32 昼食の流儀
私達は孤児院へのお土産を荷車に乗せて、ペアル郊外を歩く。活気ある街並みからガラッと変わり、のどかな田舎といった印象だ。
両脇には一面に広がる麦畑があり、黄金の水平線に、わずかながら防壁が見えている。
...畑が防壁の中にあるというのは、随分と不思議な光景だ。
西洋では防衛の為に町を壁で囲む様式が定着していたそうだが、人の住む空間以外は収容しない。
単純に建設コストが高いし、割に合わないからだ。
「ギルド長、どうやってこんなたくさんの空間を防壁で囲んでるんですか?」
「知らないのか?魔法で岩の土台を少しずつ生成して、後から職人が壁にまで仕上げるんだ。北区では今も拡張を続けているぞ。」
「はえ~、ずいぶんと便利なんですね。」
「そう言えば、お前の居た地球には魔法が無いんだっけか。やれやれ...遅れてるな。」
「異世界マウントやめてください。」
しかし、こうやって穏やかな自然の中を歩いていると、あの曲を歌いたくなるな。
「う~さぎ、お~いし、かのやま~♪」
「フタバ、それは地球語か?歌詞の意味は理解できないが、随分と心地よいリズムだな。」
「おっと、ギルド長にはそう聞こえるんですね。私は二つの言語を操れますが、あなたは?」
「異世界マウントやめろ。」
またしばらく歩いているとギルド長は遠くを指差した。
「フタバ、あれが私の実家だ。」
そこには一階平屋建ての大きな木造建築物があった。広い庭で子供達が駆け回っているのも見える。
例えるなら昭和の学校だろうか。
「なんというか、意外と整備されてますね?」
「ここを巣立った先輩や同期達のおかげだよ。」
彼女は誇らしげな顔をしてそちらへ歩いていった。
「へんなむらさき髪ー!」
「ひんにゅー!」
「ださい槍ー!」
「土みてえな色の胸当てー!」
孤児院の中をうろちょろしていると、子供達から狙いを定められてしまった。
しかし落ち着け。ここは大人な対応をしよう。
「るっせーぞクソガキ! あっ間違えた...私はフタバ、新人冒険者で~す。」
「「「「 誰? 」」」」
「ですよね。」
「コイツ不審者だ!囲んで棒でたたくぞ!!」
「ギャーッ!待って待って!!」
大ピンチのところ、ギルド長が駆けつけてきた。
「みんな、そのムラサキは私の友人だ。執拗にソイツの脛を打つのはやめてほしい。」
私を囲んでいた子供達は、彼女を見るとそっちの方へわっと駆け出して行った。
彼らはギルド長を歓迎するように抱き着いている。随分と人気者みたいだ。
「赤髪さん!俺、冒険者になりたいんだ!どうすれば強くなれるかな?」
そして、やんちゃそうな男の子が目をキラキラさせて彼女に教えを請いている。
「この木刀をお前に預ける。私の大切なお土産だ。いつかきっと返しに来い、立派な冒険者になってな。」
「うん!冒険者王に、俺はなる!!」
ちゃんと強くなる方法を教えてあげましょうよ...」
...
......
「いつもギルド長がお世話になっております。婚約者のフタバです。」
「先生ッ!このアホのことは気にしないでください!」
頭にゲンコツが落ちてきた。挨拶をしていただけなのに...
「ははは!君の周りには、いつも面白い子が集まるね。」
豪快に笑う、初老の男性。この孤児院を運営している院長だ。
「しかし、まさか樹海にフェンリルが出るとは。...ほんとうに、君が無事でよかったよ。」
「実際、危ういところでした。私が鍛錬に使っていた器具はまだ残っていますか?」
「ああ。もしかしたら戻ってくるんじゃないかと思って、物置の前に出しておいたよ。」
「先生は相変わらず何でもお見通しですね。」
久しぶりの帰省と聞いている。二人で積もる話もあるだろう。
私は世間話をそこそこに切り上げ、許可をもらって食事の支度を始めた。
やって来たのは、土間のあるタイプの懐かしい台所。備え付けに、火属性の魔石で稼働するコンロなど道具は充実している。
まずはふわふわの生地を作るためにも、重曹の元となるナトロン鉱石を研ぎ石で削ろうか。
「...いや、待てよ。」
もしかしたら人体に有害な物質がナトロン鉱石に入っているかも。
なにせ異世界の品なんだから地球と同じとは限らない。まずは≪看破≫しよう。
『目の前の、人体に有害な成分を含む鉱石の数<2倍>』発動!
.......しーん。
ナトロン鉱石は変動しない。つまり有害なものが無かったという訳だ。
「安全確認ヨシ!」
私は早速、ボウルへ小麦粉・コッコエッグ・牛乳を混ぜ合わせ、生地が膨らみすぎないように重曹をほんの少しだけ加える。生地が100gなら、重曹はたった1gで十分だ。それだけでドロドロした生地がもったりとした粘質に変わる。
なぜこうなるのか、どういう原理なのかはよくわからない。
一つだけ確かなのは、かがくのちからってすごいということだ。
「ここでレモン液をひとつまみ...w」
こうすると重曹特有の苦味が一気に薄れる。なぜそうなるのか、やはり原理は謎だ。
私は雰囲気で料理をしている。
「そして、混ぜた生地をふっくら焼き上げたものがこちらになります。」
「おおう...相変わらず手際がいいな。」
私が独り言を言っていると後ろから声がした。
「うわっ!何でクレミさんがいるんですか!?」
「キヒャヒャ!はちみつを大量に買っているのを見て、こっそり後をつけて来たんだ!孤児院でボランティアとは関心だな、あーしも手伝うからそれを食わせてくれ!」
「まあ、構いませんよ。でも食べるのはちょっと待ってくださいね。最後の仕上げをします。」
はちみつだばー!バターちょこん!『美味しさ<2倍>』!
