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ヒーロー登場です。

今回はちょっと短いです。

 手にしていたオークションの目録(カタログ)から視線を外すと、アーサーは軽く目頭を押さえて嘆息した。今日中に所見を書いてしまう予定だったのだけれど、先ほどからこめかみが鈍い痛みを訴えている。そのせいで考えがまとまらない。

(こうも連日となると、こたえるな……)

 最初はさほど気にはしていなかったし、医師に相談するには瑣末すぎる問題だと考えていた。今も正直、そう思う。けれども、日常生活に支障をきたすことには変わりない。

 もう一度、ため息を繰り返すと、目録を書きかけの原稿の隣に置いて、書斎を出た。今夜は知人の家の音楽会に招待されているが、その支度を始める前に、気分転換に庭を歩くことにする。

 アーサーの父がロンドンに所有するタウンハウスは二つあるが、チェルシーにあるこの別邸を、アーサーは成人してから自宅として使っている。両親が住むメイフェアの邸宅に較べると建物は小ぶりだが、ロンドンにしては庭が広いのが気に入っている。

 母屋のテラスから見える範囲は、伝統的な英国風庭園(イングリッシュ・ガーデン)にしつらえてあるが、衝立のように並べて植えられた椿(カメリア)に仕切られた東の一画は、十年ほど前に、東洋趣味の父の意向で中国風の庭園に作り変えられている。

 青い空の下、淡紅色の(ロータス)の花が浮かぶ池には、赤く塗られた柱とそり返った屋根を持つ東屋(パビリオン)の姿が映り込み、ここだけ別天地のような空気を醸し出している。園内のそこここに配されている花桃や牡丹といった異国情緒あふれる植栽も、ほとんどは父が中国(チャイナ)から苗を持ち帰って植えたものだ。

桃源郷(ロータス・ランド)、と言うのだったかな)

 父と違って、アーサーはかの国の文化に明るくない。『眠れる獅子』と呼ばれる国で、俗界を離れた理想郷に与えられた名を思い出しながら、池のほとりをゆっくりと巡る。

 父の話を聞く限りでは、神秘に満ちた不思議の国、というこちらで持たれているイメージとは裏腹に、猥雑なほどの活気に満ちた国だという。それでもこのような箱庭じみた空間が生まれたのは、静謐を恋い求め、浮世に背を向ける人間がいるからか。

(今夜はずる休みしようか……。――いや、どうせなら領地の屋敷にでも移って、しばらく社交そのものを休もうか……)

 らしくもなく厭世的な気分に陥るのは、疲れが抜けないからだろうか。またもため息をついた時、視界の端を黒いものがよぎったように感じて、アーサーは首をめぐらせた。

 父が東洋から持ち帰った木が木立状に植え込まれている辺りには、近辺の猫がよくやってくる。今日、塀の上で目を閉じて丸くなっていたのは、これまで見かけたことのない、小ぶりの黒猫だった。大事に可愛がられている飼い猫なのか、毛並みもつやつやとして触り心地が良さそうだ。垂れ下っている細い尻尾が、ゆらゆらと揺れている。

 うとうととまどろむ猫を見守っていると、突如、ぼてっ、と効果音が聞こえそうな勢いで石塀から転がり落ちて動かなくなった。

(病気か?)

 心配になって近づくと、黒猫は青々とした草のしとねの上で、両手両足(いや、両前脚と両後脚か)を投げ出したおヘソ丸出しの格好で、くうくうと気持ち良さそうに寝息を立てている。

 今日は九月にしては、真夏の陽気が戻って来たような、ホカホカとした日差しが降り注ぐ晴天だ。それでもこの態勢のままで寝ていたら、お腹を冷やすんじゃないだろうか。

 ふとそんな懸念にとらわれたアーサーは、起こさないように慎重な手つきで猫を抱きあげると、母屋の方へと戻る道をたどっていった。腕の中の小さな体はやけに頼りなくて、守り手を必要としているように感じた。

(このまま飼おうかな)

 こんなに平和に眠る子に添い寝してもらえたら、このところひどく寝苦しい夜も、少しはすごしやすくなるかもしれない。そう想像したら、胸がポッと温かくなった。


読んでいただきありがとうございます。

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