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「魂還計画」

 セレスティアの館の応接間は、外の野趣とは対照的に整然とし、柔らかな布張りの椅子と木製の調度で統一されていた。彼女は薬箱を手にカイルの正面に腰を下ろすと、ため息交じりに言った。


「上着を脱いで。手早く済ませるから」


「おお……なんか、照れるな。君に脱がされるとか」


「黙って」


 手際よく包帯と消毒薬を取り出すセレスティアに、カイルは肩をすくめながらも素直に指示に従った。肩口の傷は浅くはないが、致命的でもない。けれど、雑菌が入れば厄介だった。


「……手馴れてるんだな。魔術師って、こういうのはあまりしないもんかと思ってた」


「自分の怪我くらい、自分で処理するものよ。研究者ならなおさら。突発事故のひとつやふたつ、毎月のようにあるわ」


「あー、爆発とか?」

「ええ、頻繁に」


 苦笑を浮かべたセレスティアの指先は冷たくも穏やかで、カイルはその感触にほんのわずか口元を緩めた。


「……で?」


「ん?」


「どうして、そんなに私にこだわるの」


 包帯を巻き終えながら、セレスティアは唐突に訊ねた。その声音は静かで、けれど鋭い。


 カイルは視線を落とし、少しの間、口を開かなかった。


「……君のことは、昔から噂で聞いてた」


「噂?」


「ああ。魔術学院時代の話も。王都での研究の話も。――それと、その後、突然消えたことも」


 セレスティアの表情が一瞬、硬くなった。


「噂なんて、あてにならないわ」


「けど俺には、気になって仕方なかった」


 カイルの声が低くなる。その目が、冗談を捨てた本気の色を宿していた。


「なあ、セレスティア・アルヴェイン――」


 その名を真っ直ぐに呼ばれ、彼女は小さく肩を揺らした。


「……俺は、君に確かめたいことがある。けど、それは今じゃない」


「何を――」


「言葉じゃなくて、時間をかけて、君に信じてもらってからにしたい。俺は、父親とは違うってことを」


「……」


 沈黙が落ちる。部屋の中には、外の木々が揺れるかすかな音だけが響いていた。


 やがて、セレスティアは立ち上がり、薬箱を閉じながら言った。


「とりあえず今日は、泊めてあげる。明日、街に戻る道を案内するわ」


「おお、ありがたき幸運。じゃあ、君の寝室はどこ?」


「納屋でいいでしょう。寝袋くらいはあるわ」


「そいつは手厳しい」


 セレスティアは答えず、薬箱を抱えて足早に部屋を出ていった。扉の閉まる音が、意外と優しかったことに、カイルは少しだけ笑った。


 


 二日目の朝、離れに宿泊したカイル・ロウランは早々に館の探索に繰り出していた。好奇心に任せて、廊下を歩き回り、時折ゴーレムたちに道を聞きながら扉を開ける。


 そして、セレスティアの作業場へとたどり着いたのは、ほとんど偶然だった。


「おーい、セレスティア。ここか?」


 唐突に扉が開き、カイル・ロウランの陽気な声が響いた。


「……また、勝手に……」


 セレスティアは深いため息をついた。重ねた設計図の束を押さえながら、ちらりと振り返る。


「ここは立ち入り禁止だと言いましたよね」


「聞いたような、聞かなかったような……いや、でもさ、ゴーレムが手を振ってたからてっきり歓迎されてるのかと」


「そのゴーレムはクレリスかピカリスでしょう。手を振っていたのではなく、掃除をしていたの。あなたが邪魔しただけです」


「まじか。なんか背中に掃除道具ぶつけられたと思ったら、わざとだったのか……」


 カイルは頭を掻きながら苦笑した。


「だってさ、あんな可愛い見た目してたら、つい撫でたくなるだろ? ほら、俺、動物とか小さいもの好きなんだよ。彼女、怒るとすごいのな。無言でモップ振り回してきてさ。あれ戦闘用じゃないよな?」


