闇の捜索
セレスティアは、まず王都中央の正規の魔道具街区を訪れた。かつて研究者として通っていた馴染みの店もあったが、今や彼女の名を知る者は少なく、顔を隠した彼女に気づく者もいなかった。
何日もかけて複数の店を回ったが、手がかりは掴めなかった。皆、似たような術具の噂は聞いていても、確証はなかった。
最後に残されたのは――表には出ない、もうひとつの市場。
そう、黒市だ。
ローブのフードを深くかぶり、セレスティアは夕闇の中へ歩み出した。
魂刻という術を守るために、今、かつて最も忌み嫌った場所へと足を踏み入れる。
黒市の空気は、まるで異質な魔力が漂っているかのようだった。熱気と不信、そして金の匂いが入り混じり、人の視線が常に背中を追ってくるような感覚に、セレスティアは軽く肩をすぼめた。
「……あれは……」
骨董魔具と書かれた簡素な露天の一角に、彼女の目は吸い寄せられる。
そこにあったのは、まさに彼女がレイナから受け取った模造魂刻器と、ほぼ同じ形状を持つ器。
わずかな差異はあるものの、術式の構造、材質の配合まで酷似していた。
セレスティアは迷わずその露天に近づき、ローブの下から金貨を差し出した。
「これを買いたい」
主は痩せこけた中年の男で、目つきは鋭く、すぐに品物ではなくセレスティアの手元を見た。
「目利きだねえ、姐さん。これを選ぶとは。……けどさ、もし本気で“それ”を欲しいってんなら、もっと上等なもんがあるぜ」
声を落とし、男はセレスティアの耳元で囁く。
「裏に仕舞ってあるやつを見せてやるよ。ほら、こっちだ。めったに見せねえんだが、あんたみたいな客なら、特別ってことでな」
警戒すべきだった。だが、セレスティアは逡巡した末に、一歩足を踏み出していた。
──これ以上の偽造品があるなら、見過ごすわけにはいかない。
細い裏路地へと導かれ、薄暗い建物の裏手に出る。
壁は湿っており、人気はない。男の足取りが止まり、ゆっくりとセレスティアのほうへ振り返る。
「……残念だが、姐さん。あんたの顔は、ちょっと有名でね」
その言葉と同時に、背後から別の男が現れ、セレスティアの肩を掴もうとした。
はめられたのだ。
彼女は咄嗟に回避し、魂刻を付与した短剣を取り出し抵抗しようとしたが、間に合わない。
「ちっ……!」
闇の中で、もう一人の男がナイフを抜いたそのとき──
別の刃が空気を切り裂いた。
次の瞬間、ナイフを持った男の手首が叩き落とされ、地面に転がる。
「……無事か、セレスティア」
静かな声が響く。
路地の影から姿を現したのは、見慣れた漆黒の外套に身を包んだ男──リュカ・ゼルグランド。
「リュカ……?」
「ちっ……!」
男たちは状況を悟ったのか、短く罵声を吐いて逃げ出した。
リュカは追わなかった。ただ、セレスティアの前に立ち、僅かに息を整えた。
「ここに来ているとは思わなかった。まったく……無茶をする」
「……あなたこそ。なぜここに?」
「君の頼みだろう、模造された魂刻器の流通経路を追っていた。……だが、まさか、君がその中心にいるとは思わなかった」
リュカの目が、ほんのわずかに揺れた。
剣のように冷たいそのまなざしが、今はどこか、彼女を案じているようにも見える。
セレスティアは言葉を失ったまま、ただ彼を見返していた。
風が吹き抜け、露地に乾いた紙屑が舞う。
やがて、彼女はそっと頷いた。
「……ありがとう、助けてくれて」
「君があの館から出てくるなんて」
リュカは険しい表情でセレスティアを見据えた。
「その上こんな危険な場所に一人で踏み込むなんて……いますぐ帰るべきだ」
彼の声には焦りが滲み、どこか言い淀むような、言葉にできない思いが潜んでいた。
「でも、私が行かなければ誰も止められないのよ」
セレスティアは目をそらさずに言い返した。
「それでもだ。……そんな危険な場所に行くべきじゃない。何かあればすぐに知らせる。だからすぐに戻れ」
リュカの声は落ち着いているようでいて、その奥に燃えるような必死さがあった。
「リュカ、私はもうあなたの恋人じゃない。いつまでも守られるわけにはいかない」
セレスティアの声は強かったが、どこか悲しげで、それがリュカの胸を締めつける。
「……頼むから、今すぐここを離れろ」
言葉は短く、断固としていた。彼は自分の想いを押し殺しながらも、どうしてもセレスティアを危険に晒したくなかった。
「もういい。私のことは心配しないで」
セレスティアは唇を引き結び、背を向けようとした。
「……おい」
リュカは彼女の肩に手を置いたが、セレスティアは振りほどいた。
「止めないで」
その瞬間、二人の間に冷たい緊張が走った。
「いいかげんにしろ!」
リュカの言葉は感情をあらわにし、強く響いた。
「それなら私も言うわ。あなたは私の足を引っ張らないで。あなたはその資格を失っている――とうの昔に」
セレスティアは強く言い返し、そのまま暗い路地を歩き去った。
リュカは立ち尽くしながらも、ただ彼女の背中を見つめ続けた。
宿に戻ると、セレスティアは思わず深く息をついた。悔しいが、リュカの言葉は間違っていない。自分にはまだ、身を守る力が足りていないのだ。
「それに……グランの側にも、私の顔が知られている……」
どう動くべきか、思案が巡る。やはり、一人で抱え込んでいては限界がある。協力を仰ぐしかない――そう決めて、彼女はレイナの館を訪ねた。
静かな談話室で、レイナに向き合いながら、セレスティアは静かに問いかける。
「グランと直接会う方法は、ありませんか?」
レイナは少し眉を寄せて考え込んだ。セレスティアは言葉を続ける。
「このまま、あの男と不利な状況でやり合うのは危険すぎます」
レイナは視線を上げ、提案を口にする。
「私の庇護のもとで正式な場を設けたいというのですね」
レイナは真剣な眼差しでセレスティアを見つめた。
「それでも危険が伴います。解決を依頼したのは私ですから、無論協力はしますが――」
「レイナ嬢」
セレスティアの強い眼差しを見て、レイナは頷いた。
「近々、貴族たちのパーティーが開かれます。そこで私も立ち会い、あなたと彼らの顔合わせを調整しましょう」
その言葉に、セレスティアの胸はざわめいた。驚きと戸惑いが入り混じる。
「ありがたいご提案です……でもそれは。ごめんなさい、ドレスも持っていませんし、準備も…」
弱気になった声に、レイナは優しく微笑みかける。
「そこは心配しないでください。すべて私に任せて」
セレスティアはまだ不安が残るものの、決意を固めた。――この場で、動き出さなければならないのだと。