42 旧支配者の目覚め
......雪が激しくなってきた。
ぽつりぽつりと降っていた白が、いつの間にか地面を覆い始めている。
「くそっ、収穫期はまだ先だというのに......」
これ以上降られたら、実家の小麦畑は全滅だ。
それどころか作物の凍害 によって、この街は冬を越せなくなってしまう。
もしそうなった場合......外部からの支援は期待できない。雪で荷馬車の車輪は一歩も動けなくなるし、交易路は閉ざされるだろう。生命線を切られて、街は孤立する。
魔物を狩って自給自足も難しい。樹海で食料を調達しようにも、魔物は冬眠のために自ら魔石化する。
ソレを雪の中から、一つずつ発掘するのは現実的ではないからだ。
「いや、そもそも。前提として───」
この時期に雪が降るなど、"あり得ない"んだ。ましてや、魔力を纏った雪なんて。
エルフの友人からも、そんな魔法は聞いたこともない。
「なぁ、フタバ。一応確認だが、これはお前の仕業じゃないよな?」
コイツは『月明かりを倍』にして、世界中をお騒がせした前科がある。
疑って悪いとは思うが『冬の長さを倍』にすることで、四季をズラすことは可能なはずだ。
「......あれ、フタバ?どこ行った?」
後ろを振り返ると、いつものムラサキ髪が見えない。
ここに来る途中までは一緒だったはずだが、どこかで置いてきてしまったらしい。
「まあ、いいや。流石にアイツの仕業じゃないだろう。」
とにかく今は、情報の入手をしなくては。
何でもいいから、この異常気象に関する情報が欲しい。
私は足を更に早め、ペアル中心部に向かった。
...
......
──ペアル冒険者ギルド
ここは優秀な冒険者と職員達の集う砦。そして、私の職場でもある。
「でもなぁ、ホントに天候を操る生物なんているのかよ。やっぱり女神様の仕業とかじゃないのか?」
「女神様がこんな嫌がらせをするわけないでしょ。でもまあ、私もそんな生物がいるとは到底思えないけれど。」
今、入り口ですれ違ったのはジャックとケイトか。呼び止めて話の詳細を聞こうと思ったが、ちょうどカウンターにいる受付嬢と目が合った。彼女に詳細を聞いた方が早いだろう。
「ギルド長、お疲れ様です!早速ですがこの件に関して、幾つか情報が上がっていますよ!」
「あぁ、助かる!」
私は彼女から渡された資料に目を通す。
どうやら文字ではなく、イラストのようだが──
「おお、屈強な男がゴブリンと濃厚なキスを交わしているな。これは一体......?」
「あ゛ッ!?渡すヤツ間違えました゛!!」
顔を真っ赤にした受付嬢は、慌てて別の羊皮紙を差し出してくる。
......ウチのギルドは、本当に大丈夫なのだろうか。
「こほん。こちらが本物の報告書です!」
「ああ、どれどれ......」
◯天候を変化させ続ける程に莫大な魔力。
◯魔力は、生物の波長と酷似している。
うーん、気になるのはこの二つか。
いずれも魔術ギルドの鑑定結果のようだし、信憑性も高いな。
いや、しかし......そんな生物がいるのだろうか?