「当然です。でも、掃除の精度は軍事技術を応用しています」


「ははは、だろうな。あの一撃、腹筋に効いたぜ」


 セレスティアは呆れたように顔をそむけるが、その目尻はわずかに緩んでいた。


「それで? 今度は何の用ですか?」


「いや、ただ……なんというか、見てて面白いなって」


 カイルは作業台の上に広がる図面や器具、魂刻の試料を見渡しながら言った。


「こんな空間、普通の冒険者なら足を踏み入れた途端に逃げ出すぞ。俺にはなーんにもわからないけど、あんたがこれを見て真剣な顔してるの、なんか……いいなって思ってさ」


 セレスティアは言葉を失った。


「……軽いですね。何か私が悪い研究をしていたりしたら、あなたは……」


「悪いことなんてしてないだろ? 少なくとも、あんたの目はごまかしてる感じがしない」


 その言葉に、セレスティアの手が止まる。


 そして、彼女の瞳が細くなる。カイルの、底抜けに明るい態度の奥に、時折垣間見える鋭さ──それが、何よりも厄介だった。


「……近づきすぎないでください。あなたはまだ、何も知らない」


 その言葉を受けてカイルは一歩だけ距離をとり、しかし、少しだけ口元に笑みを浮かべて言った。


「じゃあ、俺に教えてよ。時間ならたっぷりあるぜ。」


「……教えません。出ていってください」


 そう言いながらも、セレスティアは手元の作業を止められず、呪文の細部を調整するために魔力を微細に流し続けていた。


 その隙に、カイルの視線が机の上の設計図に吸い寄せられる。


「ん……これ……」


 彼はまじまじと紙面を見つめ、眉をしかめた。


「なんか……見たことあるような……」


 ぶつぶつ言いながら、鞄を引き寄せ、底の方をごそごそと探る。やがて、くしゃくしゃになった紙の束を取り出した。古びた羊皮紙には、魂刻術らしき構造が描かれていたが、筆致は粗く、完成を目的とした設計図には見えなかった。


「これ……親父の書斎で見つけたやつ。訳わかんねー暗号だと思ってたけど、いつか実家に戻された時の交渉材料になるかもって、ずっと取っておいた」


 セレスティアの手が止まる。


 その紙を一瞥した瞬間、血の気が引いた。


「……それ、いつ、どこで手に入れたと言いましたか」


 カイルは肩をすくめて言う。


「実家を飛び出したとき──数ヶ月前、ロウラン侯爵家の書斎でだよ。あそこ、昔っから変な研究しててな。俺は興味なかったけど」


 セレスティアは紙を受け取ると、無言で広げた。


 そこには、彼女が知るはずのない図式が描かれていた。だが、その構造は、かつて王都で彼女が関わった「魂還計画」の中枢をなす理論に酷似していた。


 (これは……私の書いたものではない。だが、この理論は──)


 指先が微かに震えた。かつて、愚かな試みを止めようとしたがゆえに、彼女は“国家への反逆”の濡れ衣を着せられた。その時に目にした図面の断片。恐るべき理論の根幹。


 (まさか、こんな形で……)


「なあ。あんた、知ってるのか? この紙に書かれてること」


 カイルの無邪気な問いに、セレスティアは答えなかった。ただ、紙を静かに折り直す。


「……ねぇ、カイル」


「ん?」


「この図面を誰にも見せたことは?」


「いや……一応、秘密兵器だと思ってたし。家出してからずっと鞄の底。なんで?」


「……ありがとう。見せてくれて。これを私が預かっても?」


 カイルはきょとんとしながらも、真剣なセレスティアの表情を見て、深くは追及しなかった。


 けれど、セレスティアの心は、激しく波立っていた。


 (ロウラン家……やはり、あの一件とつながっていたのか)


 この館に、模造された図面が持ち込まれたこと。そしてカイルが偶然に持っていた紙が、あの「魂還計画」の設計に関係している可能性。点が線になりつつある。


 封印されたはずの「過去」が、静かに、だが確実に、再び動き出していた。

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