22 上野双葉
定期掃討の昼下がり。
私達は...死の淵に立たされていた。
『行動時間<2倍>』によってギルド長に圧倒的なアドバンテージがあるにも関わらず、それを上回るほど素早い攻撃を繰り出す強敵が現れたのだ。
私はコイツの存在を魔物図鑑で知っている。
その名はフェンリル、白銀の大狼だ。
それは氷属性最強の魔物。
鋭い爪と牙は鉄を紙のように破く。
屈強かつ繊細な足は山岳を軽々と超える。
そして高い知能から超低温の氷魔法を放つ。
ヤツは最強、桁違い。
Aランク冒険者の集団どころかダーフル王国軍の中隊でも敵わない。
天災クラス。人智を超えた存在。
そんな圧倒的覇者であるフェンルが。
今、私の目の前で存在感を放つ。
...ギルド長に滅多刺しにされて、惨殺された状態で。
「撤退だッ!樹海で何か異常なことが起きている!」
ギルド長は赤い狼煙を上げた後、恐ろしい剣幕で私に叫ぶ。
「おいフタバ、聞いているのか!?フェンリルが樹海に出るわけがないんだ!早く後退するぞ!」
彼女はフェンリルの魔石を回収した後、私に詰め寄って来た。
「でも、ギルド長!その傷はッ!」
先の戦闘、彼女は私を庇って大怪我を負った。私はそのことで頭が一杯だった。
「さっき最上位の回復ポーション飲んだだろ。撤退中に完治するはずだ。多分。」
ギルド長は負傷によって苦悶の表情を浮かべているが、声色は悪くない。
「よ、よかった...」
「分かったなら足を動かせ!ここはもう危険だ!」
私は動きの鈍くなったギルド長の後をついて行く。
不幸中の幸いか、何事もなく順調に街付近まで戻って来れた。
そしてギルド長は、門の前で集まっている職員達の元へ駆け出して行った。
...
......
私は宿に戻り、桶水で体を拭いている。今日は川で『体温<2倍>』による温泉モドキをやる気にならない。
...先程のフェンリル遭遇戦。転生初日に『行動時間<2倍>』を編み出しておいて助かった。これが無ければ、私達は死んでいたかもしれない。それ程までに奴は強かった。
しかし生き残ったものの、ギルド長は私を庇って大怪我をした。
フェンリルから受けた爪撃は彼女の右肩を大きくえぐった。
更に、肩の神経が損傷したことによって、彼女の右腕は力なく垂れたのだ。
そして結局...
最上位の回復ポーションでも一切治らなかった。
あまりに傷が深すぎたんだ...神経への損傷が激しすぎたんだ...
私は震える手で桶水をすくう。
すると小さな水滴が桶に落ちてゆく。
そして水面に映る自分の姿に憎悪を抱いた。
「そうだ。全部私のせいだ。」
私が弱いからだ。
慢心していたからだ。
足がすくんでしまったからだ。
重い弁当箱なんて持ち込んだからだ。
「...罪を償わなければ。」
私は隣に置いたライジングドラゴンスピアーを反対向きに握る。
そして、槍先を自分の右肩に向ける。荒い呼吸の中で、それを力強く握る。
そのまま肩を
肩を...肩をっ!
かたをっ...!!かたをっ...!!
「クソッなんでだッ!?なんで手が動かないんだ!私は罰を受けなきゃいけないのに...罪を償わなければならないのにッ!なんでっ...こんなことすら出来ないんだ...!」
...
......
私は自分が大嫌いだ。
私は自分が許せない。
前世からずっと、ずっと。
あの日。
母は死んだ。
私のせいで死んだ。
母は暴走するトラックから私を庇って死んだ。
大好きだった母はいなくなってしまった。
私を愛してくれた母はいなくなってしまった。
だから、幼女にトラックが突っ込んでくるのを見た時。私はかつての母と同じ行動を取った。
別に幼女を助けたかったわけじゃない。
そうすれば、私は罪を償えるんじゃないかって思った。
そうすれば、母は許してくれるはずだと思った。
そうすれば、楽になれると思った。
...
.......
私は死後、女神さまに会った。
彼女は私にこう言った。
「死ぬのではなく、生きなさい。きっといいことがありますよ」と。
死んでから何言ってんだコイツって思った。
だから私は左手で鼻をほじり、右手で中指を立てて、女神さまに思いつく限りの罵詈雑言を浴びせてやった。
すると、顔を真っ赤にしてキレ散らかした彼女は、転生特典と書かれたパンフレットを私の顔面に投げつけて来た。
...事もあろうに、私はそのパンフレットを読んでワクワクしてしまった。
だってよ、<最強の肉体>だぜ?<魔法を全習得>だぜ?こんなの見せられて興奮しないやついないだろ。
だから私は転生してしまった。
罪を償うことも、ちゃんと死ぬことも出来ないまま。
それでも、この世界は楽しかった。
素晴らしい友人ができた。
冒険者生活は自分の成長を感じられた。
スラム街で前世の贖罪を続けることもできた。
生きててもいいんじゃないかなって思えた。
...でも、愚かな私は。
再び取り返しのつかない罪を犯した。
ギルド長の右肩にある惨たらしい傷。それは私を庇って負ったもの。
そして、治らなかった。
だから彼女はもう利き手で槍を握れない。もうまともに戦えないし、生活もままならないだろう。
ギルド長は実質シャン◯スなんだ。赤髪だし。
しかし、私に出来る償いは同じ場所に同じ傷を作ることだけ。
いや、違う。
それだけでは足りない。
私は前世の罪を踏み倒している。母の死を無かったことにしようとしたんだ。
だから前世と今世の精算として死で償うべきなんだ。
私にもう、生きていく資格はない。
でも、私は自分で傷を作ることすら出来ない卑怯で愚劣な人間。
...自分で出来ない?
あ。
「そうか!自分で出来ないなら手伝って貰えばいいのか!殺して貰えばいいのか!」
私はライジングドラゴンスピアーを研ぎ直す。
大好きなこの槍で殺してもらおう。これが私への一番の罰だ。
ついでにピッカピカに磨き、刀剣油も注そいだ。
おお、いつ見てもエッジの効いたエロい刃だ。少し鑑賞会も開かせてくれ。
そして最後に...別れのキスをして、私達は冒険者ギルドへ向かった。




