36 夜明け前が一番暗い
過去をやり直したい。そう思ったこと、皆んなあるよね。
うんうん、わかるわかる。
私もそうなんすよ。毎度失敗の繰り返し。
例えば、不本意ながら<2倍>の力を授かってしまった時。
あるいは、ギルドで『これから伝説の冒険者となる女だ!』と叫んでしまった時。
ないしは、ジャックの勝利に銀貨一枚を賭けてしまった時。
些細なことから、致命的なことまで。数え出したらきりがないね。
まあ、私が今世で一番の"やらかし"を挙げるなら......
自暴自棄になって、冒険者ギルドを襲撃したことになるだろうな。
あ〜、恥ずかしい。
私の罪を罰してくれってか。
世界を滅ぼす前に私を殺してくれってか。
ギルド長とカゲゾーさんにはとんでもない迷惑をかけてしまった。
病んでいたとはいえ、黒歴史もいいところだ。
......しかしまあ、なんというか。
今世で反省することは沢山あったが、後悔はないと思う。
そんな様々なハプニングがあったからこそ。
私は大切な人達に出会えたし、前を向いて生きられるようになったのだから。
......でも、もし仮に。
今世ではなくて。
前世を少しだけ、やり直せるとしたら。
やはり、あの日に遡りたい。
...
......
何でもない普通の日は、突然終わってしまった。
目の前には歩道に突っ込んだトラック。潰れた買い物袋が、遥か後方のアスファルトに転がっている。
血の匂いが鼻を突き、耳の奥で鼓動が響く。
私は震える足で、お母さんの元へ近づく。
「双葉......ケガは、ない?」
大量の血を流して、冷たくなってゆく肌。
手足は痙攣し、それも次第に弱まっている。
「私の娘になってくれて......ありがとう、ね。」
虚な表情をして、今にも消えてしまいそうな声だ。
更に言葉を続けようとしているが、もう聞き取れない。
いやだ。
いやだ。
こんなお別れは。こんな最後は嫌だ。
その時、私は泣き叫ぶことしか出来なかった。
頭が真っ白になって、目の前の惨状を受け入れられなかったんだ。
...すると、お母さんは両手をこちらに伸ばした。
私の肩や手を掴むわけでもなく。
ただ、目の前の空間に両手を突き出した。
おそらく、私におまじないをかけようとしたんだ。
両手で私の手を包むように握り、祈る。母が考えてくれたおまじないだ。
簡単な動作だけど、子供だましっぽいけれど。私はコレが好きだった。
...でも、取り乱していた私は。
その手を取るのが一瞬遅れた。
母の意図に気づいた時、すでに彼女の手は地面に垂れていた。
腕はぶら下がったまま、動かない。
指は半開き、力はどこにも残っていない。
あなたは静かに微笑んでいた。
だけど、少しだけ残念そうな表情に見えて...
その光景が、何度もフラッシュバックする。
鈍い頭痛のように。何度も、何度も──────
「うぁっ!?」
私は暗闇から飛び出して、布団を跳ね除ける。
荒い呼吸を整えながら周囲を見渡すと、薄暗い広間で子供達がぐっすりと寝ている。
ここは、居候させてもらっている孤児院のようだ。
「まったく、嫌な夢を見たな......」
シャツの裾をめくって、腕時計の針を見る。
時刻は午前2時。起きるには早すぎるので布団に潜り込むが、目を瞑っても眠気は訪れない。
はぁ...。いつまでも引き摺るわけにはいかないのに。前に進むと決めたはずなのに。
すぐに切り替えられるとは思っちゃいないが、こんな調子では天国のお母さんが心配してしまう。
「───はっ! せいっ!」
おや?
風に乗って、外から声が聞こえるような。
「───どりゃっ! そいやっ!」
空耳ではないようだ。勇ましい掛け声と共に、金属のしなる音がする。
誰かが外で鍛錬をしているのだろうか。夜遅くに熱心な人もいたもんだ。
「───にょっす! ぬりゃん!」
何だその掛け声は。
まあ、ちょうどいい。どうせ眠れないんだし、声の主を探しに行くとしよう。
...
......
