第二章「監獄の亡霊」第22話「藤堂の手帳」
「で、どこへ行けばいい?」
神崎がそう問いかけた翌朝、薄曇りの空の下で、司は静かに地図を広げた。
「北西の外れだ。かつて『監視塔』と呼ばれていた場所がある。今は使われちゃいないが、俺たちの次の手を考えるには、どうしても見ておきたい」
「監視塔……そんなものがまだ残ってたのか」
神崎は地図に視線を落とす。地図の端、ほとんど忘れ去られたような場所に小さく書かれた『監視塔跡』の文字があった。
「正確には、誰にも使われなくなったせいで廃墟になってる。だがな——そこには何かがある。……俺の勘だがな」
「勘、ね」
「気に入らねぇか?」
「いや。そういうの、嫌いじゃない」
神崎は小さく笑って、地図を畳んだ。
監視塔へと続く道は険しかった。島の北西はもともと岩場が多く、人の手も入らないままだったらしい。枯れた雑草が足元を絡め取り、崩れかけた石段が音を立てる。
「なぁ、司。どうしてそこまでして、俺にこれを任せる?」
歩きながら、神崎はふと尋ねた。
司はしばらく無言だったが、やがてポツリと呟いた。
「……あの夜、お前は躊躇した。普通なら迷わず斬っていた。だが、お前は違った。だからだ」
「それが、どうした?」
「俺にはもう、そういう躊躇はできねぇ。だが、だからこそ、お前にしか見えないものがある気がするんだ」
司の言葉は妙に真っ直ぐで、神崎は返す言葉を失った。
やがて、視界の先に朽ちた建物が現れた。かつて監視塔だったと思われるその場所は、今や瓦礫の山だった。
「……ひでぇな」
「まぁな。だが、中は意外と残ってるかもしれねぇ。確かめてみろ」
そう言いながら司がポケットから無造作に鍵束を取り出した。
「昔のツテで手に入れた鍵だ。内部の連中から流れてきたもんだ。おそらく、この工場の管理者用の鍵だろう」
そう言って、金属の束を神崎に渡した。
「あとは任せる。俺は今は長くアジトを空にしておけねえ」
「わかった。新しい何かが見つかったら知らせるよ」
神崎は司に別れを告げ、受け取った鍵束を手に、そっと扉に手をかけた。
——ギィィ。
錆びた重い音を立てて扉が開いた。埃と腐臭が鼻を突く。中は想像以上に荒れ果てていたが、それでもかつて誰かがここで何かをしていた痕跡が残っている。
「これは……」
壁には、薄汚れた地図が貼られていた。島の全体図。そして、見覚えのある地下通路の線が記されている。
「地下の……まだ他にも通路があるのか?」
神崎は思わず声を上げた。
さらに、床の隅には木箱が置かれていた。慎重に開けると、中から数冊の古い手帳が出てきた。
「日誌……か?」
手帳の表紙には、藤堂の名前が記されている。
——まさか。
神崎は手帳を開き、震える指でページをめくる。
《第十二工区、反乱の兆候アリ。裏切り者をリストアップ。必要とあらば処分——》
ページの隅には、いくつもの名前が記されていた。その中には見覚えのある名も混じっている。
「これ……レムナントの連中の名前じゃないか」
神崎は冷たい汗をかいた。これは“処分リスト”の原本なのか。
「——司」
だが、背後にはもう、司はいなかった。ここからは一人で進め、ということか。
神崎はもう一冊、別の手帳を手に取った。
《——計画は進行中。内部の動きは想定通り。鍵は、北の倉庫に保管》
「鍵……?」
思わず呟く。それは物理的な鍵なのか、それとも——。
神崎は思い直し、日誌をすべて懐にしまった。
外へ出ると、冷たい風が吹き抜けた。
「……北の倉庫、か」
そこに、何かがある。間違いない。
帰路の途中、ふとした違和感に神崎は立ち止まった。背後——誰かがいる。
「……そこにいるのは誰だ」
返事はない。だが、確かに誰かの気配がする。
「出てこい。隠れるつもりなら無駄だ」
一瞬の沈黙の後、影がひとつ現れた。
「やっぱり、お前か」
現れたのは、先日神崎が「見逃した」あの裏切り者の男だった。
「……何のつもりだ」
「すまねぇ……あんたに、伝えなきゃならねぇことがあった」
男は汗だくで、明らかに怯えている。
「聞くだけ聞いてやる。言え」
「……北の倉庫には、罠がある。俺が見た。司にも言えなかった……もし行けば、殺される」
「誰の仕掛けた罠だ」
「わからねぇ。でも、藤堂じゃねぇ。もっと別の、何か……」
神崎は目を細めた。
「誰かに吹き込まれたんじゃないのか?」
「ちげぇ……俺は、あんたにだけは伝えたかったんだ」
男はそれだけ言うと、逃げるようにその場を後にした。神崎はしばらくその背中を見送っていたが、やがてポツリと呟いた。
「……面白くなってきたな」
北の倉庫。そこには、確かに鍵がある。だが、それは同時に罠でもあるという。
神崎は歩き出した。どこか、笑みすら浮かべながら。
——まだ、戻れる。
マリアの言葉が脳裏に蘇っていた。




