第三章「座標の彼方」第27話「嵐の前」
アジトの一角。神崎は静かに、手元の記録とフィルムを睨んでいた。何度見返しても、マリアにしか見えないあの写真。やはり、あいつは最初からこの島に関わっていた。しかも——外部の人間として。その事実が、神崎の胸に重くのしかかる。
「司……次の手はどうする」
重たい沈黙を破ったのは、神崎の低い声だった。司は煙草をくわえたまま、わずかに目を細めた。
「……もう、静観はできねぇ。放っておけば、奴は必ず仕掛けてくるな」
神崎はゆっくりと頷いた。藤堂がこのまま黙っているわけがない。既に自分たちの動きは感づかれている。ならば——こちらから動くしかない。
「具体的には?」
「レムナントの中でも、今、不満がくすぶってる連中がいる。そいつらを焚きつける。奴らが先に動けば、藤堂の目も分散するだろう」
神崎はしばし考えた後、リュウジに目を向けた。
「リュウジ、お前はどう思う?」
リュウジは面倒くさそうに肩をすくめた。
「派手にやるのは構わねぇがよ……問題は、俺たちがその波に呑まれねぇかってことだな」
「……だが、それしかねぇ」
神崎は低く呟いた。リュウジはしばらく考えるように黙った後、ポケットから煙草を取り出した。
「なら、いっそ向こうに仕掛けさせりゃいい。俺たちの存在をあえて見せて、奴らの不安を煽る。どうせ奴らは、待ってりゃ勝手に動き出すさ」
「……そうだな。仕掛けるタイミングを見極めりゃいい」
司は唇の端をわずかに吊り上げた。
「問題は、レムナントの誰を焚きつけるか、だな。犬どもの残党か、それとも、コウタの周りにいた連中か……」
「どっちにしろ、危険な賭けになる」
神崎は静かに目を伏せた。今のレムナントは、藤堂の裏の顔を知る者も多い。だが、それを逆手に取ることができれば、確実に内側から崩せる。
「俺が動く。あのコウタの残党に接触してみる」
「一人で行くのか?」
リュウジが眉をひそめた。神崎は頷いた。
「ああ。目立たず、単独で動いたほうがいい」
「……なら、抜け道を教えてやる。昔使ってたルートだ。見つかりにくいはずだ」
リュウジはそう言って、簡単な地図を描き始めた。それを見つめながら、司が低く呟いた。
「まったく……いつの間にそんなもんまで押さえてたんだ」
「調達屋は情報が命だからな」
リュウジは皮肉げに笑った。
夜。神崎は一人、リュウジから教えられた裏道を進んでいた。レムナントの残党が潜伏する一角——かつて犬どもが縄張りにしていた廃屋へ向かう。足音を殺し、神経を研ぎ澄ませながら進むと、やがて、低い声が闇の中から響いた。
「……誰だ」
「俺だ。神崎だ」
ざわ、と数人の気配が動いた。銃を構える音。だが、神崎は動じなかった。
「話がある。コウタの残党だろ、お前ら」
「……だったらどうした」
「一つ、話を持ち込んできた。俺たちと組まねぇか」
「は?」
ざわつきが広がる。
「藤堂はもう、お前らなんざ使い捨てる気だ。あいつは、この島のすべてを知る俺たちを潰しにかかってる」
「……証拠は?」
「証拠なら、これを見ろ」
神崎は懐から一枚の紙片を取り出した。K-07の記録の一部。敢えて抜粋したものだ。
「こいつは……」
「俺たちはただの囚人じゃねぇ。この島自体が実験場だ。藤堂は、俺たちを使って何かやろうとしてる」
沈黙が広がる。誰かが、ごくりと唾を呑む音が聞こえた。
「で、どうするつもりだ?」
「藤堂の腹の内を暴く。そんためには、お前らの力がいる」
「……藤堂と正面からやり合う気か?」
「ああ」
短く答える神崎。しばしの沈黙の後、男たちの間にくすりと笑いが漏れた。
「面白ぇ。だが、一つだけ聞かせろ。お前、本気で死ぬつもりはねぇよな?」
「死ぬ気なら、今ここに来てねぇさ」
神崎のその一言に、場の空気が変わった。低い笑い声が広がる。
「いいだろう、神崎。……乗った。どうせ、俺たちにもう失うもんなんざねぇ」
「感謝する」
神崎は短く礼を言い、ゆっくりと背を向けた。犬どもの残党が、確かに一つ、動き出した瞬間だった。
夜更け。アジトに戻った神崎を、リュウジと司が出迎えた。
「どうだった?」
「乗ったよ。あいつら、もうヤケになってる。こっちの提案に食いついた」
「そうか……なら、いよいよ仕掛け時だな」
司がゆっくりと立ち上がる。リュウジは煙草を咥えたまま、苦笑いを浮かべた。
「……これで、もう後戻りはできねぇな」
「最初から、戻るつもりなんかねぇさ」
神崎はそう呟き、拳を強く握りしめた。




