5-5
パチパチと景気良く燃える暖炉の炎が、どす黒く染まった紙に燃え移ったのを見届けて、イーヴィーは詰めていた息をはいた。
「こ、これで多分、……っ、だ、大丈夫だと思うけれどっ……、来週あたりに、……っ、アフターケア、に、来るわ」
ぜいはあと息を切らしながら、イーヴィーはアーサーを振り返る。
「……っ、お掃除って、大変な、お仕事なのね……」
「僕には、作業している君の姿しか見えなかったけれど、見た目通りに重労働だったの?」
一部始終を見守っていた割には呑気な質問に、イーヴィーは非難がましい口調で答えた。
「もう大変なのなんのって! 棒きれの先に、太った七面鳥を引っかけて運ぶようなものよ! それもなんっかいもよ!」
「……………、やったことがあるの?」と、噴き出しそうな顔でアーサーが聞き返した。
「へ?」
「七面鳥運び」
「も、ものの例えよ」
ニワトリなら、パンの耳を結んだヒモで釣ったことがあるけれど、それは機密事項だ。
暖炉の前の肘掛椅子に沈み込みながら、やれやれ、とため息をつく。
鏡の『掃除』の手順は、バケツの水に見立てた紙に、雑巾に見立てた魔法杖でぬぐい取った汚れを移すという、先ほどのギブソンのお手本にならったイメージにした。
アーサーにもらった魔法杖のお初の役目が雑巾なんて、不憫だし申し訳なかったけれど、背に腹は代えられない。魔女の力を媒介するのが、魔法杖という道具だからだ。
ぶっつけ本番になったけれど、お掃除の良いところは、結果がいまいちでも、何度でもやりなおしがきくこと――と甘く見ていたことを、半時間が経過したあたりで後悔した。
三百年の間に積り積もった汚れは、半端ない重さと量だったのだ。ぬぐってもぬぐってもわいて出てくる汚れを延々紙に移して、やっとの思いで鏡をみがきあげた頃には、二時間以上が経過していた。
その間アーサーは、黙って彼女の奮闘につき合ってくれたのだけれど。
「お疲れさま」
目の前に差し出されたココアを受け取ると、ふわりとシナモンの香りが立った。
「ありがとう……」
一口、口に含むと、甘みが疲れた体に染みわたる。
「アフターケアは、呪いが消えたことを確認するため?」
アーサーも、向かいの椅子に腰を下ろした。自分が掃除をしている間、ずっと横に立って待っていてくれたのだ。
「それもあるけれど、わたしが魔力を残しちゃってないか、確認するためでもあるの」
イーヴィーの魔力が残留していると、鏡が余計な力を持ってしまう。すると、また同じような事態が繰り返されかねない。だから時間を置いて、もう一度、仕上げの掃除をする必要があるのだ。
(今やれって言われても、どうせ体力的にムリだけど……)
右腕が鉛のように重い。明日はひどい筋肉痛だろう。
「あの黒くなった紙は……、鏡の呪いを吸い込んだんだよね?」
「そうよ」
「火にくべたことで、吸い込んだものは消えるの?」
「うん。呪いというより、ただの汚れだから、水に流すか、燃やすか、土に埋めるかして自然に返せばいいんですって」
「意外と合理的な発想をするんだね、魔術って」
「胡乱な呪文を唱えたり、カエルの干物を振り回すと思った?」
「ちょっと期待したかな」
「残念でした~」
ひとしきりココアを味わってから、イーヴィーは少し真面目な顔になって口を開いた。
「なんかね、わたしが思うに、思い描くことが魔法の原動力になるみたい」
「それは君の仮説?」
「うん。『レシピ』やブタ氏だけじゃわからないこともたくさんあるし、わたしのカン違いかもしれないけど、取りあえずそう思うことにしたの」
「それじゃ想像力をのばすと、魔術的にもいいのかな?」
「そうみたい。協力してくれる、アーサー? あなた、良い先生になりそうよ?」
「よろこんで」
「ありがとう。それじゃ、そのお返しに、時々夢を作ってあげるわ」
彼には安眠を返してあげたいと願っていたけれど、惜しんでいた夢を代わりに取り上げたんじゃ、イーヴィーの望みは半分しか叶わないから。
「本当に? それはうれしいな」
向けられた笑顔がまぶしくて、あわてて暖炉の火に目をそらす。まだ温もりが恋しくなる時候ではないけれど、平和に踊る火影は気持ちを穏やかに鎮めてくれる。
しばらく、静寂が二人を包んだ。
「――イーヴィー、猫姿の時に鏡を見たことある?」
唐突な問いで沈黙を破ったのはアーサーだった。
「え? ないわ」