戦ったことは当然無いし、文献で見かけたことすらない。
私が顎に手を当てて唸っていると、バックヤードから戦闘班の筆頭職員が駆けつけてきた。
「ギルド長!オレ、樹海にフェンリルが出現した事が偶然とは思えないんスよ!きっと何か、この降雪と繋がりがある筈です!」
「……そうだな。確かに、最近は魔物絡みの事件が多かった。」
これまでもペアル周辺では、ミノタウロウスやキングオークなど、本来は高山地帯に棲む魔物が出没していた。加えて、雪の纏う魔力が生物の波長と酷似していることを踏まえるなら……。
「よし。雪を操る『新種の魔物』が現れたと仮定しよう。戦闘班は至急、あらゆるリスクを想定して遠征の支度を。予算は問わない。」
「へへっ!そうこなくっちゃ!」
コレが自然の脅威なら、打つ手はない。
しかし原因が魔物相手だとするなら、我々の対処できる範囲となる。
その確たる根拠はないが、違っていても笑い話にすればいいだけのことだ。
「それではギルド長。あの方はまだ到着していませんが、樹海の調査を今日に繰り上げますか?」
「うん、そうするべきだな。事態は一刻を争う。」
私は受付嬢の持ってきた冒険者リストに目を通して、召集するメンバーを練り直す。
とりあえず、ヒアル爺は欠かせないな。
優秀なヒーラーの存在は、遠征の成否を左右するとも言っていい。彼が冒険者を引退しているのは承知だが、何とか参加を頼み込んでみよう。
それと、先程から姿を見かけないが......フタバも連れて行こう。
バッファーとして申し分ないし、≪なび≫で索敵が出来る。ひょっとすると、『新種の魔物』を見つけ出せるかもしれない。
......しかしそうなると、どうやってフタバを他のメンバーに紹介するべきか。
彼女が持つ<2倍>の力は隠しておかなければならない。かといって、Fランクの新人冒険者を隊に入れるのも不自然すぎるな。
「そうだ、隊の炊飯係として紹介すれば......」
「"グオオオオオオンッッ!!"」
タイミングがいいのか悪いのか。
突如、樹海方面からクソデカい唸り声が鳴り響いた。
ギルド内にまで届くソレと同時に、入り口のドアが勝手に開く程の強風が吹き込み、紙束が一斉に舞い上がる。まるで『異常気象の犯人は俺だ』と言わんばかりだ。
「ククク…今のは魔物の咆哮だな!だいぶ近いぞッ!」
「ギャハハ!わざわざ挨拶に来るとはご苦労なこった!」
「作物ダメにしやがって!シバくぞ、ゴルァ!!」
得体の知れない脅威が迫っていることをモノともせず、職員や冒険者達は威勢よく叫ぶ。
前衛は武具を掴み、バッファーは詠唱を始め、受付嬢は何処からか巨大な斧を持ち出した。
「ギルド長っ、指揮をお願いします!!」
「ヘヘっ、俺らは何をしましょうかッ!?」
「さあ、雪ごとぶっ飛ばしてやりましょうよっ!」
そして彼らは、私の方を期待した眼差しで見つめる。
まったく。頼もしい限りだ。
「よし、総員迎撃につけ!!なんかこうッ......えーっと......高度な柔軟性を維持しつつ、臨機応変に対応しろッ!!」
「「「「オオォォォォーーーッ!!!!」」」」
...
......
「どこだァ!出てきやがれーっ!!」
「体が冷えちゃうじゃないッ!さっさと姿を見せなさいッ!」
「風邪ひいたらどうすんだ!見つけ次第ぶっ殺してやる!!」
ペアル東門、防壁の上部にて。
吹雪の吹き付ける中で、私達は目を凝らして樹海方面を見つめていた。
「妙だな。あんなにデカい咆哮だったのに、ここから目視で確認できないなんて。」
「ウム、それ相応の体格をしているはずじゃ。にも関わらず、見当たらんのぉ。」
私の隣で、ヒアル爺は水晶筒を覗く。
筒の装飾からして、最もグレードの高いモノだ。
「ほっほ。こんな吹雪の中でも、ノス山脈の地表までしっかり見通せるわい。」
「なぁ、ヒアル爺。ソレって最近発売された新型だろ?私に少し貸してくれないか?」
「お前さんは壊しそうだからダメじゃ。」
「......ケチ。」
しかし、不気味だ。標的の姿が見えないのはどういうことだろうか?
元より街の守衛達は、常に樹海方面を警戒している。些細な異変も見逃すはずがない。
彼らと先程、合流した際に情報を共有したが......雪が降るまで何も無かったと困惑していたんだ。
「"グオオオオオオンッッ!!"」
──また聞こえた!
