第47話「封鎖」
「IDが消された個体な。それじゃあまるで、最初から存在しなかったことにされたみたいだな。哀れな実験体か」
リュウジが吐き捨てるように言った。
「しかも、その痕跡が残ってるということは、誰かが、わざとそうした可能性があるわ」
マリアは神崎にそう言いながら端末を閉じた。どうやらログの最終接触時間は、三人がここに入るわずか数日前に更新されていたという。
「じゃあまだ、この中に何かが——あるってことだ」
ふと、神崎が制御卓の奥に目を向け、奥に続く細い通路に妙な違和感を感じた。そこには古い格子状の換気口のような構造があり、通常の通路設計ではありえない不自然な段差があるのだ。
「ここ、通路の設計が妙だと思わないか」
「確かにそうね」
マリアはすぐに手元の簡易マップを確認した。そこには確かに行き止まりと記されているが、現実には壁面の奥へとわずかな空間の続きが見て取れた。
「ここって、もしかして——」
神崎が無言で頷いた。
三人は、かすかに風が抜ける感覚に導かれるように、封鎖された構造上には存在しないはずの通路の方へと足を進めた。
その先には、もっと深い場所がある。 そしてきっとそこに、抹消されたIDに関係する何かがあるかもしれない――
三人が慎重に足を進めると、やはりさっきの部屋の壁の裏を少し下った場所に、もうひとつ部屋が現れた。
最深部の隔離区画は、冷えきった静寂に包まれていた。人工の照明が天井から微かに明滅し、何十年も眠っていた装置たちが、その存在を静かに主張していた。
神崎は注意深く足を踏み入れる。金属製の床は少し軋んだが、崩れる様子はなかった。左右には使用痕のある冷却カプセルが並び、中央には監視卓のような円形端末が鎮座している。マリアはすぐにそちらに向かい、リュウジは壁際の扉に目を向けた。
「なんか静かすぎるな」
リュウジの声が低く響いた。神崎も頷く。違和感の正体は、音だった。これまでと違い空調や機械の稼働音がまるでない。ただの沈黙ではなく、意図的に切られた静けさだった。
「こっちの端末、まだ通電してる。データは一部破損してるけど、見られなくはない」
マリアが素早く端末の操作を進める。だがその時——
ブゥン……という低い駆動音が床下から響いた。続けて、天井のスリットが開き、赤色灯が点滅を始める。
「まずい。シャッターだ!」
リュウジが叫ぶと同時に、来た通路の天井と床の間に、金属の隔壁が降下してきた。神崎が振り返ると、側面の扉も次々にロックされていく。
「やられたな。封鎖された」
神崎は銃を構えながら辺りを見回した。
誰かが明らかに外から操作してやがる――
だが、人の姿はどこにもない。監視カメラさえも見当たらなかった。
マリアが再び端末に向かい、別系統の回線を試すが、端末は応答を止めていた。
「この封鎖……自動制御じゃない。外部からの指令よ」
「ってことは、やっぱり見てるやつがいるってことか」
リュウジが背中を壁につけ、銃を構える。
「いや、違うわ。」マリアも壁を背にして銃を構えた。「これは監視じゃない。私たち……ここへ誘導されたのよ」
「だろうな。ここまで妙に順調すぎて、ずっと引っかかってた」
神崎は、自分に呆れたようにフッと息を吐いた。
「つまり、最初から仕組まれてたってことか?」とリュウジ。
「ああ。そういうことになるな」
神崎はゆっくりと照明の奥に視線を向けた。赤いランプの明滅が、まるで何かの目のように、三人の存在を照らしていた。赤い照明が断続的に点滅し、無人の空間に影を刻む。誰かが背後からこちらを見ているような錯覚すら覚えた。
「じゃあ、どうするよ」
リュウジが低く唸るように言った。神崎は答えずに、再び背後を振り返る。通路を閉ざしたシャッターの向こうには、もう戻る道はない。
「生体認証も、偶然にしては出来すぎてる。まるで俺が来るのを前提に、準備されてたみたいだった」
神崎が静かに口を開く。マリアが神崎の視線を追い、同じ思考にたどり着く。
「誰かが……ここに私たちを呼び寄せた」
「その誰かが、今どこかで見てるってわけか」
マリアが端末を再度操作すると、消されていたはずのログの一部が復元された。そこには、このエリアに外部から接続した通信履歴が残されていた。最新のログは——三人がここに到達する、わずか数時間前だった。
「やっぱり誰かが端末を起動させてる。待ち構えてたのよ、私たちを」
神崎の表情が硬くなる。ログの中には、彼の識別コードに類似したIDが一部伏せ字で残されていた。
「……このログ、俺のIDに似てる。誰かが、俺を使って開けたってことか?」
「お前のID? 神崎、お前なんでそんなIDなんか持ってんだよ」リュウジが少し警戒して神崎を見た。「まさか、お前もここの一員ってことなんじゃねえだろうな」
「そうじゃない。本土にいるとき国の関係の別の仕事をしてたんだ。国に逆らって監獄にぶち込まれるまえのことさ。監視者コードっていってな、国家公務員の一部の幹部だけが所持できるIDがある。それに似てるんだ」
リュウジが少し訝し気な顔で神崎を見ている。
「ちょっと待って。確かに監視者コードの一部をなりすましに使われた可能性はある。でも、それ以上に……」マリアは言いよどみ、画面を指差す。「この中にもう一つの監視者のコードがある。あなたじゃない、別の人間。二重登録よ」
そのとき、奥の暗がりから「ギィ……」という軋むような金属音が聞こえた。三人は即座に銃を構える。次の瞬間、どこからか低い警報のような電子音が室内に鳴り響いた。
「来るぞ……!」
神崎が低く呟く。赤い光の中で、隔離された実験施設は、静かに再起動の音を響かせ始めていた。




