第45話「記憶」
照明が落ちた瞬間、制御室全体が闇に沈んだ。モニターの明滅すら消え、完全な沈黙が支配する。誰もが即座に呼吸を止め、微かな音に神経を研ぎ澄ませた。
「マリア……リュウジ……いるか?」
神崎の声が低く響いた。暗闇の中、足音すら立てずに移動する影を想像し、銃をわずかに持ち直す。
「ここよ。動かないで。私たち以外の、何かが——」
マリアの声が遮られた。右手の方向、制御卓の奥で、わずかに何かが擦れる音がした。次の瞬間、通路から風が流れ込むような気配。誰かが、いや何かが近づいている。
「おい、近くに何かいるぞ。K-11か……?」
リュウジも何かの存在に感づいたようだった。
だがそのとき、低いうめき声が闇を裂いた。
「……あ……ああ……ざ……き……」
その声は明らかに、人のものだった。だが、どこか壊れかけたレコードのように、不安定で、感情の読み取れない響きがあった。
「何と言った? まさか、誰か……呼んだか?」
神崎は反射的に声の方向を向くが、視界は一切効かない。ポケットから小型のライトを取り出して点ける。かすかな円筒状の光が、制御室の壁面をかすめ、そしてその先——血のように赤く塗られた足跡を照らし出した。
「神崎、そっちにも何かいたのか!?」
リュウジの緊迫した声。
「わからねえ……だが、さっきの声、何か引っかかるんだ」
神崎は立ち止まり、闇の奥を見つめた。理由はわからない。だが、不意に、あの冷却ポッドで見た「K-07」という番号が頭をよぎった。顔は記憶に残っていない。ただ、その番号だけが、妙に強く脳裏に焼き付いていた。
(……何かが、繋がってるのか?)
根拠のない直感だったが、胸の奥にひっかかる感覚は消えなかった。
「明かりが必要だわ。制御系を確認するから待ってて」
マリアが腰の端末を立ち上げ、自家電源を接続した。数秒後、モニターの一部が薄く点滅を始める。非常回路が部分的に回復したのだ。
そのとき、モニターのひとつに映像が走った。まるで、何者かが手動で操作しているかのように、カメラ映像が切り替わっていく。
「この映像……地下フロアか?」
神崎はモニターを見つめた。
「違うわ。これは——まだ私たちが入ってない区画みたい」
モニターを見つめたまま、マリアが眉をひそめた。
「でも、この先にこんな部屋があるなんて、構内図には記されていないはず。……少なくとも、私が知っている限りでは」
神崎が画面を覗き込む。
「ここは特殊な研究施設だ。他にも隠し通路があっても不思議じゃねえ」
「問題はそこよ」
マリアは端末を操作しながら、古い構造図を呼び出した。
「この映像に映っている通路……どの区画とも接続していない。まるで、どこにも繋がっていない浮いた構造に見える」
モニターの構造図を指で追いながら、マリアが神崎を見た。
「つまり、その部屋は——」
「隠されていた可能性があるわね。もしくは、最初から存在しないことになっていた部屋」
「おい、見ろ……あの端末に接続されてるログ」
そのとき、隣のモニターを見ていたリュウジが画面を指さした。
――《K-07 転送未完了/強制遮断》。
「……転送未完了?」
神崎が眉をひそめた。ここで、あのK-07――
その言葉を遮るように、再びうめき声が響いた。だが今度は、耳元に囁くような、生々しい気配を伴っていた。
「……カンザキ……」
明らかに、何かが神崎の名を呼んだ。それは、単なる記録再生でも、音声エラーでもない。誰かが、生きてこの近くいる。
「くそ、どこからだ……!」
神崎はモニターから顔を上げ、天井の排気ダクトに目をやった。かすかに、内部で何かが這うような音がする。視線を交わしたマリアとリュウジも、同時に銃を構えた。
「危ないわ。一旦、ここを離れた方がよさそうね。ここの制御系は壊れてる。今離れないと、そのうちきっと戻れなくなるわ」
誰も異論を唱える者はいなかった。すぐさま三人は制御室を後にし、もと来た通路へと引き返した。背後では、誰かの——あるいは何かの——気配が、なおもじっとこちらを見つめているようだった。
扉を抜けた直後、神崎はマリアに言った。
「リュウジ、聞こえたか? さっき誰かが俺の名前を呼んだ」
「ああ。俺にも確かに聞こえたぜ。誰かこの島に知り合いでもいるのか?」
「いや、この島で俺の名前を呼ぶ奴がいるとは思えねえ」
この島に送られたはずの、俺の名前を知っている奴は――ひとりだけだ。神崎は言葉を飲み込んだ。
「まだ人体実験の何かがここには残ってるのよ。記憶なのか、それとも精神的な何か……」
マリアの言葉は、どこか自分自身に向けられたもののようにも聞こえた。
「とにかく、今わかってるのは……この島の地下には、誰かが隠そうとした真実があるってことだ」
神崎の言葉に、リュウジも頷いた。
「その真実を暴く前に、こっちが壊されなきゃいいけどな」
三人は再び前を向き、次なる区画へと歩き出した。
その背後で、誰にも気づかれず、一つのセンサーが静かに起動していた——




