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セレスティアの優雅な1日

 薄明かりの早朝、セレスティア・アルヴェインの館はまだ深い静寂に包まれていた。彼女はいつもより少し早く目を覚まし、静かに身支度を整えると、館の奥にある温室へと向かった。


 温室内は〈陽光付与〉の魔術が巧みに施され、南国の植物たちが鮮やかに花開いている。鮮やかな紅色のブーゲンビリアが枝を伸ばし、黄色い花弁を輝かせるマリーゴールドが所々に彩りを添えていた。深い緑の葉に銀色の縁取りが特徴のローズマリー、香り高いラベンダーやセージが風に揺れる。空気にはそれらが織りなす穏やかな香りが満ちていた。


 彼女や温室へ入ると、すでに活動していたゴーレムの『グリーンリ』が静かに動きを合わせている。彼女はセレスティアが、温室の管理を任せているゴーレムだ。セレスティアは『グリーンリ』と並んで、一鉢ずつ丁寧に葉の色や艶、茎の強さを確かめながら歩いた。


 温室を管理する技能はすべて『グリーンリ』に与えているので、こうして薬草の世話に手を出すのはセレスティアのただの趣味である。


 ふとある鉢が目に留まる。料理にはあまり使わない、淡い紫色の葉を持つハーブ、ヤローが一房、消えていたのだ。隣の鉢は無事なのに、その一つだけがぽっかりと空いている。


「グリーンリ、ヤローがないみたい。知らない?」


 彼女は無言で頭を振る。セレスティアは眉をひそめ、心の中で考え込む。


「ストックルが持っていったのかしら」


 倉庫の素材の管理は、セレスティアが『ストックル』と呼ぶゴーレムに任せている。彼女は倉庫の魔法素材のみならず、食材や薪などあらゆる物資の管理に特化させて作られていた。


 セレスティアは普段、ゴーレムたちに畑や温室のものを自由に必要な場所に持っていく権利を与えてはいるが、最近、ヤローを減らした記憶がない。『ストックル』が過剰に持っていくとは考えにくいけれど。


 セレスティアは眉をひそめ、少し考え込むが、午前中はそのことを気にしすぎず、他の薬草の手入れを続けることにした。


「あとで倉庫も確認してみましょう」


 そう心に留め、セレスティアは丁寧に水やりを続けながら、温室の静かな時間に戻っていった。

 

 

 日がすっかり登り、石造りの廊下にもほんのりと日差しのぬくもりが染みていた。温室での作業を終えたセレスティアは、袖口に付いた土を軽く払いながら、昼食の準備がされているであろう食堂へと戻ってきた。


 扉を押し開けた瞬間、ふわりと香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。バターが焼き立てのパンの皮に染み込み、ローズマリーとディルの爽やかな香りがほんのり立ちのぼっていた。机の上には既に食事が整えられており、整然と並べられた皿の数々が、料理ゴーレム『クッキー』の律儀な性格を物語っている。


「……ありがとう、クッキー」


 早くも夕食の準備に取り掛かっているのだろうか、セレスティアの視線を受けた『クッキー』は、僅かに動きを止めて一礼のような動作を返した。彼女はその背中に微かに笑みを浮かべつつ、窓際の椅子に腰を下ろす。


 まずは、薄緑色のポタージュスープに匙を入れる。新じゃがいものとろりとした口当たりに、グリーンピースの青い香りと玉ねぎの甘みが柔らかく溶け合う。仕上げに浮かべられたチャイブの細切りが舌の上で爽やかに弾け、レモンバームの香気が余韻を包む。


 セレスティアはそっと目を閉じる。草花の香りが残る指先に、器の温もりが心地よかった。


「……いい昼食ね」


 誰に向けるわけでもなく、ぽつりと呟く。静寂に満ちた食堂に、匙が器に触れる音だけが淡く響く。


 パンは小ぶりで、焼き色は理想的な黄金色。一口かじると、外は香ばしく、内はふわりと柔らかい。ハーブの香りが噛むごとに口の中に広がり、舌の上に広がる塩気とバターの風味が後を引く。


