悪寒
順調に探索を進めていき、気づけば第七階層まで到達していた。
相変わらず現れるモンスターは多いし、一体一体が強化されているけど、特に苦戦することはない。
とはいえ、緊張は切らさない。
常に周囲を警戒し、包囲をされないように立ち回る。
S級探索者でも油断すれば大怪我をする。
今朝のニュースでも、そういう報道があった。
そして最悪の場合、命を落とす危険もある。ダンジョンとはそういうところなのだ。
ふと師匠の顔が脳裏に浮かぶ。
かつての辛い授業の日々も同時に思い出されてグロッキーな気分になる。
あれはホントに辛かった……。
毎朝20kmのランニングに、それが終わった後は模擬訓練、昼からは実地での修行……。
だけどそのおかげでこうやって強くなれたのは間違いない。その点では師匠には感謝している。……とはいえ、あんまり会いたくはない。
少しは認めてくれると思いたいけど、あの厳しい師匠のことだから、「鍛え直しだ」と言われてまたシゴき直しになるかもしれないしな……。もしそうなったら全力で逃げよう。俺には愛すべき家族がいる。
「あれは……」
そんなことを考えながら足を進めていくと、目の前に見たことのない個体が現れた。
天使とは似ても似つかない、禍々しい様相。
どちらかというと死神に近い。圧倒的で濃密な殺気を周囲に撒き散らしている。
第七階層であんなモンスターが現れるのか。いよいよ異常が本格化してきたらしい。どうみても今までここに現れていたモンスターとは格の違う強さだ。
「……まぁでも、あれくらいならなんとかなりそうだな」
師匠に比べれば、あんなのはなんの脅威でもない。
そもそも、あんな風に殺気を周囲に振り撒くなんてことをしていたら、師匠にぶっ飛ばされるに違いない。
『本当に強いものほど、弱く見えるものです。意味もなく強さを誇示するのは、意味がありません』
これは師匠の口癖。
本当の強者というのは、見ただけでは分からない。
そのことは師匠で痛感している。いやだって、師匠はどう見ても強そうじゃないし。むしろ……儚げ?
「……うぅ、思い出したら寒気が」
くそ、あいつのせいで嫌なことを思い出してしまった。さっさと倒すことにしよう。それに、こんなところで手こずっているのを師匠に見られたら怒られる。
俺は懐のツヴァイ・ラーべをゆっくりと取り出し構えた。
殺気と気配を消して、ギリギリまで近寄りながら、弱点を探す。
するとちょうど人間でいうところの心臓あたりに弱点があることが分かった。
――あそこか。
長い修行の末、俺の観察眼は極限まで研ぎ澄まされた。今では一目見ただけでだいたいのことが分かる。それはモンスターの弱点だったり習性だったり。
その能力のおかげで、これまで無事に探索者としてやってこれたといっても過言ではない。ありがとうございます師匠。でもあの修行は他の人にはやっちゃダメですよ?
「……さて」
ふっと息をついて、そのまま一気に駆け出す。
足音を立てない特殊な歩法で俺は距離を詰めていく。
その死神のようなモンスターは俺の存在に気づくことはない。
そしてあと一瞬あればそいつの命を絶てるというところで、やっと近づいてくる俺に気づいた。
だがもう遅い。
防御態勢を取られる前に、俺はツヴァイ・ラーべをそいつの弱点に滑り込ませる。
『ガアアァッ……!?』
なんの抵抗もなく、俺の刃がそいつの身体を切り裂く。そのまま粒子となって、その場に魔力結晶がコロンと転がった。
「……でっか」
そいつがドロップした魔力結晶は、今まででもトップクラスの大きさだった。おそらく日本円に換算したら相当の金額になるはず。
だけど拾っている余裕はない。帰りに回収することにしよう。
「……?」
そこで俺は謎の寒気に襲われた。
ぞくりと背中を走る悪寒。師匠との模擬戦でいつも感じていた、濃密な死の気配。
「……なかなかやばいことになってるみたいだな」
この先に待ち受けるものを想像し、俺は気を引き締め直した。
――三人との約束を守るためにも、絶対に無事に帰らないとな。
◇◇◇
――同時刻、成田空港。
国内最大級の空のターミナルに、一際目立つ二人の人物が降り立った。
一人は黒を基調とした和服に身を包み、艶やかな黒髪を靡かせながらキャリーバッグを引いている。大和撫子を絵に描いたような、儚げな麗人だ。
