第33話「仮面の王」
——鈍く軋む、金属の重い音が響いた。
鉄格子の向こう、視界の端に、ぼんやりと灯りが浮かんでいる。神崎は、朦朧とした意識の中でその灯りを睨んでいた。手首は後ろ手に拘束され、椅子に縛りつけられている。背中には冷たい鉄の感触。
周囲は薄暗く、地下のような閉鎖空間。壁にはコンクリートの割れ目が走り、天井からはぽたぽたと水が落ちていた。その部屋の奥に、ひとつの椅子が置かれていた。
——まるで、玉座のように。
「ようやく、お目覚めか」
その声は、静かだった。怒気も憎悪も、嘲りさえもなかった。ただ、底なしの静けさ。闇の中から、藤堂がゆっくりと現れた。黒のロングコートを纏い、仮面のように無表情な顔で、神崎の前に立つ。
神崎は口の端を吊り上げ、低く笑った。
「……よう、藤堂。随分と丁寧な歓迎じゃねぇか」
「そうだな。お前がそれを望んだらしいからな」
「こんなとこにいていいのか? 俺の仲間が派手に暴れさせてもらったみたいだぜ。部下は何人、死んだ?」
「数えていないよ。私は数には興味がない」
神崎の眉が僅かに動く。
「興味があるのは、流れだ。勢力の均衡。意志の連鎖。無駄な血の匂いを嗅ぎ分ける犬より、私のほうが、正確にそれを読める」
「……そうやって、この島を操ってきたってわけか」
「操る? 違うな。私は秩序を維持しているだけだ」
藤堂は神崎の目の前に立ち、じっとその顔を覗き込んだ。表情はなく、瞳の奥に映るのは冷たい無関心。
「だが……どうも、秩序が崩れ始めている」
その言葉に、神崎はあえて沈黙を返した。
藤堂はわずかに顎を上げ、背後に立つ私兵に目配せをする。次の瞬間、神崎の顔に水がぶちまけられた。冷水。咳き込む神崎を見下ろしながら、藤堂は再び口を開いた。
「通信が行われた。施設の東端、廃無線室から。——誰だ? 誰が、お前にその場所を教えた?」
神崎は、しばらく息を整えてから、鼻で笑った。
「通信? なんのことだ……神様の囁きでも聞こえたんじゃねぇか?」
静寂。次の瞬間、私兵のひとりが神崎の腹を蹴り上げた。鈍い衝撃が全身に走る。
「くだらんな」
藤堂はわずかにため息をついた。
「いいか、神崎。私は貴様を、ただの暴徒とは見ていない。——お前は、誰かに送り込まれた存在だろう?」
神崎の目が僅かに鋭くなる。
「……どういう意味だ」
「その目だ。お前はこの島に来た時から、他の囚人とは違っていた。最初から探ろうとしていた。 ——いや、潰そうとしていた。私と、この秩序を」
その目は、すでに真実に届いている、そう言わんばかりの声だった。
神崎はあえて笑い返した。
「だったらどうする。ここで殺すのか?」
「いや、まだ早い」
藤堂はゆっくりと、背後の椅子に腰を下ろした。まるで裁判官のように、背筋を伸ばして神崎を見据える。
「私は、秩序のために演出する。お前は見せしめとして、処刑される」
その言葉に、神崎は少しだけ表情を失った。
「見せしめ、だと?」
「この島の秩序の維持に必要なのは恐怖だ。血を流すことではなく、支配の輪の中から逸れれば死ぬという確信だ。そしてお前は、その確信を皆に与える役割を果たす」
藤堂は立ち上がり、神崎の肩に手を置いた。
「安心しろ。苦しませはしない。むしろ、光栄に思うがいい。お前はこの島の物語に、終止符を打つ人物として語られるのだから」
神崎は、その手を睨みつけながら呟いた。
「——ふざけんな。お前みてぇな仮面の王の芝居に、誰が付き合うかよ」
「そうか。勇ましくて涙がでる。――まあ、いつまでそうやって強気を保っていられるか楽しみだ」
藤堂は、その手を離し、背後の私兵に告げた。
「三日後。広場で公開処刑の準備を整えろ。そしてこの島の囚人全員に伝えろ。この島に、火の洗礼を。血の儀式を。そして、秩序の復元を奴らに見せつけてやる」
「了解です」
私兵が背筋を伸ばして言った。
藤堂が背を向けると、部屋の扉が重く閉まった。再び薄暗闇に戻った空間で、神崎は苦しげに息を吐いた。だが、その瞳は濁ってはいなかった。藤堂が語った処刑——その言葉の先にある、チャンスをまだ睨んでいた。
外にはまだ司がいる――
藤堂からはあいつが捕まったという様子はない。司が黙ってやられるはずがない。きっと何か動きがあるはずだ。
神崎にとっては、それが残された最後の希望だった。




