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陶器の子ブタの前に置いた赤い小さな花瓶には、クローバーの葉がたくさん活けられている。先日の夢の終わり際に、ブタ氏に所望されたからだ。
「そうじゃ、イーヴィー嬢ちゃん、吾輩にクローバーを摘んでくれないかのう?」
「クローバーって、庭に生えてる緑のアレ?」
「そうそう、その緑のアレじゃ」
まるで極上のご馳走の話をするように、ブタ氏はうっとりと相好を崩した。
「吾輩は三つ葉のアレが大好物なのじゃ」
「えっと……、四つ葉とかじゃなくていいの?」
ブタ氏の本体がくわえている葉を思い出して確かめてみると、彼ははっと息を呑んだ。
「四つ葉! あぁ! そりゃま、あれば言うことなしじゃが、珍味じゃからのう……。よいよい、見つけるのが難儀じゃろうし、三つ葉でよいぞ」
やっぱり本当は、四つ葉の方がいいらしい。けれど人の良い顔でニコニコするブタ氏は、三つ葉でも十分に喜んでくれそうだ。
「わかったわ。明日になったら摘んで来るわね」
そう約束したイーヴィーは、翌朝、早速庭に出て、クローバーを探した。パクストン家のさほど広くない庭は、庭師のジェフリーの手でこまめに手入れされているので、クローバーのような雑草がはびこる隙などない。散々探して、やっと厩裏の物置の陰に身をひそめるようにして生息しているのを発見した。
あれからジェフリーに頼んで、クローバー専用の花壇を作ってもらった。『お嬢さま、植えるのは本当にクローバーでいいんですかい?』と、不思議そうな顔をされたけれど、これでブタ氏用の葉には不自由しない。
(喜んでくれてるといいな)
次にブタ氏に夢で会ったら、お味の感想を聞いてみよう。
貯金箱に『お供え』したクローバーは、いつも彼女が気づくと姿を消している。ブタ氏がクローバーを食べる瞬間が見たくて、部屋にいる時はなるたけ目を離さないようにしているのに、なぜだか毎回、いつ葉が消えたのかが分からないのだ。
(そう言えば、コインもそうやって食べるのかしら?)
『太るからのう、コインは年に一度と決めておるのじゃ』
硬貨も食べるのかとたずねると、ブタ氏は自分のポッコリとしたお腹を見下ろして、切なげにため息をついた。コインは彼にとって、ホール・ケーキのようなものらしい。
(わたしなら、年に一度と言わず、三度くらい……)
甘党らしい思索にふけりながら、イーヴィーは書き物机の上で『レシピ』を開いた。外は素晴らしく良い天気なので、今は夜ではないけれど、『闇夜の外出着』というレシピを試してみたくなったのだ。
今一度、説明を読み返す。これは往復両方を憶えておかないと大変なことになるので、短いレシピだけれど、念入りに確認する。
「ええっと、『自分で軸を定めて、それを中心に三度、望みながら回る。逆もまたしかり』――これって、要はどこでもいいから、何か点を決めて回ればいいのね?」
手順はこれだけ。これまでのレシピの指示に較べると、えらく簡単だ。
「よし、それじゃ軸は――――ここ!」
床に敷かれている絨毯の花模様の一つを、たん、と爪先でたたくと、その周りを三度、勢いを付けて、くる、くる、くる、と回った。
(あ、うまくいった?)
星屑作成の時のような火花や閃光は散らず、効果は地味に、けれども迅速に現れた。みるみる変化する視点に、秘境を目前にした探検者のように心が弾む。
(こんなに素敵なのに、こんなに簡単なんて!)
しみじみと魔女に生まれた幸せをかみしめながら、イーヴィーは開けておいたテラスの扉へ向かった。午後のゆるやかな風に、レースのカーテンが手招きするように揺れている。
(さあーて、お散歩に出発、進行―――――!)
もとよりお出かけは、このレシピの実行を決めた時から計画に織り込み済みだ。目的地も、もう選んである。
(だって、中国意匠の庭園なんて、一度は見てみたいじゃない?)
噂は色々と聞くけれど、プライヴェートな庭ということで、滅多に公開されることはない。正式な招待を受けられるチャンスは、パクストン家の家格を考えると、まずない。そうなれば、残るは変則的な手段のみ。
勇んだ、けれども令嬢らしい慎みを忘れない足取りで、イーヴィーは明るい日差しの中に踏み出した。
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