第44話「視線の先」
扉の奥に広がっていたのは、実験区画とは思えないほど整然とした廊下だった。壁は新しい金属パネルで覆われ、床には足音を吸収するような特殊素材が敷かれている。天井には微かな光を放つ誘導灯が一定の間隔で埋め込まれていた。
「さっきまでとは設備の雰囲気が全然違うな……」
リュウジが声を潜め、辺りを見回しながら言った。
「こっちは管理者側の通路のはずよ。警備のためというより、監視のために造られた可能性が高いわ」
マリアが即答する。声は抑えめだが、確信のこもった口調だった。
神崎は無言で頷きながらさらに前へ進んだ。通路の両端にはいくつかの扉があったが、いずれも鍵がかかっていたか、電子制御で封じられているようだった。
神崎がふと足を止め、一つの扉に手をかけると、かすかに風のような感覚が指先に触れた。
「こっちと気圧が違うようだ。たぶん負圧室のようだな。中は実験環境に近いはずだ」
マリアもドアの隙間に手をかざして確認し、神崎に向かって頷いた。
「何か重要な手がかりが残っているかもしれない。開けてみるわ」
そう言うと手元の端末で扉のロックを解析し始めた。リュウジが見張りに立ち、神崎は通路の奥に注意を払っている。周囲に人の気配はない。しかし、息苦しさを感じるほどの沈黙が続いていた。
「開いたわ――」
マリアの声と同時に、ロックが小さく解錠音を立てた。神崎がゆっくりと扉を開ける。室内は暗く、一歩足を踏み入れた瞬間、照明が自動的に点灯した。
そこには——複数のカプセル型冷却装置が並んでいた。以前見たK-02の装置と似ているが、より簡易的で、数も多い。
「ここで何人、処理したってんだよ……」
リュウジが呻くように言った。
「これが……一次保存層ってわけね。初期段階の被験者が収容されていたと聞いたことがあるわ」
マリアの声が、わずかに震えていた。
神崎はゆっくりと通路を進みながら、並ぶカプセルを一つずつ確認していった。中にはすでに生命反応が消失したと思われる人影、あるいは、人体の原型を留めない物体が静かに沈んでいた。
「まさか、これが本当に人間だったってのか……」
リュウジたちも言葉を失っているようで、返事はなかった。それほどの衝撃が目の前に広がっていたのだ。
神崎は口を噤んだまま、ただ装置の表示に目を走らせた。いくつかのタグに見覚えのある記号があったが、いずれも正式な識別名ではなかった。
そのとき、室内の最奥から微かな駆動音が響いた。神崎が振り向くと、部屋の一角に設けられたブースが自動的に開いた。
中から現れたのは、人——いや、それはまるで人というより「影」のようで、装備をまとってはいたが、姿勢があまりにも不自然だった。まるで眠ったまま歩いているかのような、フラフラとぎこちない動きだった。
「……こいつ、これで生きてるのか?」
神崎が慎重に銃口を向けながら言うと、マリアが手を挙げて制止した。
「待って。攻撃してくる様子はまったくないわ。何かの手掛かりになるかもしれない。もう少し反応を見ましょう。たぶん、何かの制御下にあるわ」
「ああ、わかった」
神崎は、構えた銃の照準を「影」から外した。
それから、その「影」は彼らに気づいている様子もなく、部屋をゆっくりと横切り、壁際の装置に近づいて停止した。そして、動きを止めて、その場に力が抜けたように膝をついた。
「きっと、制御が切れかけてるのよ。中途半端に何かに動かされてるわね」
マリアが静かに「影」に近づき、小型の検査装置を起動する。数秒の後、端末が反応を示した。
「やっぱり、Kシリーズよ。タグナンバーは《K-11》。確か、初期実験体のひとつだったはず」
神崎はその姿をじっと見つめた。「影」の顔はすでに人間のそれではなかった。その表皮はおそらく化学処理によって変質し、まぶたのない眼球だけが、無表情に天井を見上げている。
「これが……この島で行われていた研究の果て、か」
言葉にするにはあまりにも生々しく、神崎は思わず目を伏せた。
だがそのとき——K-11の顔が少し傾き、その瞳がゆっくりと動いて、明らかに神崎に視線を合わせた。そして、言葉にならない呻きのような音を漏らし、再び膝をついて動かなくなった。
その「声」は、神崎に何かを伝えようとしていたのかもしれない——そう思ったとき、室内の照明が突然、すべて落ちた。
辺りは完全なる闇に包まれた。




