2. 夢の影
「ネリー、たすけてええええ!」
とっちらかったドレッシング・ルームで、イーヴィーは訪ねてきた親友に飛びついた。
「ひょっとして、『何着てこう症候群』?」
部屋一杯に脱ぎ散らかされた色とりどりのドレスと、それとは対照的にコルセットとペチコートを着ただけの部屋の主の姿を順に目に収めて、ネリーはおっとりと確認した。
「そうなの! 明日、ベリオル卿にお茶に呼ばれてるんだけど、ど、ど、どうしよう、着ていく服が決まらないのーっ」
途方に暮れた顔のイーヴィーは、額に落ちてきたほつれ髪をはらいのけた。朝、彼女付きのメイドのレティの手で綺麗にセットされたはずの銅貨色の髪も、今やカケスが喜んで入居しそうなボサボサ具合だ。何度も着替えを繰り返したせいで、家の周りを全力疾走してきたみたいに暑い。
そんなイーヴィーの上気した顔をのぞきこんで、ネリーは素敵なニュースを聞いたみたいにぱあっと目を輝かせた。
「まあ! ベリオル卿って、レイヴンワース伯爵のご子息のアーサー・モードレッド様のことよね?」
「うん、そう、そのモードレッド様」
「お茶会には他にどなたがいらっしゃるの?」
「お呼ばれしているのは、その……、わたしだけなの」
「それじゃ、二人きりのお茶会?」
「うん、そう、一応……」
ちょっと気まずくて、視線を床に泳がせる。彼女にこういう話をするのは、やっぱり何だか悪いように思ってしまう。それなのにネリーは、自分のことのように喜んでくれた。
「すごいじゃないの、イーヴィー! あのベリオル卿のお目にとまるなんて!」
マタタビ事件から丸一日経ってようやく思い出した自分も間抜けの骨頂だけれど、実はアーサーは社交界きっての有望独身男性の一人だった。
レイヴンワース伯爵の嫡男で、洗練された魅力的な容姿の青年。女性関係の噂は、縁談を中心にイロイロと取り沙汰されているけれど、今のところ決まった相手がいるという話は聞かない。(というより、それが社交界の年頃の女性たちの希望だ)
また、中国美術の収集家として有名な父伯爵譲りの審美眼の持ち主で、ルネサンス期イタリアの美術工芸品の収集と研究では、その道の専門家をもうならせるほどだという。あちこちの美術館やコレクターから、非公式の顧問として相談を持ちかけられることもあるとか。
彼があの中国意匠の庭園のあるタウンハウスを自宅として使っていることは有名だから、イーヴィーもアーサーが名乗った時点で、彼が屋敷の主だと気づくべきだった。でも、彼があまりに気さくで親切だったから、(そして自分はベロベロの酔っぱらいだったから)なんとなく彼はあの家に居候している、伯爵家の遠縁の人か何かだと思い込んでしまった。
(ああ―――――――っ、うかつ!)
アーサーにまつわるきらきらしいアレコレを思い出した瞬間、イーヴィーは激しく落ち込んだ。そんな美しいものに慣れ親しんでいる風雅な人に、自分はなんてものをお目にかけてしまったんだ、と後悔と羞恥の涙にかきくれた。
けれどもその日の夕刻に、彼からアフタヌーン・ティーへの招待状が届けられると、イーヴィーの落胆は、混乱と緊張に取って代わられた。『今度こそちゃんとした姿で!』という気負いと、『今更とりつくろってもおそいおそい』という諦念にかわりばんこに襲われて、どの服を選んでも、彼との再会にふさわしくないようにしか思えない。
ぼそぼそと、しょげた顔でイーヴィーは親友に事情を説明した。
「お目にとまるなんて、そんなロマンチックなものじゃないの。その……、この間、一人で近くにお散歩に行った時に、ちょっとした事故があって、……といってもわたしが勝手にうっかり倒れただけなんだけど……、ベリオル卿に助けていただいたの。それで印象に残ってしまったらしくて……」
本当の事情を言おうかどうしようか迷ったけれど、言うのならせめて自分がちゃんと服を着ている時に、と先送りしてイーヴィーは言葉をにごした。
(ウソは言ってないわ)と、せめてもの言い訳で痛む良心をなだめる。
「それなら、これは乙女の正念場よね?」
華奢な両手を祈るように合わせて、ネリーは親友の目をまっすぐ見た。
「え?」
「二人っきりなら、とびきり可愛い格好をしていかなくちゃダメよ、イーヴィー。さ、私にもお手伝いさせて?」
「う、うん……」
にっこりと、勇気づけるように笑いかけられて、イーヴィーの肩からもふっと力が抜けた。おかげでやっと、笑顔で親友にうなずき返すことができた。
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