第41話「接触」
そいつの《K-06》と刻印された胸元にぶら下がるタグが、揺れながら小さな音を立てていた。
神崎は銃口をわずかに上げながら、一歩だけ前に出る。リュウジは横にずれ、マリアは無言のまま見つめている。三人の間に緊迫した空気が張りつめ、誰もが一触即発の空気を感じ取っていた。
だが、K-06は動かない。ただ、こちらを見ている。それも、焦点の合った目で。
(……こいつ、本当に生きてるのか?)
神崎がそう思った瞬間、K-06がわずかに片足を引きずりながら一歩踏み出した。その動きはぎこちなく、まるで体の動かし方を思い出しているかのようだった。関節の動きは不自然で、片腕は力なくぶら下がっている。
「止めるか? 一発でいける距離だ」
リュウジが囁く。
「待て」
神崎は銃を構えたまま言った。すぐ横でマリアが口を開く。
「この動き……制御状態じゃない。完全な暴走体なら、もう襲ってきてるはず」
「じゃあ何だ? こいつ、自分の意思で動いてるってのか」
「……その可能性もあるわね」
K-06は再び一歩を踏み出し、また停止する。その歩みは遅く、乱れていて、だが確実にこちらへ向かっていた。
神崎は銃口をわずかに下げると、リュウジは眉をひそめた。
「おい、本気かよ」
「まだだ……撃っちゃいけない気がする」
神崎の視線はK-06の目に釘付けになっていた。その目は、確かに見ていた。壁でも空でもなく、三人の誰かでもなく——明らかに、神崎の目を。
そのときだった。広間の一角にある古びたホログラム装置が、かすかに明滅した。誰も触れていないはずなのに、装置が起動の兆しを見せている。それに引き寄せられるように、K-06がわずかに首を傾げ、その方向へと歩き出した。
三人は動けなかった。何かが、そこに起ころうとしている——その直感が、全身を縛りつけていた。
ホログラム装置が低く唸るような音を立て、やがて青白い光を放ちながらゆっくりと起動を始めた。回転するコアのようなものが中央で明滅し、周囲の空間に薄く煙のような映像が浮かび上がる。その光に反応したように、K-06が立ち止まった。そして、まるで記憶の奥底をたぐり寄せるように、機械に向けて手を伸ばした。
マリアが端末に近づき、装置の操作パネルに軽く触れる。次の瞬間、映像が切り替わった。
投影されたのは、薄暗い研究施設の内部。無数のカプセルが並び、その中に人影のようなものが浮かんでいる。映像の端には小さなテキストウィンドウが表示されていた。
《K-Series Experimental Log》
《Phase 3.1:被験体K-06 感情テストログ》
「……これは……記録映像……?」
マリアが息を呑むように呟く。
映像の中では、囚人服姿の若い男が、医師らしき白衣の人物たちに囲まれていた。拘束具をつけられ、無表情にうつむいている。
その男の胸には、確かに《K-06》と記されたタグがあった。
「感情誘導プログラム起動、開始します」という音声が流れ、映像が切り替わる。
次に映し出されたのは、K-06が何かを目にして、微かに表情を動かす場面だった。だが、それが怒りか、哀しみか、喜びかは判断できなかった。ただ、人間らしい「反応」が確かに存在していた。
「……感情テスト。つまり、記憶か情動の回復実験か」
神崎の声に、マリアは静かに頷いた。
「Kシリーズは本来、すべての感情を抑制される設計だった。でも、このK-06には例外があるみたい。何か……心を動かすものが残ってた」
「それが……こっちを見た理由か?」
リュウジが静かに呟く。
K-06は投影された映像の前で立ち止まり、じっと見つめていた。K-06にいったい感情があるのかわからないが、ピクリとも身じろぎもせずに画面から目をそらさずに立っている。
そのとき、映像が一瞬だけ乱れ、別の映像が一瞬だけ重なる。それは、椅子に縛りつけられた男が激しく頭を振り、何かを叫んでいる場面だった。音声はない。だが、その口の動きが、明らかにひとつの名前を形作っていた。
《サ……ワ……キ》
神崎は目を見開いた。
次の瞬間、ホログラムが完全にシャットダウンした。まるで、見せてはいけないものを、誰かが慌てて排除したかのように。そして、空間に残ったのは、暗闇に立ちつくすK-06の姿、そして新たに生まれた静寂だけだった。




