5-4
「あ――――――――っ! わすれてたぁ!」
モードレッド家の屋敷に着くなり、イーヴィーはすっとんきょうな声を上げた。
「忘れ物? それなら誰かに取りに行かせようか?」
「ちがうのアーサー、あのね、鏡の掃除の仕方って、上級編だから、わたし、お勉強しなきゃいけないことがあって……」
「? ……――僕に何かできることはある?」
「そうよっ! その手があったわ!」
要領を得ないイーヴィーの言葉に不思議そうな顔をしつつ、アーサーが申し出ると、彼女はぱっと顔を輝かせた。
「ねえアーサー、あの口が固くて、ティーポットが踊りだしても動じなさそうな執事さんを呼んでもらえる?」
「あのね、ギブソンさん――」
「ギブソン、で結構です。ミス・パクストン」
話しかけた途端、謹厳な執事に無表情で訂正された。なかなか難しい。
「じゃあ、ギブソン、あなたに鏡をピカピカにするコツを教えてほしいの」
「………鏡を掃除する方法、をおたずねですね」
イーヴィーの突飛な要望を眉ひとつ動かさず拝聴すると、ギブソンは一つうなずいて確認した。
「そうよ。その、できれば実演をまじえて教えてもらえると、助かるのだけれど……。わたし、お料理とかお裁縫は経験者だけれど、お掃除って、したことがなくって……」
気恥かしいので、無意味に手をバタバタさせながら説明するイーヴィーの後ろで、アーサーが笑いをかみ殺している。背後を振り返って、きっとにらみつけておく。
ギブソンは、主人の意向をはかるように、そんなアーサーにちらりと視線を走らせた。
「彼女は別にお前の技量を試したいわけではなくて、技術的な知識が必要だそうだ。彼女の望むようにしてもらえるかな」
「かしこまりました。用意するものがございますので、少々お時間をいただきます」
短く断って、ギブソンは退室した。
しばらくして、一方の手にバケツ、もう一方の手に雑巾数枚と古新聞を持って戻ってくると、執事はマントルピースの上にかけられた鏡の前に立ち、おもむろに手袋を外した。
「では、ご説明いたします。まず、柔らかい布地を使用した雑巾をお湯にひたし、固めにしぼります。この布で、鏡の表面の汚れやほこりをぬぐい去ります」
ギブソンがガラス面を手早くふき終えた頃、ノックの音が響いて、メイドが別のバケツを手に入ってきた。
「こちらのバケツに入っているお湯には、大さじ一杯の酢が混ぜてあります」
「酢って、お食事に使うお酢?」
イーヴィーが質問を挟むと、教理問答をするような厳かな口調でギブソンは肯定した。
「左様でございます。当家では、こうした用途には穀物酢を使用いたします」
「へー……」
「勉強になるな」
無邪気に感心するイーヴィーの横で、真面目なのか茶化しているのかわからない口調でアーサーも同意した。
「……では次に、こちらの新聞紙を適度な大きさにちぎって丸め、軽く酢水でしめらせた上で、鏡の表面をみがきます。この時酢水を付けすぎると、液だれして、ガラスの裏面の銀メッキが錆びる原因になりますので、ぬらしすぎないよう注意するのが重要です」
キュッ、キュッ、と音を立てて鏡が手早くみがかれる。
「最後の仕上げに、もう一度、乾いたやわらかい布で空ぶきします」
彼が作業を終えた鏡は、もともと曇り一つないほど綺麗だったのだけれど、先ほどよりも一段と輝きを増しているように見えた。
「すごい……、プロの技ね!」
イーヴィーは思わずパチパチと手を叩いてしまった。
「いえ、わたくしの職務の一つにすぎませんので」
そう謙遜したギブソンは、無表情ながらどこか照れているようでもあった。
「他にご要望はございますか」
「イーヴィー?」
「あ、これで十分よ。ありがとうギブソン」
「ごくろう、ギブソン。下がっていいよ」
「かしこまりました」
二人だけになると、イーヴィーはきりりと顔を引きしめて、アーサーに向き直った。
「準備ができたわ。あの鏡のところに行きましょう」
読んでいただきありがとうございます。
お気に召していただけましたら、評価や「いいね」していただけると作者のはげみになります。