 続けてマリネの皿に手を伸ばす。アスパラやスナップエンドウの歯ごたえ、甘酸っぱく仕上げられたお手製のワインビネガーの風味が食欲をそそった。


 セレスティアはスープの最後の一滴まで丁寧に味わい、食後の茶を飲み干すと、腰を上げた。


 館の裏手、わずかに斜面を下った先にある管理小屋へと向かう。そこには、研究用の素材や魔道具、乾燥させた薬草などを保管してある簡易倉庫がある。木々の合間を抜ける風が、午後の空気を柔らかく揺らしていた。


 ギィ、と軋む扉を押し開けると、ふわりと薬草と古い紙の香りが鼻をかすめる。中は思いのほか整っており、棚の一角では資材整理用ゴーレムの『ストックル』が、鉱物の整理をしていた。


「ストックル。少し聞きたいことがあるの」


 セレスティアが声をかけると、『ストックル』はくるりと回転し、彼女の方を見たように動きを止める。作業の手は止めたままだが、注意を向けているのは伝わる。


「今朝、温室の西棚に植えていたヤローが抜かれていたの。あなたが持ってきたのかしら?」


 一拍の沈黙。だが、『ストックル』はしばらく宙を見つめた後、小さく左右に首を振るような動作を見せた。


「……違うのね。では誰が?」


 そのとき、奥の掃除道具棚のあたりから、軽やかな音が聞こえた。覗き込むと、小柄な掃除用ゴーレム、『ピカリス』が、布巾を抱えたまま床を這うように動いている。彼女は双子の姉の『クレリス』よりもせっかちで、整理整頓というより「早く綺麗にする」ことを重視する傾向があった。


「ピカリス、あなたは?」


 だが『ピカリス』も、首を振るようにぱたぱたと反応し、背中のモップごとくるりと回転しただけだった。明確な否定のサイン。


 セレスティアは小さく眉をひそめた。


「……まさか、鳥……?」


 思い当たるのは、それくらいだった。夜間、ゴーレムたちは各々の管理小屋に戻ってしまい、温室の見回りはしていない。この場所を守る結界も、人間や人に悪意ある野獣猛獣にしか対応できない。小さな鳥が温室に紛れ込み、香りの強い草を餌と間違えた可能性は否定できない。


「温室のどこかに穴でも空いているのかしら……」


 セレスティアは小さくため息をつくと、『ストックル』の横を通り、彼女が丁寧にしたためる鉱物の在庫表に目を通し始めた。静かな午後の倉庫の中に、紙を繰る音と、ゴーレムたちのわずかな動作音が、柔らかく響く。


 薬草の類は温室で、食材の類は畑で確保できる。聖水もこの神聖な森なら北の泉で汲み取ることができた。

 が、羊皮紙や鉱物といった消耗品は外から調達を手配する必要があり、近くの冒険者ギルドに依頼を出している。この調達依頼ばかりはセレスティアが自ら行っていた。

 

 午後の陽が傾き始めた頃、セレスティアは自室へと戻ってきた。


 高く積まれた書物の塔の間をすり抜けるようにして机へ辿り着くと、彼女はためらいなく、今日の研究に没頭しはじめる。机上には複数の羊皮紙が広がり、魂刻魔術に関する理論式が書き散らされていた。時おり本棚から何冊も引っ張り出しては、一ページだけを参照して傍らに放り置く。


 執務用ゴーレムの『サーブリン』は、そんな彼女の混沌とした行動にも慣れている。無言で、しかし的確に動き、開かれたままの本を元の位置へ戻し、空になった試薬瓶をトレイに収めていく。散らばった素材の欠片や羽根ペンのインク染みも、細やかに拭き取られていく。主は創造の海に潜っているが、部屋は常に静かで秩序だったままだった。


