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冒険者カイル

 昼下がりの陽が傾きはじめた頃、館の前庭に不意に人の気配が現れた。


 セレスティアは眉をひそめ、手にしていた小型の薬草籠をそっと下ろした。この館の周囲には、“他人のために力を求める者のみを通す”という付与結界が張られている。無断でこの地に足を踏み入れることは、原理的に不可能なはずだった。


 館の扉が軽やかに叩かれた。まるで旧知の友でも訪ねてきたかのような、馴れ馴れしいノックだった。


 玄関まで出向いた彼女が扉を開けると、そこには日焼けした頬に自信満々の笑みを浮かべた、背の高い若い男が立っていた。冒険者特有の、旅塵をまとった皮鎧。肩にかけた麻袋からは、いくつかの金属器具の先端が覗いている。


「おう、お届けに参上っ。ここで合ってるよな?セレスティア・アルヴェイン……嬢……?」


 名乗るより先に挨拶を済ませたその男に、セレスティアは鋭い視線を向けた。


「……どうやって、この場所に?」


「ああ、これか?」


 男は胸元のポーチから、小さな銀の輪を取り出して見せた。渦を巻くような文様が刻まれた“真証の小環”――それは、結界を一時的にすり抜けるため、ギルドにのみ託した魔具だった。


「ギルドで受け取ったんだよ、これ。マスターが『直接行けなくなったから、代わりに届けてやってくれ』って言ってさ。これがあれば通れるって、へぇ……あれが結界だったんだな。知らなかったぜ」


 セレスティアは、わずかに額に手を当てた。

 またしても、あのギルドマスター――マリッサの気まぐれか。いつも通り、彼女が直接持ってきてくれると思ったのに、よりによって、この男に真証を預けたとは。


「まったく……何を考えているのかしら、あの人は」


 小さく溜息をついた彼女に、男は人懐こい笑みを浮かべたまま、腰の袋から重そうな包みを取り出して差し出した。


「ま、届け物はちゃんとあるからさ。これ、あんたがギルドに頼んだ“南方産の紅炎石”と“鉄針サボテンの精油”。それからまぁ……色々。ちゃんとリスト通りだぜ」


 言いながら、男はようやく自分の名を口にした。


「俺はカイル・ロウラン。《銀帯の冒険者》ってとこかな。……ま、ギルドじゃ中堅どころって扱いだけど、俺の任務成功率は上の連中とそう変わんねぇから安心しな」


 “銀帯”とは、ギルド冒険者の中でも、ようやく個人で依頼を受ける資格を得た中堅階級の証。若手の登竜門とも言える位置づけで、実力にバラつきがあるのが玉に瑕だった。

 

「それじゃ、サインをするわ」


 セレスティは、一刻も早く帰ってほしくて、そう言った。

 

「ほい。あ、あとこれは俺個人からの贈り物ってことで。道中で見つけた、ちょっと変わった花だったから」


 そう言って、カイルは小さな布に包まれた花束を差し出した。淡い青紫の花びらを持つそれは、遠方の高山でしか見られない、幻の薬草――“星霜草”だった。


 セレスティアはそれを一瞥し、眉を少しだけ持ち上げた。


「……こんな珍しいものを、どうして?」


「そんなにいい物だったのか? そりゃ抜いちゃ悪かったかな」

 

