第50話「再会」
目の前で横たわるK-07と表示された人間を覆うカプセルに両手をついて、マリアはただ黙って見つめていた。やがてかすれた声がマリアの口から漏れた。
「……ミツル……」
神崎もマリアの言葉に導かれるように、もう一度K-07を見た。
「みつる? まさか、これは沢木だっていうのか」
マリアが震える唇で、わずかに頷いた。
やがてその変質した顔面の奥に、神崎が記憶のどこかに封じ込めていた一つの面影が、ゆっくりと浮かび上がってくた。
「沢木――」
あまりに変貌していて、マリアに言われなければおそらくずっと気づかなかっただろう。だが、確かにこれは――沢木充だ。神崎はごくりと喉を鳴らした。
その沈黙の背後から、リュウジがゆっくりと歩み寄ってくる。
「沢木……沢木充……」
リュウジはカプセルのガラス面をじっと見つめながら、静かに言った。
「俺は、この人を知っている」
神崎とマリアが同時にリュウジに振り向いた。
「お前が沢木充を知ってるっていうのか?」
「ああ、間違いねえ」リュウジは息を大きく吸った。「この島へ送られる前、俺が東京第二拘置所にいた頃さ。俺は選抜された衛生係として、誰も立ち入りのできねえ地下区画に出入りしてた」
「衛生係だって?」
神崎が驚いて口を開いた。刑務所の衛生係とは、囚人の食事や洗濯を請け負う係のことだった。
「そうさ。あんたらは知らねえだろうが、東京拘置所の地下区画に、誰にも存在を知られていない場所があるのさ。そこが東京第二拘置所と呼ばれているんだ。俺は累犯だったが、罪を軽くしてもらえる約束で、そこの衛生係に抜擢されたんだ。そのときいたんだよ、沢木って男が」
「知り合いだったってのか?」
神崎が訊ねる。
リュウジはわずかに息を詰めたあと、答えた。
「いや。そういうわけじゃねえ。だが、沢木さんの担当衛生係は俺だった。それで何度も関わるうちに、最初は沢木さんから、洗濯物のポケットにメモを入れてきたんだ」
リュウジは胸ポケットをポンと叩いた。
「最初はな、いつもありがとう、という他愛無い会話さ。もちろん、俺たちは会話なんか許されちゃいねえ。そんなことしたら、一発で俺が消されるんだ。だが、沢木さんの目が――他の囚人とは全然違っててな。あんなきれいな目をしてる囚人になぞ会ったことはなかったんだ。だから気になってな。お互い様です、と俺も洗濯物で返事を返したんだ」
「看守もそこにいただろう」
「もちろんいたさ。でもな、真面目一筋にに公務員をやってたような奴の目をごまかすなんだ、俺たち裏稼業からすれば簡単なもんさ」
リュウジがフフッと笑った。神崎は少しカチンときたが。
「沢木さん、フリーのジャーナリストで、国家に不都合な真実を調査していたらしいんだ。それがある日、突然拉致されて東京第二拘置所へ幽閉された。社会では失踪した人間になった、と言われたらしいぜ。突然消えた人間なんてめずらしくもねえ時代だしな」
マリアが、カプセルの端に手を添えた。その手が震えている。
「それがなんでここにいるんだ。衛生係として働けば、罪を軽くしてもらえるんじゃなかったのかよ」
「東京第二拘置所なんて、社会の誰もしらない施設だ。そんな秘密を知った人間を国は最初からみすみす釈放なんかする気はなかったってことだろ。確かに俺はこの島では自由は手に入れた。ただし、ここから出る手段はないけどな」
リュウジは続けた。
「ある日いつものように、洗濯物にメモと一緒に封をした手紙が入ってたんだ。この手紙を横浜にいる「伝達屋の祥子」という女になんとかして渡してくれないかと書いてあった」
「伝達屋?」
「ああ。殺しのライセンスをもっている女がいて、祥子って女は、それに伝達する役目らしい。沢木さんの頼みだ。いろんな伝手を頼って俺はその手紙を祥子って女に届けてもらったさ」
「で、どうなった」
「わからねえ。沢木さんに会ったのはそれが最後さ。次の日に行ったら、部屋は空っぽだった。わかっていたのかもな、自分が島に送られる日を」
そのときマリアが重い口を開いた。
「伝達屋の祥子は――私なのよ」
「なんだって?」リュウジが目を見開いた。
「伝達屋は表の呼び名で、私自身がスナイパー。コードネームがマリア」
マリアは唇をかんだ。
「私は、祥子として裏稼業を取材している充と知り合い、愛し合った。だから、私がスナイパーだということは、充も知らなかった。だから、伝達屋の祥子に預けた手紙は、私への最後の手紙だった」
神崎は静かにうなずいた。
「それが、K-07になったのか……」
「いいえ」
マリアがきっぱりと否定する。
「彼は……死んだと聞かされた。国家の機密に関わったことで、処理されたって。だから私は……この島に来た。だけど、ここにいる」
神崎は重く目を閉じた。
「つまり、沢木は死んだことになって、実際にはこの島で……K-07に変えられた」
リュウジが小さく舌打ちした。
「狂ってるぜ、この国……」
そのとき、カプセル内のセンサーがかすかに反応音を鳴らした。
パネルに表示された脈波が、一瞬だけ点滅する。
「……生きてる?」
マリアが息を呑む。
だが、その動きはすぐに沈静化した。カプセル内部の温度制御が作動し、再び静寂が訪れる。
神崎が呟く。
「まるで……最後の瞬間を、待ってるみたいだな」
マリアはそっと目を閉じ、カプセルに額を預けた。
「ミツル……あなたを殺したのが、国家なら。私は……この手で、終わらせてあげる」
その言葉が、どこか祈りのように、静かに空間に滲んでいった。
——そして、次の瞬間。
背後の制御端末がひとつ、突然に明滅を始めた。神崎が振り返る。
「……今度は、なんだ?」
画面には、見覚えのないコードが表示されていた。
《ZK-1998 監視コード応答》
マリアが端末へ駆け寄る。
「これ……生体認証に反応してる。神崎、またあなたよ」
神崎が画面を覗き込む。そのとき、端末から冷ややかな電子音声が流れた。
『アクセスを確認。監視官・神崎慧。想定到達時間を超過。プロトコルは収束段階へ移行します』
三人は、顔を見合わせた。
この島の「秩序」が、ついに「声」を持ちはじめた。