そしてその隣には、ブロンドの髪を綺麗に編み込んだ男装の麗人。キッチリとした高級スーツに身を包んだ彼女は、気配を感じさせない静かな足取りで歩いている。
二人の風貌は、たくさんの人で溢れかえる空港の中で異彩を放っていた。
(すごい美人がいる)(女優?)(綺麗……)
すれ違う人たちはみな振り返り、我を忘れたように彼女たちを見つめる。その美貌と妖艶さは、現実味すら感じさせない。二人が立つ風景だけが切り取られ、まるで映画の中から飛び出してきたようだ。
「ふぅ……久しぶりの日本の空気は美味しいですね。前回帰国したのはいつでしたっけ」
「はい、ツバキさま。日本に来るのは1157日と14時間ぶりでございます」
「あら、もうそんなに経ったのですね。光陰矢の如し、というやつでしょうか」
高級ブランドのサングラスを傾けながら、感慨深そうに呟くツバキと呼ばれた和服美人。
和服とサングラスという一見ミスマッチに思える装いも、彼女にかかれば違和感を覚えさせない。それどころか、一度見たら忘れられないようなインパクトを周りの人間に与えていた。
「はい。前回は急遽の渡米でしたから」
「ああ、そうでしたね。あの時は大変でした。愛しの弟子を鍛えてる途中で、急に呼び出されるんですもの」
「……」
その言葉を聞いて、それまでクールな表情を浮かべていた男装の麗人が苦い顔をする。どうやらその時のことで、苦い思い出があるようだ。
「ふふ。太一は元気にしているでしょうか?」
「……問題はないかと」
「そうでしょうか。太一は人見知りですが、とてもいい子ですから。もし変な虫がついたりしていたら……」
彼女の口から出たのは、現在世界中を騒がせている男の名前だった。そして同時に少しの殺気が溢れ出し、周囲の空気がピリッと震える。
「ツバキさま。落ち着いてください」
「あら、ごめんなさいマリア。……ダメですね、あの子のことになるとつい冷静さを失ってしまうみたいで」
マリアと呼ばれた女は、冷や汗を流しながらツバキを宥める。溢れ出たツバキの殺気を少し浴びてしまった彼女の額に、冷や汗が流れる。
もしこの殺気が周囲の人間に届いていたら、おそらく気を失っていただろう。だが、周囲の人間はそのことに気づいていないのか二人のことを遠目に眺め続けていた。
辺りを見渡し、異常が起こっていないことを確認したマリアはほっと一息をつく。内心では「ふざけんな!」と毒づいていたことはツバキにだけは知られてはいけない秘密だ。
「それでマリア、私の愛弟子はどこにいるのです?」
「そ、それが……」
「それが?」
「……私にも分からないのです」
マリアは決死の覚悟で口を開く。
「……どういうことかしら? あの子との連絡は貴女に一任していたはずですが」
ツバキのこめかみがピクリと動く。
彼女にとって、太一と連絡を取るということは重大な意味を持っていた。本当は自分で連絡を取りたいという気持ちを必死に押し殺し、信頼できるマリアに一任していたというのに、居場所が分からないというのはどういうことか。
「それが……半年前から返信がなくなってしまって……」
「返信がない?」
じろりとマリアを見つめるツバキ。
マリアは恐怖を押し殺しながら口を開く。
「……はい。実は、『しばらく忙しいから連絡はできなくなります。心配しないでください、ちゃんと任せられた仕事はしますから』というメッセージを最後に、連絡が途絶えていまして」
その言葉を聞いたツバキはしばらく考え込む。
そしてたっぷり1分ほど考え込んでから、うってかわって満面の笑みを浮かべながら、
「……そうですか。分かりました」
と、ツバキが呟いたのを見たマリアは、死を覚悟した。
――ああ、私はどうやらここまでみたいです。こんなことになるなら、太一さまと一度でもデートをしたかった……。
そんなことを考えながら瞑目するマリア。
しかし、しばらくしてもマリアに死は訪れなかった。
恐る恐る目を開く。するとにっこりと笑顔を浮かべたツバキの姿が映った。だがその笑顔の裏に、マリアは阿修羅を見た。
「うふ。それじゃあ、不出来な愛弟子に会いに行きましょうか」
どうやら一命を取り留めたとマリアは安堵した。
それと同時に、マリアは心の中で謝罪をした。
――ああ、太一さま。ごめんなさい、と。




