第二章「監獄の亡霊」第18話「裏切りの兆し」
翌朝、神崎は鈍い頭痛とともに目を覚ました。
廃工場の天井は、相変わらず薄汚れた鉄骨の網を見せている。だが、昨日までとはどこか空気が違った。いや——空気ではない。神崎の胸に、昨日からの不穏な予感が重くのしかかっている。
あのリスト。処分済と記された名前の数々。司が語った言葉が、頭から離れなかった。
——俺たちは、次のリストに載ろうとしている。
神崎は、嫌な予感を払うように体を起こし、外へ出た。
まだ朝早いというのに、工場の中にはピリピリとした緊張が走っているのがわかる。誰もが無言で作業をしているが、その目は落ち着きなく周囲をうかがっていた。
——お互いに疑い始めている。
昨日までは結束していたはずのレムナントの内部に、確実に疑心が芽生えているのは間違いない。
その時、背後から声がした。
「来たか、神崎」
司だ。その顔にも、普段の冷静さにはない険しさが浮かんでいた。
「司……何かあったのか?」
「ああ。俺たちの動きが、どう考えても外に漏れている。……誰かが、藤堂に情報を流してる」
やはりか。神崎は、昨日からの予感が的中したことに背筋が冷たくなるのを感じた。
「誰が?」
「まだわからない。だが……ここの奴らの誰かだろうな」
司はゆっくりと、工場の奥を指さした。
「今から、俺たちは内通者を炙り出す。……その前に、お前に見せたいものがある」
神崎は司に連れられ、工場のさらに奥へと進んだ。そこには、昨日の“処分リスト”が張られていた部屋よりも、さらに古びた小部屋があった。
司が扉を開けると、埃と錆の匂いが漂ってくる。薄暗い部屋の壁には、古い地図のようなものが張り付けられていた。
「これは……?」
「この島の古い管理図だ。廃工場や処刑場、管理区画……全部載ってる。だがな、見ろ」
司が指をさした先には、見慣れない“線”が走っていた。
地中を通るその線は、いくつもの場所と繋がっている。
「……地下通路?」
神崎は地図を見つめたまま、ふと司に視線を向けた。
「なぁ……司。この地図、どうやって手に入れたんだ?」
司はしばらく黙った後、ぽつりと呟いた。
「昔、俺が“影”として動いていた頃だ。藤堂の命令で、この島の地下構造を調べたことがあった」
「藤堂が……?」
「ああ。あいつはな、何よりも抜け道を恐れていた。裏切り者が島から逃げる手段がないか、徹底的に潰そうとしていたんだ」
司は皮肉げに笑った。
「だが、全部は潰しきれなかったらしい。この図面は、俺が密かに写し取ったものだ。もしもの時の保険としてな」
「……つまり、藤堂はこの存在を知っているかもしれない」
「ああ。だからこそ、危険なんだ」
神崎は小さく息を吐いた。
抜け道を探したのは藤堂自身——それが皮肉にも、今の自分たちの“命綱”になろうとしている。
「今夜、地下通路の一つを探る。怪しい動きがあるかもしれない」
司は地図から目を離し、神崎を見た。
「ついて来い」
夜になり、神崎は司と共に、地図に記された地下通路の一つへと向かった。そこは、工場裏手の瓦礫の下に隠された入口だった。狭い階段を降りると、湿った空気が全身を包み込んでくる。
「ここは……」
「誰にも知られていないはずだ。だが、本当にそうか……」
司の声が暗い通路に低く響く。
二人は、慎重に奥へと進むと、司がぴたりと足を止めた。遠くで小さな光が揺れるのが見えた。
誰かが——いる。
神崎が足を止めた瞬間、司が口元に指を当て、慎重に進んだ。
光源の向こうには、確かに人影があった。
「間違いない……誰かが、この通路を使っている」
その瞬間、弾けたように、司が飛び出した。
「動くな!」
声と同時に、影が一つ逃げる。司と神崎もすぐに駆け出した。通路を駆け抜ける影。だが、出口は一つしかない——
「追い込め!」
二人は一気に距離を詰めた。やがて、逃げる男が足を滑らせ、転がる。神崎は男の腕を掴み、床に押し倒した。
「誰だ! 何をしていた!」
震える男の顔が、薄暗い光に照らされる。レムナントのメンバーの一人——昨日、神崎に敵意を向けていた男だ。
「……違う、俺は……!」
「言い訳は聞かねぇ」
司が低く呟く。
「藤堂に……情報を流していたんだな?」
男は震えながら、かすかに頷いた。
「どうする、司……?」
神崎の問いに、司はしばらく沈黙した後、冷たく言った。
「処分する」
「——!」
「こいつを逃がせば、次はお前も俺も終わりだ」
神崎は唇を噛みしめた。これが、この島の現実。裏切り者に情けはない。生き残るためには——
「……わかった」
その時だった。神崎の耳に、あの声が再び囁いた。
「神崎さん……」
これは、あのマリアの声だ――
振り返っても、そこには誰もいない。だが、神崎の胸の中に、確かな警告が響いていた。マリアは何か伝えようとしているのだ。
——まだ、何かが隠されている。




