41 予兆
孤児院に居候させてもらって、5日目の朝。
私は陽当たりの良いベンチに座り込んで、愛槍"ライジングドラゴンスピアー"を磨いていた。
冒険者たるもの、獲物の手入れは欠かさない。最近使ってない気がするが......とにかく磨く。
「よーし!来たる樹海の調査に向けて、お前を超絶ピカピカにしてやるからな!」
「ん゛ッん〜、アリガトウ フタバチャン!」
しゅっ、しゅっ......磨布を油で湿らせ、穂先を丁寧に擦り上げる。そこへ熱を込めるほどに、彼の槍身は輝きを放つんだ。
「ふふっ...こんなに硬くして......♡」
「ヒャッ♡ フタバチャン ソコ モットミガイテ!」
嗚呼──この手に伝わる鉄の冷たさと重み、先端の鋭角な美しさ、全てが愛おしい。
これほどの芸術作品は存在しないだろうな。
「フタバ姉...何をしてるの?」
「マイブラザーと心を通わしてたんです。」
「そ、そうなのね......」
私が愛槍を撫でていると、年長組のレイナちゃんがやって来た。
なぜかこちらを可哀想な目で見ている。
「そんなことしてないで、今日もラーメン屋台をやりましょ!きっと更に稼げるわよっ!」
上機嫌な彼女は、通貨の入っているであろう麻袋をジャラリと鳴らした。
確かに昨日は、レイナちゃん達の助力で随分と稼がせてもらったが……
「ごめんね、『ラーメン双郎』はしばらく休業しちゃいます。」
「えーっ、なんで?どうして?」
「明後日には樹海の調査が控えてるので、ぼちぼち街へ帰る予定なんですよ。」
「樹海の......調査......?」
───今から7日前のこと。
険しい山脈地帯に棲むはずのフェンリルが、何故かペアルタウン近隣の樹海に現れた。
コイツは正に最強格の魔物。もし街の防壁を飛び越えて、中へ侵入されていれば大変な事になっていただろう。
そんな脅威は、偶然鉢合わせたギルド長によって排除されたが......フェンリルが現れた原因は未だ不明。再発を防ぐためにも、総力を上げて解明するべき事案だ。
「それじゃあ、フタバ姉も調査隊に参加するの?」
「ふふん、そうですよ。私はこれでも優秀な冒険者ですからね!」
「赤髪さんが雇った料理人だと思ってた。」
「なんでやねん。」
そういや私は、彼女達と初対面の時に"さすらいの料理人"を名乗っていたっけな。アレを間に受けていたのだろうか。
「その......フタバ姉、気をつけて。樹海の魔物にやられたりしないでよ。」
いきなりレイナちゃんは、私の腕をぎゅっと掴んだ。まるで今生の別れみたいな顔をして、目には涙を浮かばせている。
「うぇ!?突然どうしたんですか?」
「ちゃんと無事に帰ってきて。そして、また遊びにきて。」
「......うん。約束します。」
特級クラスの死亡フラグだが、真面目に受け取ろう。
魔物、感染症、戦争......深い理由は知らないが、孤児院で暮らす彼女達は辛い過去を抱えているんだ。二度とそんな思いはしたく無いだろう。
「それに、樹海の奥地は強い魔物がいっぱい居るって聞いたよ。ちゃんとフタバ姉は戦えるの?」
「その点は安心してください。あの人が居れば全て解決しますから。」
私が指を刺した先には───
「どりゃぁッ!飛槍烈空斬ッ!!」
ギルド長の握る槍先が捩れ、回転するように突き出された瞬間。
周囲の空気が爆ぜ、巨大な弾丸とも呼ぶべき衝撃波が渦を巻く。
ズキューンッ!