月夜に照らされた赤い槍。
ワルツを踊るかのように繊細に揺れながらも、使い手の一閃に力強く応える。
幾度も振るわれ、磨き上げられたその軌跡には、迷いも無駄もない。
これは技術や力で及ばない領域。ただひたすらに、理をなぞるような───
「エロい槍捌きですね、ギルド長。」
「張り倒すぞ。」
「これ以上ないほどの敬意と賞賛なのに...」
声の主人はギルド長であった。
『行動時間<2倍>』をかけっぱなしにしているため、彼女の1日は実質2日分になっている状態だ。こんな夜更けに鍛錬をしているのも、その影響だろう。
「フタバ、夜明けはまだ先だろう。どうして外をふらついているんだ?」
「あぁ、何だか途中で目が覚めちゃって。」
「その...大丈夫か?」
「大丈夫になりました。あなたに会えたので。」
「う、うん?」
「もうっ!ちゃんとボケに突っ込んでくださいよ!」
「冗談か...びっくりしたよ。」
私はこうやってバカをやってるのが好きだ。
先程まで苦しかったのに、緊張が抜けてゆく。
「そうだ、フタバ。寝れないのなら少し手を貸してくれないか?」
「勿論です。あなたのためなら何でもしますよ。」
「ホントに大丈夫かな...」
私は彼女に連れられて、孤児院の裏庭に来た。水路沿いに、樽製の五右衛門風呂が並んでいる。
「昨日の夜に入ったばかりだが、中々に気に入ってしまってな。抜いたお湯を≪復元≫できるか?」
ギルド長はそう言って、空の樽を指差した。
なるほど。手を貸してくれとはそういう意味か。
しかし、私が維持できる効果は『一度に一つだけ』だ。念の為、彼女へリマインドしておこう。
「ああ、『行動時間<2倍>』が自動解除されるんだったな。」
ギルド長は肩の力を抜いて、壁に寄りかかる。時差が戻る際の立ち眩み対策だろう。
「よし、いつでもいいぞ。」
「それでは…樽の中のお湯、"元の数"の<2倍>発動!!」
唱えた瞬間。空っぽの樽からドバーっとお湯が溢れ出した。
お湯を一度でも沸かしてしまえば、何度でも復元できるという寸法だ。
「頼んでおいてアレだが、あまりにズルいのではないか?」
ギルド長は困惑しながらも、中にゆっくりと浸かる。
「ホントはもっと乱用したいくらいなんですけど...私は力を隠さないといけないので、もどかしいですね。」
「ワハハ!相応に苦労してるんだなぁ。」
「何わろてんねん。」
「...しかし、お前は異能だけではなく、前世の知識も隠したがいいのではないか?あまりに目立つと権力者に囲われかねんぞ。」
彼女は樽風呂の縁を叩いて、私に忠告する。それは...盲点だったな。
「まあ、私に高度な技術や知識はありませんから。大したものは再現できないので大丈夫だと思います。」
「フワフワのパンだったり、カミヒコーキも十分ヤバいと思うが......」
そうなのだろうか?
前世では当たり前のように科学の恩恵を受け取っていた。もしかしたら、認識がだいぶズレているのかもしれない。
「なあフタバ。もし良ければ、おまえの前世について教えてくれないか。以前から興味があったんだ。」
「いいですよ。何から話しましょうか。」
私は近場から椅子を持ってきて、風呂に浸かるギルド長に昔話を始めた。
「......ギムキョーイク。誰でも学問に励めるとは、太っ腹な国だな。」
「ただし、生徒は年に数回"定期試験”という悪魔と知恵比べをしなければいけません。そしてこれに敗北すると、補習という地獄に監禁されます。」
「何それ怖い。」
「ちなみに私は補習の常連です。」
「そんな気がしてたぞ。」
「あと、学校へ“テロリスト“という武装勢力が襲撃してくる可能性があるので、生徒は常日頃からイメージトレーニングをしています。」
「治安が悪いんだな...」
「そうかもしれませんね。別の学校には12660人の女性を買春するのが嗜みの、レジェンド校長と呼ばれる方もいますから。」
「????????????」
ギルド長が樽風呂ごと転げ落ちてきた。中のお湯と共に、彼女は地面にひっくり返る。
「...マジで言ってる?」
「マジですよ。」
まあ、気持ちは分からんでもない。
事実は小説よりも奇なりというヤツだろう。
「次は、私の出身であるナゴヤ村の族長が、世界一の戦士に送られる金メダルをかじった話をしましょうか。」
「お前の前世はどうなってるんだ...」
ギルド長は頭を抱えた。