 気取らず豪快に笑ってみせるその姿に、セレスティアはまたひとつ、深い溜息をついた。


 彼女の秘匿された静寂の暮らしが、また少し、乱されていく予感がした。


 「さあもう、用は済んだでしょう。帰って」


 セレスティアの声は平坦だったが、そこにわずかな苛立ちが滲んでいた。彼女は、受け取った包みを片手に、山を下る道を指し示す。


 しかし、カイル・ロウランは意に介した様子もなく、館の中庭をきょろきょろと見回していた。薬草畑、温室、ゴーレムの歩く様子まで、すべてが目新しいといった顔である。


「すげえな……。本当に、こんな場所があるなんて。森の中にあるって聞いてたけど、まるで別世界じゃないか。これ、全部ひとりで?」


「必要な分だけ、作っただけ。……外部の人間に見せるものではないわ」


「けど、あんたはここにいる――元・王宮魔術師なのに」


 その名を聞いて、セレスティアはわずかに眉をひそめる。マリッサが、何の思惑もなくそれを他人に教えるとは思えない。


「マリッサが直接来るはずだったでしょう。どうして、あなたが代わりに?」


「“他の要件があるから、お前が行け”って」


 セレスティアはため息をついた。……よりによって、こんな軽薄な男、ええと、何さんだったかしら。

 セレスティアは彼の名乗りを思い出して、声を尖らせる。


「……ロウラン? 貴族の?」


「ま、今はもう追い出された身だけどな。父親とは、ちょっと色々あってさ。跡継ぎ争いとか、面倒くさいことは嫌いなんだ」


 硬直するセレスティアにをよそに、カイルは肩をすくめて言った。


 「けど、俺が出てきた理由とは関係ない。むしろ……だから、俺はここに来たんだ」


 カイルの瞳が、ふざけた態度とは裏腹に、まっすぐ彼女を見据えていた。


 「ギルドマスターは言ってた。君に接触して、君の“魔術”と、“王都の闇”に関わった事実を自分の目で知ってこいって。……俺が”ロウラン”で、その上これから“白金帯”になるなら、避けて通れないってな」


 彼の言葉は淡々としていた。だが、好奇心だけではない何か――その奥に、王都の腐敗と向き合おうとする覚悟があった。


 「帰って」


 セレスティアは扉の前に立ち、感情を押し殺した声で告げた。館の中には一歩も入れさせないという意思が、そのまなざしに宿っている。


 しかし、カイル・ロウランは肩を竦めたまま、やや首をかしげて見せた。


「うーん、せっかくここまで来たのに、そう冷たくされるとは思ってなかったな」


 「思ったなら、なおさら帰りなさい。ここは、招かれた者しか入れない場所よ」


「じゃあ、俺、招かれたってことだろ? ほら、この《真証の小環》もあるし」


 そう言って、彼は首から提げていた細い鎖を引き出し、そこに通された銀色の環を見せた。シンプルな造りだが、縁には魔術文字が微細に刻まれている。


 セレスティアは、内心の苛立ちを抑え込むようにため息をついた。


「それはギルドマスターに預けたの」


 唇を噛み、セレスティアは一歩、扉の奥へ下がる。


「もういいわ。荷物を置いて帰りなさい」


「いや、あのさ……この場所、すごく不思議で、気になるんだよな。こんなに静かで、空気が澄んでて、何より……」


 カイルは言葉を止めた。ふと、視線の奥が真剣になる。


「……君がいるから、かな」


「軽口を叩くなら、外でどうぞ」


「軽口じゃない。俺は本気で、知りたいんだ。君のこと」


 その声に、嘘はなかった。けれど――セレスティアの心は頑なだった。あの夜を思い出してしまう。裁きの部屋、冷たい石床、燃え上がる証拠の書類……あの日の出来事をこの目の前の男に告げる準備など、できているはずがなかった。


「話すことなんてない」


 きっぱりとそう言い切ると、セレスティアは扉を閉めようとした。


 だが、その瞬間――カイルの右肩に、小さな赤い痕が見えた。傷跡のようだ。彼女は咄嗟に手を止めた。


「……その傷、どうしたの?」


「ああ、これ? 途中で魔獣に追われてさ。夜通し森を抜けてきたから、ちょっとかすっただけだよ」


「かすっただけ、でその深さなの……?」


 思わず近づいた自分に気づき、セレスティアは息を呑んで一歩引いた。しかし、その一瞬、彼の軽薄な笑顔の裏に、血まみれの疲労と無理を押してここまで来た強さを見てしまった。


「手当したつもりだったんだが。やっぱ自分の肩やるのは難しいな、血が染みてきたんだろう」

 

「……君の父が何をしたか、知りたいなら、まずその傷を洗って」


 扉がゆっくりと開き、セレスティアは小さく呟いた。


「それから、話すかどうかは……その後で考える」


「お、それってつまり、交渉成立?」


「そう言ってるんじゃない。傷を治すだけよ」


「はいはい、了解であります」


 勝手なことを言いながら、カイルは笑顔のまま扉をくぐった。その背に、セレスティアは小さく、目を伏せた。


 この男は、予想以上に――厄介だ。

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