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5-3

「手前から三番目のスモモの木の実はすっぱいんだね」

 それからしばらくして、珍しく予告もなくパクストン家に来訪したアーサーは、談話室(パーラー)で彼女と二人きりになると、唐突にそう切り出した。

 イーヴィーの手の中で、茶器がガチャリと音を立てた。平静を装って、さらりと答える。

「その通りよ。庭師のピーターがいくら肥料をあげても、あのヒネモモだけは、ぜんっぜん、実が甘くならないの。コンポート用の品種じゃないのに、おかしいわよね」

 彼があの庭のことに触れるのは、初めてだ。

「やっぱりイーヴィーも、順番に全部味見したの?」

「うん」

 目を細めた彼にうなずくと、おなかの中が暖かくなった。

「わたしも、って、アーサー、あなたったら意外に食いしんぼうなのね」

「ウィルが言い出したんだ。これは通過儀礼だ、って。おかげで三日ほど、毎晩スモモばかり食べさせられたよ」

「ウィルらしいわ」

 たまらず、お腹を抱えて笑いながらイーヴィーは同意した。

 アーサーが夜毎の眠りの中で目にしている光景なら、自分は誰よりもよく知っている。

 子供の頃、毎年夏を過ごした、ヨークシャーの父方の祖父母の家。小人と妖精はうじゃうじゃいるけれど、お化けは一匹もいないと言われている古い館には、雲の向こうまで続きそうな、広い広い庭がついていた。キッチン・ガーデンにはキャベツやラズベリーが、果樹園にはリンゴや梨がすずなりで、花園には薔薇やクレマチスが、草地にはタンポポやヒナギクが風に揺れていた。

 ソフィーお姉さまやジェシーや、同年代のいとこやはとこたちと一緒に、木に登っては落っこちたり、ウサギを追っかけては泥だらけになったりした日々は、今でも大切にしている思い出だ。

――だからアーサーにも、同じ景色を見てほしいと思った。

「ニワトリ小屋の裏で背比べを始めたのは、君の姉上?」

「そうよ。ウィル――あ、ウィルってジェシーのお兄さまなんだけど――彼がソフィーお姉さまと同い年で、毎夏ほとんど同じ背丈で、それでどっちが(ボス)か決めようって、小屋の壁に毎年印をつけることにしたの」

 結果は、ソフィーお姉さまの三勝一敗。二人が十四になった最後の年まで、ウィルの方がちょこっとだけ背が低かった。

「君の印も見つけたよ」

「ちっちゃかったでしょ」

「うん。その頃の君に会ってみたかったな」

 可愛かっただろうね、と付け加えられて面はゆくなる。あの頃から自分は大して成長していないとも思うし。

「わたしがヨークシャーで夏を過ごしたのは、十一の時が最後だったわ。その頃のアーサーって――」

「――十六、だね。その夏は、イートンの友達を呼んで、領地の屋敷で過ごした」

「十六、かあ。五つも年上だったんだ……」

 大人の男の人だと思っていた。落ち着いているし、物事を柔らかく受け止められる、懐の深さもある。けれど自分が子供子供していた遠い日に、もう彼は今の自分とさして変わらない年齢だったと知ると、彼が追いつけないほど遠くにいる人に思えてさみしい。

「僕は年上すぎる?」

 たずねた口調は心配そうだった。

 何に、とは彼は言わなかった。けれどイーヴィーは、ううん、と強く首を横に振った。何のためにだろうと、年の差なんかに邪魔されたくない。

「よかった……」

 小さくつぶやくと、彼は真顔のまま再び口を開いた。

「君は一番の、大切で綺麗な思い出を僕に分けてくれたんだね」

「そんなに改まって言われると、肯定も否定もしにくいわよ」

 イーヴィーの照れ隠しに、アーサーは「そうだね」と、ちょっと困ったように笑うと、しばらく口をつぐんだ。

「……だからね、実は今、僕は迷ってるんだ」

 やがてそう切り出したアーサーは、懐から細長い小箱を取り出した。

「これを君に渡すべきかどうか、迷っている」

「?」

 苦笑いを浮かべる彼の顔と小箱を交互に見て、イーヴィーは怪訝な顔をした。

「もっとずっと夢を見ていたい、と利己的な僕は願っている。けれどこれが仕上がったからには、一日も早く君に渡したいとも思ってしまうんだ」

 夜空色のベルベット張りの小箱の留め金をぱちりと外すと、アーサーは中身を彼女に見せた。

「!」

 心臓が、一瞬止まったかと思った。

「細工に金属を使っても大丈夫か確認していたら、思ったより時間がかかってしまったよ」

「魔法杖……」

しなやかなヤナギ材で作られた細身の棒は、持ち手のところに銅で繊細な象嵌細工がほどこされている。持ち手の根元には大粒の紫水晶がはめ込まれ、石を固定する銅の留め金がそのまま、絡まる薔薇のツタをかたどった象嵌の文様につなげられている。薔薇の花と葉の茂る間をよく見れば、小さな猫が一匹、気持ちよさそうにまどろんでいる。

