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イカリ

今思えば、お母さんは着実に壊れていっていた。


罪悪感と将来の不安で完全に押し潰されていたような気がする。


アパートを借りるのも何軒も断られて、ちゃんと借りれるようになるまで野宿をしなきゃいけなかったし、なんとかアパートを借りれても、今度は仕事が断られ続ける日々で、何度も私に謝っていたのを覚えている。


仕事もなんとか見つけることが出来たが、このご時世には珍しく、在宅勤務ではなく、職場に出向く必要があるとのことだった。


その上、20時間勤務が殆ど。休日は月2,3日。労基なんて知ったこっちゃなし。

家に帰る時間ももったいなかっただろうに、お母さんは私のご飯を用意する為だけに戻って来てくれた。


私はたとえ顔を合わせることがなくてもそれだけで嬉しかった。けれど、同時に罪悪感もあった。自分がいるから、お母さんは寝る間を惜しむ必要がある。


だから私は料理を覚えることにした。


お母さんのくれるお小遣いで料理の本やちょっとした道具、そしてなにより食材なんかを買って、たくさん練習した。


私は元々、手先は器用で物覚えも早かったから火を使わない簡単な料理ならすぐに作ることができた。

まぁ、家にはコンロとか無かったから火を使った料理が作れないし、レンジはあるにはあったけど、当時の私の身長じゃ届かない場所だったから自然とそれくらいの料理になっちゃっただけなのかもしれないが。


ある程度、食べれる物を作れるようになると私はお母さんに料理を作る必要性はないという旨のメモを施設で習った上手くはない日本語で書いた。


その翌日は休日だったこともあり、お母さんに私の作った料理を食べさせて、たくさん褒められた。美味しいと言ってくれた。


その時の喜びは形容できるものじゃない。今でも鮮明に覚えている。


その日以降、お母さんはせめてもとホカホカの白ご飯だけは用意してくれるようになった。


レンジが使えない私にとって、温かいご飯は自分じゃ作れない。本当は頼りたくなかったけど、こればかりは仕方なかった。


そんなこんなで私が4歳の時のクリスマス。


――――何の因果か、地獄は再び私達を招き入れた―――――


 ♥  ♥  ♥  ♥  ♥  ♥  ♥


眠い、きつい、しんどい。

これらを感じ始めてどれくらいが経っただろうか。


安くはないが労働に見合わない報酬で身体を壊していく毎日……。辞めたいが、今や、人を雇ってくれる場所は存在しないのではないだろうか……。


仕事という存在そのものがAIなどの代替により、危うくなっているのだ。


一応、先生が渡してくれた携帯端末に2ヶ月は生活できそうな資金がありがたく入っていたが、それだけに頼る訳にはいかない。


金銭を得るならば、VR空間でゲームじみたことをするのが定番となっている。だが、それだけでは1人で子供を養うなんて不可能だ。


だから、法に触れるギリギリのことをしてでもなるべく高い給料が貰える仕事に就くしかない。


「はぁ〜。」


そんな生活をしなければならない自分を憎みながら家の階段を上っていった。 


ドアの前に到着すると、何故か悪寒がした。全くもって原因は不明。


気の所為だろうと思い込み、鍵を開ける。まだ、夜である為、室外同様、室内も真っ暗だ。


玄関で靴を脱ぎ、リビングへと繋がる短い廊下を歩く。


異変を感じたのはこの時だ。

イカリは寝ているのに変な音がする。

低い声が、激しい息遣いが、そして、イカリの力むような声が聞こえる。


幻聴か?幻聴であってほしかった。

急いでリビングまで来ると、目を疑う光景が広がっていた。 


「や……やめなさいッ!」

ひたすら腰を振っている見覚えのある青髪の男を首を掴んでイカリから突き放す。


「あぁ?何すんだてめェ!」


倒れた男に馬乗りになり拳を頰に使って振るう。


「ふざけないで!何で!」


拳は止まらない。


「警察よ!あんたは警察よ!責任をッ!私達の生活を滅茶苦茶にした責任をッ!」


「俺がッ、てめェに何したってんだよッ!」


は?


気が抜けて拳が止まった瞬間、男の上半身が起き上がり私の肩を掴んで左に放り投げる。


「全く、とんだ冤罪じゃねぇか…って、あぁ、てめェら家族か?にしては髪の色が……おうおう、なんとか繋がったぜ!」


男は立ち上がってさらに口を開く。


「だとしてもよぉ、俺が取る責任なんてありゃしねぇじゃねぇか。俺はあくまでてめェに子種を産み付けただけだ。このガキを産むか降ろすかを決めたのはてめェだろうが。」


開いた口が塞がらない。


これまで正しいと思ってきたことが間違っている人間に否定される。

それがショックとなって響き、私の疲れ切った脳が理解を拒む、否、理解できないという信号を送る。


「ホント、てめェ等って人様に責任押し付けるのが好きだよなぁ。そうしておけば大抵のことは解決するもんなぁ!ハッ!アホらしい。これだから女ってのはダメなんだ。全く。」


?????


