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残業の名を呼ぶ

 カイルとフィリは並んで館を出ると心配そうに館の入口に目を向けた。セレスティアが裏口から館を出てどこかに姿を隠したことは二人とも気づいていたが、追いかけることはなかった。


 庭を抜けた先の木陰に立つ。午後の陽はまだ高く、木々の隙間から射す光が、芝の上にまばらな影を落としている。遠くからは、働き者のゴーレムたちが小屋の裏で何かを運ぶ音が微かに聞こえていた。


 カイルが口を開いたのは、それらがすべて静寂に溶けてからだった。

 

「……あいつ、大丈夫なんだろうな」


「君は、彼女の何を知ってるんだい?」


 カイルは眉をひそめる。

 

「……何も知らねぇよ。けど、見りゃわかる。あんな顔」


 フィリは一瞬、視線をカイルに向ける。整った顔にあるのは、思いのほか真摯な光だった。


「それを知りたいなら、聞く覚悟がいる。知れば、君の家の名にも関わる」


 カイルは苦い顔をして唇を歪めた。躊躇いがちに言葉を選ぶ。


「“彼”ってのは……まさか、ヴァリスタ家のレオンのことか?」


 フィリの視線がわずかに動いた。その目には驚きはなく、代わりに微かな警戒が滲んでいた。


「どうして、その名前を?」


「知ってるさ。ロウランとヴァリスタは長年のライバルだ。……五年前、あいつが急に死んだとき、親父の様子がどこかおかしかった。気づくなってほうが無理だ」


 フィリはゆっくりと息を吐き、視線を窓の向こうへと逸らした。


「……そうか。なら、察しているんだろう。レオン・ヴァリスタは、セレスティアの婚約者だった」


「まさか」


「形式だけのものだった。最初はね。でもレオンは、心から彼女を大切に思っていた。どんな形でも、そばにいたいと願っていた。……彼女も、覚悟してそれに応えようとしていた。それまでの恋を振り切って。少しずつ、確かに」


 カイルは黙った。言葉の代わりに、膝の上で手を握り締める。


「……レオン・ヴァリスタはどうして死んだんだ?」


 フィリは即答しなかった。ただ、目を伏せ、わずかに首を横に振る。


「それは……僕の口から語ることじゃない。セレスティアが、自分で決めるべきことだ」


「……ああ。そうだよな。わかってる。だけど――」


 カイルは短く息を吐いた。やがて、ゆっくりと口を開く。


「俺、知りたいんだ。ロウランの名を背負ってる以上、見て見ぬふりはできねぇ。親父が何をしたのか、俺自身が確かめる必要がある」


 フィリはしばらく彼を見つめていたが、やがて静かにうなずいた。


「……君がそう思うのなら、止めるつもりはない。ただ、忘れないでくれ。真実は、時にそれを望んだ者すら壊してしまう」


 カイルは、その言葉に小さくうなずいた。


「それでも構わねぇよ。逃げてる方が、よほどタチが悪い」


 短く、それだけを言ったカイルの背中に、フィリはかすかな微笑を浮かべた。


 重い空気ではあったが、それは過去に向き合う者たちの静かな決意のようにも見えた。







 

 

 朝霧がまだ薄く漂う館の回廊を、セレスティアはゆっくりと歩いていた。


 昨夜はほとんど眠れなかった。けれど、何もなかったかのような顔で食堂に足を運ぶと、そこにはすでにフィリとカイルがいた。


 カイルは豪快にパンをかじりながら、コップの水を飲み干している。フィリは椅子に浅く腰かけ、静かに紅茶を口にしていた。


「……おはよう」


 セレスティアが声をかけると、カイルが笑って答える。


「腹が減ってな。ここでの最後のメシになるかもしれねぇから、ちゃんと味わっておかねぇと」


 その横で、フィリが小さく笑う。


「今日、僕たちは山を降りることにしたよ」


「……そう」


 セレスティアはテーブルにつき、スープにスプーンを浸す。香草の香りがふっと鼻をくすぐるが、彼女の食欲を呼び起こすことはなかった。


「君がどうするか、僕たちが決めることじゃない。でも……」


 フィリは一度言葉を切ってから、まっすぐに彼女を見る。


「何か王宮に動きがあれば、知らせる。カイルも一緒に手を貸すって言ってる」


「俺はあんたのこと、けっこう気に入ってんだ。なんか放っとけねぇ性格でな」


 カイルがパンを片手に笑って言うと、セレスティアはふっと目を伏せた。


「……ありがと」


 その言葉に、二人は何も言わずうなずいた。


 そしてそれきり、余計なことは話さずに、二人は立ち上がった。


 玄関まで彼らを見送ったセレスティアに、フィリは一言だけ残した。


「……いつか、また図面の続きを君と語れる日が来るといいな」


 カイルは軽く手を振り、霧の結界へと歩き出す。


 彼らの姿が消えるのを見届けると、セレスティアは静かに扉を閉めた。


 ——誰もいない館。

 戻ってきたのは、静けさだけだった。


 扉が閉まったあとも、セレスティアはしばらく立ち尽くしていた。静寂が戻った館の中、足元にちょこんと控えていた『サーブリン』が袖を軽く引く。


「……大丈夫よ、私は平気」


 そう口にしたものの、声には力がなかった。


 庭に出ることもなく、書斎にも向かわず、彼女はソファに身を沈めた。窓の外、淡く霞む空をぼんやりと見つめながら、時折小さく息をつく。


「……もう、誰にも会いたくないのに」


 そんな呟きに、『サーブリン』は何も言わない。ただ、隣に座るようにして彼女を見守っていた。


 『サーブリン』の丁寧すぎる動作は、どこか懐かしい仕草を思わせる。彼女が魂刻を施したこのゴーレムには、かつて彼女の世話を焼いてくれた女性の面影がある——名前はもう、遠い記憶の向こうだけれど。


 風が窓を揺らす。

 遠くで鳥が鳴く声がした。

 変わらぬ山の静けさのなかで、セレスティアは胸の内に広がる空虚を、黙って抱きしめていた。


 そのとき、不意に館の扉が軋んだ。心がざわつき、顔を上げると、一人の女性が影のように姿を現した。


「……ここに来るなんて、どうして?」


 セレスティアは目を細めて周囲を見回す。


 誰かが結界を抜けていたことに、私が気づかなかったなんて……


「ご無沙汰しています。セレスティア・アルヴェイン」

 

 深紅の外套に包まれ、気品と意志の強さを纏った姿。


 その声に、セレスティアの表情が凍りつく。


「……レイナ・ヴァリスタ……!」


 忘れるはずのない名だった。亡きレオン・ヴァリスタの姉にして、公爵家ヴァリスタ家の令嬢。


「話があります。弟の、そしてあなたの未来に関することです」

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