「一度、見てみるといいよ」
「わたし、どこか変なの?!」
愕然とした彼女に、彼は笑いながらかぶりを振った。
「ちがうよ。猫姿の時の君の目を見てほしいんだ」
「目?」
「普通の猫は瞳孔が縦に細くなっているよね? でも君の目は、猫の姿の時も人と同じなんだ。二度目に見た時に気づいた」
「瞳孔が丸いままってこと?」
「そう。つまり細くなっていない。それを猫の言葉で『太目』って言うんじゃないかな?」
「そうかしら……」
「人の姿の君もだけど、猫の君はかなり細身だよ。最初は子猫かと思ったくらいだからね」
「それってやっぱり、子供っぽい、ってことよね……」
猫でも幼児体形なんだわ、と再び落ち込む。
「まさか。君は僕の心をとりこにするくらい、魅力的なレディなのに?」
「なぐさめてくれてありがと、アーサー」
「本気だよ」
「うん、本気よね。わかってるから」
彼は優しい人だから、こうやって甘い言葉で彼女のご機嫌を取ってくれる。
「わかってないね。僕は君に恋していると言ってるんだよ」
「ええっ! まさか!」
「そのまさかだよ」
イーヴィーが、鳩ならぬ猫が豆鉄砲を食らったみたいになったのを見て、アーサーはやるせなさげに嘆息した。
「……本気だと思ってもらえてなかったんだね……」
「だって、あなたなんて、どんな綺麗なレディだって選びたい放題じゃない。そんな人が、わたしみたいな取り柄のない平凡な子、相手にするはずないって……」
「誰が取り柄がなくて平凡だって? 黒猫に変身できて、この上なく美しい夢を紡ぐ力を持つレディなんて、ロンドン社交界広しと言えど、君くらいだよ」
「でも、わたし、家柄も見てくれも大したことないし……」
「君の紫水晶の瞳にまっすぐ見られるだけで、僕がどんな気持ちになるか知ってる?」
(本当に? 本当にそう思ってくれてるの?)
「あのね、アーサー……」
彼の名を呼ぶ声が震えた。
「ん?」
かすれ声をひろうように近づけられた彼の耳にささやく。
「わたしねもね、あなたのことが好き」
「本当に? 僕は魔術も使えない平凡な男だよ?」
ここぞとばかりに、イーヴィーの台詞が茶化された。
「ちょっと! 『平凡』って表現は、わたしの専売特許よ!」
思わず笑いを誘われながら文句を言うと、アーサーも口の端を上げた。
「異議あり。僕にもその資格はある」
「もう! 人が気持ちを告白してる大事な場面なのに、言うことがそれ?」
ふくれっつらになったイーヴィーを見て、アーサーの灰色の目が甘くきらめいた。
「だって、言えることはもうないから」
「え?」
いつのまにか彼女のそばに来ていたアーサーを、イーヴィーはきょとんと見上げた。
すると、するり、とうなじに手が回され、軽くかがみ込んだアーサーは、まだ開いたままだった彼女の唇に、彼のそれを重ねた。
そのあまりの手際の良さに、何を盗まれたのか彼女が理解したのは、彼の唇が離れてからまばたき二、三回分の時間が過ぎてからだった。
「アーサー、今、キス、したわよね……?」
何を確かめてるのよ、と自分でも突っ込みたくなるような、おマヌケな質問だった。
「そうだよ。今、君の唇を盗んだ」
憎たらしいくらい、彼は悠然と微笑んでいる。
「本当よね? わたしの夢とか妄想じゃなくて……」
ためしに頬をつねってみるけれど、この感覚を痛いと呼んでいいのかどうか、いまひとつ確信が持てない。
「うれしいね。僕とのキスを夢に見てくれたの?」
「えっ、いえ、その……」
(しまった、口がすべった)
あさっての方向に顔をそらすと、あごに指をかけられて、そっと引き戻された。あおのかされて視線が重なると、彼はくすりと笑った。
「さっきのキスも夢に思える?」
「うん、ちょっと……」
「それなら、君が確信できるまで繰り返してあげる」
お安いご用だからね、と彼が続けた言葉は、もはや彼女の唇をくすぐるささやきでしかなかった。
柔らかく、幾度も口づけられているうちに、やっとイーヴィーもキスの作法を思い出せる程度に落ち着いてきた。
(遅くなってごめんなさい)
心の中でこっそり謝って、それまで開きっぱなしだったまぶたを静かに閉じた。
二人の瞳は、それからしばらくの間、開かれることはなかった。
読んでいただきありがとうございます。
あと1話で完結します!
お気に召していただけましたら、評価や「いいね」していただけると作者のはげみになります。




