第31話「見えざる眼」
夜の島に、冷たい風が吹き抜けていた。神崎は廃墟と化した通路の影に身を潜め、藤堂の私兵たちの動きをじっと伺っていた。
物資置き場の爆発により、島の空気は一変した。犬どもが動き、補給路が断たれ、藤堂側も明らかに警戒を強めている。
だが——それでも、藤堂本人は姿を見せていなかった。
(やはり、手下にやらせているか……)
神崎は歯を食いしばった。神出鬼没な動き、分断された連絡網、そして物資の混乱。すべてが、島の秩序を徐々に崩していく。
それでも、藤堂はなお表に出ない。
「……仕留め損ねたか」
神崎は苦々しく呟いた。
そのとき、不意に背後から気配が走った。神崎は即座に身を翻し、拳銃に手をかけて振り返る。だが、そこに敵の姿はなかった。ただ、朽ちた監視塔の影に、誰かが立っていたような感覚だけが残っていた。
「……見間違い、じゃねぇよな」
額に冷たい汗が滲む。ポケットに手を伸ばし、小さな紙片を指先で撫でた——フィルムに焼き付けられた、白い修道服の女。
(……お前も、今どこかでこの島を見ているのか)
神崎はその場を離れ、かつて仮設監視区画として使われていた廃棄施設の裏手へ向かう。人知れず、今では誰も寄り付かない死角——そこで彼は、壁のひび割れにかすかな手の跡を見つけ、ふと立ち止まった。
それは、誰かが最後に救いを求めたかのような痕だった。
「……これは……」
指の跡。救いの痕跡。神崎の脳裏に、かつて藤堂が吐いた言葉が蘇る。
『この島には、外から来た“例外”が何人かいる。その多くは消されたが……中には、生き残った奴もいた』
(マリア……お前も、その“例外”だったのか)
そのとき、背後から声がした。
「……神崎、か」
反射的に振り返り、銃を構える。そこにいたのは、司だった。
「お前か……」
「こんな場所にいるのは、お前ぐらいだと思ったよ」
「アジトは?」
「爆破装置は設置済み。敵の動きはまだ静かだ。見張りを残して様子を見てる」
神崎は頷いた。
「こっちは収穫なしだ。藤堂は出てこねぇ」
司はふと、暗闇に目を向けた。
「……お前が探してる女。白い修道服の」
「……ああ」
「俺、昔どこかで見たことがある気がする」
「……いつだ?」
「島に来てすぐ。仮設収容施設にいた頃だ。医務室の窓越しに、立っていた。白い服を着てて、妙に澄んだ目をしてた」
「……マリアだ」
「夢かと思ってたが、ずっと引っかかってた。あの目だけが、妙に鮮明でな」
神崎は、静かに目を伏せた。
「やっぱり……幻じゃなかった。マリアは、この島にいる」
そして今も、俺を見ている——その確信が、胸の奥に灯る。
「お前、まだここにいるだろう? 俺はちょっと確認しておきたい場所があるんだ。しばらく消えるぜ」
そう言うと司は再び夜の闇へと戻っていった。
◆
廃工場の屋根裏部屋。風が唸りを上げて鉄板を軋ませるなか、司は古びた双眼鏡を覗いていた。
視線の先には、いくつかのグループに分かれた武装集団の影。藤堂の私兵たちが島内を索敵している。
「……動いたな、藤堂」
司は煙草を咥えたまま呟いた。司が確認したい場所、それは建物に残された無線室への侵入だった。
広げた古い構内図には、設備棟の裏ルートが赤鉛筆で記されている。
(今ならまだ間に合う。だが、確実に狙われる)
無線室には、かつて外部と繋がる通信装置が残されているはずだ。もしまだ生きていれば——この島に“見えざる眼”が注がれている証明になる。
◆
島の中央部。神崎は崩れた貯蔵庫跡に身を潜めていた。遠くで交わされる会話が耳に届く。
「……犬どもが資材置き場を襲ったって話、ほんとか?」
「マジだ。あそこは燃えてる。こっちも警戒しておけってよ」
藤堂の部下たちは、明らかに動揺していた。神崎が気配を殺して耳を澄ますそのとき、背後で草を踏む音がした。
拳銃を構えかけたその前に、現れたのはリュウジだった。
「見っけた。……探したぜ」
「……どうだった?」
「資材置き場、派手にやった。犬どもも本気だ。……けど、気になることがある」
「なんだ?」
「犬どもの中に、藤堂と繋がってる奴がいた可能性がある。動きが早すぎる。情報が漏れてた」
神崎は唇を噛んだ。
「計画は……」
「まだ終わっちゃいねぇよ。だが、ここから先は一気に地獄だな」
◆
島の東端。司は朽ちた鉄扉の前に立っていた。錆びついた鍵を工具で破壊し、軋む音と共に中へ入る。
無線室——壁には埃を被った通信機器。恐る恐るスイッチを押すと、かすかな唸りと共に機械が反応を返した。
「……おいおい、マジかよ」
まだ生きている。司はマイクを手に取る。
「応答を求む。こちらはD-13区域。繰り返す、応答を求む——」
数度の呼びかけの後、スピーカーがかすかに唸った。
『……こちら、第三……傍受中……続けよ』
司の背に冷たいものが走る。
(……やっぱり、見ていやがるんだな。国家が)
その瞬間、外から足音が迫った。司は即座に配線を引き抜き、証拠を消す。
(逃げられるか……いや、ここで終わるわけにゃいかねぇ)
短銃を腰に握り、司は最後にもう一度、無線機を見た。
「……とりあえず、伝わっただろ。あとは……任せたぜ、神崎」
司がニヤリと笑ったその頃、島のあちこちで火の手が上がっていた。
音もなく、だが確実に、島の秩序は崩れ始めていた。




