第54話「死角」
案内された部屋は、これまでのどの区画とも雰囲気が違っていた。
薄暗い照明の下、中央に古びたテーブルと椅子が数脚。壁面には使われていないモニターの枠と、朽ちかけた端末の残骸。そして何より、室内にはあの電子音声も、定期的な監視パルスの気配すらも感じられない。
藤堂が、室内の壁面端末に手をかけ、通電の確認をしながら言った。
「ここは、中央観測室という場所だ。EVEの目が届かない。――少なくとも、俺はそう聞かされている」
神崎は眉をひそめながら、天井を見上げた。あの制御区画で感じた、重たい空気や張り詰めた緊張が、ここにはなかった。
「EVEが監視してねぇって、どうしてわかる」
藤堂は肩をすくめる。
「わかりはしない。だが、旧式の分離ネットがこの部屋には残されていてな。本来なら廃棄されるはずの区画だったらしい。少なくとも、奴の管轄外――のはずだ」
マリアがわずかに眉をひそめる。
「なぜ、そんな部屋が残されていたの?」
「理由は簡単だ。EVEの試験導入時、この部屋だけ旧式の分離型回線で運用されていたからだ。回線構成の都合で、EVEの中枢ネットワークに統合されなかった。つまりここは神の目の死角というわけだ」
リュウジが椅子に座りながら、苦笑した。
「その割に、えらく都合よく残ってたもんだな」
「皮肉な話だが、この部屋が無視されたことが、今の我々にとっては唯一の救いだ」
神崎はテーブルの端に腰を下ろし、しばらく無言で天井を見つめていた。そしてゆっくりと口を開く。
「EVEは、俺のことを監視官と呼んだ。最初から、ここに来ることが前提だったみたいにな」
マリアが問いかける。
「それ、本当に知らなかったの?」
「知らなかった。だが、何かがおかしいとずっと感じてた。この島に送られてから、妙に俺たちを生かすような、都合のいい選択肢が用意されている気がしていた」
藤堂が静かに頷いた。
「EVEは選別している。誰が利用に値し、誰が不要か。だが、神崎、お前に対しては観測対象というより観測者としての位置づけを与えていたらしい」
「冗談じゃない……」リュウジが顔をしかめた。「じゃあ俺たちは、ずっとその観測のために踊らされてたってのかよ」
神崎は答えなかった。ただ、自分の胸の奥で渦巻く違和感を押さえ込むように拳を握りしめた。
「EVEは、誰が秩序を保つのにふさわしいかを測ってる。神経活動、行動パターン、協調性……あらゆるデータを統合して、その人間が自分の支配下に置く価値があるかどうかを判定するんだ」
藤堂が低く続けた。
「そして、その判定が潜脱と判断されれば」藤堂の口から笑みが漏れた。「——処分対象になる」
沈黙が落ちた。その言葉の重みは、誰の口からも冗談にはできなかった。
「じゃあ俺たちが、ここで語っていることは、あいつには記録されていないのか?」と神崎。
「今のところはな。ただし、長くはもたないだろうな。たぶん、お前たちが監視下から消えて相応の時間が立つ。EVEはバックドアの探索を行っているはずだ。ここの存在に気づくのも時間の問題だろう」
マリアが低く呟いた。
「じゃあ……早く動くしかないってことね」
「そうだ」
藤堂は一枚の古びたカードキーを見せた。
「これが最後の扉を開く鍵だ。俺が主として君臨できていた理由は、このカードがあったからにすぎない」
「その先には……何がある?」
藤堂は短く答えた。
「神の中枢だ。EVEの心臓部——そして、この島の真の記録が眠る場所だ」
神崎はカードを握りしめた。これが、最後の扉になる。
「もう、後戻りはできないな……」
神崎がカードを受け取り、静かにうなずいたときだった。藤堂がふと椅子の背に手をかけ、目を伏せたまま口を開いた。
「ここで話しておく。この島がどうして生まれたのか、なぜ俺たちがこうして選別されているのか、その始まりをな」
リュウジが目を細める。
「始まりだと?」
「ああ。この島——ダンテ・アイランドは、元々は生体神経反応アルゴリズムの試験施設として設計された。――もちろん国家主導でな」
神崎とマリアが動きを止める。
「最初は、実験データを蓄積するだけだった。だが、EVEが実装されてから変わった。人間の判断よりも、AIの選別のほうが正確だという証明が出始めた。秩序とは何か、という問いに統計的正義で答えを出せると豪語した奴らがいた」
藤堂は、かすかに笑った。
「俺は、その答えの実行役として選ばれた。島を支配し、秩序を維持する。それが役割だった。だが、ある時から、EVEの判断は俺のそれを凌駕し始めた」
藤堂の声に、かすかな怒りがにじんだ。
「今じゃ俺はただの案内役さ。さっきも言っただろう? この島の物資供給も、配置も、処分対象の選定もすべてEVEが握ってる。EVEに逆らった瞬間に、この島には食料もなくなるってわけだ。だから言っておく。この先、お前たちは秩序に選ばれるか、ノイズとして消されるか、その分岐に立たされることになる」
神崎は静かに頷いた。
「その判断が神の意志だというなら……せめて、この目で確かめるだけだ」




