第32話「焼け跡」
夜の気配が、ますます濃くなっていた。
朽ちた無線室から脱出した司は、崩れた壁の隙間をくぐり抜け、廃工場の背後に身を滑り込ませた。司が身を潜めた部屋の外を何者かが通り過ぎていった。
足音が遠ざかるのを確かめると、深く息を吐く。
「……間一髪、ってとこか」
だが、背筋を伝う汗は冷たいままだった。腰のポケットに押し込んだ録音機を取り出し、スイッチを入れる。無線機から漏れたあの声が再生された。
『……こちら、第三……傍受中……続けよ』
くぐもった声。男か女かも分からない。だが、それは確かに「生きた回線」だった。
つまり島の外に、この無線で繋がっている誰かがいる。誰かが——島を見ている。
「……まさか、本当に応答があるとはな」
司はかつての記憶を辿った。あれは、今よりもさらに荒れた時代。島に送られたばかりの頃、仲間だった囚人がこんなことを呟いていた。
『廃工場の奥に無線室があるんだ。職員用の隠し区画に。あそこには、今も電波が流れてる。誰かが見てるかもしれねぇ』
だが、その男は間もなく姿を消した。事故死と報告されたが、真相は闇の中だ。
「幽霊が、最後に残した道標ってとこか……」
司は録音機を切り、慎重に廃墟の中を移動した。警戒を強めた藤堂の私兵たちが、周囲を捜索している気配がある。気を抜けば、即座に囲まれる。
(神崎……うまくやってくれよ)
誰かに伝わったかどうかは分からない。だが、もう一手は打った。
あとは——賽は投げられた。
一方、神崎は島の中央部、焼け落ちた資材置き場の近くに身を潜めていた。焦げた空気の中に、まだ煙が立ち上っている。
「……ひでぇな」
火災の熱で歪んだ鉄骨、真っ黒に炭化した木材。そしてその隙間から見つかった、一片のプレート。神崎はそれを拾い上げ、指先で埃を払った。
「供給第三区画……職員専用ってことか」
資材がこれだけ燃えたということは、藤堂の兵站にも確実に打撃がある。だが、同時に奴の反撃があるということだ。
そのとき、背後から足音が迫った。
「よっ。えらく焦げ臭ぇな、ここ」
振り向くと、リュウジがマスクを下ろして笑っていた。
「……よう、無事だったか」
「なんとか。こっちも派手にやってきたぜ」
ふたりは焼け跡に腰を下ろし、簡単に情報を共有した。
「リュウジ……俺はこれから、島の中枢に潜る」
「中枢?」
「ああ。藤堂がどこにいるのか、突き止める。連中の動きからして、奴の拠点は近いはずだ」
リュウジはしばし黙ったあと、静かに立ち上がった。
「……じゃあ、俺は犬どもの残党を当たる。情報を引き出せる奴がいるかもしれねぇ」
「助かる。下手に動くと目立つ。くれぐれも慎重にな」
「お互い様だ。死ぬなよ、相棒」
拳を突き合わせる。軽く笑い合い、それぞれの闇へと消えた。
神崎は、焼け跡から延びる裏道を辿っていた。かつては物資の搬入口として使われていた通路。職員だけが知るルート——神崎は以前、工場区画の整備資料からその存在を知っていた。
(ここを抜ければ……)
だが建物内の通路の奥に足を踏み入れたその瞬間、背後から「ガチャン」と派手な音が響いた。
反射的に振り返ると、通路には錆びた鉄格子が降りていた。退路を塞ぐように、おそらく古い自動制御が作動していたのだ。
——罠かッ!
銃を構えたが、四方の壁の穴から一斉にフラッシュライトの光が差し込んだ。複数の足音。数人の私兵が、迷いなく鉄格子の中に取り残された神崎を囲んでくる。
「……なるほど。やっぱり、動いたか」
低い声が響いた。暗闇から現れたのは、軍服を模したような黒い装備の男。藤堂に会ったときに、その側近の中で見たことのある奴だった。
「おや、誰かと思えば、たしか神崎——だったかな。お前、ずっと藤堂様がしきりに会いたがっていたぜ」
その瞬間、催涙弾のようなものが神崎の足元に放り込まれた。
視界が霞み、咳き込みながらも銃を振るおうとしたが、目が激しい痛みで開けられなくなったかと思うと、やがて左右から腕を取り押さえられ、さらに背後から押さえ込まれた。視界が暗転する中、最後に聞こえたのは、男の低い囁きだった。
「連れて行け。藤堂様がお待ちだ」




