井戸の底からごきげんよう!悪役令嬢は天眼の娘に泣き言をいう
――すきでこんな眼なんかに生まれたんじゃない。
紗奈は近所の年寄りくらいしか参詣しない廃れた神社の娘だ。
母はこんな生活に見切りをつけ、家から出て行き、父は母に捨てられたショックからなのか、紗奈が幼い頃に亡くなってしまった。
そんな両親に代わり、ふたりの兄たちが紗奈の親代わりになり、自分を育ててくれた。母が家出したのも自分の眼のせいかもしれないと部屋から出られなくなってしまったときもあったが、彼らは父に経営の才能がなかっただけだと励ましてくれた。
紗奈は生まれつき、他の人にはみえない神の姿、この世には存在しない者たちの姿をはっきりと自分の瞳で捉えた。
天眼と呼ばれる紗奈の瞳は、時代によっては重宝されただろう。
しかし、現代社会では、この瞳は持て余すことの方が多い。
視えている世界のせいで、生きている人間か否かの判断が出来ず、幼いころは誰かれ構わず、声をかけてしまい周囲から気味悪がられたものだ。こんな体質なら嘘つきだと、皆から避けられることもあったかもしれないと思う。
高校卒業後。現在はホストで家の生活費を稼いでくれている一番上の兄が口から生まれてきたのかと思うくらい、出まかせを言うことで有名だったため、紗奈はそんな兄の陰に隠れることが出来た。
普段は適当なことばかりを言っている兄だが、苦手な親戚と一緒に暮らす可能性もあったのに、自分が紗奈たちを育てると親戚に頭を下げてくれたことがあるからこそ、そんな兄に紗奈は弱い。
おんぼろ神社だからこそ、なにかしらのバズりネタがないとこれからは生き残れないぞ! と兄の仕事で会ったという、うさんくさい霊能力者との手伝いに紗奈はたまに駆り出されている。
兄は副業として彼と組んで、オカルト系チャンネルを撮ることで、自分のお小遣いを稼ぐことにしたらしい。
食事などのデート代は女性に払わせているのに、必要があるのか? と紗奈が兄に疑問を投げかけたところ、海老で鯛を釣る戦法、小さな菓子を買って彼女にあげることでそれがシャンパンタワーになって自分にかえってくるのだと胸を張って言われたときには、さすがに呆れてしまった。
血が繋がっているはずの兄だが、よく女性に怨みを買わないで生きていられるのかが不思議だ。兄の背後にはよく生き霊がいるが、何人もの女子たちが牽制しあい、結果的にそれが兄を護っている。
紗奈は兄と霊能力者に、画面の端からどこに霊がいるのかを示すだけの役割の為、視聴者からのコメントやDMには関わってはいなかったが、ある日、視聴からの投稿にうちの神社があったというのだ。
「紗奈ちゃん〜。うちに幽霊がいるなんて、お兄ちゃん聞いてないよ」
「お兄ちゃんが聞いてなかっただけでしょう!」
何人もの幽霊の姿を自分の家で見てはいるが、基本的に害はない。紗奈がその投稿で気になったのは、神社の奥にある使われていない井戸から女性のすすり泣く声がするというものだった。
頼りになる霊能力者はどうしたのかと聞いたところ、この一件を相談したところ、音信不通となったらしい。
「あとね。私は人間かあっちの人かどうか、基本、分からないって」
「だって深夜の二時によ? 井戸からシクシクと泣く女の子の声がするとかなくね」
兄は紗奈の話を聞く気がないようだ。
そもそも、兄にDMを送ってきた視聴者とやらは、深夜にうちの神社でなにをしていたのだ。紗奈にはそちらの方が気になるが、兄はそのことは全く、気にしてない。
紗奈にはよく幽霊が憑くが、兄にはメンヘラが纏わりつく。
「お兄ちゃんが確認しにいけば? 女の子、大好きでしょ?」
「俺は生きてる可愛い女の子が好きなんだ!」
後ろにおんぶお化けのように張りついている兄と一緒に、紗奈は投稿があった時間の井戸に訪れた。
井戸から聞こえた泣き声で、兄はその場から一目散に逃げ出した。薄情ものめと思いつつ、紗奈は井戸の中へと声をかけてみる。
「こんにちはー! って私の声、聞こえるのかな」
「……ごきげんよう。あなたもパーティー会場から抜け出してきましたの?」
パーティー会場という言葉に紗奈は首を傾げる。井戸の底ではパーティーが開かれているのだろうか。
「あの。上にあがって来れますか?」
「上?」
紗奈は溜息を吐くと、縄梯子を井戸の下まで垂らす。
もしも縄が切れても、兄がなんとかしてくれると信じたい。井戸の底に紗奈がなんとか降りれば、そこには金色の昭和時代の漫画で読んだような縦ロール、キツイ顔立ちの彼女には不似合いなピンク色のドレスに身を纏った海外の幽霊がいた。
「あなた。セイレーンさまですの⁇」
セイレーンの言葉に紗奈は首を傾げる。
セイレーンとは神話に出てくる海の怪物だが、幽霊に怪物だと思われた現状に失笑してしまう。
「いえいえ、私は人間です! あなたこそ、幽霊ですよね。井戸の中にいますし」
「イド……? 私がおりますのは噴水の前ですわ。ここに座っていましたら、セイレーンさまが水の中に映りましたの」
どうやら金髪縦ロール嬢のなかで、紗奈は『セイレーンさま』となってしまったらしい。どういう仕組みかは分からないが、どこかの彼女のいる場所と自分がいる場所が繋がったようだ。
自分ばかりが冷たい水の中にいるのは不公平じゃないかと思いつつ、紗奈は今回の件を早く、解決してしまおうと思う。
