今しがた交わされたやり取りを口にする。
「それにしても本当に軍警は一体なにをやっているのやら……たかが気の狂った犯罪者を捕まえるのにどれだけ時間を要しているの」
「王都の軍警でさえも昼間っから賭博に興じる愚か者さね、トクゴに所属するヤツなんざお遊び気分なんだろう」
男が持ってきたのは、現在トクゴで騒がれている連続殺人鬼の件だ。つい1ヶ月前に起きたこの事件は被害者の共通点もさることながら、全員がむごい状態で見つかっている。今はまだ王国の片田舎で起きている事件だが、いずれ王都にまで魔の手が伸びる危険性もあるのだ。
それを踏まえたからこそ、スーサの言う『クソ兄貴』も彼女に回してきたのだろう。スーサが断れない理由を知っていて、だ。
「はぁ……クヨ様も困ったものです。軍警のシステムを考案したのは紛れもない、彼自身だというのに」
「法なんざ所詮、上のヤツが甘い汁すするためのもんさ。もっとも、クヨは大馬鹿野郎の大兄貴と違って市民の怖さを知っているからこそアタシに頼んだんだ。直近で目の当たりにしているからねぇ」
「あぁ、反国派ですか」
一部の市民が暴動を起こした時でも軍警は役に立たなかったと聞く。ならば多少恥を忍んででも実践経験のあるスーサに頼み込むのは自然のことであろう。王族に相応しいプライドの高さを誇る長子とは異なりクヨはかなり柔軟なのだ。適材適所、という言葉を知っているともいう。それを理解したうえでシナクダは心に浮かんだ言葉を素直に漏らした。
「……それにしてもトクゴなんて本当に偶然、まるで誰かが糸を引いているみたい」
「はっはぁ、それこそ創造主による悪意のイタズラさ」
彼女が視線を向けた先に、スーサは苦笑する。執務机に広げられ、今はスーサの太腿の下敷きになっている物。それは王立学園を追放され、つい先日トクゴへ居住を移したマドイの情報が記載されている書類だ。今頃はとっくにシェアハウスに辿り着き、新しく始まる生活に心躍らせているところだろう。
愛想笑いでもなんでもない、心からの笑みを浮かべたスーサは――次の一手を打つべく早速立ち上がる。
「後継人らしく、新しい生活にスパイスを加えてやろうじゃないか。退屈になるくらいなら死んだ方がマシだろう? なぁ……災厄聖女さん」
いつの間にか雨は止み、煌々と光り輝く月が地上を嘲笑うかのように照らしていた。
第2章、開幕です! ここまでお読みいただきありがとうございます!
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