44 上野 ■■
──ここは、映画館だろうか?
暗闇の中でぼんやりと映る、巨大なスクリーン。
座席に置いてあるポップコーンが、バターと砂糖の混じった甘い香りを漂わせている。
……おかしいな。
私はあの時、ブリザノスから反撃を受けて死んだはずだ。天国や地獄ならともかく、なぜ映画館にいるんだろう。
「ん、美味しいね。キャラメル味しか勝たん。」
シートに置いてあったポップコーンを摘みながら思考を巡らしていると、館内から低いブザーの音が鳴った。
たぶん、上映開始の合図だろう。続けて照明が一段と暗くなると、スクリーンから懐かしい映像が流れ出した。
「あぁ、これが本場の走馬灯ってヤツか。」
目に映るのは、高校の教室、行きつけの喫茶店、笑っているお母さん……それはまるで、私の記憶をダイジェストしたような映像だった。
「おっ、異世界の分も収録しているのか。」
引き続きスクリーンに映るのは、転生してからの記憶だ。直近の出来事ばかりだが、私の旅路を振り返ってみるのも一興だろう。
まずは、こちらの世界に来て早々に通貨の複製を企む私。
続けて、賭け事のコイン投げで絶対に表が出るようイカサマする私。
トドメに、メンヘラ発動して冒険者ギルドのドアをぶっ壊す私などなど。
「うーん、どれも身に覚えのない記憶だァ。」
「いやいや、全部バッチリ見てたからね。」
……え?
横から、ツッコミが入ったので振り返る。
「やっほー!久しぶりねっ、双葉!」
そこに居たのは、私の名を呼ぶ"黒い人影"。
館内が暗転中故にハッキリ見えないのではなく、その人物は文字通りに、黒一色のシルエットを纏っていた。
「ホントに、また会えて嬉しいわっ!!」
「あの、一体誰なんスか!?ちょっ、いきなり抱きしめないでくださいって!!キモいんですけど!?」
黒い人影は座席シートを飛び越し、私にハグをしてきた。
向こうは私のことを知っているようだが、こちらは覚えがないので、ただひたすらに怖い。
「うんうん、前より体型がしっかりしてる。食欲も戻ってきたみたいで安心したわ!」
「は?太ってないが!?私は完璧なプロポーションだが!?」
「双葉の体が仕上がってるのを褒めてるのよ?冒険者として活躍するために、筋トレを頑張ったみたいね!」
「あぁ…そりゃどうも……」
なんだか調子が狂うけど、冷静にもなれた。
黒い影に身を包むコイツから、敵意は見られない。焦らずにこの状況を対処していこう。
「一体どうしたの、双葉。私をそんなにジロジロとみて。」
「う、うーん……?」
黒いシルエットを纏う"彼女"。
私のお母さんに声が似ているけど……なんだか性格や雰囲気が違う。
それに、抱きつかれた時の感覚。おおよそ私と同じくらいの体格だろう。
やはりというか、彼女の正体が分からないな。
「双葉、私のことが気になるみたいだけど、まずは状況整理をしましょ。どうしてあなたが死にかけているか思い出せる?」
「んあっ?死にかけてるって……?」
黒い影の正体を探っていると、意外な言葉が出てきた。つまり私は、まだ死んでいないということか?
「あなたは自身の『深層意識』を彷徨っているだけ。準備ができたら、いつでも起こしてあげるからね。」
「よ、よかったぁ……!わたしっ……またギルド長や皆んなに会えるんだ……!」
それを聞いた途端、ぼろぼろ涙が出てきた。
私は思っていた以上に、あの世界が気に入っていたらしい。
...
......
「双葉、落ち着いてきた?もっとポップコーン食べる?」
「えへへ、なんだか取り乱してすいませんね。」
黒い人影に介抱されて、ようやく涙が収まった。
彼女がどこからか持ち出した茶を飲んで、私はホッと息をつく。
「それじゃあ改めて。どうしてあなたが死にかけているか、思い出して。」
えーっと…確か私は……
太古の眠りから目覚めたブリザノスに、『必要な睡眠時間<2倍>』をぶっ放したんだ。
そして、それから──
「そうよ!賢いあなたは、ブリザノスを"二度寝"させてやったの!」
「……ん?」
私は今、思考を声に出していない。
まさかコイツ、心が読めるのか?