「縦ロールさんは、どうして泣いているんですか? お陰でうちが心霊スポットになりそうなのに」
「縦ロールとは私のことですの⁉︎ 知らない方にお名前を明かすのはよろしくありませんので、特別に許してさしあげますわ!」
「……そ、そうですか」
この縦ロールは何故か、口調が上から目線だが、化粧がはがれ落ち、たぬきのようになっているせいもあるのか、怒る気にはなれない。
「私には幼いころから婚約者の方がいたのです。前から冷たい方ではあったものの、最近、『ヒロインさま』という方と仲が必要以上によろしくて。ヒロインさまにお話を伺おうとしても、私のことも『悪役令嬢』だとわけの分からないことばかりで」
お化けのようになっている彼女の顔を、紗奈はじっと見つめる。二番目の兄が紗奈に早口で語ってきたライトノベル。真ん中の主人公たちを睨んでいた後ろにいた縦ロールによく似ている。
「あなたの名前。プリシラ、だったりします?」
「ど、どうして、私の名前を……」
縦ロールは口を抑えつつも驚愕している。
どうして、物語が自分の世界と繋がったかは分からないが、兄がよく話している並行世界云々のせいかもしれない。
兄が紗奈に語ったのは、男爵令嬢のヒロインが悪役令嬢のプリシラから王子の愛を勝ち取るシンデレラストーリーだ。
しかし、このヒロインは善良とはいえず、ヒーローたちに媚薬入りの菓子を食べさせたり、自分が狙う男性の婚約者だからだという理由だけで、公爵令嬢の悪評を作為的に流していた。
紗奈ではなく、二番目の兄がプリシラと会えていたなや、ホストの兄とは違った意味で泣いていただろう。
兄の推しはなにも悪いことをしていないのに、悪役令嬢だと断罪されたプリシラだ。僕の方が幸せにしてあげるのに、と表紙を撫でながらもよく言っていた。
その後、この話は媚薬が効果が解け、王子たちが正気を取り戻したが後味の悪い結末だった。
「縦ロールさん。その、ヒロインさんとやらは、あなたの婚約者や周囲に媚薬入りのお菓子を食べさせています。あと、あなたはその縦ロールと化粧が落ちたら怪物になるメイクを辞めた方がいいです」
「で、でも! 私のお友達が似合うって」
ストーリーを変えてしまうかもしれないが、家が心霊スポットだと噂をされて、今後、変な輩が訪れるよりもマシだ。
まず、彼女の婚約者の王子は化粧をしていないプリシラが好きだったという描写もあったし、彼女のいうお友達とやらはヒロインと協力しあっている関係だ。
紗奈はごほん、と咳払いをする。
「ひとつ予言をしましょう。縦ロールさんがこのままですとあなたは婚約破棄をされ、お家は犯したことのない罪で没落させられます」
「なんですって!」
「ですが、私の言うとおりにすれば、あなたは無事、ハッピーエンドを迎えられるでしょう」
「ハッピーエンド⁇ あ、あなたの望むものはなんなのかしら」
縦ロールは紗奈の望むものを聞いてくるが、望むとしたらこの瞳の力がなくなることだけだ。
「縦ロールさんの幸せ、でしょうか」
彼女がハッピーエンドを迎えたなら、井戸の底から泣き声がするという話も消えるだろう。
縦ロールは紗奈をみつめながら目を瞬く。
「おかしな方ね。いいですわ、これ以上、最悪な状況にもならないでしょうし」
紗奈はストーリーを思い出しながらも、彼女にヒロインへの対策を話していく。
「セイレーンさま。侍女が呼んでますので、そろそろ、私は戻りますわ。また、お会いできるといいですわね」
彼女が可愛らしい顔で笑うと、辺りには静寂が訪れた。
「さ、紗奈ちゃ〜ん。大丈夫?」
暫く、彼女のいた場所をみていた紗奈であったが、怖々とした声音の兄の声に顔を上にあげた。
「お兄ちゃん! バスタオル、持ってきて‼︎」
*
「兄さん。前に話していた本なんだけど」
紗奈がドアをノックすると、様々な美少女のポスターやフィギュアたちと目があう。
「さなたん。お兄ちゃんとお喋りしたいだなんて、久々だね」
こんな兄でも母に似て顔だけはいいので、外見に騙された女の子たちが彼の趣味にドン引きして振られるパターンが多い。同じ趣味の彼女がいいんじゃないの? と紗奈が言ったところ、兄は一緒に趣味を楽しむのではなく、そっとしておいてくれる子がいいらしい、贅沢だ。
「聞いてくれ! あの話にifストーリーが出たんだ‼︎ ぼくの推しのプリシラちゃんが主人公で、あの極悪ヒロインから皆を救うんだよ〜」
「……へぇ」
「さなたんの笑顔は久々ですなぁ。なにか、いいことでもあった?」
「別に。初めて、視えてよかったって思う子に会えただけ」
*
「さ、紗奈ちゃん。井戸の子はいなくなったんだよね?」
「? そうだよ?」
「また、井戸で泣いてるやつがいるって話なんだけど。しかも、今度は男らしいし」
兄が野郎には興味がないとついてきてくれなかったせいで、今回、井戸に来たのは紗奈ひとりだ。
二番目の兄に聞いてみれば、我が家の井戸は他の世界と繋がったのではないか? という話だ。
紗奈はまた、縄梯子を下ろすと、仕方がなく、井戸の底へと降りていく。
「えっと、あなたは」
「……そなたがプリシラの話していた『セイレーンさま』とやらか」
彼方の世界で境内の井戸と繋がっている噴水が、セイレーンさまの助言を聞ける有り難い場所となっていることは、紗奈は知るよしもなかった。
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