今度はさらに大きい。音の振動で肌が震えるほどに。
「咆哮はかなり大きいぞ!本当に何も見つけられないのか!?」
「音はすれど、姿は一切見えない。なんと面妖な......!」
「ねぇ、どうなってんの!?マジで怖いんだけど!!」
......なんだ、この違和感は。
吹雪で視界が悪いとはいえ、標的のシルエットくらいなら見つけられるだろうに。
超大型のカメレオン種......フェンリルの上位個体......あらゆる可能性を模索しているが、どれも違うような気がする。
「──おい、そこのムラサキ!ここは立ち入り禁止だ!安全が確保されるまでは家に籠ってろ!」
「いや私、冒険者ですよ!?野次馬じゃないですって!!」
下層が騒々しいな。衛兵が大衆を抑えている。
まあ、こんな状況じゃパニックになって当然か。
「ぜーっ、ぜーっ!ギルド長!やっぱり魔物の仕業じゃないですかッ!!」
「なんだ、お前だったか。いつの間にか居なくなっていたから心配したぞ。」
息を切らして、紫髪の少女が上層に登ってきた。
そうだな、彼女について語ると長くなるが......
『一度に一つだけ、あらゆるものを2倍にできる』とかいう、アホみたいな能力を持った異世界人だ。
コイツがその気になれば、世界を海水で沈めることができるし、時間の流れを歪曲することもできる。
何というか......色々とぶっ飛んでいるが、悪いやつじゃない。
贔屓目もあるかもしれないが、思いやりのある優しい子だ。
「ギルド長、状況は大体わかってます!とりあえず≪ナビ≫を使って、標的を探しますね!」
「助かる…!咆哮は聞こえるのに、どこにも見当たらないんだ!」
≪なび≫──探しているモノを指定のち、自身の重心を対象方向へと倍化させる。彼女曰く、<2倍>の応用技らしい。
「ん〜......体の傾きからして、アッチ方面ですね。」
彼女が指を刺したのは、ノス山脈地帯の方角だ。
確かに、先ほどの咆哮はあちら側から聞こえたように思えるが......
「フタバ、距離は分かるか?」
「そこまでは分かんないっすね。探し物に対して、体が傾くだけなんで。」
あぁ、痒いところに手が届かない......!
彼女の異能は便利であるが、そのピーキーな性能は玉に瑕だ。
「とにかく総員っ!!ノス山脈方面を警戒しろっ!!」
「「「了解ッッ!!」」」
私は吹雪にかき消されないくらいに声を張り上げて、号令を出す。
ゴゴゴゴゴゴゴ......!!
まさにその直後だった。防壁の石畳がわずかに震えた。
鈍い振動が足元から伝わり、遠くで地面が唸るような低音が響く。
「地震だっ、コワイ!!」
「ククク...!もう訳がわからんぞ!」
「ちっくしょ!マジでさっきから何なんだよっ!」
積もった雪が跳ね、地鳴りが走る。
唸るように低く、長い音が続く。
まるで大地が、呻き声を上げているかのように。
「「「...............。」」」
そして、皆が徐々に静まりかえる。
誰もが、その異様な音の正体に気づいてしまったからだ。
大地から、ゆっくりと起き上がる“それ”を見てしまったのだ。
これは、理解を超えた超常現象への本能的な沈黙。
「ギルド長っ!!何ですかアレはっ!?何なんですかアレはっ!?ヴェッ!?」
「フタバ、ちょっと黙っていろ。」
......これは、理解を超えた超常現象への本能的な沈黙。
かつて“ノス山脈”として地図に描かれていた存在は──峰が折れ、谷が歪み、地表が崩れ落ちる。
氷と岩の塊を纏った巨影は──背中に築き上げた歴史をずるりと滑り落として、ゆっくりと膝を伸ばすように立ち上がる。
「"グオオオオオオンッッ!!"」
......厄災が目覚めてしまった。
私達の知らない、遥か太古の世界から。