「ム?また突然、更に美味しそうになった感じがするぞ!」
クレミさんは涎を垂らしながら首を傾げている。
「まあ、はちみつは"ホットケーキ"にマストですからね。さあ、召し上がって下さい!」
「ホットケーキというのか!よし、我が糧となれ!」
彼女は颯爽と生地を切り分け、一口食べた瞬間に動きを止めた。
...あれ、口に合わなかったか?
そういや、まだ味見をしていなかった。上手に作れていなかったのだろうか?
「あの、クレミさん?美味しくなかったですか?」
「冗談はよせ!な、なんだこれは...!?こんがりと焼けた表面はほんのり香ばしいのに、ひとたび噛めば、ふわふわとしていてしっとり!まるで雲を食べているようだ!」
「それは良かったです。はちみつと絡めるともっと美味しいですよ。」
「ひいいっ!それでは生地がグシャグシャの台無しになってあーしもムショ行きになってしまう!」
「なりませんから...」
「うまいっ!うまいっ!うまいっ!」
クレミさんはそれから物凄い勢いでホットケーキを平らげた。
「ククク...大満足だ。それで、あーしは今から何を手伝えばいい?」
「それじゃあ、このままホットケーキをどんどん焼き上げていってください。私はメイン料理の方に入ります。」
「まかせろ盟友!」
私は彼女にホットケーキ作りを託して、孤児院の食糧庫を漁り始めた。中は魔法で生成されたであろう氷が散らばっているため、実質冷蔵庫として機能しているようだ。
さーて、何が作れそうかな...
おっ!トマトとオークベーコンがある。小麦粉とコッコエッグはホットケーキから流用して…
よし、どえりゃあうまい名古屋めしが作れるぞ。
「本日のシェフを務めます。究極のメニュー担当のフタバです。」
「キヒャヒャ!あーしはそのアシスタント、至高のメニュー担当のクレミでーすッ!」
食堂には100人くらいの子供達とその先生。私達の挨拶をもろともせずに目の前の料理に夢中だ。
「これ、トマトソースが甘しょっぱくてすごい美味しいよ!」
「"ナポリタンパスタ"と言います。私の故郷、ナゴヤの味です。」
「おねーちゃん、この糸状のやつってどうやるの?」
「無心で生地を細く切ります。ひたすら100人分...」
「あ!これ"ニョッキ"に似てるー!」
「ほう、お気づきになりましたか。」
当然だが、こちらでも小麦粉を卵と練ってパスタにする調理法くらいは確立している。
それ自体は珍しくもなんともない。
通称ニョッキ、麵状でなく団子状のパスタだ。すいとんのようにスープの具として使われることが多い。
相違点として、わざわざ細く切って麺にはしない。だってフツーに面倒だし。
それゆえに麺をソースに絡ませる料理は未だに登場していないし、パンのようにメジャーな主食にはなり切れていないのだ。
「なあフタバ、この山盛りのブロッコリーと蒸したコッコ肉は一体なんだ?」
食堂に同席しているギルド長は困惑して私に声をかける。
「ああ、それはあなた専用のアスリートメニューです。」
「アスリートメニュー?」
「コッコの胸肉はタンパク質が豊富で、筋肉の元になります。ブロッコリーは筋肉の修復や成長を補助するんです。」
「ほう、そんな効果があるのか!それで、これはどうやって食べればいい?」
「ん?塩をかけたんでもう食えますよ。」
「えぇ...このまま全部食えと?」
「そうですよ。地球の脳筋ビルダー達はこれしか食っていませんでした。」
「ストイックすぎるだろ。私もナポリタンが食べたいのだが?」
「ちから...ほし...か...?」
「!?」
「力が...欲しいか...?」
「欲しい!フェンリルを小指でワンパンできるくらいの力が欲しいッ!」
「それは無理ですけど、これを食えば強くなれるはずですよ。」
「ぐっ、これは試練だ!そして乗り越えてみせるッ!」
ギルド長は大盛りの蒸しコッコとブロッコリーへダイブした───ッ!!
「キヒャヒャ!続けてデザートのホットケーキだ!思う存分喰らうといい!」
クレミさんはホットケーキの配膳を始めた。
「わッ、ふわふわだ!しかもホカホカ!」
「ククク...炎魔法で保温したぞ。」
「はちみつとバターに合わせるとすごいおいしい!」
「ククク...ハチさんと牛さんに感謝だ。」
「おねーさん、これどうやって作るの?」
「ククク...怪しい粉末を入れた生地を無心で焼くんだ。ひたすら100人分...」
クレミさんは甘味が好物なだけあって、作るのもかなり手際が良かった。
しかも、私の作ったやつより美味い気がする。これは精進しなければならないな。
「フタバ、この山盛りのヨーグルトは一体?」
ギルド長はまた困惑して、私に声をかける。
「それもあなた専用のアスリートメニューです。ヨーグルトはタンパク質が豊富で、骨を強くし、栄養の吸収率も高めます。」
「ほう、そんな効果があるのか!しかしヨーグルトには何もかかっていないようだが...はちみつすらくれないのか?」
「地球の脳筋達はそんな糖質の塊を...いや、はちみつは栄養が豊富かつ筋肉の合成を促進しますね。これは失礼しました、切らしたのですぐに買って来ます。」
「ストイックすぎるだろ...」