飛ぶ斬撃が、分厚い鉄板を貫いた。
「フタバ、レイナっ!今の見たか!?」
「ええ、バッチリ見てましたよ。」
「赤髪さん、すごい......!」
庭の隅で鍛錬をするギルド長は、破れた鉄板の向こうからひょいと顔を出して、満足げにピースサインをしている。
「シュワちゃんの使っていた銃をイメージしたら出来たんだっ!なんだか力も以前より増してきているっ!」
「シュワちゃん...?シュワちゃんってなに?」
「世界最強のヒーローですよ。」
どうやら≪復元≫したスマホで見せた映画から、戦いのインスピレーションを得たようだ。
相変わらずの出鱈目っぷりだが、目標や理想像に向けて頑張るのは悪いことじゃない。
「そんなわけでレイナちゃん。あの暴力装置が調査隊を率いるので、何も心配するこたぁございません。」
「他力本願なんだね......」
とは言っても、私だってギルド長の足を引っ張らないくらいには強くなりたい。
庇って大怪我されるのは、もう懲り懲りだから。
「よーし。帰るまで時間もあるし、私達も鍛錬するぞ!」
「ん゛っん〜、フタバチャン ガンバロウ!」
「もはや、なんかの病気でしょ。」
レイナちゃんからの冷たい視線を他所に、私は意気揚々と愛槍をぶん回し、お母さん直伝の演武を始める。
「はっ──、せいっ!」
基礎動作に乗せた掛け声と共に突き、薙ぎ、地を蹴る。
うん、体が淀みなく動いているな。以前の調子が戻ってきたような感覚だ。
「へぇー、フタバ姉もなかなかやるじゃん!」
「最近は心身共に絶好調なので!!次は大技を──」
言いかけた口が止まる。首筋にピタリと、冷たいものが落ちてきたからだ。
雨かと思って宙を見上げれば、白い結晶がちらほらと舞い降りてきた。
「雪だっ!なんだかテンションが上がりますね!」
「え......なんでこんな時期に?」
はしゃぐ私とは対照的に、レイナちゃんは眉をひそめている。周りで遊ぶ子供達も、なんだか不安そうだ。
「えっと、私はペアルの気候に疎いんですけど......コレは季節外れの降雪ってことですか?」
「そうよ。雪は必ず、小麦の収穫期より後に来るはずなんだから。」
因果が逆だとは思うが、異常気象なのは理解した。
それに最も気になるのは──
「雲1つ無い晴天なのに、雪だけが降っているのは変ですね。狐の嫁入りってやつでしょうか?」
「それにこの雪...なんだかピリピリする...。」
ぴりぴりする?雪質は普通に感じるが、どういう意味だろう。
とにかく風邪を引いたら大変だ。院長先生が子供達に部屋へ戻るように促しているので、私はレイナちゃんと一緒に向かおうとする。
「フタバッ、早く身支度をしろッ!異常事態だ!!」
「はい???」
ひどく焦った様子のギルド長が、いつの間にかフル装備を整えて駆けつけてきた。
...
......
「フタバァ!もっと早く走れ!!」
「えっほ、えっほ。ギルド長!そろそろ目的を教えてくださいよっ!」
孤児院の子達と別れを惜しむ間もなく、早急に荷造りした私は、ギルド長の後ろを追走する。
市街地に向かっているようだが、一体何を急いでいるんだ?
「まずはフタバ。"環境改変行動"を知っているか?」
「何ですか、それ。」
「やはり知らないか。ちなみに私は知っている。」
「マウントやめてください。」
「環境改変行動というのは......ワイルドビーバーが川にダムを作るように、あるいはポイズンスパイダーが木枝に巣を張るように、住みやすい環境を自分から作り出すことを言うんだ。」
「......この雪は、寒いのが大好きな魔物の仕業とでも言うんですか?」
「ダハハ!そんな訳ないじゃんよ!!」
「シバきますよ?」
......まあ、一蹴されて当然だ。
私はデュエルマモノーズを作るにあたって魔物図鑑を読み込んでいるが、天候を操るなんて大層な奴はいなかった。それは氷を司るフェンリルでも届き得ない領域だ。
「お前の考えている通りだ。天候を操るような魔物が実在するものか。氷を司るフェンリルですら、体に吹雪を纏うのが精一杯だろう。」
「当然の権利の様に、人の心を読まないで下さい。」
しかし...それならば、何を焦る必要があるんだ?
これは異常気象ではあるが、暫く待てば降雪も止まるだろうに。
「そう思っていた時期が、私にもあった。」
「マジでさっきから何なんですか。」
茶化しながらも走るのを止めないギルド長は、手のひらを天に突き上げて雪の結晶を掴む。
「この雪から、ごく僅かな魔力を感じる。あの場にいた子供達のうち、数人も認識していたから間違いない。」
「じゃあやっぱり何者かが、魔法でこの雪を降らせてるってコトですか!?」
「それが分からないから焦ってるんだ。とにかく、冒険者ギルドに急ぐぞ。何か情報が集まっているかも知れない。」
そう言って彼女は走るスピードを上げる。
「あの、私を置いてかないでくだ───」
ギルド長の返事はない。あるのは地面にめり込んだ靴の痕と、ターボエンジンでも積んでるんだろうなっていう衝撃波だけ。
「......コレもう人間じゃないでしょ。」
地面にひっくり返った私は、雪の混じった砂を吐いた。