第三章「座標の彼方」第25話「追手」
廃墟を離れた神崎と司は、崩れかけた塀の陰に身を潜めた。足音の主が去ったのを確認すると、ようやく息を吐く。
「……危なかったな」
司が低く呟く。神崎は頷き、ポケットの地図を取り出した。
「あいつら、藤堂の手の者か?」
「おそらくな。あんな場所、普通の奴は近づかねぇ。俺たちの動きが、もう筒抜けってわけだ」
神崎は唇を噛みしめる。藤堂の目が、すでにここまで及んでいる。だが、それでも引くわけにはいかなかった。
「戻るぞ。下手に動き回れば、今は逆に目立つ」
司の判断に、神崎は黙って頷いた。
廃工場のアジトに戻った二人は、しばし沈黙のまま時間を過ごした。
重苦しい空気の中、神崎は「K-07」の記録とマリアの写真を改めて見つめる。
「なぁ、司。……あの外部組織って、何なんだろうな」
そういえば、マリアもおそらく外部から来た人間ということになるか——そんなことを考えながら呟いた神崎に、司は煙草に火をつけながら答える。
「さぁな。だが、島の外から送り込まれた連中がいるって話は、昔から噂にはなってた」
「噂?」
「この島はな、元々ただの流刑地じゃなかったって話だ。もっと別の……実験場みたいな役目を持ってたってな」
「なるほどな」神崎は小さく頷いた。
今日見たK-07の遺体。あの記録にあった生体実験の話。全てがその噂と繋がっていく。
「……外の力が絡んでるなら、俺たちだけじゃどうにもならねぇかもしれないな」
「それでも、動くしかねぇだろ。もう、引き返せる場所なんてねぇんだから」
神崎は苦笑した。まったく、その通りだった。どこまで行っても、戻れる場所などない。
その夜。神崎は、工場の屋上でひとり夜風に当たっていた。星も月も隠れた夜空は、どこまでも重かった。
——マリア。
何をしていても、あの写真の中のマリア微笑みが脳裏をよぎる。
「お前は、どこまで知ってるんだ……」
その時だった。暗闇の中、かすかな足音がした。即座に身構えた神崎の前に現れたのは、思いがけない男だった。
「……よぉ。元気そうだな、神崎」
「……リュウジ……?」
工場の屋上に現れたのは、久しぶりに見るリュウジの姿だった。相変わらずの飄々とした態度。だが、その目だけは冴えている。
「どうしてここが……」
「そりゃ、お前を見張ってた奴らを逆に追ったら、ここに着いたってわけさ」
そんなこともわかんねえのか。リュウジはそんな顔をしてわらった。
「……追った?」
「もう、向こうも嗅ぎつけてるぜ。お前らが何か掴んだみたいだってな」
神崎は苦笑し、リュウジの隣に腰を下ろした。
「……でも助かった。今夜は、一人じゃなかったってだけで、だいぶ救われた気がする」
「らしくねぇな、お前。……でもまぁ、たまには頼ってくれていいぜ?」
リュウジは煙草を取り出し、火を点けた。
「なぁ、リュウジ。聞きたいことがある」
「なんだよ」
「お前は、この島の外を知ってるのか?」
リュウジはしばらく煙を吐き出したまま、何も答えなかった。やがて、静かに呟く。
「……少しな。でも、知ったところでロクなもんじゃねぇ。結局この島も、外も地獄みたいなもんだ」
「外の組織が、この島に関わってる。……そんな記録を見つけた」
「へぇ……やっぱりな」
リュウジはどこか達観したような声で笑った。
「なあ、リュウジ。お前、K-07って何か知ってるか?」
「さぁな。だが……その呼び方は聞いたことがある。随分昔にな。噂だが、Kってのは特別な連中のコードらしいぜ。……選ばれた人間ってことだ」
「選ばれた……?」
「あぁ。何のためにかは知らねぇがな。ま、俺には関係ねぇさ」
神崎はその言葉を胸に刻んだ。だが、リュウジの表情はどこか苦しげにも見えた。
「なぁ、リュウジ。もし、俺がこの島から抜け出すとしたら……手を貸してくれるか?」
しばらくの沈黙の後、リュウジは小さく笑った。
「考えとくよ、相棒」
その言葉に、神崎もようやく微かに笑った。
夜が明けるころ、神崎はリュウジと共に屋上から降りた。
アジトに戻ると、司が待っていた。訝しむような視線をリュウジに向ける。
「誰だ、そいつは?」
神崎は肩をすくめて答える。
「リュウジだ。俺の……相棒ってとこさ」
司はわずかに目を細めた後、ふっと鼻で笑った。
「ああ、調達屋か。聞いたことあるぜ」
リュウジは気だるげに笑い、手を軽く上げる。
「そっちの世話にはならねぇさ。ただ、こいつには借りがあるんでな」
司はしばらく考えるように黙った後、短く言った。
「……ま、好きにしろ」