 時間が過ぎ、館の大時計が七時を告げる頃、『サーブリン』はそっとセレスティアの肩に手を置いた。


「……夕食、ね」


 彼女は筆を止め、ひとつ小さく伸びをする。研究の熱が冷めたわけではないが、空腹には抗えなかった。


 食堂に降りると、そこにはすでに『クッキー』が用意してくれていた夕食が並んでいた。


 春の名残を感じさせる彩り豊かな献立だった。炊き込みご飯には、空豆と新ごぼう、そしてほんのり甘みのある人参が刻まれて混ぜ込まれている。スナップエンドウと豆腐の味噌汁、菜の花と干し椎茸の白和え、香ばしく焼かれたアスパラガスのソテー、さっぱりとしたレモン風味のラディッシュの浅漬け。


「……美味しい」


 セレスティアは一人静かに席に着くと、ゆっくりと箸を取った。料理はどれも素朴ながら丁寧に作られていて、口に運ぶとどこかほっとする味が広がる。味噌汁の柔らかい湯気が鼻腔をくすぐるが、温泉の湯気とはまた違った、家庭のぬくもりを感じさせる匂いだった。


 それから食後、セレスティアは供されたハーブティーを見て驚いた。見慣れない色と香り。


「これは……ヤローのハーブティー……?」


 驚いて見上げた先で、『クッキー』は肯定を表すかのように一礼した。

 ヤローのハーブティーはうちでは出したことがない。確かその効能は、食欲不振や疲れやすさの軽減。


「心配してくれたのね、クッキー」


 このところの立て続けの来訪者に、セレスティアが不安の色を抱えているのを、彼女は読み取ってくれたのかもしれない。深く感謝して、温かいヤローのハーブティーを飲み干した。

 

 食事を終えた後、セレスティアは裏庭へと回った。そこには、森の湧き水を利用した石造りの野外温泉がある。


 湯を整えているのは、入浴の時間帯に合わせて活動する専用ゴーレム『スパリス』だ。彼女は湧き水の温度を魔術的に調整し、周囲の清掃から香草の湯の準備までをこなす、世話焼きな温泉管理ゴーレムである。


 スパリスは、小柄で丸みを帯びた形状に、控えめな意匠のレース風装飾を施した外装を持ち、声色もどこか優しい。セレスティアがうなずくと、すっと横に退き、湯船の脇で控えに入る。


 湯に身を沈めた瞬間、セレスティアの肩の力がふっと抜ける。


 森の上空は雲ひとつなく、淡い月が静かに輝いていた。夜の静寂が、森の囁きとともに彼女の周囲に広がっていく。


 ようやく、思考がほどける時間が訪れた。


(……静かだったのに)


 ぬるめに調整された湯に揺られながら、セレスティアは最近の出来事を振り返る。立て続けの来訪者に、危険を知らせる手紙。表の世界ではいまどうなっているだろうか、王宮は、王国は……。


「……まったく、静寂を壊しに来たのかしら、二人とも」


 言葉に出すと、かえって胸の奥がわずかに温かくなる。寂しさを紛らわせていたのではなく、本当に、少しだけ、嬉しかったのだと気づく。


 だが彼女は、それを表に出すつもりはない。ただ、もうしばらくはこの場所で、この平穏の中にいたい。そう願いながら、セレスティアは湯面に映る月を静かに見つめ続けた。

おまけ・隠れ家全体図

┌───────────────┐

│ ゴーレム小屋(管理+待機)  │

└───────────────┘

┌─────森の小道─────┐

▼ ▼

[ 畑(段々畑) ] [ グリーンハウス ]

│ │

▼ ▼

┌───────────────┐

│ メインハウス(居住+工房) │外付け温泉

└───────────────┘

┌───────┐ ┌───────┐

│ 小屋(倉庫 ) │ │ 離れ(客間)  │

└───────┘ └───────┘


≪森の小道≫

[ 隠し書庫]

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