「この映画館は双葉の深層意識だからね。今までの人生を全部記録してるし、行動や思考は全て筒抜けよ!」
「えぇ……私のプライバシーはどうなってるんですか?」
この黒い影を纏った少女から、私は常に思考盗聴をされているらしい。頭にアルミホイルでも巻いて対策をするべきだろうか。
「そんなことより、続けましょ。どうしてあなたが死にかけているかの分析を。」
「いや、結構重大な問題だと思うんスけど……」
「いいから!ほらっ!」
うっ、うーん…確か私は……
ブリザノスに『必要な睡眠時間<2倍>』をぶっ放って、二度寝をさせることに成功したんだ。
しかし、それでも奴は"抵抗"してきた。<2倍>を無力化させようと、発動者である私に直接干渉をし始めたんだ。
これが本能による防衛機能なのか、意図的なものかは知らないが。
とにかく私は、その反撃によって倒れた。
「……そうよ。今も双葉の魂は、ブリザノスの怨念で侵食され続けている。このまま元の世界に戻っても、あなたは直ぐに弱りきって死んじゃうわ。」
「げぇ〜っ、それは困るんですけど!?」
せっかく現世に戻っても、すぐ死ぬのではどうしようもない。いわゆる着地狩り、リスポーンキルというやつだ。
「あっ、そうだ!元の世界に戻った瞬間に『必要な睡眠時間<2倍>』を解除すれば、私は死なずに済むのでは!?」
要するに、ブリザノスへの嫌がらせを止めれば反撃されない訳だ。別に大した問題じゃないね。
「能力を解除すると、ヤツが再び目覚めちゃうわ。そして双葉も含めて、街の皆んなが氷漬けにされちゃうでしょうね。」
「なら詰みじゃん。投了しま〜す!」
もはやどうにもならないじゃないか。
ブリザノスは眠らせないといけないのに、その術者である私の体力が持たないって訳か。
「そこは大丈夫。双葉の魂へ掛かっている負担は、私が肩代わりする。」
「魂へ掛かる負担の肩代わり……?」
黒い人影は、そんな申し出をしてきた。
ありがたい話ではあるのだが、オカルト染みた言葉に私は眉をひそめる。
疑わしいというか、不気味というべきか。
彼女は本当にそんなことができるのだろうか。
「私と双葉の魂は、同じ形をしているからね。代役を務めるのも容易なことよ。」
「魂が、同じ?」
今の発言で確信した。魂が同じ存在なんて、いる訳がない。コイツは適当なことを言って、私に何かさせようとしているな。
「お前、私を騙してるだろ。悪魔か詐欺師か知らないけれど、いい加減に正体を見せたらどうだ。」
「……騙しているつもりはないわ。双葉が混乱しちゃうと思って、姿を隠してたの。」
黒い影を纏った少女は、とても悲しそうな声で呟いてから───本当の姿を表した。
「えぇ……おまっ……マジで意味がわからないンですけど……!?」
「もう、だから混乱するって言ったでしょ。」
なんと驚くべきことに。
そこには、見覚えのある人物が立っていた。
紫髪のウルフカットに、水色のシャツ。
スラリとした高身長で、ちょいと控えめな胸。
全世界が虜になる程に、可憐でクールな整った顔。
……つまり私だ。目の前に私がいる。
まるで分身したかのように、瓜二つ。
奇妙だけれど、何だか懐かしい感覚がする。
「ねえ、私が誰か分かる?」
彼女はそう言って、静かに傍へ近づいて来た。
私が誰か……だと?
どういう意味だろうか。私は私だろうに。
目の前にいる"上野双葉"は、それ以上でも以下でもない。
わざわざ質問してくるということは、何か意図があるはずだが……。
「双葉、ヒントをあげよっか。」
「それはいらない。なんでか分からないけど、これは自力で気づかなきゃダメな気がする。」
「……ありがと。」
それからしばらく。彼女をじっくり観察して分かったことがある。
外観こそ私と同じだが、中身は完全な別人だ。
なにせ、表情や声の抑揚に違和感がある。彼女は優しく微笑んでいて、落ち着いたトーンで話しているんだ。ガサツな私は、そういう所作をしないだろう。
自分のようで、そうでない。
しかし容姿に限っては、全く同じ。
ドッペルゲンガー、二重人格、クローン生命体……
いや、まるで双子のような。
あっ!
もしかしてあなたは────
「こんなところにいたんだね!お姉ちゃん!!」
「えぇ、双葉。前世からずっと、ここであなたを見ていたの。」
私がお姉ちゃんの名前を呼ぶと、頭にノイズのような痛みが走る。これはきっと、"奇跡"の代価なんだろうな。
「……代価はそれだけじゃないわ。ここでの記憶を、双葉は引き継げない。」
「そんな気はしてたよ。多分、前にも何度か会ってるよね?」
私の問いかけに対して、お姉ちゃんは頷く。
ここで誰にも知られることなく、ずっと一人なんて。その寂しさは計り知れないな。
「双葉、あなたはそろそろ目覚める。私のことは気にしないで……」
「"──フタバッ!頼む、起きてくれっ!お前まで寝てどうするんだ!!"」
外の世界からギルド長の声。口ぶりからして、ブリザノスを眠らせることには成功しているらしい。
「双葉が気絶している間は、私が『必要な睡眠時間<2倍>』を維持していたわ。そして、その負担も肩代わりしている。」
「そんなことして……お姉ちゃんは平気なの!?」
「まあ、長くは持たないでしょうね。だから眠りこけて無防備な内に、元凶のブリザノスを討伐して。」
「……分かった。最前を尽くすよ。」
お姉ちゃんとの再会に喜ぶ間もないようだ。今まさに、タイムリミットが迫っているらしい。
私達はもう一度ハグを交わしたのちに、映画館の非常口前に立つ。
「双葉、手を貸して。」
「あっ……。」
お姉ちゃんは私の両手を包むように握り、微笑んだ。これはいつも、お母さんが私にしてくれた"おまじない"だ。
「双葉は一人じゃない。私と、お母さんと、異世界の素敵な仲間達がいる。忘れちゃうけど、それを忘れないで。」
「ありがとう、勇気が湧いて来たよ!」
親愛なる同居人に背中を押され、私は深層意識を飛び出した。




