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灰灯の商人グラン・ヘルゼン

「……どうして、それを?」


「王都の情報は、思った以上に速く伝わるものです。私たち“影の守り手”の耳には特に」


 その言葉に、セレスティアの目が細められた。“影の守り手”――それは確か、王宮直属の諜報組織の呼び名。表には決して出ることのない、影に潜む存在。


「あなたは、王家の……?」


「ええ。あなたの動きは、いずれこちらにも届くと踏んでいました」


「……あなたが敵でないなら、なぜ名乗らないの?」


「影は名前を持たないものです。ただ……今夜は、あなたにひとつ提案をしに来ました」


「……信用しろというのか?」


 リュカが眉を顰めると、彼女は穏やかに笑った。

 

「信じなくて構いません。ただ、真実を知る者が、あなたの他にもいるということ。それだけは忘れないで」


 セレスティアがどう判断すべきか迷っていると、彼女は言葉を続けた。

 

「あなたのために、“段取り”をしておきました。グラン・ヘルゼン氏をご紹介します。もちろん、公的な場でのご挨拶という形式で」


「……なぜ、そこまで?」


「私たちがなぜ動くのか、理由はいつだって決まっておりますわ」


 セレスティアは深く息を吸い、頷いた。


「……わかりました」


 黒衣の女性は頷くと、優雅な足取りで会場中央の談笑の輪へと向かった。セレスティアがそのあとに続く。


 数名の貴族たちと笑みを交わしていた男が、彼女の目に入った。


 グラン・ヘルゼン。


 銀のジャケットはまるで灰を纏うように光を吸い込み、金の細縁眼鏡をかけたその男は、まさに「貴族に準じた上流階級の実業家」の顔をしている。物腰柔らかく、相手の懐に自然に入り込み、けれど油断は決して見せない、そんな洗練された仮面。


 黒衣の女性が一礼する。


「グラン・ヘルゼン様。ご多忙のところ失礼いたします。先日お話した方をご紹介したくて」


 女性に促され、セレスティアは慣れないながらも裾をつまんで、膝を軽く曲げる。

 

「こちら、アルヴェイン家のご令嬢にして、かの天才付与魔術師――セレスティア・アルヴェイン様です」


 その名を聞いた瞬間、グランの動きが一瞬止まった。けれど、すぐに穏やかな笑みを湛えて、セレスティアの前に歩み出る。


「……これは驚きました。まさかこのような場所で、お目にかかれるとは。貴女のご名声は以前から存じております。グラン・ヘルゼンと申します」


 その声音は柔らかく、礼儀正しく、まるで古き知人に再会したかのようにさえ聞こえた。


 セレスティアもまた、仮面を被るように微笑み返す。


「お噂は、こちらも耳にしております。“灰灯の商人”――いえ、失礼。優れた実業家として、王都でも名高い方と」


 グランの目が、一瞬だけ細くなった。が、それもすぐに消える。


「いやいや……噂というのは、時に脚色されるものです。とはいえ、“灰灯”とは、なかなか詩的で気に入っておりますが」


 「その灯が照らしているものが、誰にとって希望なのか、あるいは破滅なのか……それは、興味深いですね」


 「ええ、実に」


 しばしの沈黙。周囲はまだ談笑と音楽に満ちているというのに、この小さな対話の場だけが、まるで異なる温度を帯びていた。


 グランは、グラスの縁に指を添えながら、静かに言った。


 「この場でお話しするには、少々騒がしすぎるかもしれません。もしよろしければ、少し静かな場所へご案内いたしましょうか? もちろん、公的な歓談の延長として」


 セレスティアはわずかに視線を揺らし、背後のリュカと目を合わせる。リュカの目は――鋭いが、セレスティアの判断に任せるという意思を含んでいた。


 彼女は小さく頷き、グランに向き直る。


 「ええ。お話、ぜひ伺いたいわ。……“グラン様”」


 その名を呼ぶ声には、かすかに凍てつくような熱が含まれていた。


 

 三人はヴァリアント邸の談話室へ通される。

 

 深紅の絨毯に、金糸で織り込まれた優雅な模様が広がっていた。壁には同じく赤を基調にした重厚なカーテンが掛けられ、調度品のひとつひとつが品のある光を放っている。ヴァリスタ家の主であるレイナの美意識が凝縮されたこの談話室は、まるで舞台装置のように完璧だった。


 セレスティアは深く沈み込むソファに腰を下ろした。対面には、銀色の髪をなでつけ、落ち着いた物腰で微笑む男――グラン・ヘルゼンが座っていた。その表情はあくまで穏やかで、まるで旧友と久々に会ったかのような親しげな雰囲気すら漂わせていた。


 リュカはセレスティアの左後方に控え、無言で立っている。その鋭い視線はグランに向けられていたが、彼はそれを気にする素振りすら見せなかった。


「こうして、あなたと静かに話す機会を持てたことを、嬉しく思いますよ。セレスティア・アルヴェイン」


 低く、よく通る声だった。まるで舞台俳優のような声色で、グランは言葉を続けた。


「かつての王都でも、あなたの噂は絶えませんでした。魂刻技術の第一人者、天才と称されたあなたの名前は、今なお多くの記録に刻まれています。私にとって、あなたは敬意を払うべき存在です」


 セレスティアは警戒を隠さないまま、その言葉を受け止めた。


「そうやって誰にでも敬意を見せるんですか? それとも、あなたのような実業家にとって、かつての名声も取引材料の一つ?」


「ええ、それも一理あるでしょうね。しかし、それ以上に私は……“あなたの選んだ技術”に関心がある」


 グランの目が細められた。黒曜石のように光を吸い込む瞳が、セレスティアの芯を見透かそうとしているかのようだった。


「魂還計画……あなたがそれを封印したと聞いたときは、驚きました。あれほど美しく構築された理論を、あなた自身が否定したとは」


「否定したのではない。危険すぎると判断したのです」


 セレスティアは淡々と、しかし一語一語に鋭さを込めて応じた。


「魂を強制的に器に繋ぎ止める技術は、倫理的にも魔術的にも、未完成でした。完成すること自体が間違いだと、私は判断したのです」


 グランの微笑は消えない。


「未完成であるからこそ、完成を目指すべきだとは思いませんか? あの技術が、本当に“人の生”を繋げる可能性があるのならば……」


「ない」


 きっぱりと、セレスティアは遮った。


「それがもたらすのは命ではない。ただの執着です。そしてそれに縋る者は、いずれ自分自身を壊す。私はそれを見た。だから、全て破棄し、封印した。二度と、この技術が世に出てはならないと」


 短い沈黙が流れた。


 グランはゆっくりと背凭れに身を預け、息をついた。


「あなたは……まるで、何かを悔いているように見える」


 セレスティアは目を伏せなかった。だが、その視線の奥に宿る影は、確かに過去に縛られた者のそれだった。


「悔いたことがない者などいない。ただ、私は今、過ちを繰り返させないためにここにいる。だからこそ、言います。還魂計画の技術は、完全に破棄してください。あなたが持っている情報も、設計も、模造器も」


 グランは再び笑った。しかし、その笑みに今度はわずかな冷たさが混じっていた。


「破棄? それはできません。私には……それを続ける理由がある」


 セレスティアの眉がわずかに動いた。リュカの指先が柄に添えられた剣の鍔をわずかにかすめる。


「あなたがそれを拒むなら――私は、止めるしかない」


 深紅の談話室に、緊迫した空気が満ちる。

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