「アーサー、どうして、これを……?」

 魔法杖が欲しいと思っていたことは、彼には一言だって話してないのに。

 すると謎かけのように問われた。

「キッチン・ガーデンの北西の端に、ニワトコの木が生えているよね?」

「牧場に抜けられるところの?」

「そう、その木」

 屈みこんだアーサーは、秘密を打ち明けるように声を落とした。

「その木を回り込むと、ブタ(ムッシュー・ピッグ)の夢に続く小道があるんだ」

「!」

 弾かれたように顔を上げたイーヴィーに、彼はくすりと笑って続けた。

「君がフラムで足止めを食らった夜、ブタ氏が僕の夢にたずねて来た、って言ったよね? その時に彼を追いかけて、道らしきものを発見したんだ」

 それで次に眠った時にその道をたどって、ちょうどブタ氏の夢にやってきていたイーヴィーを見つけたらしい。

「ブタ氏は良い軍師だね。君にちゃんとした贈り物をすると予告したものの、何にするか迷っている、と相談したら、このことを教えてくれたんだ」

 確かに薬草の苗木をもらった時、これはプレゼントではないよ、と彼は書いていたけど。

(予告だなんて、思いもしなかった……)

「あの、アーサー」

 何と言って良いかわからないまま、答えを求めるように彼に視線を向けた。

「ん?」

 うれしい。すごくうれしいのだけれど。

「……こんな高価なプレゼント、わたしにはすぎたものだわ」

 無邪気に受け取って良いものか迷う。

 台座にはめ込まれている紫水晶(アメジスト)一つとっても、相当の値打ちがあるものだ。夜明け直前の東の空みたいな、朱をはらんだ濃紫の石は、ボンド・ストリートのお店でイーヴィーが見せてもらったお手軽価格の石とは、色味も透明度も較べものにならない。繊細な象嵌細工は、一流の職人の手によるものだと一目でわかる。

 イーヴィーの逡巡をなだめるように、アーサーは微笑みを浮かべた。

「僕は君にもらってばかりなんだよ。やっとお返しできるチャンスが巡ってきたことを天に感謝しているんだから、僕を困らせないで」

「でも……」

 返答に詰まって視線を膝に落とすと、「ああ、そう言えば」と彼はいきなり話を変えた。

「君のおじいさまが大切にしている白馬のフィガロに、おばあさまの白髪染めで変な縞模様を描いたのは、君の仕業だってね」

「なんでそんなこと知ってるのっ?」

「小さいジェシーが教えてくれた」

「ジェシーのおしゃべり――――っ!」

「ぜひとも誰かに披露したくなるような、微笑ましいエピソードだね」

「な、なによ、いきなり――っていうか、ダメっ! 話しちゃダメに決まってるでしょ!」

 アーサーは、笑いをこらえるように口元をゆがめている。

「それじゃ、黙っている代わりに、僕のわがままを一つきいてくれる?」

「わ、わがまま? また?」

 前回の『わがまま』を思い出して赤面したイーヴィーは、やけっぱちで応じた。

「おどすってわけっ? もうっ、わかったわよ! ワガママってなによっ?」

 すると、静かな口調で言い渡された。

「今日の僕のわがままはね、これを黙って受け取ってほしい、ってことだよ」

「……………………」

 退路を断たれた。うつむいたまま、やがてイーヴィーは、こくり、とうなずいた。

「ありがとう、イーヴィー」

 アーサーは彼女の手を取ると、そっと小箱を手の平に乗せた。

「それはわたしの台詞よ…………」

 震える声で、イーヴィーは異議を呈した。心からの感謝の気持ちを表すのはむずかしい。特に、『ありがとう』の言葉と笑顔だけじゃとても足りない時は。

 覚悟を決めたイーヴィーは、ぱっと顔を上げると勢いよく腕をのばし、彼にぎゅっと抱きついた。

「イーヴィー…………!」

 珍しく、アーサーの声がひっくり返った。

「ほんとうに、ほんとうにありがとう……! これでわたし、やっとあなたに安らかな夜をプレゼントできるわ」

 震える声で告げると、気持ちを切り替えるようにさっと身を離した。

「この間の鏡のところに連れて行ってちょうだい」

「今から?」

 アーサーの顔には、まだ少し驚きが残っていた。

「ええ、今すぐよ!」


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