「おい、クソガキ。てめェも、俺の所為にする気か?履き違えんなよ。てめェがこんな目に遭ってるのは親がてめェを産んだからだ。いいか、恨むんならそこのクソ母親を恨みな。」

 

男は何故か私の方を向き、顔をまじまじと髪に隠れた視線を向けてくる。

なんか、気持ち悪い。


「なんだ、その顔。ぼーっとしてんじゃねぇか。トラウマってやつか?精神も貧弱だよな女ってやつは。」


男は何処か不満そうに割れた窓から出ていった。


そうだ。警察に言わないと。

でも、そろそろ仕事の時間だ。どうしよ……ッ!?


イカリがお腹を押さえて苦しんでいる!?


「イカリッ!」

すぐに駆け寄ってすぐさま救急に連絡を入れた。


 ♥  ♥  ♥  ♥  ♥  ♥  ♥


お医者さんによると、イカリの子宮は酷く損傷しており、修復は不可能とのこと。

痛み止めで一時的に痛みを抑えることができても、いつかはまた痛みに襲われる。


だから、子宮の摘出を推奨された。


「イカリは赤ちゃん欲しい?」


痛み止めが効いて、意識がはっきりしてる間に本人に聞く。

この子の将来だ。私の独断で決めるわけにはいかない。

 

「……いらないかな…。私はいのちを授かっていい人じゃないもんね……。」


自嘲するような答えだった。

でも、私はそれを否定できない。これはこの子なりの決断なのだ。



数日後、摘出手術は行われ、イカリは無事退院した。

だが、そのための入院費と手術費で貯めていたお金の殆どを使われてしまったため今後は家賃を滞納することになるだろう。


それに、イカリの面倒を見るために何日も仕事を休んだため、クビになってしまった。


今から探しても、見つかる頃には家もない。






でも、1人になれば生きていくことが出来るかもしれない。養育税がかからず食費も1/2だ。


「なんだ、簡単なことじゃん。」


イカリが5歳になった時、私達は大家に何も言わず家を出た。


そして、電車に乗って何時間も目的もなく、遠い所へ向かった。


帰りの交通費と一ヶ月は過ごせる分のお金は残ってる。


1人だったら、きっと家も借りやすいし、VR空間での稼ぎだけで生きていけるはず。


電車で行けるところまで来ると、次はひたすら歩き続ける。


何分くらい歩いただろうか、気づくと私達は大きな森の入り口に立っていた。


「おかあさん。ここどこ?」


流石にイカリも私の行動に不審感を感じ始めたか。


「……天国かなぁ?私も分かんないや。ハハハ。」


え?というイカリの驚愕の声が聞こえたが、私はお構いなく森の中に入っていく。


「お、おかあさん!」


森の中は静かだ。人目もない。空気も美味しい。


「おかあさん!おかしいよ!何をするつもりなの!」


生い茂る草木を掻き分け、うろうろと歩き回る。


「おかあさん!どこ!どこにいるの!おかあさーん!」


ドサッと急に倒れてしまった。


足元を見ると石が埋まっている。これに躓いてこけてしまったわけだ。


随分と立派な石だ。

私は無我夢中でその石を取るために地面を掘る。


掘って、掘って手にした石はさながら乗ってきた電車のように先端が丸みを帯びていて、ある程度の長さがある。


「これだ……。」

私はおもむろに立ち上がってその石を強く握り締め、顔に近づける。


痛い。

石には赤い血がべっとりと付いてしまった。


痛い。頭に鈍い音が響く。


痛い。痛い。痛い。

なんで、痛いの?

痛い。痛い。痛い。

なんで、私の腕は止まらないの?


「あはっ。あははっ。」


「あっ、おかあさん、やっと見つけッ…ヒッ!?」


あぁ、イカリが見える。暗くなった視界にイカリが見える。痛い。


「……な、なにしてるの……ッ!?」


痛い。血の匂いがする。

良かった。イカリの家族だ。痛い。


痛い。良い痛い。お父さんにお利口な子痛い。供。幸せな家族だ。痛い。


痛い。とても痛い。幸せそう。痛い。なのに、痛い。イカリ。

なんでそんな顔をしているの?痛い。


「笑って。イカリ。」


「は……?」

痛い。そうよ。痛い。綺麗な痛い。お顔なんだから、痛い。笑顔痛い。が似合う。痛い。


私は痛い。イカリ痛い。に痛い。近づく。痛い。

「い、い…、いゃ……ぁ」 


「これで、頑張って。一ヶ月しかないけッ…………ど…」

旦那さんも痛い。優しい痛い。だろうし痛い。イカリならやっていける。痛い。


そう言って渡しているのは血のべったりとついた石だった。自分の顔を叩きながらその石を渡してくる。

満面の笑みで。


「受け取って。」


言葉だけは鮮明に聞こえる。


何度も叩いているうちに石は額の中心に突き刺さった。

血まみれの手だけを差し伸べる。


そして、倒れた。




「あ…あ…あ、い……いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああッ!!!!!」


呼吸も忘れて、ただ走る。恐怖で走る。

目の前が暗くなってきても走る。

頭から焼き付いて離れない。狂ったように自分の顔を石で叩くお母さんを。喋りかけてくるお母さんを。


走って、走って、走って――――


目を覚ましてからは走る力も残っておらず、歩くことしか出来なかった。


歩いて、歩いて、歩いて、森を出た先には――――――――――。

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