第3話 雪降らねど、雨
我が特務課は本日も平穏である。他部署から押し付けられた、もとい任された雑用、もとい大切な仕事をつつがなくこなしている。
「では課長、届けて参ります」
備品を抱えて出て行こうとする女子社員を、僕は咄嗟に呼び止めた。
「待ちなさい、藤吉さん」
「ま、また何か問題でしょうか……?」
「北棟は肌寒いから、上着を着ていくといい」
「は、はい。ありがとうございます」
カーディガンを羽織ってそそくさと退室する部下を、僕は手を振って見送った。
「川原課長……一体どうしちゃったのかしら」
「本当。あの課長が優しいなんて……今日は雪でも降りそうね」
向こうの席ではまた無駄話をしている。だが、あえて咎め立てるほどのものでもないだろう。効率的な仕事のためには適度な息抜きも必要だ。
何より、最近の僕はすこぶる気分がいい。
(鬼本君とデー……出かける場所はどこがいいだろうな)
相手が七歳も年下だと、デートコー……出かけるコースにも気を使う。まず、誘い出す口実の衣料品関連は必須として、あとは向こうの趣味に合わせてあげたほうが、好感度は高いだろう。
(趣味か……鬼本君は何が好きなのだろうな……)
若者の好みというものを事前にリサーチしておかなければ。ふとオフィスを見渡した直後、鬼本と同期の男性社員と目が合った。
「君、ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「はっ! た、ただ今――」
「いや、座ったままでいい。足の調子に障るだろう」
僕は席を立ち、男性社員のデスクへ向かう。
「参考までに教えてくれ。君は休日に友人と食事をするなら、どんな店がいいと思う?」
*
終業時間はとうに過ぎていた。残業を終えた僕はただ一人、静まり返ったオフィスをあとにする。
結局、今日は鬼本とほとんど会えなかった。彼は午後から営業先で、用件が済み次第直帰だから仕方がない。
だとしても、明日は有給を取って休みというのが納得いかない。これでは来週まで会うのがおあずけではないか。
鬼本の奴、そんなに僕と顔を合わせるのが嫌なのか……?
(……いかん! いつの間にか思考が鬼本君中心になっているではないかッ! もっと冷静にならなければ……!)
会社を出てすぐ、コンビニへと立ち寄る。
確か、前に鬼本がくれた限定いちごプリンがこの店にあったはずだ。速やかに糖分を補給して、ルーティン完了といきたい。
僕は脇目も振らずデザートコーナーへ向かう。
(いちごォ……いィちごォォ…………あった――!)
プリンへと伸ばした手が、同時に横からフェードインしてきたお客の手と触れ合う。
「あっ、すいませ……――ん!?」
「お、川原課長じゃないっすか~」
この緊張感のない声……聞き間違えようはずがない。
「鬼本……君、どうしてここに?」
「俺、割と近くに住んでんすよね~。課長は今上がりっすか? 遅くまでどもおつかれっす」
鬼本はパーカーにチノパン、スニーカーというラフなコーディネートだが、ありきたりな服装でも高身長補正で様になって見える。
何より、職場では見られない鬼本の私服を拝めるとは眼福だ。
「う、うむ……君もゆっくり休日を楽しむといい」
「あざっす。それより」と、鬼本はいちごプリンに視線を移す。「課長も早速お気に入りっすか?」
否定できない。あれ以来、僕はすっかりリピーターと化してしまっている。
「い、今ちょうど思い出してな」
本当はこれで五回目だ。
「奇遇っすね。俺も川原課長のこと思い浮かんで買いに来ちゃいました」
「そうか…………あ! いや、僕は別に君のことを考えていたわけでは!」
違うんっすか? みたいに目元で訴えるんじゃない! 気が咎めるだろう!
「す、少しは考えた……かもしれないが」
「そっすかぁ。じゃ、一緒に買って行きましょうよ」
鬼本の目尻が下がり、口が横に広がる。ああ、僕はこの笑顔に弱いのだと、ますます痛感させられた。
レジに並んでいる時から、すでに嫌な音が聞こえ始めていた。
二人で外へ出るや、僕は思わず溜め息交じりに口にしていた。
「何てことだ……」
土砂降りの激しい雨音が、そんな僕の声すらも掻き消してしまう。
駐車場までは近いが、仕方ない。傘を買って行こうと、店内へ引き返そうとする僕を、鬼本が止めた。
「俺、折りたたみ傘持ってますけど」
持ってますけど? 何のつもりだ鬼本、まさかとは思うが――
「さ、課長。どぞ」
傘を広げて手招きをするな! それは恋人同士とかでやるやつだろうが!
言うまでもなく、僕は断固拒否だ。
「馬鹿を言うな! そん――」激しい稲光、そして落雷の轟音。「にゃはぁっ!!」
不覚! 僕は声を上げただけでなく、勢い余って鬼本の胸に飛び込んでしまった。
「おっ、デカい音しましたね~。意外と近いかもっす」
鬼本が気にしていない風なのが幸いだった。僕は何事もなかったように身を離すことに成功する。
「そ、そうだな。気をつけて帰りなさい」
「あれ? 入って行かないんすか?」
「大の男二人は、さ、流石に……狭いだろう」
「こうすれば平気っす」
鬼本はためらうことなく僕の肩を引き寄せた。
「な……なるほどな……」
僕の負けだ。素直に……従おうじゃないか。